john note〜あしあと日記(再)

聖テレーズが大好きなカトリック者です。嫌いな方はそおっとスルーしてくださいませ。

種を蒔く人のたとえ

2017-07-17 21:33:52 | 聖福音・ロザリオ・祈り


だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
誰でも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪いものが来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。
道端に蒔かれたものとは、こういう人である。
石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いてすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまづいてしまう人である。
茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。
よい土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。

聖マタイ使徒による福音より

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この福音は7月16日のミサでの福音の一部です。
これは、福音を聞いた後の人間のタイプを表しているとおもいます。
AKBの元総監督が言ったように、「努力は必ず報われる」のです。
神様が例外として、短期間で人を聖人にする場合を除いて、人は、直ぐに聖人になれるものではないとおもいます。
失敗したり、誘惑に陥ったりしながらも、神様の御言葉を悟り、実を結ぶ人もいると思います。
そう考えれば、これは、タイプではなく、実を結ぶ為の過程を書いたものかもしれません。

世の中にはキリスト教を意識させる多くのものがあります。
教会の建物、御言葉が書いたプレート、ロザリオ、キリスト教音楽、キリスト教絵画、聖書、そして、一番はクリスマスでしょう。

その時は何となく、無意識に見ていたり聞いていたりしたことが、ある日突然、心のなかで理解し、悟ることがあります。
そして、それが実を結ぶ為の前段階となっていきます。

何を持って悟るというのかは、自分ではなかなか判断出来ないでしょう。
だから、絶えず自分を見つめつつ、神様とマリア様に信頼を置きたいと思います。
弱い自分を認める事が、その一歩ではないかと思っております。
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