一途なかづの物思い

松山ケンイチくんとヒョンスンにどっぷりはまった二股でも一途と言い切る万年18才のブログ

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[ 16.08.03 ] TaeMin & Koharu Sayonara Hitori Full Performance Jang Hyunseung (???) - '?? ???? (Ma First)' (Feat. ????) (Official Music Video)

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ふたがしら2とか怒りとか聖もあるよ

2016-08-31 16:23:19 | 松ケン

いよいよ迫ってきました

ふたがしら2  9月17日

 

 

 

 

怒りも公開が9月17日からだよね

 

聖の青春もあるし

 

 

松枯れが続いてたのに

次から次と

 

楽しみが押し寄せてきますね

 

ダイドーブレンドうまみブレンド うまみ、あった篇 30秒

 

もあった!

 

 

ふたがしら2に備えて HDDを整理しながら  ど根性ガエル見てたら  毎回泣けて泣けて

ケンちゃんうますぎるよ

 

ってかレコーダー壊れ気味で無事ふたがしら2観れるかしら、撮れるかしら?

 

 

で ふたがしらのためにwowowを2か月前から再契約して

 

ゲキ×シネ 薔薇とサムライみたら  なんと浦井健治さんにはまってしまいまして

 

トライベッカとかStarSを見たりして  

 

その上諸般の事情でBEASTを追えなくなって  SHINee特集なんてやってるから

ドームをいっぱいにできるSHINeeってどんなグループなのかしらとみてみたら

 

(ヒョンスンごめん)  テミンに心を持っていかれてもうた

 

テミン (TAEMIN) - 「さよならひとり」 MUSIC VIDEO (Full Version)

TAEMIN 태민_Goodbye (さよならひとり Korean Ver.)_KBS MUSIC BANK_2016.08.05

 

 

というわけで 一途?に想いを寄せる人が増えてしまって

ケンちゃん追うのもも忙しくなるのに

 

やばい

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ふたがしら2

2016-06-11 22:41:58 | 松ケン

今頃ですが

やった!

 

9月が待ち遠しいぞ

 

『連続ドラマW ふたがしら2』の場面写真とキャストコメントが公開された。

9月からWOWOWで放送される同作は、オノ・ナツメの漫画『ふたがしら』を原作に昨年6月から放送された『連続ドラマW ふたがしら』の続編。前作のラストで自分たちの盗賊一味「壱師」を作り上げた弁蔵と宗次が、江戸の頂点を目指して新たな戦いに挑む様が描かれる。

前作に引き続き、明るく豪快な弁蔵役を松山ケンイチ、頭脳明晰でクールな宗次役を早乙女太一が演じる。また監督を入江悠、脚本を劇団☆新感線の中島かずきが再び担当する。中島は、原作にはない壱師の創成期の物語をオリジナルストーリーで描く。場面写真では、装束に身を包んだ弁蔵と宗次の姿や2人のまげ姿が確認できる。

松山は今回の続編について「壱師という闇の世界に生きるファミリーのお話です。楽しい事もあれば生き死にに関わる事件も起きる。普段味わう事の出来ないものを時代劇の裏稼業を通して見る事が出来る作品です。そして、男の格好良さ、女の艶やかさを意識した作品でもありますので美意識の高い人は必見です」とコメント。

一方の早乙女は松山との再共演について「松山さんとの共演は一番初めが舞台でその後が『ふたがしら』でした。前作ではわりと性格も反対で、なかなか馬が合わないあべこべなコンビだったのですが、前作から絆が生まれて結束が高まってからの“2”に繋がるので、違う関係性の中でのお芝居ができればいいなと思います」と意気込みを語っている。

また入江監督は同作の見どころについて「前回は向こう見ずな若者たちの冒険譚であり、旅立ちの物語でしたが、今回はどっしりと腰をすえた物語になります。主人公たちの前には強大なライバルが立ちふさがり、江戸を舞台にめくるめく盗人たちの活躍が描かれます。演出的、撮影的にも前作を超えるスケールに挑戦したいと思います」と説明している。

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改めてすごいと思う松山ケンイチの演技力

2015-08-22 08:49:09 | 松ケン

『ど根性ガエル』ヒロシで再び開花――松山ケンイチの“二次元力”

 

この夏、松山ケンイチ主演で初めて実写化されているドラマど根性ガエル(日本テレビ系、毎週土曜21時~)。

松山ケンイチ『銭ゲバ』DVD

個性的な雰囲気で二次元キャラクターを演じた松山ケンイチ(『銭ゲバ』 (C)NTV / (C)ジョージ秋山)

1970年代に一世を風靡した人気漫画のドラマ化だ。ひろし(松山ケンイチ)が平面ガエルのぴょん吉(声=満島ひかり)と出会ってから16年後を舞台にしたオリジナルストーリーで展開されている。

中学生だったひろしは、三十路を迎えてもうだつのあがらない日々を送っている。だが、ぴょん吉のある変化や、バツイチになって帰ってきた京子ちゃん(前田敦子)との恋愛のために、ひろしが成長していくという物語だ。

実写化に賛否両論も「二次元」実績のある松山

今回の実写化には賛否両論があるものの、「見逃せない点が2つある」と、夕刊紙や週刊誌でドラマ評の連載経験があるコラムニストは次のように指摘する。

「1つ目は、改めてすごいと思う松山ケンイチの演技力です。実写化でやるなら松山ケンイチしかいません」

松山ケンイチはこれまで、劇場版『デスノート』(2006年)で天才探偵のL、ドラマ『銭ゲバ』(日本テレビ系、2009年)の浦郡風太郎など、個性的で強烈な二次元キャラクターを演じ、大絶賛されてきた実績がある。

「二次元キャラを器用に演じて違和感がない。Lのような奇妙で得体がわからない役では存在感を抜群に放ち、今回のひろし役では、庶民っぽさやダメダメな姿を演じることができます。その使い分けの素晴らしさは、さすがというほかありません」

プライベートでは三児のパパだが、「それも今回の役作りに役立っているのでは」と、スポーツ紙記者は言う。

 

「実は、松山さんは物欲が薄くて、『高い買い物はSuicaに1万円チャージしたこと』と言ってしまうような感覚の持ち主。さらに『子供のオムツが高い』などと、庶民感覚が見えてくるので、『ど根性ガエル』の世界観にマッチしているのではないでしょうか」

松山といえば、2012年の大河ドラマ『平清盛』で主演したものの、史上最低の視聴率を出し、「低視聴率男」のレッテルを貼られたこともあった。

「大河では視聴率が取れなかったものの、松山ケンイチに難があった訳ではありません。酷評されても『本気でやった』と清々しく言ってしまうほど自信がみなぎり、コツコツ役作りをする姿は、いまも昔も全く変わっておりません。だからこそ、年々深みが増した良い演技になっているのです」(前出のコラムニスト)

満島ひかりの存在感

さて、「ど根性ガエル」を見る上で、松山ケンイチ以上に目が離せないのは、ぴょん吉の声を演じる満島ひかりの存在感だ。

「ヒロインは前田敦子なのに、喰ってしまうほどの勢いが満島ひかりの声にはある。当初は声優で起用するのはもったいないと思いましたが、満島自身の仕事の幅が広がったことは間違いありません。このドラマで一番輝いているのは、満島ひかりと言っても過言ではないかもしれません」(同前)

ヒューマンモノで定評のある脚本家・岡田惠和氏が手腕を発揮し、さらに魅力的なキャストにより、今後どんな感動ドラマが生まれてくるか。最後まで期待していきたい。

(文:高城龍二)

 

 

改めてすごいと思う松山ケンイチの演技力


そうなんでやんす!


ってか

実写化だけじゃないけど!!


どんな役でも、そのキャラクターになりきってしまうんだから  ケンちゃんは


 

満島ひかりちゃんもすごいね  うん

でもすべての出演者が皆さんいい味だしてて、愛すべき作品

 

来週(29日)も胸がいたくなったり、目頭が熱くなってり、楽しかったりするんだろうな

今日放送無いって今知った


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『ど根性ガエル』第6話は、8月15日に戦争をどう描いたか?

