一途なかづの物思い

松山ケンイチくんとヒョンスンにどっぷりはまった二股でも一途と言い切る万年18才のブログ

youtube

[ 16.08.03 ] TaeMin & Koharu Sayonara Hitori Full Performance Jang Hyunseung (???) - '?? ???? (Ma First)' (Feat. ????) (Official Music Video)

全然一途じゃないわいですが

2020-06-18 21:06:51 | (邢昭林)シンジャオリン

 

なんと4年近くも放置のブログ

なして今頃UPしてるかというと

めっきり 老眼 パソコンもポンコツなもんで 

wowowから始まって今ではアマゾンプライムのとりこ

テレビに何時間かぶりついているんだという生活続けているのですが

ごくせんで若い頃のケンちゃん探しなんぞのほかは、日本のドラマはほぼ見てなくて

何しろケンちゃんのお仕事があんまりないので

 

この4年の間、ケンちゃん一筋ではなく

キムスヒョン・パクソジュンと韓流ドラマにはまっておりましたが

とうとう華流にまで手を出したところ

 

これがまたどっぷり深い深い沼にはまってしまったのです。

邢昭林 シンジャオリンという

 

深くて異次元につれていかれてしまう沼に

この子が、弱冠22歳というのに

キスがやたらとうまくて(どうやら19歳の時からうまいらしいのですが)

手がケンちゃん並みにきれいで

 

上のこの画像をスマホの待ち受けに5月4日からしてるのですが

未だに画面を見る度ににっこりしてしまう、とことん痛いおばさんになっております。まあ元からかなり痛いおばさんではありますが

 

アマプラで見ることができる 寵妃の秘密 シリーズ1

を見てた時はただはまってただけだったんですけど

寵妃の秘密 シリーズ2 で那昭林がケンちゃんにしか見えなくなっちゃって

だだいま絶賛公開中の ↓

ユーチューブ 中国語の字幕やら英語の字幕やら

?語の字幕は何の役にも立たないけど漁っているところです。

 

どうして寵妃の秘密でもなければ你是我的命中注定でもなく

世界欠我一个初恋 YouTubeを張ってみたのかというと

 

すっごくキスが上手と書きましたが

初めて(?)のキスの演技もすごく上手なので

なんかそんなところもケンちゃんに似てるんではないかと勝手に解釈しているわけであります。

 

9分30秒頃

注目してみてください。

 

💖Босс влюбленный в свою ассистентку 💖Мир задолжал мне первую любовь

 


ふたがしら2とか怒りとか聖もあるよ

2016-08-31 16:23:19 | 松ケン

いよいよ迫ってきました

ふたがしら2  9月17日

 

 

 

 

怒りも公開が9月17日からだよね

 

聖の青春もあるし

 

 

松枯れが続いてたのに

次から次と

 

楽しみが押し寄せてきますね

 

ダイドーブレンドうまみブレンド うまみ、あった篇 30秒

 

もあった!

 

 

ふたがしら2に備えて HDDを整理しながら  ど根性ガエル見てたら  毎回泣けて泣けて

ケンちゃんうますぎるよ

 

ってかレコーダー壊れ気味で無事ふたがしら2観れるかしら、撮れるかしら?

 

 

で ふたがしらのためにwowowを2か月前から再契約して

 

ゲキ×シネ 薔薇とサムライみたら  なんと浦井健治さんにはまってしまいまして

 

トライベッカとかStarSを見たりして  

 

その上諸般の事情でBEASTを追えなくなって  SHINee特集なんてやってるから

ドームをいっぱいにできるSHINeeってどんなグループなのかしらとみてみたら

 

(ヒョンスンごめん)  テミンに心を持っていかれてもうた

 

テミン (TAEMIN) - 「さよならひとり」 MUSIC VIDEO (Full Version)

TAEMIN 태민_Goodbye (さよならひとり Korean Ver.)_KBS MUSIC BANK_2016.08.05

 

 

というわけで 一途?に想いを寄せる人が増えてしまって

ケンちゃん追うのもも忙しくなるのに

 

やばい


ふたがしら2

2016-06-11 22:41:58 | 松ケン

今頃ですが

やった!

