「ロシア:宗教環境(宗教復興と政教関係)の変動とエホバの証人」

2017年05月19日 | JW&WT教理に内在する過激主義思想

「ロシア:宗教環境(宗教復興と政教関係)の変動とエホバの証人」

既に、RAPSIニュースに報じられているように、ロシアに於けるエホバの証人の組織的活動は停止させられ解散となった。
http://www.rapsinews.com/search/?query=Jehovah&x=0&x=0

Moscow court dismisses lawsuit filed by Jehovah’s Witnesses over suspension of activities. 16:13 24/04/2017 The Zamoskvoretsky District Court of Moscow has dismissed a lawsuit filed by Jehovah's Witnesses against Russian Justice Ministry over suspension of the organization’s activities in Russia.
http://rapsinews.com//judicial_news/20170424/278366082.html

Supreme Court orders liquidation of Jehovah's Witnesses organization in Russia. 20:59 20/04/2017 Russia’s Supreme Court on Thursday banned the Administrative Centre of Jehovah's Witnesses as extremist organization.
http://rapsinews.com//news/20170420/278327401.html

Russian Supreme Court refuses to declare Jehovah's Witnesses victims of repressions. 11:15 05/04/2017 The Supreme Court of Russia has dismissed a counter lawsuit filed by the Jehovah's Witnesses religious organization against the Justice Ministry seeking to declare its actions unlawful and to recognize organization’s members as victims of political repressions.
http://rapsinews.com//judicial_news/20170405/278171927.html

過激思想の片鱗を覗かせるエホバの証人(WT/JW)の現行教理に以前触れているが、ここでは更にロシアに於ける宗教環境(宗教復興と政教関係)の変動を論じ、エホバの証人の組織的活動の禁止にいたる背景を考える。


1.概要

旧ソ連でのペレストロイカにより、多様な宗教にとっては「シベリアの春」のような状況となったが、実のところ、1990年代に入ると、特定宗教、ロシアでは「ロシア正教」が政府と特別な関係となるなど、かっての大ロシア主義的な色彩が増し、同時に、旧ソ連・東欧諸国では一時は存在した政教分離の気配はほとんど見られなくなっていった。以前のアグレッシブな世俗地域における宗教復興には、①この地域の国々は、宗教を含む国家固有文化を再び確立し促進し、外来かつ非伝統宗教の拡張に対して固有的宗教を擁護しようとする動き。宗教の政治的パワーは、かってはキリスト教国であった国々で実感されており、ポーランドではカトリック教会が政治に影響を与え、ロシアでは重要な政策的・文化的問題についてロシア正教会が特権的な立場を与えられている。②反対に、特定宗教への恐れあるいはそれを統制しようとする動きで、特定宗教は政治体制に対する対立要因としての恐れ。これはイスラム急進派が国家を弱体化させてイスラム国家を樹立しようとしている国家では差し迫った恐怖である。

旧ソ連・東欧諸国の中で、ロシアは「若干の宗教の優先的待遇」に分類され、少数派宗教を制限する度合いは高いものとなっていた。①の動きであった。ロシアの1990年宗教法はリベラルな性格を持ち、信教の自由を完全に保障するものであった。そのためソ連消滅後のロシアでは宗教復興が著しく、伝統宗教の復権とともに外国宗教の広がりも顕著であった。ところが、1997年宗教法の下、ロシアでは宗教のヒエラルキーが形成されてしまう。ロシア正教、イスラム教、仏教、ユダヤ教等は「伝統宗教」とされ、プロテスタント・セクト、新宗教運動等は「その他の宗教、あるいはセクト」とされ、その一部は解散させられた。

確かに、ソ連崩壊による冷戦後の世界では各地において「宗教復興」といわれる現象が観察された。従来の社会科学では、世俗化や政教分離を前提とする近代国家および国際システムにおける宗教の役割は小さいとされてきた。だが、この前提は、20世紀後半における宗教復興によって大きく揺らぐことになる。ソ連消滅という劇的な政治・社会変動を経験した1990年代のロシアでは、急激な市場経済への移行、競争社会への突入は、高まる失業率、社会保障の打ち切り、経済格差の拡大、生活水準の低下となって庶民の生活を直撃することとなった。政治システムが弱体化し、社会的弱者や一般民衆の間に社会的没落と被排除の意識が否が応でも強まった。またソ連消滅の結果としてイデオロギー上の目標を喪失したことから、国家イデオロギーを新たに定義する必要に迫られたのである。無秩序な政治・経済・社会・文化の中でナショナル・アイデンティティの模索が始まるとともに、その解決としてかっての伝統宗教が復興しつつあった。とりわけ目覚しく復活したロシア正教会は国(国民心情)の精神的支柱となり、政治的・社会的な影響力を強めていく。

