倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

シリコンバレー発2 ジンガ JINGA news from Silicon Valley

2012-02-29 11:22:04 |  縄文心導ヒーリング
シリコンバレー発2月号に、我が家のホームスティの若者が二人関係した記事が書かれていました。
ジンガ勤務のリッチモンドは高給取り、それでも彼は、車をもっていなくて、バス通勤しています。
サンフランシスコの丘が多い道を歩くことは健康的だから好きですと。

お金を何にに使っているの?ときいたら、親に借りた学費を返していて、家一軒分のお金がかかったそうですが。アメリカの大学の学費の高さには、驚きですが、借りたお金を返せる実力主義も、アメリカの良さですね、。

台湾系の中国人のリッチモンドは、日本人の私たちに好意的です。
ジンガで支給されるランチボックスを時折、お土産に持ってきてくれ、今執筆活動で買い物に行く暇のない私には、ありがたい彼の心ずかいに、感謝しています。
ジンガランチボックスは動物性は余り入っていません、魚、魚介類、野菜中心ですので、私も嬉しくいただけます。

ハウスメイトの若者達に刺激されながらサンフランシスコでおばさんパワーも満開。

シリコンバレー発

ジンガ純損失4億以上、売り上げ高は59パーセント増
ソーシャルゲームのジンガが2011年10月~12月の第4半期の決済を発表、株式報酬費用が利益を押し下げて純損益が4億3、500万ドル、売上高は前年同期より59パーセント増の3億1、100万ドルとなっていたことなどを明らかにした。

ジンガのユーザー数ではディリーアクティブユーザーが5、400万人で前年同期4,800万人から13%増しであり、2012年度も引き続き成長が見込まれている。〔2月15日)
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シリコンバレー発アングリー、バードニュース Angri, Byrd news from Silicon Valley .

2012-02-28 08:45:29 |  縄文心導ヒーリング
先日ブログでも紹介しました、ウィギー君のインドネシアでの近況をお知らせしましたが、サンフランシスコの日系人向けの新聞記事に〔アングリー、バード」フェスブックでデビューと、かかれていて、Cokoが言うには、お母さんのブログの方がニュースが早かったね(笑)

シリコンバレー発

爆発的な人気を博したゲームアプリ「アングリー、バード」のフェスブック版が14日、インドネシアのジャカルタでデビューした。

アングリー、バードは有料アプリながら、2009年のリリースより7億回以上ダウンロードされたり、キャラクターがぬいぐるみとして売られたりと人気ゲーム。

フェイスブックでデビューした新バージョンは、フェイスブック上で友達と競いあうことが出来るほか、「パワーアップ」アイテムを購入してさらに高得点を目指したり、友達にプレゼントしたりして贈ることが可能としている。





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iPS細胞 米国チーム遺伝子なしで作成 iPS cell

2012-02-27 11:41:54 |  縄文心導ヒーリング
 
米国チームが遺伝子なしで作成、といっても日本人韓国人らのグループですが。

様々な細胞に文化するヒトの人口多能性細胞(iPS細胞)を遺伝子を使わず、たんぱく質だけで作ることに、米ハーバード大などのチームが成功した。
マウスでは米独のチームが4月に初めて成功を報告しているが、ヒト細胞では世界発。

遺伝子の影響などで起きる細胞のがん化を防ぎ、治療用に使える安全なiPS細胞の作成にまた一歩前進した。
29日米科学誌「セル、ステムセル)電子版で発表した。

金洸秀,同大准教授らの研究、山中伸弥、京都大学教授が開発したiPS細胞は、四つの遺伝子をウィルスを使い細胞の核に入れて作られた。
しかし遺伝子や運び役に使うウィルスが予期せぬ動きをし、細胞ががん化する恐れが高く、遺伝子、ウィルスなしの作成法が模索されてきた。

金准教授らは、山中教授の4遺伝子にアミノ酸の一種、アレルギニンなどをつなぎ、ヒトの細胞を通りぬけやすい性質を持つよう改造。この遺伝子をヒト由来の培養細胞株に組み込み、たんぱく質を作るようにしたうえ、細胞株からひきだした液の中にヒト新生児皮膚細胞を入れた。

ひきだし液に入れた後、培養するという処理を約8週間続けると、IPS 塞翁ができた。
ウィルスを使う手法に比べ、2倍も時間がかかり、作成効率も十分の一と低いが、細胞の性質は従来と同等だった。

毎日新聞

(おくのあつし)