 

9月が待ち遠しいぞ

 

『連続ドラマW ふたがしら2』の場面写真とキャストコメントが公開された。

9月からWOWOWで放送される同作は、オノ・ナツメの漫画『ふたがしら』を原作に昨年6月から放送された『連続ドラマW ふたがしら』の続編。前作のラストで自分たちの盗賊一味「壱師」を作り上げた弁蔵と宗次が、江戸の頂点を目指して新たな戦いに挑む様が描かれる。

前作に引き続き、明るく豪快な弁蔵役を松山ケンイチ、頭脳明晰でクールな宗次役を早乙女太一が演じる。また監督を入江悠、脚本を劇団☆新感線の中島かずきが再び担当する。中島は、原作にはない壱師の創成期の物語をオリジナルストーリーで描く。場面写真では、装束に身を包んだ弁蔵と宗次の姿や2人のまげ姿が確認できる。

松山は今回の続編について「壱師という闇の世界に生きるファミリーのお話です。楽しい事もあれば生き死にに関わる事件も起きる。普段味わう事の出来ないものを時代劇の裏稼業を通して見る事が出来る作品です。そして、男の格好良さ、女の艶やかさを意識した作品でもありますので美意識の高い人は必見です」とコメント。

一方の早乙女は松山との再共演について「松山さんとの共演は一番初めが舞台でその後が『ふたがしら』でした。前作ではわりと性格も反対で、なかなか馬が合わないあべこべなコンビだったのですが、前作から絆が生まれて結束が高まってからの“2”に繋がるので、違う関係性の中でのお芝居ができればいいなと思います」と意気込みを語っている。

また入江監督は同作の見どころについて「前回は向こう見ずな若者たちの冒険譚であり、旅立ちの物語でしたが、今回はどっしりと腰をすえた物語になります。主人公たちの前には強大なライバルが立ちふさがり、江戸を舞台にめくるめく盗人たちの活躍が描かれます。演出的、撮影的にも前作を超えるスケールに挑戦したいと思います」と説明している。


改めてすごいと思う松山ケンイチの演技力

2015-08-22 08:49:09 | 松ケン

『ど根性ガエル』ヒロシで再び開花――松山ケンイチの“二次元力”

 

この夏、松山ケンイチ主演で初めて実写化されているドラマど根性ガエル(日本テレビ系、毎週土曜21時~)。

松山ケンイチ『銭ゲバ』DVD

個性的な雰囲気で二次元キャラクターを演じた松山ケンイチ(『銭ゲバ』 (C)NTV / (C)ジョージ秋山)

1970年代に一世を風靡した人気漫画のドラマ化だ。ひろし(松山ケンイチ)が平面ガエルのぴょん吉(声=満島ひかり)と出会ってから16年後を舞台にしたオリジナルストーリーで展開されている。

中学生だったひろしは、三十路を迎えてもうだつのあがらない日々を送っている。だが、ぴょん吉のある変化や、バツイチになって帰ってきた京子ちゃん(前田敦子)との恋愛のために、ひろしが成長していくという物語だ。

実写化に賛否両論も「二次元」実績のある松山

今回の実写化には賛否両論があるものの、「見逃せない点が2つある」と、夕刊紙や週刊誌でドラマ評の連載経験があるコラムニストは次のように指摘する。

「1つ目は、改めてすごいと思う松山ケンイチの演技力です。実写化でやるなら松山ケンイチしかいません」

松山ケンイチはこれまで、劇場版『デスノート』(2006年)で天才探偵のL、ドラマ『銭ゲバ』(日本テレビ系、2009年)の浦郡風太郎など、個性的で強烈な二次元キャラクターを演じ、大絶賛されてきた実績がある。

「二次元キャラを器用に演じて違和感がない。Lのような奇妙で得体がわからない役では存在感を抜群に放ち、今回のひろし役では、庶民っぽさやダメダメな姿を演じることができます。その使い分けの素晴らしさは、さすがというほかありません」

プライベートでは三児のパパだが、「それも今回の役作りに役立っているのでは」と、スポーツ紙記者は言う。

 

「実は、松山さんは物欲が薄くて、『高い買い物はSuicaに1万円チャージしたこと』と言ってしまうような感覚の持ち主。さらに『子供のオムツが高い』などと、庶民感覚が見えてくるので、『ど根性ガエル』の世界観にマッチしているのではないでしょうか」

松山といえば、2012年の大河ドラマ『平清盛』で主演したものの、史上最低の視聴率を出し、「低視聴率男」のレッテルを貼られたこともあった。

「大河では視聴率が取れなかったものの、松山ケンイチに難があった訳ではありません。酷評されても『本気でやった』と清々しく言ってしまうほど自信がみなぎり、コツコツ役作りをする姿は、いまも昔も全く変わっておりません。だからこそ、年々深みが増した良い演技になっているのです」(前出のコラムニスト)

満島ひかりの存在感

さて、「ど根性ガエル」を見る上で、松山ケンイチ以上に目が離せないのは、ぴょん吉の声を演じる満島ひかりの存在感だ。

「ヒロインは前田敦子なのに、喰ってしまうほどの勢いが満島ひかりの声にはある。当初は声優で起用するのはもったいないと思いましたが、満島自身の仕事の幅が広がったことは間違いありません。このドラマで一番輝いているのは、満島ひかりと言っても過言ではないかもしれません」(同前)

ヒューマンモノで定評のある脚本家・岡田惠和氏が手腕を発揮し、さらに魅力的なキャストにより、今後どんな感動ドラマが生まれてくるか。最後まで期待していきたい。

(文:高城龍二)

 

 

改めてすごいと思う松山ケンイチの演技力


そうなんでやんす!