1990年、ゴルバチョフ政権の下で「信教の自由に関する」ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の法律が成立した(以下、1990年宗教法)ものの、ソ連消滅後、1997年に「良心の自由と宗教団体に関する」ロシア連邦法(以下、1997年宗教法)が成立する。これら2つの法律(1990年は外向き解放路線、1997年は内向き規制路線)はロシアにおける政教関係にとって大きな転換点となった。

そして、1998年には「エホバの証人」組織に対する登録取消訴訟が提起された。その場合では、宗教組織の解散及び宗教団体の活動禁止について定めた1997年宗教法第14条が適用されたが、2001年には、「エホバの証人」側が勝訴している。1999年には、ロシア教育省とロシア正教会との協力が交わされ、2002年に出版された教科書『ロシア正教文化の基礎』は、すでに導入が開始されていた公教育におけるロシア正教教育を後押しすることとなった。こうした政策は、宗教教育について規定する1997年宗教法第5条に違反するものであると多方面から指摘された。2002年にバチカンが決定したロシア布教組織の格上げに、ロシア全土でカトリックに対する抗議行動が展開された。それは宗教次元のみならず政治・社会次元に広がり、国際問題にまで発展した。カトリック側はこうした抑圧的な動きに対し、信教の自由を保証する1997年宗教法第3条に違反すると主張した。しかし、下院は同法第14条を根拠にカトリック教会の活動を禁止せよと主張した。他方、2002年には過激主義活動対策法が成立し、これにより、1997年宗教法第14条で「宗教団体の活動停止」に関する条文が追加された。さらに、公表された宗教的過激主義に関する法案では、カトリック教会、プロテスタント組織、「エホバの証人」などの外来新宗教運動が宗教的脅威の上位を占めているのであった。ロシア正教のみが特権的な立場を保持し、その他の宗教は規制対象であった。「エホバの証人」だけが抑圧されていたのではない。

1997年宗教法は信教の自由を守るために機能しているとは到底言いがたく、むしろ、この法律の前文で言及された「伝統宗教」(大ロシア的なロシア正教)を擁護し、それ以外の宗教を抑圧する道具としての役割を果たしていたのである。1997年宗教法が成立してから数年の間における政教関係は、この法律に示された宗教の階層を固定化し、強化する方向へ変容した。すなわち、正教、イスラム教、仏教、ユダヤ教を優遇し、それ以外の宗教は強く制限するのである。とりわけ、社会におけるロシア正教会の復権とともに、国家とロシア正教会の結びつきが強まった。2000年以降は加速し、プーチン大統領時代からは、ロシアは法治国家ではなく、正教国家への道のりを歩み始めたとも言えよう。

当ブログ、「『ロシア最高裁によるWT支部の活動禁止判決』が嬉しいのか?人権感覚を疑う」2016年06月11日 | 聖書研究(事物の体制の終わり)を参照されたい。
http://blog.goo.ne.jp/john_the_baptist/e/5d17f3986e63a22e576cc66944bd39d0

1997年宗教法の結果として、現代ロシアにおける宗教環境(宗教復興と政教関係)の変動について考察する。以下ではまず、現代ロシアにおける宗教復興と政教関係の変容について、各宗教法の特徴と関連づけながら確認する(第2章~第4章)。そして、1997年宗教法の成立から数年の間に起きた大きな変動、即ち、政教分離・信教の自由に関わる主要な問題を取り上げる。すなわち「エホバの証人」登録取消訴訟、カトリックに対する迫害、過激主義活動対策法の成立、公教育における正教教育の導入である(第5章)。これらの事例における1997年宗教法との関連を検討するとともに、この時期における政教関係の変動を考察する。


2.1990年宗教法の進歩性

1990年、ゴルバチョフ政権のもとで1990年宗教法が採択された)。ロシア連邦に受け継がれたこの法律はリベラルな性格を持ち、信教の自由を完全に保障していた。3章32条から成るこの法律の第1章は「総則」(第1条~第14条)である。第3条で「ロシア連邦憲法が保障する信教の自由は、宗教的信念または無神論的信念を自由に選択し、保持し、広め、任意の宗教を信仰し、またはいかなる宗教も信仰せず、国の法律に従うという条件のもとで自らの信念に従って行動する権利を含む」と定める。第4条では信教の自由の権利主体をロシア市民に限定せず、外国市民および無国籍者も含めている。第5条では「宗教団体または無神論団体の国家からの分離」、「国の教育制度の世俗的性格」が信教の自由の保障として位置づけられ、政教分離原則が明文化される。第2章は「宗教的信念および宗教活動に対する権利」(第15条~第25条)である。第17条で「宗教団体は、共同での信仰および信仰の普及を含め、信教の自由に対する市民の権利を共同で実現するために設立される成人市民の自発的団体である」と定義し、第18条で「10人以上の成人市民が構成する宗教団体は……その規約(規程)を登録した時から法人格を有する」としている。また、この法律では登録の取り消しに関する規定はなく、宗教団体がその規約または現行法に現代ロシアにおける宗教復興と政教関係の改革に違反した場合には、裁判所はその活動を終了させることができると第21条で定めている。最後に第3章では、「宗教団体の財産上および財務上の権利関係」に関する規定が置かれている(第26条~第32条)。政教分離に関しては、第14条で宗教に関係する祝日の規定が置かれ、第24条で宗教団体が慈善活動および文化・啓蒙活動をすることができると規定した。こうした条文を含みながらも、国の政策としては宗教を私事とみなし、国はこれに関与せず、その役割にも期待しないといった政教分離原則に立つ優れた法律であった。

