書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

宮本一夫/高大倫編 『東チベットの先史社会 四川省チベット自治州における日中共同発掘調査の記録』

2014年08月18日 | 人文科学
 2006年から12年にかけ行われた発掘調査の報告とそれに基づく研究論文集。現場および出土した文物の図版・図多数。写真が白黒主体であるのはやや残念。

(中国書店 2013年3月)

鴨志田聡子 『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動』

2014年08月18日 | 地域研究
 博論もので、博論としての要旨は著者自身の手になるこちらがある。
 読んで知ったが、イディッシュ語には東と西の二種があり、本著および一般社会において「イディッシュ語」が指すのは専ら東イディッシュ語である由(西イディッシュ語は既に死滅。本書31頁)。もう一つ、イスラエルにおける超正統派ユダヤ教徒が(現代)ヘブライ語ではなくイディッシュ語の使用に執着するのは、彼らは「ヘブライ語を『聖なる言語』として理解しているため、日常の言語として使うことをゆゆしき事態だと考えている」からだという(同14頁)。

(三元社 2014年2月)

アレクセイ・ヴォルコフ著 小川東訳 「伝統的ベトナムにおける数学と数学教育」

2014年08月18日 | 東洋史
 Eleanor Robson/Jacqueline Stedall編 斎藤憲/三浦伸夫/三宅克哉監訳『Oxford 数学史』(共立出版 2014年5月)所収、135-155頁。
 中国では科挙の明算科(数学科)は宋代より後廃絶するが、ベトナムでは科挙制度そのものが終焉を迎えるまで存続していたらしい。らしいというのは著者も指摘するようにこの分野についてはベトナム本国においてさえ研究がまだ進んでいないからである。
 ところで朝鮮の場合どうだったのだろう。たとえば李氏朝鮮では雑科のなかに数学の試験は含まれていたのだろうか。

堀池信夫 「音楽と暦の宇宙 儒教の真理性をささえたもの」

2014年08月18日 | 東洋史
 辛賢編著『知のユーラシア』4「宇宙を駆ける知 天文・易・道教」(明治書院 2014年1月)所収、73-94頁。

 戦国時代中期の中国において、それまでの粗放な観象授時暦が精密な四分暦に転換するという事実が指摘される(81-82頁)。だがその四分暦の来歴につき些かの言及もないことに、個人的にはやや不満を感じる。
 小嶋政雄氏が「春秋の暦法に就いての試論」(1983年)で、「春秋の拠っている四分暦法は、中国独自に開発されたものではない。西紀前三〇〇年前後に東漸したと推せられる、西欧のカリポス暦法によって、遡上改装したものである」と、外来説を述べておられるからだ。