ってか

実写化だけじゃないけど!!


どんな役でも、そのキャラクターになりきってしまうんだから  ケンちゃんは


 

満島ひかりちゃんもすごいね  うん

でもすべての出演者が皆さんいい味だしてて、愛すべき作品

 

来週(29日)も胸がいたくなったり、目頭が熱くなってり、楽しかったりするんだろうな

今日放送無いって今知った



『ど根性ガエル』第6話は、8月15日に戦争をどう描いたか?

2015-08-22 08:35:12 | 松ケン

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。
 
 『ど根性ガエル』の第6話の放送日は、8月15日だった。日本人にとっては特別な夏の日付である。そして『ど根性ガエル』でも、少しだけ特別な事件が起こる。主人公、ひろし(松山ケンイチ)たちが住む町で、先の大戦で落とされた不発弾が発見されるのだった。こうしてこの作品は、戦後70年という節目の夏に放送されるドラマ作品として、戦争を描くことになる。

 これは別段唐突なことではなく、『ど根性ガエル』のプロデューサー・河野英裕と脚本家・岡田恵和は、2013年1月クールのドラマ『泣くな、はらちゃん』で虚構の世界を生きる登場人物に現実の世界の悲惨さや鮮烈さを伝える場面において、かつての戦争や東日本大震災の映像を流したこともある。この手法には視聴者からの賛否両論が集まり、DVD化の際にも修正が加わったそうだが、『ど根性ガエル』にもそういった作り手としての矜持は息づいているし、より洗練された形で現代社会をドラマの中に組み込んだといえるだろう。

 ドラマに限らず、テレビというメディアで作られる作品は、常に今と向き合うことを強いられる。本来は、そういったものだ。これほどまでに記録メディアが発達し、インターネットの普及によってワンクリックで動画が見られる時代である。すでに存在する数多くの素晴らしい映画作品を見るよりも、いま放送されているテレビドラマを見るという行動を選んだ視聴者に対して、テレビは今を語らなくてはならない。少なくとも『ど根性ガエル』の作り手は、そういった信念を持ってこの作品を作っているのだろう。

 ピョン吉(声:満島ひかり)は、不発弾というのはなんなのかを知らない。作品の主要登場人物の中で唯一、リアルタイムで戦争を知っている人物である、ヒロイン・京子ちゃんのおばあちゃん(白石加代子)から爆弾や戦争の話を聞いたピョン吉は、こんな言葉を口にする。

「死んじまうじゃねえか、そんなやつが落ちてきたら。おそろしい野郎だな。おいら許せねえよ」

 ここで重要なのは、ピョン吉が批判しているのは爆弾を落とした軍隊でもなく、あるいは戦争に突き進んだ国家でもなく、あくまでも爆弾そのものに対して「おそろしい野郎」と言っている点だ。ピョン吉は人間ではない。人間とは違う世界で生きている。だから爆弾を落とした、もしくは爆弾を作った人間を責めるのではなく、爆弾そのものを自らが共感すべき対象として批判することができるのだ。

 そしてまたピョン吉は、この町で70年間も眠り続けた不発弾に対して、こんな気持ちを表明する。

「爆発するの、嫌だったんじゃねえのかな、あいつ。だって爆発したら、何もなくなっちまうじゃねえか。あいつは嫌だったんだよ。爆発してさ、人を殺しちまうのがさ。だから根性出して、黙って眠り続けたんだよ」

 戦後70年がたち、今この日本では、戦争に関する意見の表明がやかましい。セミの鳴き声よりも大きな声で、「お前はどっちの立場なのだ?」と繰り返し叫ばれ続けている。だけど、そういったアジテーションなんかよりもずっと素直に、ピョン吉の言葉は心に響く。

 

 ピョン吉の意見は、幼稚で子どもじみているかもしれない。だが少なくとも、不発弾の思いをこれほど率直に代弁することは、ピョン吉にしかできない。それは、考え続けること、あるいは想像力を駆使し続けることの大切さを伝えている。僕たちの住むこの世界には、たくさんの存在があり、それぞれの思いがある。『ど根性ガエル』はフィクションという舞台において、そういったゆるやかな、あるいは豊かな考え方があり得るという尊さを、無視することなく伝えようとしているのだ。

