再読。
著者によれば、二葉亭四迷は言を文に近づけようとして行詰まったが(『浮雲』)、漱石は文を言に近づけようとした(『猫』~『三四郎』)。英語翻訳調を含む古今の日本語表記表現の様々な導入試行の後、『三四郎』で彼の文体は確立すると(「Ⅴ 近代文体の創造 夏目漱石」)。
同じく「Ⅴ 近代文体の創造 夏目漱石」。『坊っちゃん』を勝小吉の『夢酔独言』と比べる発想に瞠目。洒落本・滑稽本といった江戸戯作文学の語り口たる会話体、それはすなわち一人称視点の言文一致であると。
また、大槻文彦は、『言海』を編纂する際、日本語に語別(品詞)分別を施した。その理由は、信じ難いほどのことだが、「外国の辞書には品詞が明記されているから」だった由。しかも彼の日本語文法は、英文法と伝統文法の折衷、単純な接合――しかも前者を主とした――に他ならないと(「Ⅵ 日本語の文法の創造 時枝直記」)。
『広日本文典』における「主語、上ニ居リ、説明語、下ニ居ルヲ正則トス、主語ト説明語〔述語〕トヲ具シタルハ、文ナリ、文ニハ、必ズ主語ト説明語トアルヲ要ス」(本書208頁に引用)という、大槻の文の定義、ひいては彼の日本語のシンタックスの概念は、小池氏も言われるように、英文法のそれを日本語へそのまま持ってきただけにすぎない。「こうなると『観点』もなにもない」(207頁)という氏の言葉には頷かざるをえない。
つまりは日本語においての品詞とはなにか、文とはいかなるものかという根本的な考察は、大槻文彦においてはなされなかったらしい。
(筑摩書房 1989年5月 ちくま学芸文庫版 1995年6月)
著者によれば、二葉亭四迷は言を文に近づけようとして行詰まったが(『浮雲』)、漱石は文を言に近づけようとした(『猫』~『三四郎』)。英語翻訳調を含む古今の日本語表記表現の様々な導入試行の後、『三四郎』で彼の文体は確立すると(「Ⅴ 近代文体の創造 夏目漱石」)。
同じく「Ⅴ 近代文体の創造 夏目漱石」。『坊っちゃん』を勝小吉の『夢酔独言』と比べる発想に瞠目。洒落本・滑稽本といった江戸戯作文学の語り口たる会話体、それはすなわち一人称視点の言文一致であると。
また、大槻文彦は、『言海』を編纂する際、日本語に語別(品詞)分別を施した。その理由は、信じ難いほどのことだが、「外国の辞書には品詞が明記されているから」だった由。しかも彼の日本語文法は、英文法と伝統文法の折衷、単純な接合――しかも前者を主とした――に他ならないと(「Ⅵ 日本語の文法の創造 時枝直記」)。
『広日本文典』における「主語、上ニ居リ、説明語、下ニ居ルヲ正則トス、主語ト説明語〔述語〕トヲ具シタルハ、文ナリ、文ニハ、必ズ主語ト説明語トアルヲ要ス」(本書208頁に引用)という、大槻の文の定義、ひいては彼の日本語のシンタックスの概念は、小池氏も言われるように、英文法のそれを日本語へそのまま持ってきただけにすぎない。「こうなると『観点』もなにもない」(207頁)という氏の言葉には頷かざるをえない。
つまりは日本語においての品詞とはなにか、文とはいかなるものかという根本的な考察は、大槻文彦においてはなされなかったらしい。
(筑摩書房 1989年5月 ちくま学芸文庫版 1995年6月)