1993年に制定された現行のロシア連邦憲法ではこれに先行する1990年宗教法の規定を受け、第14条で以下のように政教分離を定めている。「①ロシア連邦は世俗国家である。いかなる宗教も国家的もしくは義務的なものとして定めることはできない。②宗教団体は国家から分離され、法律の下で平等である」。また第28条で「各人は良心の自由、信教の自由を保障される。これは個人としてもしくは他人と共同で任意の宗教を信仰し、もしくはいかなる宗教も信仰せず、宗教的およびその他の信念を自由に選択し、維持し、布教し、それに従って行動する権利を含む」と良心の自由を定めている。


3.ロシア現代史における宗教復興の変動

1990年宗教法とロシア連邦憲法は、ソ連消滅後における宗教復興の基盤を整備する役割を果たしたと言える。ロシア科学アカデミーとフィンランド科学アカデミーが1996年3月~4月にロシア国民1664人を対象に実施した調査によると、ロシア正教を肯定的に捉えている人の割合は88%に達し、否定する人は4%のみであった。宗教復興であった。それとともにさまざまな宗教が外国から流れ込み、資金の豊富な西側の宗教が布教活動を活発に展開してた。対応して、ロシアにおける伝統的な宗教団体は危機感を抱いた。1995年の日本の「地下鉄サリン事件」を機に、ロシアではオウム真理教排除の動きが顕在化する。ロシア社会全体に外国宗教に対する警戒心が生じた。一方で、ロシア正教会はロシアにおける精神的支柱としての地位を取り戻しつつあった。その中で、1990年代初頭から「ロシア正教ナショナリズム」が台頭してきた。彼らの世界観はロシア革命前の正教君主制について極度に神話化された観念に基づいている。すなわち、君主制の復活、正教以外の信仰の制限、国家構成の帝国的原理の復活、国教としてのロシア正教会の地位、民主主義および人権(とりわけ良心の自由)という概念の完全なる拒絶を説くのである。ロシア正教ナショナリズムはロシアのアイデンティティ、世界観を護るために「専制・正教・民族性」という原理を掲げ、西欧、グローバリゼーションといった敵と闘う聖なる基盤に立った闘争という特徴を持つ。日本の国家神道復古の動きのごとき原始的な性格を帯びていた。

1990年、ロシア教育省はロシアの学校にキリスト教の倫理と道徳を強調するカリキュラムによる宗教学習の導入を決定した。1992年にはロシア教育省とアメリカ共同施設団が議定書に調印する。そこでは共同施設団を「キリスト教社会プロジェクト」と記述し、「両者はロシア公立学校の道徳と倫理の課程とカリキュラムを発展させるべく」提携することが記されている。これは、大ロシア主義的なロシア正教や政治的な結託を阻止する上で有効な提携であったのである。

しかしながら1995年初頭、ロシア正教会の聖職者はある文書を公表した。そこには共同施設団が12,000人の宣教師をロシアに送り、聖書学習会を開始して最終的には教会を作るとの意向が記されていた。これにより、ロシア教育省と共同施設団との議定書がキャンセルされるに至った。ロシア宗教界の乗っ取りであると、ロシア正教側は唱えたのであった。大きな変動であった。

1997年、ロシアの政教関係にとっては画期的出来事となる1997年宗教法が成立した。この法律は、今後のロシアにおける宗教活動を規制するものである。その前文においては、「ロシア史のなかで、その精神性と文化の形成および発展におけるロシア正教の特別な役割を承認し」、「キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教」がロシアの「伝統宗教」であることを明文化する。さらにロシアで国家登録を済ませ15年以上存在する宗教団体以外には法人格を与えないとする、いわゆる「15年条項」を盛り込んでいる。そのため、この法律をめぐってはロシアにおける信教の自由を脅かすものであると国内の世論は二分され、国際的な問題となったのである。