 日常と非日常は常に地続きだ。『ど根性ガエル』という作品がそうであるように、僕たちが生きる世界もそのようにして目の前にある。今回の第6話において、不発弾処理のために人がいなくなったいつもの日常の場面、京子ちゃんの団地であり、ゴリラパンの工場であり、中学校であり、宝すしは、そこに人がいないというワンカットで不気味さを伝えている。それは決して大仰なメッセージではないが、視聴者の心に何かを残す場面だろう。

 この連載で何度も言及しているように、『ど根性ガエル』は日常の素晴らしさを伝えるドラマ作品である。だけどそれは、決して能天気に非戦を訴えているというわけではない。どんな出来事が起きたとしても、人間はその状況で楽しむことができるはずだという、不断の実践の可能性をこの作品は示唆している。

 不発弾処理により避難区域が設定され、主要登場人物がひろしの家に集まる場面で、つい楽しくはしゃいでしまうひろしの母ちゃん(薬師丸ひろ子)は「ちょっと不謹慎でしたかね、こういうの」と、自分自身に対して疑問を投げかける。それを聞いた京子ちゃんのおばあちゃんは、こう言ってくれる。

「楽しいことに変えちゃうのは、素敵なことよ」

 人は、案外しぶとい。それこそが「ど根性」という言葉に象徴される、私たちの目指すべき生き方のひとつなのではないか。
(文=相沢直

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは@aizawaaa


『ど根性ガエル』第5話

2015-08-16 14:30:59 | 松ケン

 

dokonjogaeru0810.jpg
『ど根性ガエル』日本テレビ

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。

 『ど根性ガエル』の第5話のテーマは「ないものねだり」である。いつものように始まる朝食の場面。主人公のひろし(松山ケンイチ)は家の外で遊ぶ子どもたちの声を聞き、今が夏休みであることに気付く。当時を思い出してひろしは、毎日のようにクワガタを採りに行っていたあのころ、クワガタが採れなくても楽しかった日々を思い出している。クワガタを採る、という行為そのものが「ないものねだり」の象徴にもなっているが、その懐かしい日々をうらやむひろしの心もまた「ないものねだり」だといえるだろう。

 そして今日もひろしを含め、暇な大人たちが集まってくる。いつものように、よし子先生(白羽ゆり)へのプロポーズに失敗する梅さん(光石研)。ヒロイン、京子ちゃんのおばあちゃん(白石加代子)は、こんな言葉をぽつりとつぶやく。

「自分が手に入らないものを欲しがるようにできてるのよ、人間は。それを片思いって言うのね。人間はみな、何かに片思いをしてるの。それが、生きてるってこと」

 その代表的な存在だといえるのが、ひろしだ。今回の第5話では会社の設立記念日ということで、ゴリラパンの一日社長になる。だが、そこでのひろしの行動は常に受け身だ。自分から何かをやろうとか、始めようとか、そういった展開にはならない。大口の注文を受けるというエピソードは確かにあるのだが、それにしたって会社にかかってきた電話をたまたま取ったというだけであり、しかもそのことによって取引先からだまされることになるのだが、それを解決するのはひろし自身ではなく、ゴリライモ(新井浩文)である。

 一般的にドラマというものは、主人公の変化や成長を描くものだとされている。だが『ど根性ガエル』のひろしは、決してそういった主人公ではない。常に迷っている。自分が何を欲しがっているのかがわからないため、成長のしようがない。それではなぜ、ひろしは『ど根性ガエル』という物語の中心にいるのか?

 それは、自分以外の登場人物の隠された魅力を伝えるためだ。ひろしは自分で何か行動を起こすわけではないが、ないものねだりの代表的存在であるということは自他ともに認めている。それが、他者に影響を与えるのだ。

 例えば、警察官の五郎(勝地涼)にとってのないものねだりは、社会的なルールを破ることである。横断歩道ではない道を渡ってはいけない。だが、ひろしの存在を想起することにより、道の向こうを歩いている老婆がスイカを落としてしまった際、自ら定めた規範を破って道を渡る。

 

あるいはゴリライモが一日社長という会社の行事を作ったのは、いつも社長でいることに疲れるからだ、という本心を自ら吐露する。京子ちゃん(前田敦子)もまた、自分が何を欲しがっているのかがわからない、と本音を語る。これは、ひろしが自らのないものねだりっぷりをアピールし、そうやって生きているということからの影響である。ひろしという人物の存在が、ほかの登場人物の隠された本音を発露させる。その結果、人物には多面性が生まれ、だからこそひろし以外のキャラクターは魅力的なものとなっていく。