2015-08-22 08:35:12 | 松ケン

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。
 
 『ど根性ガエル』の第6話の放送日は、8月15日だった。日本人にとっては特別な夏の日付である。そして『ど根性ガエル』でも、少しだけ特別な事件が起こる。主人公、ひろし(松山ケンイチ)たちが住む町で、先の大戦で落とされた不発弾が発見されるのだった。こうしてこの作品は、戦後70年という節目の夏に放送されるドラマ作品として、戦争を描くことになる。

 これは別段唐突なことではなく、『ど根性ガエル』のプロデューサー・河野英裕と脚本家・岡田恵和は、2013年1月クールのドラマ『泣くな、はらちゃん』で虚構の世界を生きる登場人物に現実の世界の悲惨さや鮮烈さを伝える場面において、かつての戦争や東日本大震災の映像を流したこともある。この手法には視聴者からの賛否両論が集まり、DVD化の際にも修正が加わったそうだが、『ど根性ガエル』にもそういった作り手としての矜持は息づいているし、より洗練された形で現代社会をドラマの中に組み込んだといえるだろう。

 ドラマに限らず、テレビというメディアで作られる作品は、常に今と向き合うことを強いられる。本来は、そういったものだ。これほどまでに記録メディアが発達し、インターネットの普及によってワンクリックで動画が見られる時代である。すでに存在する数多くの素晴らしい映画作品を見るよりも、いま放送されているテレビドラマを見るという行動を選んだ視聴者に対して、テレビは今を語らなくてはならない。少なくとも『ど根性ガエル』の作り手は、そういった信念を持ってこの作品を作っているのだろう。

 ピョン吉(声:満島ひかり)は、不発弾というのはなんなのかを知らない。作品の主要登場人物の中で唯一、リアルタイムで戦争を知っている人物である、ヒロイン・京子ちゃんのおばあちゃん(白石加代子)から爆弾や戦争の話を聞いたピョン吉は、こんな言葉を口にする。

「死んじまうじゃねえか、そんなやつが落ちてきたら。おそろしい野郎だな。おいら許せねえよ」

 ここで重要なのは、ピョン吉が批判しているのは爆弾を落とした軍隊でもなく、あるいは戦争に突き進んだ国家でもなく、あくまでも爆弾そのものに対して「おそろしい野郎」と言っている点だ。ピョン吉は人間ではない。人間とは違う世界で生きている。だから爆弾を落とした、もしくは爆弾を作った人間を責めるのではなく、爆弾そのものを自らが共感すべき対象として批判することができるのだ。

 そしてまたピョン吉は、この町で70年間も眠り続けた不発弾に対して、こんな気持ちを表明する。

「爆発するの、嫌だったんじゃねえのかな、あいつ。だって爆発したら、何もなくなっちまうじゃねえか。あいつは嫌だったんだよ。爆発してさ、人を殺しちまうのがさ。だから根性出して、黙って眠り続けたんだよ」

 戦後70年がたち、今この日本では、戦争に関する意見の表明がやかましい。セミの鳴き声よりも大きな声で、「お前はどっちの立場なのだ?」と繰り返し叫ばれ続けている。だけど、そういったアジテーションなんかよりもずっと素直に、ピョン吉の言葉は心に響く。

 

 ピョン吉の意見は、幼稚で子どもじみているかもしれない。だが少なくとも、不発弾の思いをこれほど率直に代弁することは、ピョン吉にしかできない。それは、考え続けること、あるいは想像力を駆使し続けることの大切さを伝えている。僕たちの住むこの世界には、たくさんの存在があり、それぞれの思いがある。『ど根性ガエル』はフィクションという舞台において、そういったゆるやかな、あるいは豊かな考え方があり得るという尊さを、無視することなく伝えようとしているのだ。

 日常と非日常は常に地続きだ。『ど根性ガエル』という作品がそうであるように、僕たちが生きる世界もそのようにして目の前にある。今回の第6話において、不発弾処理のために人がいなくなったいつもの日常の場面、京子ちゃんの団地であり、ゴリラパンの工場であり、中学校であり、宝すしは、そこに人がいないというワンカットで不気味さを伝えている。それは決して大仰なメッセージではないが、視聴者の心に何かを残す場面だろう。

 この連載で何度も言及しているように、『ど根性ガエル』は日常の素晴らしさを伝えるドラマ作品である。だけどそれは、決して能天気に非戦を訴えているというわけではない。どんな出来事が起きたとしても、人間はその状況で楽しむことができるはずだという、不断の実践の可能性をこの作品は示唆している。

 不発弾処理により避難区域が設定され、主要登場人物がひろしの家に集まる場面で、つい楽しくはしゃいでしまうひろしの母ちゃん(薬師丸ひろ子)は「ちょっと不謹慎でしたかね、こういうの」と、自分自身に対して疑問を投げかける。それを聞いた京子ちゃんのおばあちゃんは、こう言ってくれる。

「楽しいことに変えちゃうのは、素敵なことよ」

 人は、案外しぶとい。それこそが「ど根性」という言葉に象徴される、私たちの目指すべき生き方のひとつなのではないか。
(文=相沢直

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは@aizawaaa

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『ど根性ガエル』第5話

2015-08-16 14:30:59 | 松ケン

 

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『ど根性ガエル』日本テレビ

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。

 『ど根性ガエル』の第5話のテーマは「ないものねだり」である。いつものように始まる朝食の場面。主人公のひろし(松山ケンイチ)は家の外で遊ぶ子どもたちの声を聞き、今が夏休みであることに気付く。当時を思い出してひろしは、毎日のようにクワガタを採りに行っていたあのころ、クワガタが採れなくても楽しかった日々を思い出している。クワガタを採る、という行為そのものが「ないものねだり」の象徴にもなっているが、その懐かしい日々をうらやむひろしの心もまた「ないものねだり」だといえるだろう。

 そして今日もひろしを含め、暇な大人たちが集まってくる。いつものように、よし子先生(白羽ゆり)へのプロポーズに失敗する梅さん(光石研)。ヒロイン、京子ちゃんのおばあちゃん(白石加代子)は、こんな言葉をぽつりとつぶやく。

「自分が手に入らないものを欲しがるようにできてるのよ、人間は。それを片思いって言うのね。人間はみな、何かに片思いをしてるの。それが、生きてるってこと」

 その代表的な存在だといえるのが、ひろしだ。今回の第5話では会社の設立記念日ということで、ゴリラパンの一日社長になる。だが、そこでのひろしの行動は常に受け身だ。自分から何かをやろうとか、始めようとか、そういった展開にはならない。大口の注文を受けるというエピソードは確かにあるのだが、それにしたって会社にかかってきた電話をたまたま取ったというだけであり、しかもそのことによって取引先からだまされることになるのだが、それを解決するのはひろし自身ではなく、ゴリライモ(新井浩文)である。

 一般的にドラマというものは、主人公の変化や成長を描くものだとされている。だが『ど根性ガエル』のひろしは、決してそういった主人公ではない。常に迷っている。自分が何を欲しがっているのかがわからないため、成長のしようがない。それではなぜ、ひろしは『ど根性ガエル』という物語の中心にいるのか?

 それは、自分以外の登場人物の隠された魅力を伝えるためだ。ひろしは自分で何か行動を起こすわけではないが、ないものねだりの代表的存在であるということは自他ともに認めている。それが、他者に影響を与えるのだ。

 例えば、警察官の五郎(勝地涼)にとってのないものねだりは、社会的なルールを破ることである。横断歩道ではない道を渡ってはいけない。だが、ひろしの存在を想起することにより、道の向こうを歩いている老婆がスイカを落としてしまった際、自ら定めた規範を破って道を渡る。

 

あるいはゴリライモが一日社長という会社の行事を作ったのは、いつも社長でいることに疲れるからだ、という本心を自ら吐露する。京子ちゃん(前田敦子)もまた、自分が何を欲しがっているのかがわからない、と本音を語る。これは、ひろしが自らのないものねだりっぷりをアピールし、そうやって生きているということからの影響である。ひろしという人物の存在が、ほかの登場人物の隠された本音を発露させる。その結果、人物には多面性が生まれ、だからこそひろし以外のキャラクターは魅力的なものとなっていく。

 

 京子ちゃんのおばあちゃんは、ないものねだりのことを「片思い」という言葉で表現するが、往々にして「片思い」とは心の奥にしまっているものだ。あまり大声で人に言うものではない。だが、ひろしはそうではなく、自分がないものねだりであることも、あるいは、例えば具体的には京子ちゃんと結婚したいという片思いの気持ちも、そのまま口にする。その姿に影響を受けることによって、ほかの人物の本心が露になっていくのだ。

 それは『ど根性ガエル』という作品が持つ、本質的な構造だといえるだろう。『ど根性ガエル』はしばしば映画『男はつらいよ』に例えて語られるが、それはひろしのキャラクター造形が寅さんと似ているという目に見える理由だけではなく、主人公が成長や変化をしないことによってほかの登場人物が成長や変化をしていく、という物語としての構造が似ているからだ。

 『ど根性ガエル』の登場人物に限らず、人はさまざまな理由や事情で自分の本音を隠して生きるものだ。しかし、ひろしの存在によって、隠していた自分の本音を自覚する。それが伝えるのは、結局、人は誰だって魅力的である、という当たり前の真理だ。第5話の終盤で、ピョン吉(声:満島ひかり)は叫ぶ。

「生きてるだけでいいだろってことだい! ひろし、根性で生きようぜ! 生きてるだけで楽しいだろ? 答え探してんのが楽しいだろ!」

 主人公の変化や成長でドラマとしてのカタルシスを生むのではなく、『ど根性ガエル』は今を生きている人々、それは作品の登場人物だけではなく視聴者である我々に対してもだが、今を生きている人々の本質的な魅力を見つめる。『ど根性ガエル』という作品は、我々の暮らしと離れて独立しているのではない。むしろ我々の暮らしに寄り添い、我々はちゃんと魅力的な存在なのだ、ということを伝えてくれる作品なのだ。

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
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『ど根性ガエル』第4話

2015-08-16 14:25:49 | 松ケン
構成作家・相沢直の“スナオなドラマ考”