4.1997年宗教法の後退性

1997年宗教法は4章27条からなり、前文ではロシア正教の他、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教が「伝統宗教」として記載されている。このキリスト教が、さまざまな宗派のどれを指すかは明らかでない。恣意的に何とでもなる余地を残している。第1章は「総則」(第1条~第5条)である。第3条で「良心の自由、信教の自由に対する権利」が保障されている。第4条「国家と宗教団体」でロシアが世俗国家であること、国家の宗教的中立と宗教団体の政治的中立が確認される。第2章は「宗教団体」(第6条~第14条)である。ここでは「宗教集団」(第7条)と「宗教組織」(第8条)を区別し、両者を包括する概念として「宗教団体」(第6条)を規定している。3つ以上の地方宗教組織からなる宗教組織は中央宗教組織と認められ、50年以上ロシアで合法的に活動してきた中央宗教組織は「ロシア」を名乗ることができる。宗教集団に登録制度はなく、法人格は有しない。宗教組織はロシアで15年以上存続してきたことを条件に創設(第9条)・国家登録され、法人格を有する(第11条)。外国宗教組織はロシアに代表部を設置できるが、宗教活動はできない(第13条)。第14条は宗教組織の解散および宗教組織・宗教集団の活動禁止について定めている。その理由は以下のようにさまざまである。憲法体制の暴力的変更を目指した活動、武装部隊の創設、戦争宣伝、社会的・人種的・民族的・宗教的不和の煽動、人間憎悪の煽動、家族崩壊の強制、市民の身体・権利・自由の侵害、市民の道徳・健康に損害を及ぼすこと、自殺の勧誘、医療拒否の勧誘、義務教育の妨害、財産の宗教団体への譲渡の強制、宗教団体からの脱退の強制、市民的義務の不履行の教唆等である。

第3章は「宗教組織の権利および活動条件」(第15条~第24条)である。ここでは「宗教組織の内部組織」(第15条)、「宗教的儀式および式典」(第16条)、「宗教的文献および宗教的用途の物品」(第17条)、「宗教組織の慈善的および文化‐啓蒙的活動」(第18条)、「専門宗教教育施設」(第19条)、「国際交流および交際」(第20条)、「宗教組織の所有権」(第21条)、「国家、市民および市民団体の所有にかかる財産の利用」(第22条)、「宗教組織の企業活動」(第23条)、「宗教組織における労働法関係」(第24条)について規定する。第4章は「良心の自由、信教の自由、および宗教団体に関する法令の執行に対する監視および監督」(第25条~第27条)となっている。第27条「最終規定」では、既に登録されている宗教組織は15年間存続していたことを証明できなくても法人格を与えられることを定める。ただし、15年が到来するまで毎年再登録が必要であり、その権利も制限される。例えば、財産所有権は認められるが、兵役免除の特典は認められない。また、1999年末までに再登録しない宗教組織は解散しなければならない。1997年宗教法の下、ロシアでは宗教のヒエラルキーが形成されるにいたった。それを整理すると、階層の上位は1997年宗教法前文で言及されたロシア正教、イスラム教、仏教、ユダヤ教であり、その下に非正教キリスト教のローマ・カトリック、プロテスタント諸宗派が位置する。ここまでが伝統宗教とされる。下位は古儀式派、その他のプロテスタントセクト、新宗教運動、オカルティズム等であり、これらはその他の宗教あるいはセクトという位置づけである。


5.ロシア現代史における政教関係の変動

5-1.「エホバの証人」登録取消訴訟

ロシアにおける「エホバの証人」は急成長した。1946年の時点では3千人に過ぎなかった伝道者数は、1956年:8千人、1991年:2万人、1992年:2万6千人、1997年:7万9千人、2000年:10万9千人、2010年:14万8千人、2016年:17万人。他方、ロシア正教徒:7千万人、イスラム教徒:800 ~ 900万人、仏教徒80 ~ 90万人に次いで、ロシア国内では第4位であった。ユダヤ教徒は5万人まで減少しており、「エホバの証人」信徒数はロシアの「伝統宗教・ユダヤ教」を上回るものであった。

公にされてはいないが、「エホバの証人・本部指導層」は、1997年宗教法案に反対の政治的意思表示を行った。その流れの中で、6月21日に、サンクトペテルブルク郊外約40Kmにあるソーネチノイェに建設されたロシア支部事務所の献堂式が行なわれ、42カ国からの1、492人の代表者らが出席し、将来的には20万人近いロシア人・エホバの証人の活動を統合する新しい支部施設となった。国内のマスメディアの記者らも招かれ、好意的な記事が掲載されることを望んだ。翌22日には、サンクトペテルブルクのペトロフスキー競技場に8,400人が集まり特別大会が開催された。同年7月17日には、自らの信教の自由が脅かされていると懸念するロシア人信徒及び関係者ら134、248人の署名がエリツィン大統領に送られた。統治体のミルトン・ヘンシェルは大統領に書簡を送り、200カ国・地域以上の500万人を超える「エホバの証人」たちの深い懸念を表明した。彼は「1世紀以上にわたってエホバの証人はロシアにいたのであり、ロシアの宗教的遺産の一部をなしている」と唱えた。