 

 京子ちゃんのおばあちゃんは、ないものねだりのことを「片思い」という言葉で表現するが、往々にして「片思い」とは心の奥にしまっているものだ。あまり大声で人に言うものではない。だが、ひろしはそうではなく、自分がないものねだりであることも、あるいは、例えば具体的には京子ちゃんと結婚したいという片思いの気持ちも、そのまま口にする。その姿に影響を受けることによって、ほかの人物の本心が露になっていくのだ。

 それは『ど根性ガエル』という作品が持つ、本質的な構造だといえるだろう。『ど根性ガエル』はしばしば映画『男はつらいよ』に例えて語られるが、それはひろしのキャラクター造形が寅さんと似ているという目に見える理由だけではなく、主人公が成長や変化をしないことによってほかの登場人物が成長や変化をしていく、という物語としての構造が似ているからだ。

 『ど根性ガエル』の登場人物に限らず、人はさまざまな理由や事情で自分の本音を隠して生きるものだ。しかし、ひろしの存在によって、隠していた自分の本音を自覚する。それが伝えるのは、結局、人は誰だって魅力的である、という当たり前の真理だ。第5話の終盤で、ピョン吉(声:満島ひかり)は叫ぶ。

「生きてるだけでいいだろってことだい! ひろし、根性で生きようぜ! 生きてるだけで楽しいだろ? 答え探してんのが楽しいだろ!」

 主人公の変化や成長でドラマとしてのカタルシスを生むのではなく、『ど根性ガエル』は今を生きている人々、それは作品の登場人物だけではなく視聴者である我々に対してもだが、今を生きている人々の本質的な魅力を見つめる。『ど根性ガエル』という作品は、我々の暮らしと離れて独立しているのではない。むしろ我々の暮らしに寄り添い、我々はちゃんと魅力的な存在なのだ、ということを伝えてくれる作品なのだ。

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは@aizawaaa


『ど根性ガエル』第4話

2015-08-16 14:25:49 | 松ケン
構成作家・相沢直の“スナオなドラマ考”

ひろしはなぜ“いい話”になるのを嫌がるのか?『ど根性ガエル』第4話

 

dokouzyo0803.jpg
『ど根性ガエル』(日本テレビ)

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。

 『ど根性ガエル』の第4話のストーリーの主軸となるのは、花火大会だ。ヒロイン・京子ちゃん(前田敦子)に一緒に行こうと声をかけてフラれる主人公のひろし(松山ケンイチ)、というお約束の展開もあるが、この花火大会はひろしにとって意味がある。子どもの頃、まだ記憶もないうちに父を亡くしたひろし。いつも頭にかけているサングラスは、父の形見らしい。幼いひろしにそのサングラスを渡した母ちゃん(薬師丸ひろ子)は、こう声をかける。

「ずっとつけてな、これを。いいかい。今日は花火大会だ。空の上から、父ちゃん見てんだよ」
 
 ひろしがつけているサングラスは、亡き父から見つけてもらうためのものだったということがここで明かされる。とても“いい話”だ。さらにいうと、親の死というのはひろしに限ったことではなく、主要な登場人物である京子ちゃん、ゴリライモ(新井浩文)、五郎(勝地涼)もそれぞれ親を亡くしている。だからこの第4話は、全員にとって“いい話”になっていい。感動して、誰もが涙するような“いい話”にすることはたやすいだろう。

 だがひろしは、ストーリーがそういった“いい話”になることを拒絶する。京子ちゃん、ゴリライモ、五郎が集まってひろしの父の話をしんみりとしているときにも乱入して、その空気を壊す。ひろしがピョン吉に言うには、こうらしい。

「どうせ、五郎のやつが俺の父ちゃんの話でもしたんだろ? 苦手なんだよ、そういう“いい話”の人、みたいになるのはよ」

 これはひろしのキャラクターでもあるが、同時に『ど根性ガエル』の全体を通じるテーマ、あるいはルールでもある。『ど根性ガエル』は、“いい話”になることを決して好まない。むやみに感動的になるのを避けているフシさえある。なぜかといえば『ど根性ガエル』が描くのは、伝えたいのは、特別な感動的な場面ではなく、むしろ日常そのものだからだ。