ひろしはなぜ“いい話”になるのを嫌がるのか?『ど根性ガエル』第4話

 

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『ど根性ガエル』(日本テレビ)

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。

 『ど根性ガエル』の第4話のストーリーの主軸となるのは、花火大会だ。ヒロイン・京子ちゃん(前田敦子)に一緒に行こうと声をかけてフラれる主人公のひろし(松山ケンイチ)、というお約束の展開もあるが、この花火大会はひろしにとって意味がある。子どもの頃、まだ記憶もないうちに父を亡くしたひろし。いつも頭にかけているサングラスは、父の形見らしい。幼いひろしにそのサングラスを渡した母ちゃん(薬師丸ひろ子)は、こう声をかける。

「ずっとつけてな、これを。いいかい。今日は花火大会だ。空の上から、父ちゃん見てんだよ」
 
 ひろしがつけているサングラスは、亡き父から見つけてもらうためのものだったということがここで明かされる。とても“いい話”だ。さらにいうと、親の死というのはひろしに限ったことではなく、主要な登場人物である京子ちゃん、ゴリライモ(新井浩文)、五郎(勝地涼)もそれぞれ親を亡くしている。だからこの第4話は、全員にとって“いい話”になっていい。感動して、誰もが涙するような“いい話”にすることはたやすいだろう。

 だがひろしは、ストーリーがそういった“いい話”になることを拒絶する。京子ちゃん、ゴリライモ、五郎が集まってひろしの父の話をしんみりとしているときにも乱入して、その空気を壊す。ひろしがピョン吉に言うには、こうらしい。

「どうせ、五郎のやつが俺の父ちゃんの話でもしたんだろ? 苦手なんだよ、そういう“いい話”の人、みたいになるのはよ」

 これはひろしのキャラクターでもあるが、同時に『ど根性ガエル』の全体を通じるテーマ、あるいはルールでもある。『ど根性ガエル』は、“いい話”になることを決して好まない。むやみに感動的になるのを避けているフシさえある。なぜかといえば『ど根性ガエル』が描くのは、伝えたいのは、特別な感動的な場面ではなく、むしろ日常そのものだからだ。

 花火大会が雨で中止になったときの母ちゃんの言葉が、それを示している。

「雨なら雨で、あーあ、って空を見上げるだろ? それでいいんだよ。花火も、なーんにもない空でも、上向くのは大事なことなんだよ」

感動的な場面で感動的な言葉が出てくるというのは、当たり前だ。ドラマである以上、そういった力学が働く。だが、『ど根性ガエル』は、そこに対して抗う。『ど根性ガエル』は、日常の素晴らしさを伝える。それはつまり、望まない出来事が起きたときでも視点を変えて見れば新たな発見が生まれる、という人間の底力、いわばど根性の力を、描くということでもある。

 

 たとえ花火が上がらなくても、空はある。そこに何を見いだすかは人それぞれだ。それは“いい話”ではなかったとしても、誰にとっても普遍的な真実である。特別な出来事が起こらなかったとしても、あるいはいま起きていることが望ましくはなかったとしても、人は豊かに生きることができる。母ちゃんの言葉は、それを示しているのだ。

 第4話のキーマンとなるのは、かつてゴリライモの手先として憎らしい存在であった、モグラ(柄本時生)である。いってしまえば、サブキャラ中のサブキャラだ。だが彼は、中学のときに転校し、自らを土に埋まるモグラではなく空を飛び回るトンビとして名乗った。今は結婚し、3人の子どもに恵まれ、そして花火職人として町にやって来る。

 『ど根性ガエル』は日常の素晴らしさを描く作品として、きっちりと彼の人生を想起させるような描き方をしている。サブキャラだからといって、便利な使い方をするわけではない。彼の人生もまた『ど根性ガエル』の一部なのであり、ちゃんと彼の居場所を用意する。

 かつてモグラだったトンビは、雨がやんだとき、親方に頼んで花火を上げる。その花火を見て、町中の誰もが笑顔になる。サブキャラだからといって、何もできないわけではない。むしろ、サブキャラである彼が自分の行動によって人々を幸せにするからこそ、視聴者の心に何かが残る。自分がどんな人間であろうと、どんな環境にいようと、今いる場所でできることをやると決めさえすれば、世界はもうちょっとだけ素敵なものになったりするのだ。
 
 『ど根性ガエル』の第4話は、花火大会という特殊なシチュエーションを用意しながらも、決して特別な“いい話”ではない。日常に当たり前のようにあるべき出来事や、言葉ばかりで構成されている。派手なストーリーではない。号泣するような出来事は起こらない。だが、日常の素晴らしさをうっかり忘れがちな今という時代に、この作品はある。テレビという日常において、日常の素晴らしさを描く。それが、『ど根性ガエル』という作品なのだ。

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
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ど根性ガエル 第3話

2015-08-02 11:04:06 | 松ケン
2015/07/27 19:00

ひろしはなぜ、主人公としてめんどくさいのか?『ど根性ガエル』第3話

 多くのテレビドラマにおいて、というかすべてのジャンルのフィクションにおいて、主人公とは視聴者と視線を同一にする。あるいは、少なくとも視聴者から共感を呼ぶような形で描かれる。例外はあるが、それが基本的なルールだ。しかし『ど根性ガエル』の主人公・ひろし(松山ケンイチ)は、そうではない。視聴者が時にイライラしてしまうほどだらしなく、頼りなく、期待通りに成長してくれない。

 たとえば第3話。前回、あれだけ大見得を切って終世のライバル・ゴリライモ(新井浩文)が経営するパン屋に就職すると言ったひろしだが、初の出勤日を迎えても母ちゃん(薬師丸ひろ子)から起こされて「え、仕事? あぁ、そうかぁ」とすっかり忘れている始末であり、働いて何か欲しいものでもないのかと水を向けられても「あったら、もっと前に働いてるだろ」と開き直る。いいからとっとと働けよ、30過ぎて何やってるんだ、と腹を立てる視聴者も少なくないだろう。

 

 ひろしは、主人公として実にめんどくさい。視聴者が望むような成長や変化をしてくれない。なぜか。それは彼が、これまでの過去と現状に十分満足しているからである。母ちゃんから夢を訊かれたひろしは、こう答える。

「このまんま平穏無事に暮らしていくこと。母ちゃんとピョン吉と、いつまでもよ」

 そうである以上、ひろしは主人公ではあるが、取り立てて成長や変化を願っているわけではない。だがしかし、30歳だ。それに何より、お前は主人公ではないのか。そういった視聴者のいら立ちを、ヒロインである京子ちゃん(前田敦子)は、ひろしの母ちゃんとの会話の中でこう指摘する。

「子どもの頃から変わってないはずなんですけどね。でも大人になると、駄目なとこが目立っちゃうのかな」

 そう、ひろしは変わっていない。子どものままでいただけだ。変わってしまったのは周りの環境である。このことに対してのひろしの、心の奥底にあるであろういら立ちが『ど根性ガエル』というドラマを特殊なものにしている。

 

 第3話では、ここに至るまでのゴリライモの成長と変化が明かされる。かつては親の商売であるパン屋という商売をバカにしていたが、今は改心して、恩返しのために日本一のパン屋を作ろうとしている。仕事も挨拶もちゃんとしていて、従業員思いでもあり、すっかり大人だ。ひろしが変わらずにいる間に、ゴリライモはいつの間にか成長と進化を遂げていたのだ。

 通常のドラマであれば、このゴリライモの成長と変化をきっかけとして、主人公が変わることを決意する。実際、ひろしはその夜、自宅で粘土を使い、パンを作る練習をする。この際、ピョン吉(声:満島ひかり)が力を貸そうかと提案するのだが、ひろしはそれは反則だと言い、自分の力だけで変わろうとしているのだ。そして練習のかいあって、翌日の仕事はうまくいき、評価もされる。

 いい感じじゃないか。これでこそ、ドラマというやつだ。しかし『ど根性ガエル』が特殊なのは、ここにカタルシスを置かないという点にある。同僚に褒められたひろしは、喜ぶ顔ひとつ見せずに「俺は、なんのために頑張ってんだ?」と自問するのだった。実に、めんどくさい主人公である。

 

 これは冒頭にも書いた通り、ひろしがこれまでの過去と現状に十分満足しているからというのもあるが、もうひとつの個性として、一般的な常識をそのまま受け入れずに自分で導いた答えしか信用しないというキャラクターにも依る。つまりひろしは、子どもなのだ。大人ならこうするべき、という考え方が通用しない。

 ピョン吉がこっそりセッティングした就職祝いの席でも、ひろしはいら立ちを隠さない。寄せ書きに書かれた「頑張れ」「おめでとう」という文字を見て心底嫌そうな顔をする。「そんなに素晴らしいかね、働くってのは」と身もフタもないことを言い、ピョン吉ともケンカになる。ここにはひろしのピョン吉に対する、勝手に大人になりやがって、という怒りもあるだろう。

 ひろしは子どもである。年齢を重ねたら働くべきだとか、労働は無条件で価値のあるものである、といった一般常識を信じない。ゴリライモの言葉には心を打たれたとしても、それはゴリライモ自身が導いた答えであり、ひろしの答えではない。