1997年宗教法の運用において、まずは宗教団体の登録が問題となった。その際、第11条で規定する15年条項は適用されていない。それは第一に、これまで登録されていた宗教団体は15年経過していなくても再登録され(第27条第3項)、1990年宗教法の下で既に多くの外国宗教団体は登録済みであるからである。第二に、中央宗教組織が登録されていればその地方宗教組織は15年の条件を必要としないことがあげられる(第9条第1項)。法務副大臣のエフゲニー・シドレンコによれば、1997年10月の時点で16,000 ほどの宗教団体が再登録を予想されていたが、1999年末までに再登録されたのは5,000程度であった。そのため期限が2000年末まで引き延ばされ、13,922 は再登録、2,000ほどは解散となった。「エホバの証人」が公式に登録されたのはソ連時代の1991年である。そのモスクワ会衆は、1993年にモスクワ法務局に登録されている。しかしながら1998年、「エホバの証人」登録取消訴訟が開始された。モスクワ市北部行政区検事ビクトロフは、「エホバの証人」の登録取消と活動終了を求めて、ゴロビンスク自治体間裁判所に提訴した。それに先立って信徒の親族が結成した反カルト団体「青年救済委員会」は、「エホバの証人」が憲法や人権原則に違反しているとして刑事告発していた。信徒たちは仕事を放棄し、親族とも交際せず、輸血を拒否して子を死亡させたりしていたことがその理由である。検察側は、刑法第143 の1条第1項(市民の人格および権利を侵害する団体の組織化)で起訴したが、具体的な犯罪には該当しないとして刑事事件は終結していた。しかしその事件資料をもとに、検察官は登録取消の行政訴訟を再度起したのであった。

1997年宗教法第14条第2項は、「裁判手続きにおいて、宗教組織を解散し、宗教組織もしくは宗教集団の活動を禁止する事由」を定めている。検察官によれば、「エホバの証人」はこの条項の次の事由に該当するという。第1に「宗教的不和の扇動」、「エホバの証人」が唯一つの正しい宗教であり、「エホバの証人」を信仰しない人をサタンと呼ぶ。第2に「家族崩壊の強制」、多くの時間を信仰生活に捧げさせ、家族内の義務を遂行させない。第3に「自殺の勧誘、もしくは生命及び健康上危険な状態にある者に対する治療の宗教的動機による拒否の勧誘」、「エホバの証人」は輸血を拒否する。第4に「市民の身体、権利及び自由に対する侵害」、「エホバの証人」信徒は、この教団の利益に従って行動している。第5に「両親の一方だけの意思で、未成年者を宗教団体の活動に引き入れている」。こうした主張に対し、「エホバの証人」側の弁護士は次のように反論している。第1に、どの宗教団体でも他の宗派を批判する(エホバの証人・WTは度が過ぎている)。それは教団の内部問題である。第2に、誰と付き合うかは個人的問題であって(交流を規制しており個人の問題ではない)、裁判所が私生活に介入することはできない(WTが私生活に介入している)。第3に、輸血を拒否するのはエイズや他の病気の感染を避けるためである(間違った説明である)。第4に、宗教に奉仕することを禁じるのは、憲法が保障する信教の自由の侵害である。第5に、「エホバの証人」の成員は成人市民のみである(事実に反する。未成年の子供の伝道者を賞賛している)。1999年4月29日、ロシア法務省はモスクワでの裁判にもかかわらず「エホバの証人」を再登録した。その後この裁判は2001年2月23日に結審し、「エホバの証人」側の全面勝訴となった。

が、その後の流れは知られている通りである。


5-2.カトリックに対する抑圧

20世紀初頭、ロシア固有の領土では50万人以上のカトリック教徒が在住し、およそ150 のカトリック教会が機能していた。ソ連時代にカトリックは激しく迫害され、1920年代末にはローマ・カトリック教会の布教区は消滅した。1989年のゴルバチョフとローマ法王との会見を経て、1990年にはモスクワにバチカンの常設外交代表部が開設される。1991年にはモスクワとノボシビルスクに暫定的な布教区を復活させ、新たに多数のカトリック教区が開かれた。その数は1994年1月に128、1995年1月に163、1996年の1月には183と拡大してきた。21世紀初頭のロシアにおけるカトリック教会には200以上の教区があり、ロシア人信徒は11万人、外国人を含めれば40万人を数える。1997年宗教法の立法過程において、カトリックの総本山バチカンは国境を越えてロシアに影響を与えている。1997年6月24日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世はエリツィン大統領に、宗教法改正法案に対する彼の「重大な関心」を表明するために書簡を送った。その中でこの法案が「『宗教的信仰』に関する1990年法に比べ大変制限的であり、もしこれが採択されるならばロシアのカトリック教会にとって司牧活動の通常の発展とその存続さえも現実に脅かすものとなるであろう」と記している。また、法案に「伝統宗教」としてのカトリックが言及されていないことに遺憾の意を表明した。2002年2月、ヨハネ・パウロ二世はロシア布教組織の「格上げ」を発表し、1917年以前の状態に戻すことを決定する。モスクワに「大司教区」を置き、ノボシビルスク、サラトフ、イルクーツクをそれぞれ「司教区」に改めた。