難病のヒトが増えてきていて、ステムセルを使っている人が多いのですが、このiPC細胞が完成るのもそう遠いことではない気がいたします。
新人類が進化の過程で奇病難病にかかっています。

科学は自然をどこまで淘汰できるのか、Msの人たちを自然治癒力で、どこまでお手伝いできるのか、こちらのほうも挑戦ですね。
私は、再度3月下旬にロイアオーク滞在中のリサを訪問します。
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医学でも分からない病気 Ms disease

2012-02-26 12:52:46 |  縄文心導ヒーリング
Ms病のリサさんの話によりますと

Msの正体はナンなのか医学でもわかっていない。

ズイショウ、脊髄動物のニューロン、絶縁性の神経パルスの伝道を早くする機能がある。

神経システムのバランスが悪い。

自分自身がエミューシステムをこわす。

自分のことより人のことを心配する。

白血球が助けるが、MIALINAに命令を出し、壊せと命令する。

16年前からMSになっている。

LINPHOSIT (白血球)原因になっているのは、脳と脊柱がつながっているところが原因。

外に出ると怖いから、今家にいるような感じで、楽になりました。
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MS[心導」を始めて三年目にして完治"Complete recovery after three years.

2012-02-25 11:52:57 |  縄文心導ヒーリング
「心導体験」MS病のフィンランド人 
昨日の続きです。

そんな時、そこにはまだ動かすことができる、左手と左足があることに気づきました。
私はまだ左手と右手が動くんだと思うと何かしら力が湧き出るようで、その勢いでついに退院してしまったのです。

その時からいろんなアイディアが浮かんできたのです。
まず食事を変えました。そして、西洋医学から代替医療にすべてを託しました。

そして、ただ患者ととして治療を受けるのではなく、自分からも身体を動かそうと、ヨガ、足のセラピーを学び始めました。
また肉体的なヒーリングのみでは不十分だと思いました。

そこで精神的には、いままでの過去の体験を思い起こしながら、自分を中立において、心の傷を一つ一つ荒い流すように清算して行きました。
長い年月がかかりました。

その後に「心導」に出会いました。
はじめて「心導」を体験した時、心と身体がとても感動しました。
今までやってきたことの積み重ねのうえで、心と身体が一つになってゆくように感じました。

その感動は、私を「心導」インストラクタになるまでにさせ、今は教える立場に立って、講習会では毎回、二十人を越える人々に「心導」を教えています。
ボディワークを一人で毎日行い、講習会でも皆さんの輪に入って一緒にやることによって、自分の心がとても落ち着き、静かな調和を感じることが出来るようになりました。



*エーバ、リーサさんは「心導」に出会ってから驚くべき速さで身体の麻痺が回復しましたが、内股の感覚麻痺だけがどうしても戻らないままでした。
その感覚麻痺もついに、「心導」ボディワークを始めて三年目にして完治したそうです。


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「心導体験」MS病のフィンランド人 Experience Shindo

2012-02-24 11:30:47 |  縄文心導ヒーリング
ベネズエラからデトロイトのお姉さんのピアの家に縄文心導の勉強に来ているリサも、日に日に元気になっていて、毎日二人でヒーリングのやりあいをしているそうです。

MSという病名をもらうと、治療のしょうがないという、厄介な病気だそうですが、フィンランド人のエーバ、リーサはMSの体験を、私の著書、倉富式縄文ストレッチ「愛の法則」に症例としてエバから送られてきたものを、紹介してみます。


多発性硬化症(MS)
エーバ、リーサ  55歳 フィンランド 

はじめて心導を体験したとき、心と身体がとても感動しました。
今までやってきたことの積み重ねで、こころと身体が一つになっていくように感じました。

私は55歳になります。
実は27歳の時はじめて多発症硬化症の症状が出ました。その症状とは、まず両目が動かなくなり、視野が少しずつ狭くなっていくのです。そのため、美しい世界が私の目の前から少しずつ消えていく怖さを味わいました。

それから3年間は、だんだん他の症状が現れました。手から力が抜けて行き、歩くこともにも不自由さを感じるようになりました。
とてもつかれやすくなり、まるで身体が故障して、さび付いたロボットのようになっていくようでした。

そして30歳の時に、実際に右半分が麻痺してしまいました。
ある程度、覚悟はしていましたが、実際に起こってみる戸、真っ暗闇の地獄に落とされたようでした。
私はこのために仕事を辞めなければならなくなりました。
何の希望も見出せず、身の心もぼろぼろになりました。