 

 そしてひろしは、自分の職場にピョン吉を連れていくという選択をする。『ど根性ガエル』第3話におけるこの流れは、一般的なテレビドラマとはまるっきり逆だ。普通であれば、ピョン吉から離れて独りで頑張るひろし、という展開がカタルシスを呼ぶわけだが、『ど根性ガエル』はそれが逆転している。それはひろしが「このまんま平穏無事に暮らしていくこと。母ちゃんとピョン吉といつまでもよ」と語った以上、ほかのドラマとは逆転していたとしても『ど根性ガエル』にとっては必然でもある。ひろしはめんどくさい主人公なのであり、だからこそ彼が導き出す答えは、特殊なものとなる。

 だが、『ど根性ガエル』という作品に全体として流れる切なさは、まさにこの部分にある。ピョン吉の死と別れは第1話から想起されていて、ひろしの「このまんま平穏無事に暮らしていくこと」という願いはおそらくかなうことはない。そしてそのことを、いまだひろしは知らないのだ。ピョン吉は働いているひろしを励まして「楽しいんだよ。母ちゃん、オイラ楽しい」と涙を流す。その涙の本当の意味を、我々視聴者は知っている。だからこそ『ど根性ガエル』は作り物の感動ではなく、リアルに胸に迫るものとして、見る者の心を打つのだ。
(文=相沢直

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
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ど根性ガエル  第2話

2015-08-02 10:43:02 | 松ケン

http://www.cyzo.com/2015/07/post_22999.html

 

 

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。

 ドラマ『ど根性ガエル』の第2話は、主人公・ひろし(松山ケンイチ)の朝食の場面から始まる。前回威勢のいいことを言っていたにもかかわらず、相変わらずの無気力ぶりを発揮し、ダラダラと無駄飯を食べようとするひろしに、母ちゃん(薬師丸ひろ子)は説教。朝食を食べさせてもらえないことに怒ったひろしは、家を出てしまう。

 ひろし、30歳である。さすがに母親が朝食を食べさせてくれないからといって、家出するような年齢じゃないだろう。もうちょっとしっかりしたらどうなんだ。視聴者のそんな声を代弁するように、道ですれ違ったヒロイン・京子ちゃん(前田敦子)はひろしを叱る。

「あんたの年で『家出』って言わないでしょうが」
「(それは『家出』ではなく)自立」

 この場面はひろしのダメさを笑うシーンでもあるが、同時にこの第2話のテーマの核心も突いている。『ど根性ガエル』の第2話とは、主人公・ひろしが“自立”を決意する物語だ。

 それでは、“自立”とはなんだろうか? 少なくともドラマという物語においては、他者や環境による要請からではなく、あくまでも自らの意思で行動を決めるというのが“自立”だ。最終的に、この第2話でひろしは終世のライバルであるゴリライモが経営するパン屋で働くことを決意するのだが、そこまでの描き方を非常に丁寧にやってくれるのが『ど根性ガエル』である。

 先述した京子ちゃんとの会話の中で、ひろしは「働いたら結婚してくれんのか!?」と問いかける。ひろしの目的は、京子ちゃんとの結婚だ。そしてこういった条件がそろっている以上、ひろしを早く働かせたくなるのが制作者の心情だろう。この会話をきっかけとして、早々にひろしがゴリライモ(新井浩文)のパン屋で働くことを決める、という展開も十分あり得たはずだ。

 だが、『ど根性ガエル』はそうしない。もし、ここでひろしが働くことを決めてしまえば、その動機はひろし自身のものではない。京子ちゃんとの結婚のために働く、というのは、あくまでも他者からの要請である。それでは、ひろしは“自立”することができないのだ。ひろしの行動や決意は、ひろし自身が見つけたものでなければ、本当の“自立”にはならない。

 そこでひろしは、ゴリライモの移動販売車を拝借して、旅に出る。ここで旅の目的は、特に明かされない。最終的には、朝食の場面を伏線として、「うまい米を食べたかったから」という理由が明らかになるのだが、その目的はむしろ後付けに近い。ひろし自身、自分の行動や決意がどんなものになるのかがわかっていないのだから、ただ彼は車を走らせる。着いたのは、福島県の田んぼであった。

 そこでひろしは農家を営む老夫婦と出会い、農作業の手伝いをすることになる。米という「日常」の象徴に、手間ひまがかかっていることに、ひそかに感銘を受けるひろし。またこの場面で農家の老夫婦からは、米だけでなくパンだってそうじゃないか、というサジェスチョンを受ける。ここでひろしは「日常」の意味に気付くのだ。直接は描かれていないが、この老夫婦によるパンについての語りがあるからこそ、最終的にひろしがライバルのゴリライモの下で働くことを決意するという展開が自然なものとなる。こうして、ひろしは“自立”する。それは、こんなセリフで表現されている。

 

「根性出すってことは、かっこ悪いことをちゃんとやるってことなのかもな」

 

 かっこ悪いことというのは、つまり「日常」にほかならない。「日常」をちゃんと生きるということが、ひろし自身が見つけた動機であり、その動機を自分自身で見つけたからこそ、ひろしはこのとき“自立”したのだといえる。

 そして『ど根性ガエル』は、その大原則として「日常」の意味を描く作品である。主人公のひろしだけではない。ひろしが旅に出たために、主要登場人物のほぼ全員が、ゴリライモの工場に泊まり込むことになる。面倒なことだ。しかし、京子ちゃんのおばあちゃん(白石加代子)は、この状況に際して「なんだか楽しそう」と口にする。そして彼らは、寿司屋の梅さん(光石研)が握った寿司をみんなで食べるのだが、その光景は確かに楽しそうなのだ。

 我々が住む「日常」は楽しいことばかりではない。面倒なこと、しんどい場面だってたくさんある。それでも「なんだか楽しそう」と口にできるのが、人間のしぶとさだ。言ってみれば、それがすなわちど根性というものでもあるだろう。常識やルールに縛られたり、誰かの幸せをうらやむのではなく、今ここにある「日常」を楽しめるということ。『ど根性ガエル』は、軽いタッチでその真理を描く。むしろ軽いタッチだからこそ、その真理は視聴者の胸に素直に届くのだ。

 また、この第2話では、そういった真理の対比として、ゴリライモが配置されている点も素晴らしい。ゴリライモはひろしをバカにしながらもうらやんで「お前(ひろし)に勝つのが好きなんだよ、俺は」や「なんで俺はあいつ(ひろし)に勝てねえのかなあ」と口にする。経営者として成功を収めているゴリライモだが、ひろしという他者に勝つということを大目標としている以上、彼もまたある意味で“自立”できてはいないのだった。

 第3話では、ゴリライモが懸命に働く理由が明らかになるようだ。彼がどのようにして、ひろしという呪縛から逃れて“自立”することができるのか。ただの悪役でなく、愛すべき男だからこそ、興味は尽きない。またひとつ、『ど根性ガエル』を見逃せない理由が増えてしまった。
(文=相沢直)

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは @aizawaaa

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BEAST(비스트) - 예이(YeY) M/V

2015-07-27 23:44:25 | BEAST

BEAST(???) - ?? (YeY) M/V

 

 