このバチカンの決定に、ロシア正教会は猛反発した。カトリックは西欧原理の精神的表現とみなされており、ロシア正教会の反カトリック感情がロシア・カトリック排除の動きにおいて中心的な役割を果たすのである。ロシア正教会報道官のビュジャノフは、ローマ・カトリック教会がロシア布教組織を昇格させる計画は「ロシア正教会に対する非友好的な行動」であると語った。3月中旬、ノボシビルスクの正教徒は市の中心部に位置するカトリック教会を取り巻いてバチカンの拡大に対する抗議行動を起こしている。府主教チーホンの祝福のもと、250人の正教徒がアレクサンドル・ネフスキーのイコンやプラカードを手にカトリック寺院前の広場に集った。この抗議には700人以上の教区信徒の署名が添えられている。4月下旬にはイルクーツクの正教住民が、その地にあるカトリック大聖堂にピケを張った。5月中旬、ロシア正教会総主教アレクシー二世は新聞のインタビューに答え、「バチカンはロシアおよび独立国家共同体の国々の伝統的な正教住民のなかでの宣教を拒否されなければならない」と語っている。こうした抗議行動はロシアの政治・社会次元にも広がっていく。バチカンの決定に際し即座に行動を起こしたロシア外務省は、バチカンに公式書簡を送付した。そこでロシアに4つのカトリック教区を設立するという決定を取り消すよう法王に求め、「その決定の実行はロシア正教会との間に紛糾をもたらすであろう」から、「この問題をロシア正教会と解決する前にいかなる行動も起こさないことをバチカンに勧告」している。2月17日に放映されたテレビ番組「ロシアの家」は、ロシア・カトリックの布教組織格上げを中心に構成されており、バチカンの拡大に警鐘を鳴らすものであった。かつてアレクサンドル・ネフスキーがカトリックの侵略に反撃したことに触れ、視聴者にカトリックの侵略に対して行動を起こすよう呼びかけてた。2月18日には下院議員たちが、バチカンの代表者にビザを与えないことを外務省に要求するよう、社会団体・宗教組織問題委員会に指示した。ロシア自由民主党党首ジリノフスキーのこの提案は、大半の議員に支持されるにいたる。そして、カトリック聖職者のビザを剥奪する事件が発生した。イタリア国籍の司教カピロがミラノの親戚に会うためにモスクワを発った4月5日、パスポートからビザが没収され、再入国を禁止されたのである。4月19日には、カトリックのイルクーツク司教区の司教マズルがポーランドへ一時帰国した後、ロシアへの再入国が拒否され、数次ビザが没収されている。4月上旬、プスコフで建設中のカトリック教会の工事現場に州の役人が訪れ、工事の停止を命令した。4月下旬には、アルタイ共和国元首がカトリック大聖堂の建設を禁じた。しかしながら、下院国際問題委員会議長ロゴジンは、ロシアではカトリック教徒に対するいかなる迫害もないと議員たちに明言する。下院議員の大半は、ロシアにおけるカトリック教会の状況に関する問題の審議を拒否したのである。4月28日、カトリックのロシア進出に対する大規模な抗議行動がロシア全土20以上の地域で起こされた。これはロシア人民党と正教市民同盟が指導しており、55,000人が賛同の署名をしている。この抗議行動に際し、ロシア共産党議長ジュガノフは正教徒たちとの連帯を表明した。

ロシア・カトリック司教会議議長の大司教コンドルセービチは、4月15日に声明を発表した。それによれば、ロシア憲法第28条と1997年宗教法第3条第1項はロシア市民に対し信教の自由を保障している。ここ数ヶ月のロシアにおけるカトリックへの迫害は、ロシアの現行法令に違反するものである。1997年宗教法第3条第6項に、「宗教的崇拝の対象の近くで市民の宗教的感情を侮辱する公開の行事を行うこと、そのような文書及び表現を配置することは禁じられる」とある。コンドルセービチはカトリック教会に対する組織的なキャンペーンを停止するよう求めている45)。5月16日の下院総会では、ロシアにおけるカトリック教会の活動に関する大統領へのアピール案が審議された。この案によれば、ローマ・カトリック教会は日本のロシアへの領土要求を意図的に煽っている。同教会のインターネットサイトでは、南サハリンとクリル諸島が「樺太県」と呼ばれ、ロシア領ではないかのように表示されている。こうした行為はロシア連邦の統一を脅かすものであり、ロシアにおけるカトリック教会の活動は1997年宗教法第14条第2項に定められた事由によって禁止されなければならないと唱えたが、そのようなカトリックによる「樺太県」の表示事実は無い。この案は採択されなかったものの、賛成169、反対37、棄権4という結果であった。カトリックに対しても、ロシア正教の姿勢は如何に強行であったかの証左である。

「エホバの証人は、真の宗教である自分たちだけが迫害されている」と常に唱えているが、抑圧・迫害されていたのは、「エホバの証人」だけではないのである。1997年宗教法は「伝統宗教」を除き、どの宗教にとっても厳しいものであったのである。ただし、「エホバの証人」のその独特の教理の問題が拍車をかけていたのは事実である。それが、次の過激主義に結び付けられることになる。今回の最高裁判決で確定されてしまったのである。