 花火大会が雨で中止になったときの母ちゃんの言葉が、それを示している。

「雨なら雨で、あーあ、って空を見上げるだろ? それでいいんだよ。花火も、なーんにもない空でも、上向くのは大事なことなんだよ」

感動的な場面で感動的な言葉が出てくるというのは、当たり前だ。ドラマである以上、そういった力学が働く。だが、『ど根性ガエル』は、そこに対して抗う。『ど根性ガエル』は、日常の素晴らしさを伝える。それはつまり、望まない出来事が起きたときでも視点を変えて見れば新たな発見が生まれる、という人間の底力、いわばど根性の力を、描くということでもある。

 

 たとえ花火が上がらなくても、空はある。そこに何を見いだすかは人それぞれだ。それは“いい話”ではなかったとしても、誰にとっても普遍的な真実である。特別な出来事が起こらなかったとしても、あるいはいま起きていることが望ましくはなかったとしても、人は豊かに生きることができる。母ちゃんの言葉は、それを示しているのだ。

 第4話のキーマンとなるのは、かつてゴリライモの手先として憎らしい存在であった、モグラ(柄本時生)である。いってしまえば、サブキャラ中のサブキャラだ。だが彼は、中学のときに転校し、自らを土に埋まるモグラではなく空を飛び回るトンビとして名乗った。今は結婚し、3人の子どもに恵まれ、そして花火職人として町にやって来る。

 『ど根性ガエル』は日常の素晴らしさを描く作品として、きっちりと彼の人生を想起させるような描き方をしている。サブキャラだからといって、便利な使い方をするわけではない。彼の人生もまた『ど根性ガエル』の一部なのであり、ちゃんと彼の居場所を用意する。

 かつてモグラだったトンビは、雨がやんだとき、親方に頼んで花火を上げる。その花火を見て、町中の誰もが笑顔になる。サブキャラだからといって、何もできないわけではない。むしろ、サブキャラである彼が自分の行動によって人々を幸せにするからこそ、視聴者の心に何かが残る。自分がどんな人間であろうと、どんな環境にいようと、今いる場所でできることをやると決めさえすれば、世界はもうちょっとだけ素敵なものになったりするのだ。
 
 『ど根性ガエル』の第4話は、花火大会という特殊なシチュエーションを用意しながらも、決して特別な“いい話”ではない。日常に当たり前のようにあるべき出来事や、言葉ばかりで構成されている。派手なストーリーではない。号泣するような出来事は起こらない。だが、日常の素晴らしさをうっかり忘れがちな今という時代に、この作品はある。テレビという日常において、日常の素晴らしさを描く。それが、『ど根性ガエル』という作品なのだ。

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは@aizawaaa

 


ど根性ガエル 第3話

2015-08-02 11:04:06 | 松ケン
2015/07/27 19:00

ひろしはなぜ、主人公としてめんどくさいのか?『ど根性ガエル』第3話

 多くのテレビドラマにおいて、というかすべてのジャンルのフィクションにおいて、主人公とは視聴者と視線を同一にする。あるいは、少なくとも視聴者から共感を呼ぶような形で描かれる。例外はあるが、それが基本的なルールだ。しかし『ど根性ガエル』の主人公・ひろし(松山ケンイチ)は、そうではない。視聴者が時にイライラしてしまうほどだらしなく、頼りなく、期待通りに成長してくれない。

 たとえば第3話。前回、あれだけ大見得を切って終世のライバル・ゴリライモ(新井浩文)が経営するパン屋に就職すると言ったひろしだが、初の出勤日を迎えても母ちゃん(薬師丸ひろ子)から起こされて「え、仕事? あぁ、そうかぁ」とすっかり忘れている始末であり、働いて何か欲しいものでもないのかと水を向けられても「あったら、もっと前に働いてるだろ」と開き直る。いいからとっとと働けよ、30過ぎて何やってるんだ、と腹を立てる視聴者も少なくないだろう。

 

 ひろしは、主人公として実にめんどくさい。視聴者が望むような成長や変化をしてくれない。なぜか。それは彼が、これまでの過去と現状に十分満足しているからである。母ちゃんから夢を訊かれたひろしは、こう答える。

「このまんま平穏無事に暮らしていくこと。母ちゃんとピョン吉と、いつまでもよ」

 そうである以上、ひろしは主人公ではあるが、取り立てて成長や変化を願っているわけではない。だがしかし、30歳だ。それに何より、お前は主人公ではないのか。そういった視聴者のいら立ちを、ヒロインである京子ちゃん(前田敦子)は、ひろしの母ちゃんとの会話の中でこう指摘する。

「子どもの頃から変わってないはずなんですけどね。でも大人になると、駄目なとこが目立っちゃうのかな」

 そう、ひろしは変わっていない。子どものままでいただけだ。変わってしまったのは周りの環境である。このことに対してのひろしの、心の奥底にあるであろういら立ちが『ど根性ガエル』というドラマを特殊なものにしている。