불필요한 감정의 연소
不必要な感情の燃焼

난 더 이상 태울 게 없어
僕はこれ以上燃やせるものはない

하염없이 돌고 돌아도
とめどなく回り回っても

결국엔 다시 제자리인 걸
結局は元の場所


수없이 넘어지고 또 일어나
何度も倒れてまた立ち上がる

I need your hand

뻗어 봐도 닿지 않아
伸ばしても届かない

마음 둘 곳 하나 없는 채로
心の行き場が一つもないまま

살아가려면 내가 미쳐야 해
生きていくのはやりきれない


Loveless 쓸데없는 Emotion
Loveless 役に立たない Emotion

위로 섞인 말도 No thanks
慰め混じりの言葉も No thanks

불필요한 감정 죽여
不必要な感情を殺して

의미 없이 부딪혀 저 잔에다
意味もなくぶつかるあのグラスに

이미 다 깨져 부서진 마음
もう粉々に砕けた心

다 같이 망가져 엉망진창
みんな目茶苦茶に壊れて

다 흔들어 이 밤을 제끼자
揺れてこの夜をやり過ごそう


Everybody stand up

하나도 빠짐없이
一つも残さず

Hotter than summer time

열 올리고
熱を上げて

Everybody stand up

우리 모두 다 같이
僕たちみんな一緒に

하나도 빠짐없이
一人も残さず

Yey Yey Yey Yey

다 필요 없어 다
何もかも必要ない

아무런 기대 바람도 가질 수 없어 Woo
何の期待も望みも持てない

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

속이 닳고 닳아 찢겨도
心がすり減って引き裂かれても

난 상관없어
僕は気にしない

Yey Yey Yey Yey

다 버리고 가볍게 날아가
全部捨てて軽く飛び立とう

Yey Yey Yey Yey

오늘은 모든 걸 다 내려놔
今夜はすべてを忘れて

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

Yey Yey Yey Yey
Hotter than summer time


슬픔에 젖는 것조차 지겨워
悲しみに濡れることさえうんざり

거울 속에 나는 울고 있지 않아
鏡の中の僕は泣いてない

모든 걸 다 내려놓은 채로
すべて投げ打ったまま

가쁜 숨을 몰아쉬며 살아가
苦しい息をつきながら生きていく


믿음에 대한 대가는 언제나 배신
信頼の対価はいつも裏切り

이젠 놀랄 것도 없어
今さら驚くことでもない

속은 내가 바보지
騙された僕が馬鹿なんだろう

사랑 사람 다 똑같아
愛も人も全部同じ

결국 내가 내린 결론은 하나
結局僕が下した結論は一つ

나 혼자다 처음부터 끝까지
最初から最後まで僕は一人なんだ


Everybody stand up

하나도 빠짐없이
一つも残さず

Hotter than summer time

열 올리고
熱を上げて

Everybody stand up

우리 모두 다 같이
僕たちみんな一緒に

하나도 빠짐없이
一人も残さず

Yey Yey Yey Yey

다 필요 없어 다
何もかも必要ない

아무런 기대 바람도 가질 수 없어 Woo
何の期待も望みも持てない

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

속이 닳고 닳아 찢겨도
心がすり減って引き裂かれても

난 상관없어
どうでもいい


Yey Yey Yey Yey

다 버리고 가볍게 날아가
全部捨てて軽く飛び立とう

Yey Yey Yey Yey

오늘은 모든 걸 다 내려놔
今夜はすべてを忘れて

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

Yey Yey Yey Yey
Hotter than summer time


그래 이건 널 잊기 위함인 것 같아
そうこれは君を忘れるためなんだろう

모든 건 그저 핑계일 뿐
全部ただの言い訳にすぎない

돌아오지 않는 널 기다리다
戻らない君を待って

모든 게 미워져 버린 걸
何もかも嫌になってしまったんだ

Yey Yey Yey Yey

다 필요 없어 다
全部必要ない

아무런 기대 바람도 가질 수 없어 Woo
何の期待も望みも持てない

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

속이 닳고 닳아 찢겨도
心がすり減って引き裂かれても

난 상관없어
どうでもいい

Yey Yey Yey Yey

다 버리고 가볍게 날아가
全部捨てて軽く飛び立とう

Yey Yey Yey Yey

오늘은 모든 걸 다 내려놔
今夜はすべてを忘れて

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

Yey Yey Yey Yey
Hotter than summer time

 

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ど根性ガエル

2015-07-20 09:50:34 | 松ケン

 

ドラマ最前線 制作者インタビュー2 日本テレビ 河野英裕 なぜいま『ど根性ガエル』なのか

木俣冬 | フリーライター

2015年7月17日 11時0分
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シャツに貼り付いてしまったカエル・ピョン吉がど根性で生きて行く人気アニメ『ど根性ガエル』(原作は吉沢やすみの漫画)。70年代に誕生し、いまなお愛されているこの作品が実写化された。

漫画やアニメの設定から16年経過し、登場人物はみんな大人に。ひろし(松山ケンイチ)は30歳にもなって無職のダメ人間。京子ちゃん(前田敦子)は離婚して実家に帰ってきた。梅さん(光石研)は52歳のいまもなお、よし子先生(白羽ゆり)にプロポーズできず。ピョン吉(声・満島ひかり)はいよいよ寿命が近づいてきて……と、ど根性だけで突破できない問題に直面した面々が右往左往する姿をユーモアいっぱい、でも少し切なさも盛り込んで描く。

胸のなかでアニメが動き、ドタバタと暴れている松山ケンイチが不思議とまったく不自然でない。2015年の下町に生きている人間として当たり前に見えてしまった。無理してアニメの年齢設定にしてないからか、アニメとの違和感も感じない。これは相当、丁寧に考え抜いたうえで制作されたのだろう。

ドラマをプロデュースしている河野英裕は、これまでも『すいか』『Q 10』『銭ゲバ』『妖怪人間ベム』『泣くな、はらちゃん』など、原作もの、オリジナル問わず、貧しい人もそうでない人も、人間、妖怪、ロボット……この地球に生きるあらゆるものたちに眼差しを向けてきた。

そのなかで『ど根性ガエル』は、彼のこれまでの集大成になりそうと語る河野の、ほんとうにつくりたいドラマとはどういうものなのだろうか。

『ど根性ガエル』を実写化しようと思ったわけ

『ど根性ガエル』1話の編集中に、プロデューサー河野英裕さんにお話を伺いに行ったところ、ピョン吉がまだ全然完成してないと笑いながら迎えてくれました。

ーCGのために本編の完成がギリギリになっちゃう感じですか?

河野それもあってかなり余裕をもってクランクインしたのですが、梅雨時期だったものだから雨でスケジュールがずれて、結果的にギリギリです。まあ、ギリギリまで最良のところを探りたいという思いもありますし。

ー期待してるひとが多いドラマですから。

河野どうやってピョン吉を表現すんの? ってたくさん聞かれました(笑)。

 

ー16年分、大人になった『ど根性ガエル』のキャラクターたちという設定も。どうしてこの企画を思いついたのですか?

河野すべては、松山ケンイチ君なんです。ぼくが松山君とまたドラマをやりたくて、土曜ドラマで彼とやるとしたら何をやるべきか考えたとき、明るく脳天気な松山ケンイチのドラマにしようと思ったんですね。昔、ぼくが彼とやった作品だと、『銭ゲバ』(09)ではなく、『セクシーボイスアンドロボ』(07)の路線ですね。

ー松山さんは暗いのも明るいのもどちらもみごとに演じられます。

河野もともと彼本来の気質は抜けのいい明るさのほうだと思うんです。優しくて大らかで、気さく。青森のなまりも、ずるいぐらい面白いし(笑)。

ー純朴な。

河野ええ、純朴な(笑)。そういう大らかな松山くんのドラマをやってみたかったんです。

ー大らかな松山ケンイチさんとなったときに『ど根性ガエル』という発想がすごいです。

河野たまたまなんですよ。すごい昔にちょっと考えたことありますが、その時は絶対無理だと思って。どうやったらいいか全く分からなくて。ただ、これまで、昔のアニメのリメイクでいうと『妖怪人間ベム』(11)とか、オリジナルだと『Q10』(10)『泣くな、はらちゃん』(13)と、人間でないものが登場するドラマを3作やってきて、ぼくはそういう異形のものと人間が出会ったときどうなるかっていうことを描くのが好きなんです。とはいえ、もう3作もやったからいいかなとも思いながら、結局、またそっちに行ってしまいました(笑)。土曜の夜9時枠は、ちびっ子から大人まで、年齢、男女性別問わず、みんなが楽しめるテレビの王道の枠、そこに、明るい松山くんで、人間と人間じゃないものが同じ世界に屹立し触れ合っていくものといういくつかの条件に当てはまったのが、『ど根性ガエル』だったんです。

ひろしは30歳、ピョン吉には寿命が

ーやろうとなったときに、シャツのなかでカエルが動く難しさについてはどのように考えましたか。

河野いや、なんとかなるだろうと思っていました。いつものチームがなんとかしてくれるだろうと(笑)。それより悩んだのは、ピョン吉のあり方です。1話で、ピョン吉がシャツからはがれはじめ、いよいよ寿命が来たのか? ということが描かれます。キャラクターを16年分、大人にしたうえに、ピョン吉が死ぬかもしれないという完全オリジナルな内容を、原作者さんサイドからはたして許してもらえるだろうか。それが一番心配でした。ところが、面白くしていただけるのなら何をやってもいいと言ってくださったんですよ。ちょうどその日はぼくの誕生日2月2日で、最高の誕生日プレゼントをもらった気持ちになりました。

ーなぜ、皆を大人にして、ピョン吉の寿命を描こうと思ったのですか。

河野実写化するにあたって、原作を最大限リスペクトし、かつ、原作以上のものを提出しないと意味がないと思っていました。45年前に生まれた原作は、1話完結のギャグ漫画で、大きな縦軸となるストーリーはない。それを、2015年の連続ドラマとして再構築するためには、ストーリーは完全オリジナルにし、新設定もつけることを考えました。漫画では中学校2年生ですけど、主演は松山君ですから、30歳の大人のひろしにする。そのとき、30歳の大人が転んでカエルがひっついたというところからスタートする方法論もあるでしょうけれど、そこに論理的な話を交えずに描いていくとあまりにも子供じみている。じゃあ、どうしたらいいかと考えたとき、中学校2年生のときからひっついたまま2015年になったことにしようと、脚本家の岡田惠和さんと話しました。そのほうが大変だけどチャレンジはできると思ったんです。

ーそこで行ったチャレンジがーー。

河野“ピョン吉とはなんぞや?”ということを描くことです。連続ドラマを作る際、背骨を作る作業、つまり大きな縦軸を何にするかをまず考えなければならないんです。『Q10』のときは“Q10というロボットはなんだったのか?”をひとつの縦軸にしていて、『はらちゃん』では“漫画の世界の人との愛は成立するか”『ベム』は“人間になれるかなれないか”を描きました。今回はなんだろうかと考えると、それは“ピョン吉とはなんぞや?”ということ。そうなると、「ひろしとピョン吉の別れ」という縦軸で展開し表現してゆくのがいいだろうと。じゃあどんな設定で別れを描くのか、いろいろな案を考えていくうち、岡田さんが、シンプルにピョン吉が死ぬかもしれないということがいいんじゃないかって、言って。それだ、と。

