貞観法 やわらぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

マジナイ(呪い)その10

2017-07-13 00:33:34 | マジナイ(呪い)
「ノロイ・マジナイ」には、人が行うものと神霊(自然)によるものとの二通りの「呪い」の成り立ち方があるのではないかと感じたのに理由がある。

私たちの前に引き起こされ繰り広げられるところのあらゆる現象が、この神霊(自然)による「天為・神為の呪い」によって成り立っていると云った捉え方をすると、その神霊(自然)からもたらされる恩恵や幸福として肯定的に受け止められ感じることの出来るような現象であっても、反対に、災厄や不幸にと感じ否定的に受け止められるような現象であっても、それを制御したり支配することの出来る力を、神霊(自然)に取って代わって人の力で成り立たせることの出来るように仕度いとの願望が持たれるのは、自然な成り行きに思えるし、そこに、宗教や信仰での神霊に対する接し方とは異なった「人為の呪い」の生まれ出ることになった大元があるように感じる。

つまり、人が行う「ノロイ・マジナイ」が発生した背景には、こうした神霊や自然の意思や技術が働いた上で(換言すれば、神霊による呪い)、あらゆる現象を作り出しているといった見方が存在していたからであり、「人による呪い」は、その意思や技術の在り方は「神霊(自然)によって成される呪い」を模倣するような形で成立したのだろうと私は考えている。

これまで「ノロイ・マジナイ」と一括りして来た中にあって、ここで敢えてこの二つを仕分すれば、「ノロイ」は意思や意図する合う言葉を使い「宣告」した内容によって、そのノロイの結果が前述したところの善悪や吉凶・禍福が決定されと云うことだろうし、「マジナイ」は別種のものをどのようにして「混ぜ合わすか」・「綯わせ合うか」によって結果は違ったものになるといった、こちらは実際的で技術的な面を持ったものと言えるだろうから、そこに同じ「呪い」と表記はされるものの、その方法や手段には少し違いがあるように感じられる。

「呪い」には、「意思・意図(ノロイ)」と「技術(マジナイ)」の二つが相俟って行われることが多いのだろうし、大事な必要要素なのであろう。

いずれにしても、「人為による呪い」を行おうとする場合には、「神霊による呪い」が手本や模範あるいは雛形とでも云えるような形で意識されたことに違いがなかったのであろうと私は想像したものだから、敢えて、「ノロイ・マジナイ」の成り立ちを、わざと「神為・天為の呪い」と「人為の呪い」と云った具合に二通りに分けて考えて見たのだった。

さて、そこで問題となるのは「マジナイ」の語義として私が考えて来た「混じり綯う」の、互いに混(交・雑)じられる「別種のもの」とは一体何を指すのかと云うことであるが、これからそれを考えていってみようと思う。
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