5-3.過激主義活動対策法の成立とその対象

2001年「9・11」米国同時多発テロ事件の衝撃を受け、ロシアでは右翼過激主義勢力が著しく伸張した。当時、「ロシア・ネオナチ」を自称する10代の青年が外国人を襲撃する事件が頻発していた。こうした勢力は都市部から地方にも広がり、さまざまな分派を合わせて250団体を数えるといわれる。ロシア内務省のバレリー・コマロフによれば、近年のロシアでは外国人を標的にした暴力犯罪が増加しており、その担い手であるスキンヘッドはロシア全土で1万5,000 ~2万人、うちモスクワに5,000人、サンクトペテルブルクに3,000人いると推測されていた。また2002年に過激主義集団は14万件の犯罪を犯し、うち刑事事件として提訴されたのは71件に過ぎなかった。4月20日のヒトラー生誕の日を前に、「ネオナチ」の活動は過激化した。モスクワではアフガニスタン人が殺害され、外国人が経営する商店が略奪された。モスクワ中心街の地下鉄で15日夜、内務省通訳官のアフガン人がスキンヘッドに襲撃・殺害される事件が発生した。ウクライナのキエフでは14日夜、スキンヘッドの50人がユダヤ教のシナゴーグを襲撃したことが明らかになった。CIS 諸国の在ロシア外交当局は18日までに、「ネオナチがCIS 国民を脅かしている」と外務省に申し入れている。米国やアフリカ諸国からも自国民保護の要請が相次ぎ、ロシア政府も事態を放置できない状況に追い込まれた。グリズロフ内相は19日、治安警察による取締りの強化を発表した。プーチン大統領は18日の年次教書演説で、「過激主義の台頭はロシア社会にとって深刻な脅威だ」と警告した。

こうした情勢の下、2002年7月に「ロシア連邦過激主義活動対策法」が成立した。この法律は「過激主義活動」を次のように規定する。「社会および宗教団体、またはその他の組織、またはマスメディア、または自然人の活動で、次のことに向けられた計画、組織、準備および遂行を指す。憲法体制の原則を暴力的に変更すること、およびロシア連邦の一体性の侵害、ロシア連邦の安全保障の破壊、全権の強奪若しくは奪取、非合法的な武装部隊の創設、テロ活動の実行、人種的、民族的若しくは宗教的不和、並びに暴力若しくは暴力への訴えに関連する社会的不和の煽動、民族的尊厳の侮辱、イデオロギー的、政治的、人種的、民族的若しくは宗教的憎悪または敵意、並びに何らかの社会集団に対する憎悪または敵意を動機とした大規模騒乱、無頼行動および野蛮行為の実行、宗教に対する態度、社会的、人種的、民族的、宗教的若しくは言語的帰属の特徴に関する市民の優位性、優位または下等の宣伝」(第1条第1項)である。この法律と同時に成立した「過激主義活動対策法関連法の改正法」は、過激主義活動対策法に関連した法律の改正と追加条文を定めたものである。それは社会団体法、マスメディア法など18の法律に及ぶ。1997年宗教法は第14条が改正されている。この条文の名称「法令に違反した場合の宗教組織の解散及び宗教団体の活動禁止」に、「宗教団体の活動停止」という文言が加わった。さらに第7項で、「『過激主義活動対策に関する』連邦法に定められた手順と事由に従い、宗教団体の活動は停止されることがあり、宗教組織は解散されることがあり、また宗教組織ではない宗教団体の活動は禁止されることがある」と規定された。この法律には、社会・宗教団体の活動が抑圧されるという批判が殺到する。

2002年12月、『ガゼータ』紙は政府内部で検討されている宗教的過激主義に関する法案レポートを公表した。そこでは、国民の安全保障に対する5つの宗教的脅威として、第1にロシア正教徒を改宗させようとするローマ・カトリック教会、第2に人道的援助を装うプロテスタント組織、第3に「エホバの証人」&サイエントロジーといった外国擬似宗教共同体、第4にイスラム過激主義、そして第5に「文明の衝突」およびキリスト教・イスラム教間の避けられない紛争という考えを促進する試みが列挙されたのであった。


6.公教育における「ロシア正教」宗教教育の導入

1997年宗教法第4条では、「宗教団体の国家からの分離に関する憲法上の原則にしたがって、国家は……国立ならびに公立の教育機関における教育の世俗的性格を保障する」と定めている。また、第5条では宗教教育について、次のように規定する。「①個々人は、自らの選択によって個人的に、もしくは他の人々と共同で宗教教育を受ける権利を有する。②子供の養育ならびに教育は、良心の自由ならびに信教の自由に対する子供の権利を考慮して、両親もしくはそれに代わる者が行う。③宗教団体は、その規約およびロシア連邦法令にしたがって、教育機関を設立する権利を有する。④両親もしくはそれに代わる者の申請があり、国立ならびに公立の教育機関で学ぶ子供の同意を得た上で、当該の地方自治機関との調整にしたがって、教育課程の範囲外で子供に宗教を教える機会が、当該教育機関の管理当局によって宗教組織に与えられる」。