ー『泣くな、はらちゃん』は漫画のキャラとの共存を描いた作品でした。昔だったらたぶん漫画の世界の人とはさようならをしなければいけないという最終回を描くところを、お別れしないで共に歩む選択をされたことに現代性を感じたものです。それが今回、あり得ない形状のものといっしょに暮らし続けている『ど根性ガエル』をやるところに、『はらちゃん』を進化させているような気がします。

河野そこまで深く考えてないです(笑)。今回は、単純に、爆発力のあるものを作って、見ている人に驚いてもらいたいという気持ちが大きいですね。

平面ガエルの描き方

ー実際、驚きました(笑)。ピョン吉の声が満島ひかりさんだったり、キャストがすごく豪華で、前田敦子さんも出ていらっしゃるし。で、やっぱりTシャツのなかのカエルが動くのが肝ですよね。

河野やるとなったとき、『ベム』や『はらちゃん』をやってもらっていたグラフィック担当のチームにまっ先に相談して、いけるよね? と確認しました。

ー半ば強制的な「いけるよね?」ですね(笑)。

河野テレビドラマのスケジュールと予算のなかで、あのピョン吉を再現する手段が、いまの技術だったらあるよね? っていう(笑)。

ーどんな技術でどんなことになってるのです

河野どっちかっていうとアナログです。『デスノート』(日本テレビ 日曜10時)のリュークは3Dなので、モーションキャプチャとか最新技術使ってやるんでしょうけれど、うちは平面で、Tシャツのなかでしか動かないので、いわゆる二次元アニメの手法でつくっているんです。

ー撮影のときは、当然、絵がないですよね。どうしているのですか?

河野撮影のときは、何パターンかのピョン吉が描いてあるTシャツを着て演じてもらっています。撮影の状況によって、色目などが変わるんです。

ー色目とかも違う? 黄色くない?

河野何種類かあって。で、それを状況によって変えています。

演技巧者がそろった

ーいろんなパターンのピョン吉Tシャツを松山さんが着て、さも、ピョン吉がいるかのようにしゃべりながら演じていると。

河野パントマイムですよね。それを松山君はじめ、俳優さんたちがやっているんです。1話ではひろしのお母さん役の薬師丸ひろ子さんが着ていますが、今後も、いろんなひとが着ます。2話では京子ちゃん、3話で梅さんが。ピョン吉に引きずられて飛んだりピョン吉走りしたり、ジブリ的な日常を超越した動きを(笑)、みんなが挑戦しなきゃいけないから、大変だと思いますよ。

ー芸達者な人ばかり集まっているから頼もしいですよね。

河野みんなすばらしいですよ。基本コメディですし、子供向けに見える作品ですが、そういうものこそ本格的な俳優さんをキャスティングして、真剣に芝居をしてもらいたいと思っています。今回は、今までお仕事させていただいた俳優さんと、一度仕事をしてみたかった俳優さんに集まっていただき、ある意味、ぼくのドラマの集大成のようでもあります。これが最後でもいいと思うほどの座組です(笑)。主題歌も、ぼくの神様みたいな存在のザ・クロマニヨンズにお願いできたので、本望ですよ。

ー今回、相当、力が入っているんですね。

河野ぼくももう47歳なので、疲れてきまして。そろそろ最後と思って頑張ろうかなって(笑)。

ーいやいやもっとつくってほしいです。話を俳優に戻しまして、アニメと共演するとなると、巧い方がやらないとたぶんおかしなことになってしまいますよね。

河野胸にカエルのアニメがはりついてしゃべっているというファンタジーの世界はへたしたら敬遠する方も多いでしょう。テレビドラマではどちらかといえば、身近な世界が好まれますが、その点、今回の俳優さんたちは、日常とファンタジーの狭間をうまいこと泳いでくれています。満島ひかりさんが「薬師丸さんって、ほんとにカエルと暮らしてそう(笑)」とよく言っていて、実際、そういうタイプの役者さんが多いと思うんです。松山君だって、胸にピョン吉がいるのが自然に見える。

ー前田敦子さんも、カエルとしゃべっていてもおかしくないような(笑)。

河野そうそう(笑)。ある種の特殊性をもった役者さんたちの集まりなんですよ。

ーそれはいい意味の異形で、どこかちょっと超越している方たち。

河野ぼくはそういう俳優さんが好きなんだと思います。あとこれは、物語の本質的なことになりますが、『はらちゃん』をつくったときも同じことを思っていたことがありまして。異形のもの----人間じゃないものたちは、ある種の不自由な世界に生きていますよね。はらちゃんは漫画の世界で、ピョン吉はシャツの中。とくにピョン吉はアマガエルのときはカエルなりの自由があって、好きなところに行けるし、たぶん、家族もいて、ゆくゆくは子孫も残して……みたいな生き方があったはず。ところが、Tシャツのなかでは自由がない。ぼくはそこに興味をもったんです。人間もそうで、なんらかの不自由さを背負いながらもタフに生きていくもので。つまりピョン吉も人間たちも、全ての生命体は不自由さの中でがんばって生きていくものなのだ、と。ただ、“なにがなんでもど根性で生きるのだ”という根性を押しつけたくはまったくありません。根性で解決する時代ではなく、それふりかざした途端にもう終わりだってことはわかっていますから。

根性でなんとかなるのはアクションだけ

ー生き物には必ず死が来る。限られた時間のなかでどう生きるかがひとつのテーマだと。タイトルに“ど根性”がついているので、ある種の昭和根性論回帰なのかと思いましたが、河野さんのドラマは根性を押しつけるようなマッチョなドラマはいままで、ひとつもないですよね。

河野押しつけられてもねえ……。だってみんながんばっていますからね。

ーあ。お優しい。

河野(笑)。がんばってない人もいるとは思いますが、基本みんながんばって生きていて、それだけでもう充分みたいなところもある。そのがんばり方も人それぞれで、例えば、朝一生懸命起きることや誰かに告白することから国会前のデモに参加することまで、出す根性にはふり幅があります。根性を否定するつもりもなくて、このドラマのなかのひとたちは、自分なりのスタイルで、ちょっとだけがんばってみる感じのことなのかなと。「ささやかな、ど根性」、そんなもんあるのかわかりませんが、そんなものが描けたらと思っています。あとはもう、楽しく見てくれればいいなっていうぐらいの、「根性」に関してはギリギリのラインに仕立てたいですね。

ーメッセージ性を強く出すのではなく、毎週土曜日に笑って見られるような。

河野根性でなんとかなるのはアクションだけですよ。そうそう、『ど根性ガエル』をドラマ化できるんじゃないかと思った理由のひとつに、岡田さんの書く人間ドラマに、ピョン吉という物体が持つアクション性というか、ドラマチック性が物語にドッキングできたら、面白くなるなあと思ったとこがありました。ピョン吉に、人間ではできないど根性によるアクションを背負わせられるなら、見た目の快楽を盛り込みながら、一方で、生と死の人間ドラマも進行してく、そういう仕立てが可能かなと。

ー死を覚悟したピョン吉の葛藤みたいなのもありますよね。

河野当然死にたくないっていう思いと、死ぬ前にダメなひろしをなんとかしたいと思い悩みます。

ーそういうとき、満島ひかりさんを声に起用したことが生きるのでしょうね。

河野そうなんですよ。いま、編集しながら、演出の菅原としゃべっていたのですが、まだCGが完成してなくても、満島さんの声だけでも泣けたりするんです(笑)。

ー満島さんにピョン吉の声を演じさせるのもすごいアイデアです。

河野よく出ていただきましたよね。ほんと嬉しかった。彼女の声、大好きなんですよ。当然、演技も好きで、映画『愛のむきだし』や『川の底からこんにちは』、ドラマ『それでも、生きてゆく』など、ぷちっと切れる瞬間に声がシャウトするのがいいのと、あと、飛び蹴りさせたら日本一の女優だと思う。いや、世界一かな。そういうのも含めて、ロックンロールな感じがして。強いけどどこか切ない感じがして、ピョン吉には最高だと思ったんですよね。

生と死、そして日本の問題をどう描くか

ーピョン吉に関して、そうとうドラマチックになっていくと考えていいんですか?

河野そうですね。なんで結果的にそういうふうに生と死の話に収斂していきそうと思ったかというと、原作も、ひろしは、お父ちゃんが死んじゃっているんですよ。

ーお母さんが女手ひとつで育てたんですもんね。

河野そして、京子ちゃんも、1話で白石加代子さん演じるお婆ちゃんが言いますけど、両親が死んでいるんです。なんだか、みんなどこかに死がはりついていて、そのうえ、ピョン吉も死にそうで……ということで。ただ暗い話にはしないですよ。

ーそういうのがあると、視聴者はいろいろ解釈を語り出しそうですね(笑)。

河野勝手にいろんなことを深読みされそうな気もしますね。

ーそれ、わざとやっていません? 