 

 第3話では、ここに至るまでのゴリライモの成長と変化が明かされる。かつては親の商売であるパン屋という商売をバカにしていたが、今は改心して、恩返しのために日本一のパン屋を作ろうとしている。仕事も挨拶もちゃんとしていて、従業員思いでもあり、すっかり大人だ。ひろしが変わらずにいる間に、ゴリライモはいつの間にか成長と進化を遂げていたのだ。

 通常のドラマであれば、このゴリライモの成長と変化をきっかけとして、主人公が変わることを決意する。実際、ひろしはその夜、自宅で粘土を使い、パンを作る練習をする。この際、ピョン吉(声:満島ひかり)が力を貸そうかと提案するのだが、ひろしはそれは反則だと言い、自分の力だけで変わろうとしているのだ。そして練習のかいあって、翌日の仕事はうまくいき、評価もされる。

 いい感じじゃないか。これでこそ、ドラマというやつだ。しかし『ど根性ガエル』が特殊なのは、ここにカタルシスを置かないという点にある。同僚に褒められたひろしは、喜ぶ顔ひとつ見せずに「俺は、なんのために頑張ってんだ?」と自問するのだった。実に、めんどくさい主人公である。

 

 これは冒頭にも書いた通り、ひろしがこれまでの過去と現状に十分満足しているからというのもあるが、もうひとつの個性として、一般的な常識をそのまま受け入れずに自分で導いた答えしか信用しないというキャラクターにも依る。つまりひろしは、子どもなのだ。大人ならこうするべき、という考え方が通用しない。

 ピョン吉がこっそりセッティングした就職祝いの席でも、ひろしはいら立ちを隠さない。寄せ書きに書かれた「頑張れ」「おめでとう」という文字を見て心底嫌そうな顔をする。「そんなに素晴らしいかね、働くってのは」と身もフタもないことを言い、ピョン吉ともケンカになる。ここにはひろしのピョン吉に対する、勝手に大人になりやがって、という怒りもあるだろう。

 ひろしは子どもである。年齢を重ねたら働くべきだとか、労働は無条件で価値のあるものである、といった一般常識を信じない。ゴリライモの言葉には心を打たれたとしても、それはゴリライモ自身が導いた答えであり、ひろしの答えではない。

 

 そしてひろしは、自分の職場にピョン吉を連れていくという選択をする。『ど根性ガエル』第3話におけるこの流れは、一般的なテレビドラマとはまるっきり逆だ。普通であれば、ピョン吉から離れて独りで頑張るひろし、という展開がカタルシスを呼ぶわけだが、『ど根性ガエル』はそれが逆転している。それはひろしが「このまんま平穏無事に暮らしていくこと。母ちゃんとピョン吉といつまでもよ」と語った以上、ほかのドラマとは逆転していたとしても『ど根性ガエル』にとっては必然でもある。ひろしはめんどくさい主人公なのであり、だからこそ彼が導き出す答えは、特殊なものとなる。

 だが、『ど根性ガエル』という作品に全体として流れる切なさは、まさにこの部分にある。ピョン吉の死と別れは第1話から想起されていて、ひろしの「このまんま平穏無事に暮らしていくこと」という願いはおそらくかなうことはない。そしてそのことを、いまだひろしは知らないのだ。ピョン吉は働いているひろしを励まして「楽しいんだよ。母ちゃん、オイラ楽しい」と涙を流す。その涙の本当の意味を、我々視聴者は知っている。だからこそ『ど根性ガエル』は作り物の感動ではなく、リアルに胸に迫るものとして、見る者の心を打つのだ。
(文=相沢直

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは @aizawaaa

 


ど根性ガエル  第2話

2015-08-02 10:43:02 | 松ケン

http://www.cyzo.com/2015/07/post_22999.html

 

 

今クールのドラマの中から、注目の作品を1本ピックアップし、毎週追っていく新コーナー。

 ドラマ『ど根性ガエル』の第2話は、主人公・ひろし(松山ケンイチ)の朝食の場面から始まる。前回威勢のいいことを言っていたにもかかわらず、相変わらずの無気力ぶりを発揮し、ダラダラと無駄飯を食べようとするひろしに、母ちゃん(薬師丸ひろ子)は説教。朝食を食べさせてもらえないことに怒ったひろしは、家を出てしまう。