思うように身体を動かせない苛立ちと死に対する恐怖から、身近な人に理由もないのに不平不満を言ったりして、現実から逃避しょうとしていました。
しかし一方では自分の心の中で「この現実を受け入れて、今は自分の人生を深く考える機会だ」という声が聞こえてくるのです。

明日に続く




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対馬丸からの生還A safe return from Tsushima Maru

2012-02-23 10:56:25 |  縄文心導ヒーリング
Cokoが興奮して帰って来ました。
サンフランシスコの沖縄県人会に行き、今日は凄い人たちに会ってきた!。
Cokoは、対馬丸の生存者のマリア、宮城さん(80歳)御夫婦とお会いしたそうです。

宮城さんから直接に対馬丸撃沈の時のお話は、涙なしではきけない。宮城さんの著書を私に読んで欲しいとCokoから渡されました。

執筆の手を休めて、一晩がかりで読み上げましたが、対馬丸撃沈の日が1944年、8月22日で、私の誕生日と同じ日だったので、ビックリしました。

私がこの世に誕生したときに、対馬丸で大勢の人が亡くなったことを思うと、亡くなった方の冥福をお祈りすると共に、戦争の悲劇を繰り返さない世界へ向けてメッセージを送り続けなければと思いました。

宮城さんの著書「対馬丸の悲劇」には、まだ当時14歳という年齢とは思われないような、勇敢な行動力は、霊感に導かれているとしか思えない迫力を感じたくらいです。

マリアさんは、撃沈される直前には、なぜか甲板にいて、海に飛び込んだために,筏に救助されたこと。
漂流4日目には、守護霊が現れ、すぐに救助隊が来ますというお告げをもらわれたそうです。
お告げの通りに救助されました。

宮城さんは、霊感が強い方だそうです。
対馬丸の悲劇からすぐ後には、東京大空襲にも遭われていますが、二重の大惨事の中で奇跡的に生存されました。


Cokoが言うには、「マリアさんは素晴らしいオーラーを発してしてありました。めったにない出会いをさせてもらった」と、興奮していました。
いつか宮城さんにお会いする機会があれば、彼女のオーラーを感じてみたいですね。
霊感を磨くことは、今のこの時代の危機管理にも必要ではと思いました。




「対馬丸の悲劇」自費出版/生存者マリア宮城・バートラフさん1999年12月18日

1944年、米潜水艦の攻撃を受け沈没、1484人の学童らが犠牲になった学童疎開船「対馬丸」の生存者、マリア宮城・バートラフさん(68)が近く、撃沈時のすさまじい混乱の様子や、漆黒のやみ夜の中を漂流した恐怖を克明に描いた体験記「学童疎開船・対馬丸の悲劇」を自費出版する。宮城さんは現在、米国カリフォルニア州在。

対馬丸沈没で、弟、祖母ら身内三人を失った悲しみを乗り越え、「思い出すたびに、あふれ出る涙をこらえながら」(宮城さん)体験を書きつづった。宮城さんは「対馬丸の悲劇の真相を後生に伝えるのは生き残った者の義務。(体験記を通して)平和の大切さと戦争の悲惨さを知ってもらいたい」と話している。

宮城さんは現在、出版準備のため宜野湾市の実家に滞在しており、体験記は来年1月15日に発刊される予定だ。
宮城さんは国頭村生まれ。県立第三高等女学校2年の14歳の時、11歳の弟ら身内五人と対馬丸に乗り、船は撃沈された。宮城さんは4日間にわたる漂流の末、海軍の駆逐艦に救助された。

体験記には、魚雷が命中して沈没するまでの子ども、老人らの絶叫や、家族を求めて泣き叫ぶ様子、「食べず、飲まず、眠らず、冷え切った心身」(宮城さん)の漂流状況下で、サメの大群が襲い掛かり、悲鳴を上げながら人々が海に引きずり込まれていく悲惨な情景などが克明に記されている。宮城さんは「あの悲惨な体験だけは、50年以上たった今でも、目と耳にはっきりと焼き付いている。

思い出すたびに悲しくて、原稿用紙が涙でびしょびしょになった」と唇をかみ締めながら語った。
弟の壮吉さんとは、魚雷が命中する直前に「静かに寝なさい」と言葉を交わしたのが最後になった。壮吉さんは当時11歳。
体験記を書くきっかけになったのは、サンフランシスコの日系人を中心に読まれている「日米タイムス」に対馬丸の体験を書いたこと。

読者に大きな反響を呼び、「詳しく知りたい」という投書が相次ぎ、宮城さんに悲しみを乗り越えながら書く決意を固めさせた。宮城さんは「犠牲になった方々の死を無駄にだけはしてはいけない。生きている限り平和の大切さを訴え続けたい」と語った。






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アメリカ人の醤油感覚Americans' soy sauce filing.