河野わざとやってないです。

ー視聴者に餌撒いていません?(笑)

河野2話では福島に行くんですよ、ロケで。ゴリライモがパン屋を経営していて、大量の移動販売車で下町を渡り歩いています。その車をひろしがちょっと拝借して、福島に逃亡するんです。ロードムービーっぽい話になります。

ー福島のことは盛り込んでおきたかった? 

河野6話目が8月15日(土)の放送になります。そこでメッセージを声高にあげたくはないですが、土曜の9時に、ちびっ子から大人にも見てもらうドラマをつくるある種の責任は感じているんです。とすると、8月15日で、しかも今年は戦後70年という節目なので、ドラマなりにちゃんとなにかを伝えなきゃいけないという思いもあって、6話に至るフックを2話でつけておきたいという考えがありました。1話でも「変わるのが嫌だったら自分の力でなんとかしろ」というシーンがありますが、いろんな意味を含めて作っています。勝手な解釈で憲法を捻じ曲げて欲しくないですし(笑)。

ー『はらちゃん』でも、震災や世界の紛争の映像を見て、はらちゃんが涙した回(9話)がありました。

河野そうですね。あれはあとで、めっちゃ怒られましたけどね。

ー誰に怒られたんですか?

河野会社に。

ーなんでですか?

河野クレームの電話があったから。そのため、DVDでは画を差し替えてるんです、実は。

ーそれ、生々しすぎる、みたいなことで?

河野過去に実際にあった紛争や震災の映像を入れたくて、そのなかでも、生々しすぎない、ギリギリのものを選んだつもりでしたが、ぼくのエゴだったのかもしれません。そうしたら、『はらちゃん』というファンタジックなドラマを見てほっこりしたいのに、リアルな映像は見たくなかったなどの意見があったんです。その方には大変申し訳なかったと思っています。嫌な思いをさせてしまったこと。でも、すぐに画を差し替えろとかそんなの描く必要がないとか、上から言われてしまう。そんな話になってしまう。だからDVDでは、ぜんぶ色を抜きましたし、震災の画はなくしています。だからぼくは、あの回のDVDを見返していません。

ーもちろんつらい思いをする人の気持ちも分かります。でも、折りにつけ過去の出来事を語っていかないと、記憶を薄れさせてしまうことになりませんか。

河野そうだと思うんですよ。

ー『はらちゃん』は漫画の登場人物が、現実世界の悲劇を知るというエピソードを描くことで、現実世界と向き合おうとしていたと思います。いまの日本は、何かと、難しい問題を隠しておこうとしている感じですよね。

河野恐ろしいですよね。だから、今回も、やれる範囲で、投げこめることは投げこんでおこうかなあと。これで最後になるかもしれないしと思ってやっています。

ー常に最後の気持ちでやってらっしゃるという意味合いですよね?

河野常に最後。そうですね、常に最後だから。

ーまだ40代ですから、もっとドラマをつくっていただきたいと思いますけども。

河野体力的なこともありますし、そもそも飽きっぽいんですよ。ドラマづくりは、立ち上げがいちばん大変だけど面白いし、1、2話までが最も気分が盛り上がりますね。とくに、楽しいのは、MA という音楽を入れる作業です。やっぱり音楽の力は大きくて、徐々に完成していく過程は溜まらないですよ。

ー音楽はどんな感じですか?

河野サキタハヂメさんという、『ベム』の音楽をやってくれたノコギリ奏者で有名な方です。NHKの『シャキーン!』などの子供番組もやっています。今回もノコギリの音も入ってきますが、最初の音打ちのときに、口琴を提案されたんです。それがちょっと切なくていいんですよ。

ファンタジーとテレビの相性

ーそういうところにも、人間の膚感覚があっていいですね。ところで、いろんな技術や価値観が進化、変化されているいっぽうで、逆に抑制されることもあるなか、河野さんはこれからのドラマづくりをどう思っていますか?

河野実は、7月1日から日本テレビに籍をおきながら、制作会社の日テレアックスオンに兼務出向するんです。多くの方にわがまま言って、すごく迷惑かけて、出向させてもらいました。日本テレビの土曜ドラマ、水曜ドラマ、日曜ドラマという枠以外のものもこれからはつくっていければと思っています。

ーむしろ、攻めに出たんですね。

河野はい。それで、『ど根性ガエル』は、ある意味、第一次日テレ時代の最後のつもりなんです(笑)。

ーそれで、最後、最後と。でも、いいことですね。

河野でも、よそさまのところでやるのはやっぱり怖くもありますよ。これまでは、自分の会社のなかだったから好き勝手もできたけど、これからはひとさまのとこだから、よけいにちゃんとやらなきゃいけないかもしれなくて(笑)。

ーある種の出入りの業者になるわけですもんね。そうまでしても、自分がやりたいドラマを作りたいという気持ちっていうことですよね。

河野意地ですよ意地。不自由のなかで、自分なりの方法論を見つけて、出口探そうと思っているんです。

ーそういう意味ではど根性の方ですね。

河野はい、たぶん。かっこわるいけど(笑)。だから、どこにいようと自分自身がつくりたいものをつくる、ということに関しては、とりあえず今のところなんとかなってるんですが、一番の問題は視聴者のみんなの気持ちがわからないということ(笑)。どうやったらみんなに見てもらえるんだろうっていう、そっちが問題です。

ーテレビを見るひとが少なくなってきたことで。

河野どうやったらスマホに勝てるんだろうと。ぼく自身、テレビを見ながらケータイいじっていますしね(笑)。日本テレビとしては、スマホと連動する企画・フリフリというのをやっています。スマホのフリフリアプリっていうのをドラマ中に振るとなにかがプレゼントがもらえるというような企画です。でもそういうことじゃ、ないんじゃないかと思うけど、何かしなきゃって思いもあるので。

ーじっくりドラマを見るのはお年寄りばかりで、インタラクティブにしていかないとテレビを見ないと。

河野30年くらい前は、ぼくたち、好きなドラマをかじりついて見ていたけれど、もうそういうことじゃないんだろうなあという現実を目の当たりにして、どうしようとみんな悩んでいます。

ー20代の若い社員は、まったく違う発想で、じゃあこういうふうにしたら、みたいなことはないんですか?

河野どうなんでしょう。ぼく、若い子とあんまりしゃべらないし、しゃべりたいんですけど、向こうもしゃべりかけてくれないので(笑)。だけど、見るひともつくるひともみんな、目は肥えていて、面白いもの面白くないものの嗅覚はあるはずなんですよ。

ー今回、ひろしが30歳の設定だから、30前後の視聴者を狙っていますか。

河野本音を言うと、もっと若い子に見てほしいです。小中高大……社会に出るまえの子たちに見てもらいたい。

ーとすると、本当は中学生のひろしを描いたほうがよかったんですかね? 

河野いや、そうでもないと思います。要するに、若い子が自分たちと同じぐらいの年齢の主人公を見て楽しむ場合もありますが、自分たちより上の世代の話を見て、何かを感じるようなことのほうがぼくは好きです。ぼくも中高生の頃、『ふぞろいの林檎たち』を見て、大人になるっていうことことなんだなあ、なんて思っていました。たとえ100%分からなくてもいいと思うんです。

ーひろしの生き方を見て、なにを感じるかっていうところですね。大人は絶対見ると思うんです。あとは、その下の世代にどれだけ受けいれられるか。視聴率によって脚本が変わっていくことはありますか?

河野いわゆるテコ入れはしないです。視聴率が悪くても、最初に考えたことを変えないです。いろいろ言ってくるひともいますけど、そのへんはふわーっと逃げて(笑)。たとえば、急遽スペシャルゲスト出したところで、ドラマの色合が変わってしまうし。

実際どうしていいかもわからないですし、数字上げるために(笑)。

ー見ていて、なんか変わってきたなあと感じるとちょっと醒めますからね。それにしても、面白いですね、カエルと人間のドラマ『ど根性ガエル』が土曜日に、悪魔と人間のドラマ『デスノート』が日曜に同じ日本テレビで放送されている。

河野そうなんですよ。しかも、松山君は、映画の『デスノート』(07)ではL役で。いま、撮影スタジオが隣同士なんですよ。

ー今夏、映画だと、人間とクマのぬいぐるみの共生を描いている『テッド2』もありますからね。

河野細田守監督の『バケモノの子』も『ど根性ガエル』の第1話と同じ7月11日に公開されましたし、『進撃の巨人』も夏公開でしょ。

ーあの異形は人間との共存どころじゃない、食べられちゃう話ですが(笑)。

河野夏、映画はけっこう面白そうな作品がそろっていますね。

ーファンタジーっぽいものが目白押しですね。

河野そうなりますね。宮崎駿監督が、震災のあとで、もうファンタジーはとうぶんつくらないと言って、『風立ちぬ』をつくられた。その意味もすごく分かったうえでの『はらちゃん』だったんです。実は『はらちゃん』つくったあとに、ぼくもファンタジーやめようと思ったんですよ。なぜかというと、視聴率も悪かったし、好きな人はすごく好きでいてくれるのですが、より多くの人に見てもらうためみたいなところが抜け落ちている反省もしました。それで現実的な『弱くても勝てます』(14/新書を原作にしたノウハウもの)をやって、あれはあれで勉強になったことがいっぱいありました。その結果、またファンタジーに戻ってきちゃったんですけど(笑)。さきほども言いましたが、ファンタジー具合のさじ加減を大事にしたいと思っています。

ー河野さんは子供の頃、『ふぞろいの林檎たち』や『3年B組金八先生』が好きだったそうですが、ファンタジーで好きな作品は?