しかしながら、公教育においてロシア教育省とロシア正教会との協力関係が進展していく。1999年2月、モスクワ総主教庁の提案に沿って、教育に関する世俗・宗教委員会が教育省内に創設された。これは国家教育スタンダード、学習計画、教科書、学習参考書を戦闘的無神論の立場から解放する使命を帯びたものとされた。また1999年8月には、「ロシア連邦教育省とロシア正教会モスクワ総主教庁との協力に関する契約」にフィリポフ教育大臣とアレクシー二世総主教が署名した。この契約は次の事項を含んでいる。情報交換。学習・教授法問題における統一行動。精神・道徳的養育の分野における共同作業で蓄積された経験の分析と総括。教育、良心の自由と宗教団体に関する現行法の修正と追加に関する確実な論拠のある提議の作成である。1997年から1999年にかけて、ロシアのいくつかの地域では州行政機関の資金で公立中学校に「ロシア正教」の教義を教える正規の科目が導入され始めた。それは次のように様々な科目名であった。「正教の基礎と価値」(ベルゴロド)、「正教文化の基礎」(クルスク)、「神の法」に関する選択科目(ボロネジ、カリニングラード)、「正教文化と道徳の基礎」(ノボシビルスク、スモレンスク)、「教会史」(ボロネジ、ロストフ・ナ・ドヌー)、正教の基礎に関する選択科目(ケメロボ)等である。最も注目されたのがクルスク州で、今や、「正教文化の基礎」教育が州内に800ある学校のうち大半の学校で導入されている。

2002年初頭、アラ・ボロジナ著の教科書『正教文化の基礎』が出版された。これには「ロシア連邦教育省とロシア正教会モスクワ総主教庁との統一行動に関する調整評議会推薦」の公印が押されていた。ボロジナはモスクワ第1148学校の教頭であり、モスクワ教員再教育研究所の教授法専門家である。彼女は1996年からこのコースを準備しており、教科書だけではなく学校プログラムに全学年に及ぶ新しい科目を導入する構想を提案した。2002年10月22日、フィリポフ教育大臣は科目「正教文化」の模範的な教授法計画の要約を付与した書簡に署名した。この書簡は地方の教育局にも発送され、学校における「正教文化の基礎」の集中的な導入を開始させている。グレブネフ教育次官も2004年1月、中学校の必修プログラムに「正教文化の基礎」コースを導入するべきとの考えを明らかにした。2月3日の記者会見でフィリポフ教育大臣は、中学校に選択科目としての正教教育を導入する方針を再度表明した。こうした教育省の政策により、中等教育における正教教育の導入に対する賛成派と反対派が形成されることになる。賛成派には、当事者であり推進者であるロシア正教会、ロシア教育省を別とすれば、地方・連邦権力機関の一部、ロシア・ナショナリストの社会・政治組織のいくつか、正教徒または金銭的に利害関係を有する教師の小グループという主として3つの勢力が挙げられる。反対派は主に次の4グループから構成される。新しい負担を重荷と感じる児童。児童への宗派教育を望まない両親。道徳についての自身の見識をもつ大多数の教師。リベラルな社会‐政治組織であり、彼らは社会制度においてロシア正教会の影響が強まることはロシアの民主的発展に対する脅威であり、他の宗教・宗派の権利侵害であるとみなす。人権組織に所属するポノマリョフらは、ボロジナの反ユダヤ主義を糾弾し、彼女に対する刑事上の取り調べを開始させた。この件に関してモスクワでは10以上の裁判が行われたのである。「世論」基金が2004年12月にロシア全土で実施した調査では、選択科目としての世界「宗教史」と「正教文化の基礎」を両方とも教えることが期待されていた。しかしながら教育現場では、「正教文化の基礎」教育が徐々に浸透する。トゥーラの学校では2002年度は5年生には必修となり、2003年度には児童の希望と両親の承諾が条件となった。市のプロレタリア地区では、30のうち5つの学校でこの選択科目が実施されている。2004年3月には、クルスク州における学校の70%で「正教文化の基礎」が選択科目として教えられていた。2004~2005年度には、「正教文化の基礎」とそれに類似するコースがロシア各地の学校で開かれた

このような宗教環境の変動に中にあっては、「エホバの証人」組織がそれに抵抗する事は困難である。エホバの証人の教理が何であれ、基本的人権の観点からは到底容認出来るものではない。立法レベルに於いても、これ程の特権的扱いを受ける「ロシア正教」の反社会性は、「エホバの証人」以上に厳しく批判されるべきであろう。


Fig-1:プーチン大統領とロシア正教の連合



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