2012-02-22 11:43:12 |  縄文心導ヒーリング
昨夜はカン君と本を書くためのミーティングをいたしますたが、中々良かったです。
科学的でない心導を科学的に書くことを要求されている本の内容についてですが。

カン君が言われるには、
「アメリカ人はニギリ寿司を食べるのに(ヨーロッパ人も同じく)、醤油を小皿になみなみとついで食べますが、日本人は寿司を食べる小皿には少しの醤油しかつぎません。それについてあれこれ言って上げたほうが良いのか?それとも黙っていた方が良いのか?

ご飯に醤油をかけて食べると最高においしいと思っている西洋人に、日本人はご飯に醤油をかけて食べるのは、貧乏人のすること、といってあげたほうが良いのか?

ハンバーガーの悪い肉を食べるためにソースを一杯かけて味をごまかしている。
その感覚で寿司にも醤油を一杯かける。寿司ネタが台無しになる。

心導も日本文化のワビ、サビをかいても、アメリカ人の一部の分かった人に向けてかく本であれば、良いけれども、ターゲットが20代から50代のペアーだったら、彼らにわかるような醤油をいっぱいかけて食べる醤油の感覚でかかれたほうがよいのでは。

僕もアメリカ生活15年ですが、他にも醤油をなみなみとつぐという事に似た、アメリカ人と日本人の決定的な違いは、最近は、沈黙です。」

大まかの出締めは出来たのですが、あんまり自身がありません。
科学的ではないことを科学的に書くということが、まだ分かっていないところもあります。
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菅原さんのブログへ訪問くださいPlease visit to Mr. Sugawara's blog.

2012-02-21 11:47:14 |  縄文心導ヒーリング

http://d.hatena.ne.jp/misty74 菅原さんのブログへ訪問してください。

心導ヒーリングの英語版を書くために、悪戦苦闘している最中に菅原さんからのコメントを頂いたことで、心導の原点へタイムトリップしています。

私の中にある菅原さんは、意志を秘めていながらも、気弱で何かに怯えていて、閉じこもりの少年を思い出しました。
ブログに書かれている詩の中にも当時の面影を感じながら、不発と爆発を音楽で表現されているように思いながら、菅原さんの健在を確認いたしました。

菅原さんの著書の紹介

名もない日常のSTORY

著者/訳者
菅原祥倫/著

出版社名
文芸社 (文芸社)


菅原さんのコメントに書かれていた中に
「心導ヒーリングは、個人の能力を引き出し幸福になることをサポートしてくれるとても優れたものではないかなと思います。
実際に今でも僕は生活に取り入れていますし、先生のヒーリングに出会えてよかったなと感謝しています。」と、書かれてあり、まさにこれが「心導」の原点であり、初心に帰りました。

執筆の合間にブログを読ませて頂いています。
有難うございました。










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菅原さんコメント有難うございます!Thank you for Mr. Sugawara comment.

2012-02-20 11:10:27 |  縄文心導ヒーリング
今日の月曜日は休日、サンフランシスコのハウスメイトたちは、それぞれにお出かけです。
朝一番にコンピュターを開いたら、17年も前に心導ワークで西日本を横断していた頃の、福山在住の菅原原さんからのコメントを頂いていました。

嬉しかっったですね。
ブログを書くのをやめようと、時折思いながらも書いていますが、こんなお便りを頂くと、頑張ってブログを書いていてよかったなあ~と思わずにはいられません。

菅原さんが本を出版されたなんて、凄いですね。
あのころの菅原さんを思い出しながら、大変身?されたようですね。
もともとそのようなよいDNAを持っていられたので、心導をやることで花開いたということですよね。

どんな本を書かれたのか興味深いです。
私も年齢を重ねていますが、気持ちは若々しいままでいます。菅原さんも同じようにでしょ?
菅原さんは、ブログはかいていますか。
何か近況が分かるようなものがあればお知らせください。

その節はお世話になりましたとと、福山の皆様によろしくお伝えください。







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