河野長年、いちばん好きだった映画の座を守っていたのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ですね。あとは、ウディ・アレンのファンタジー要素が入っているもの。

ー『カイロの紫のバラ』とか。

河野『カイロの紫のバラ』は『はらちゃん』でオマージュを捧げました(笑)。あのぐらいのさじ加減が好きなんですね、きっと。

ー日常にちょっとだけ潜むファンタジー。

河野『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なんて、タイムトラベルの部分をのぞけば、描いていることの大半は日常ですよね。家のリビングで、スマホを使える状態で見るドラマには、それくらいのファンタジー性がいいのかもしれません。逆に言うと、日常の地続きだからファンタジー性が入れこみ辛い。そこを見極めてつくっていく必要があると思います。

『ど根性ガエル』をシリーズ化したい

ーでは、最後に、ドラマを見る方にメッセージをお願いします。

河野1話の視聴率がふつうに良かった場合だけ書いてください。続編作りたいんです(視聴率は13.1%〈関東地区 ビデオリサーチ調べ〉だった)

ーシリーズ化を狙いたい?

河野はい。シリーズ化したいです。『ふぞろい』も『金八』もシリーズになっていて、

ああいうことやりたいんです。民放においては、朝ドラや大河ドラマのような長い時間のものを描ける枠がありません。長い時間を描くドラマをやるには、シリーズにするしかない。ひろしをおじいちゃんになるまで描いてみたいですよね。

ーこれは、第1話の視聴率がけっこうよかったら書けるってことですか?

河野はい。でもいいですよ、書いてもいいです、低くても。低くてもシリーズ化したいんです(笑)。

ー低くてもシリーズ化してください。弱くても勝てます的に低くてもシリーズ化。松山さん、WOWOWの『ふたがしら』(6月に5回連続で放送された時代劇)もシリーズ化したら、ふたつもシリーズをもっちゃいますね。

河野シリーズものをつくりたいと言ったら、岡田さんも「なんかわかるなあ」って言っていました。シリーズものという帰る場所があるとチャレンジできるというんですね。ぼくらは会社という拠り所があるけれど、フリーでやっている作家さんや俳優さんにとって、そういう場があるとひとつの安心材料というか。

ー『北の国から』シリーズなども、見てるこっちもドラマといっしょに成長してくみたいな、主人公たちと同じく年をとっていくのって、いいですよね。

河野だからこそやってみたいんですよ。ひろしみたいなダメ男が「ど根性だー」と叫びながらがんばり続けて、40歳、50歳になったらどうなるか見続けていただけるものをつくってみたいですね。

 文系男子ふうな河野氏 文系男子ふうな河野氏

PROFILE

かわの・ひでひろ

1968年生まれ。プロデューサー。91年、日本テレビ入社。03年に木皿泉が脚本を書いたオリジナルドラマ『すいか』を制作、以後、『野ブタ。をプロデュース』(05)、『マイ★ボス マイ★ヒーロー』(06)、『セクシーアンドボイスロボ』(07)、『銭ゲバ』(09)、『Q 10』(10)、『妖怪人間ベム』(11)、『泣くな、はらちゃん』(13)、『弱くても勝てます』(14)とオリジナルドラマと原作ものドラマをバランスよく制作。切なさや苦さのあるドラマにファンが多い。

『ど根性ガエル』

毎週土曜日夜9時~ 日本テレビ

脚本:岡田惠和

演出:菅原伸太郎 狩山俊輔

出演:松山ケンイチ 満島ひかり(声の出演) 前田敦子 勝地涼

光石研 でんでん 白羽ゆり 新井浩文 白石加代子 薬師丸ひろ子

公式サイト

木俣冬

フリーライター

ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。主な著書に「ケイゾク、SPEC、カイドク」(ヴィレッジブックス)、「SPEC全記録集」(KADOKAWA)、「挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ」(キネマ旬報社)、共著「おら、あまちゃんが大好きだ! 1、2」(扶桑社)、ノベライズ「マルモのおきて」「リッチマン、プアウーマン」「デート〜恋とはどんなものかしら〜」など。

 

松山ケンイチ『ど根性ガエル』 斬新なチャレンジに作家脱帽

NEWS ポストセブン 7月18日(土)16時6分配信

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  • 映像における特殊効果の技術革新は、ドラマの常識をも変えるかもしれない。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。


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 一斉にスタートした夏ドラマの中で、ひときわ異彩を放つ作品がある。『ど根性ガエル』(日本テレビ系土曜午後9時)。

 有名な原作から16年後の後日談、という設定のオリジナルストーリー。主人公・ひろし(松山ケンイチ)は30歳になっても母親に依存し、ブラブラしている情けない男。放送が始まる前、人気漫画・アニメの「実写化」に不満・批判の声もあったとか。

 しかし、第1回目が放送されると否定的な声はぶっ飛んだ。これまで目にしたことの無い斬新なチャレンジ。このドラマの際立った個性を、次の3つの点から考えてみたい。

●説明セリフを排する姿勢

 いくら有名な漫画でありアニメが下敷きだとしても、物語の設定そのものは荒唐無稽でシュール。平面ガエルのピョン吉が人間と会話したり、人生相談にのったり。ピョン吉に引っ張られてTシャツは空を飛び、水に潜る。そうした奇抜な設定が、「実写版ドラマ」として馴染むのかどうか。物語として成り立つのかどうか、が関心の的だった。

 一言でいえば、成功している。「あり得ない」を、くだくだと説明するセリフを排して、映像と演技で語りかけてくる。VFX(特殊視覚効果)を駆使し、Tシャツのピョン吉をしゃべらせる。しかし、特殊効果の技術に依存しすぎず、声を担当する満島ひかりのセリフとVFXとが、うまくバランスしている。満島の巧さが光る。

 松ケンをはじめ他の登場人物たちも、躊躇なく全力でシュールな世界を演じきっている。おかげで視聴者はつまずくことなく物語の内側へ、すっと自然に入っていける。それもこれも、高度な演出の技があってこそ。ドラマ設定の不自然さを視聴者がいちいち気にし始めたら、ストーリーに没入できなくなる。その危険性を上手に超えた。

●役者の配置、絶妙なバランス

 ヒロイン・京子ちゃんを演じている前田敦子が、実にいい。「一人だけ演技下手」などとネットでは酷評されているが、私はまったくそう思わない。

 このドラマの京子は、ひろしの「しょうもない熱さ」に対置する駒だ。だから、感情を入れずクールに、棒きれのようにぶっきらぼうにしていなければ。前田敦子は、そうした自分の役の意味を、よく理解している。素っ気なく不機嫌を貫く演技はなかなかのもの。後半に突如爆発する感情的セリフが、その分、ド迫力を持った。

 京子の祖母役・白石加代子の登場にも、思わず唸らされた。白石といえば、早稲田小劇場出身の大ベテラン、アングラ女優の筆頭株。しかし彼女の持つ「毒」「狂気」の気配ゆえか、これまでテレビドラマに登場する機会は多くはなかった。しかし今回、白石は主要人物の一人として登場。かつて早稲田小劇場の舞台で私が出会ったあの異様な存在感を、今もなお放っている。

 制作陣はきっと、吉田鋼太郎や田中泯といった最近の中高年個性派舞台人ブームを横目でにらみつつ、「白石加代子をいつ投入するか」と頃合いを見計らっていたに違いない。

 さらに、五利良イモ太郎役の新井浩文、母役の薬師丸ひろ子、梅さん役の光石研、五郎役・勝地涼、よし子先生役の白羽ゆり……見れば見るほど、あっぱれなキャスティング。輝く個性を、きれいな星座のように見事に配置している。

●根底には一本の「哲学」

 一見すると、ギャグドラマ。しかし根底には一本の「思想」が貫いている。

?「いつまでも変わらないものなんて無い」
「昔はよかったなんて話はやめろ、今を生きろ」
「次の瞬間、もう失われてしまうのかもしれないのだから」

 そんなメッセージが随所に隠されている。昭和レトロ風の舞台作りは、日本が青春だった時代、成長と発展を素朴に信じられた時代を現している。しかし、すでにその時代を私たちは失ってしまい、決して過去の栄光に戻ることはできない。

 このドラマは「喪失」と「今」を描いている物語でもある。Tシャツから剥がれそうになっているピョン吉の耳は、「老い」と「別れ」を暗示している。だからこそ、「今」の意味を考えよ、というメーセッジが効いてくる。 

 コミカルな軽さ、VFXと役者の力を拮抗させた映像的チャレンジ。そして、骨太なメッセージ。それらをひとつにまとめ上げていく演出家の腕力に脱帽。松ケンの「ど根性」がいささか冗漫で暑すぎるけれど、今後の展開に大いに期待したい挑戦的ドラマだ。

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