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90年の歴史を持つ銭湯・錦湯

2016-10-18 05:44:46 | 日記

京都の公衆浴場は長い歴史を持っていると言われます。八瀬にあるかま風呂というサウナのようなお風呂は、壬申の乱で矢を受けた大海人皇子が傷をいやすために訪れたと言われますし(写真を見るといかにもサウナという感じですね)、平安時代、鎌倉、室町時代にも沐浴したあとにごちそうを食べるという風習があったと言われます。江戸時代になってようやく東京の方にも銭湯が出現しますが、京都はそれよりはるかに昔から入浴文化があったということですね。最近はどこも経営難、後継者不足で次々と廃業するところが増えているそうですが、今回訪れた錦湯のご主人、長谷川さんは今年69歳でユニークなお風呂経営をされています。中に入ってみれば子どもの頃に親しんだ銭湯の雰囲気がそのまま時を超えて残っています。関東と違うところは柳行李に服を入れて、そのかごをロッカーに入れるというやり方ですね。これはもう作る職人さんがいなくなって、修理しながら使っているそうです。マイかごを持っているということは常連さんが多いということでしょうか。脱衣場に置かれたマッサージ機も懐かしい!実はこれ女湯の方で、開店前でしたから特別に入れてもらいました。で、この銭湯がユニークなのはいろいろなイベントをこの中で行っていることです。もう、20年も続けているそうですが、写真を見ると、落語、能囃子、女剣劇、ニシキヘビショー(錦湯だからニシキヘビなんだそうで)などなど写真の説明をしてもらうだけで一晩かかってしまいそうでした。特に音楽関係のことに詳しいようで、番台をのぞくといつも流しているジャズのCDが山積みになっていました。時々音楽イベント、コンサートなどもプロデュースして、錦湯以外の場所で公演を行ったりしているそうです。大学卒業後は一時会社勤めもなさったそうですが、まもなく辞めて、縁あって和歌山の山林に入り、木材を扱う仕事などもなさったそうですが、ケガをされて家に戻ってからはずっとこの仕事を続け、三代にわたり89年の歴史を刻んでいらっしゃいます。創業者であるおじいさんの出征姿を見せてくださいましたが、ご本人とそっくりで、生まれ変わりといってもおかしくないですね。後の看板に「桝源」の文字が見えますが、実は元々先祖が錦市場で代々八百屋さんをしていたそうで、その店は最近注目を集めている伊藤若冲という画家の生家である桝源からのれん分けした「桝辰」という名で、左の方にその名を記したちょうちんが見えます。何でも当時(1927年)はちょっとお金がある家では銭湯を経営するのが流行りだったそうで、今で言えばマンション経営みたいに、いざとなったらそれで食べていけるような有望な事業だったようです。残念ながら今となってはすっかり斜陽産業になってしまいましたが、長谷川さんは「いろいろな世代の人がここに集まって交流し、子どもたちには自然にしつけや教育ができる」コミュニティの役割を果たしていきたいと意気軒高です。実際は後継者がいないということで将来が心配ですが、イベントなどを通じてつながりが生まれた若い人たち(ここのお客さんは若い人や、外国人観光客もたくさん来るとか)が何らかの形でこの銭湯を守っていくようになるのではないかと期待ももてます。実際、京都市内にある梅湯という銭湯では、大学生の時にその魅力にひかれて結局後を継いで守っていくことを決意した30代の経営者(元々の経営者とは血のつながりのない方)が奮闘しているそうです。子どものころは親に連れられて行くのが当たり前だった銭湯も、これからは利用する人たちが皆で支えていかないと歴史の中に消えていってしまうということが実感できたような気がします。
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