 ひろし、30歳である。さすがに母親が朝食を食べさせてくれないからといって、家出するような年齢じゃないだろう。もうちょっとしっかりしたらどうなんだ。視聴者のそんな声を代弁するように、道ですれ違ったヒロイン・京子ちゃん(前田敦子)はひろしを叱る。

「あんたの年で『家出』って言わないでしょうが」
「(それは『家出』ではなく)自立」

 この場面はひろしのダメさを笑うシーンでもあるが、同時にこの第2話のテーマの核心も突いている。『ど根性ガエル』の第2話とは、主人公・ひろしが“自立”を決意する物語だ。

 それでは、“自立”とはなんだろうか? 少なくともドラマという物語においては、他者や環境による要請からではなく、あくまでも自らの意思で行動を決めるというのが“自立”だ。最終的に、この第2話でひろしは終世のライバルであるゴリライモが経営するパン屋で働くことを決意するのだが、そこまでの描き方を非常に丁寧にやってくれるのが『ど根性ガエル』である。

 先述した京子ちゃんとの会話の中で、ひろしは「働いたら結婚してくれんのか!?」と問いかける。ひろしの目的は、京子ちゃんとの結婚だ。そしてこういった条件がそろっている以上、ひろしを早く働かせたくなるのが制作者の心情だろう。この会話をきっかけとして、早々にひろしがゴリライモ(新井浩文)のパン屋で働くことを決める、という展開も十分あり得たはずだ。

 だが、『ど根性ガエル』はそうしない。もし、ここでひろしが働くことを決めてしまえば、その動機はひろし自身のものではない。京子ちゃんとの結婚のために働く、というのは、あくまでも他者からの要請である。それでは、ひろしは“自立”することができないのだ。ひろしの行動や決意は、ひろし自身が見つけたものでなければ、本当の“自立”にはならない。

 そこでひろしは、ゴリライモの移動販売車を拝借して、旅に出る。ここで旅の目的は、特に明かされない。最終的には、朝食の場面を伏線として、「うまい米を食べたかったから」という理由が明らかになるのだが、その目的はむしろ後付けに近い。ひろし自身、自分の行動や決意がどんなものになるのかがわかっていないのだから、ただ彼は車を走らせる。着いたのは、福島県の田んぼであった。

 そこでひろしは農家を営む老夫婦と出会い、農作業の手伝いをすることになる。米という「日常」の象徴に、手間ひまがかかっていることに、ひそかに感銘を受けるひろし。またこの場面で農家の老夫婦からは、米だけでなくパンだってそうじゃないか、というサジェスチョンを受ける。ここでひろしは「日常」の意味に気付くのだ。直接は描かれていないが、この老夫婦によるパンについての語りがあるからこそ、最終的にひろしがライバルのゴリライモの下で働くことを決意するという展開が自然なものとなる。こうして、ひろしは“自立”する。それは、こんなセリフで表現されている。

 

「根性出すってことは、かっこ悪いことをちゃんとやるってことなのかもな」

 

 かっこ悪いことというのは、つまり「日常」にほかならない。「日常」をちゃんと生きるということが、ひろし自身が見つけた動機であり、その動機を自分自身で見つけたからこそ、ひろしはこのとき“自立”したのだといえる。

 そして『ど根性ガエル』は、その大原則として「日常」の意味を描く作品である。主人公のひろしだけではない。ひろしが旅に出たために、主要登場人物のほぼ全員が、ゴリライモの工場に泊まり込むことになる。面倒なことだ。しかし、京子ちゃんのおばあちゃん(白石加代子)は、この状況に際して「なんだか楽しそう」と口にする。そして彼らは、寿司屋の梅さん(光石研)が握った寿司をみんなで食べるのだが、その光景は確かに楽しそうなのだ。

 我々が住む「日常」は楽しいことばかりではない。面倒なこと、しんどい場面だってたくさんある。それでも「なんだか楽しそう」と口にできるのが、人間のしぶとさだ。言ってみれば、それがすなわちど根性というものでもあるだろう。常識やルールに縛られたり、誰かの幸せをうらやむのではなく、今ここにある「日常」を楽しめるということ。『ど根性ガエル』は、軽いタッチでその真理を描く。むしろ軽いタッチだからこそ、その真理は視聴者の胸に素直に届くのだ。

 また、この第2話では、そういった真理の対比として、ゴリライモが配置されている点も素晴らしい。ゴリライモはひろしをバカにしながらもうらやんで「お前(ひろし)に勝つのが好きなんだよ、俺は」や「なんで俺はあいつ(ひろし)に勝てねえのかなあ」と口にする。経営者として成功を収めているゴリライモだが、ひろしという他者に勝つということを大目標としている以上、彼もまたある意味で“自立”できてはいないのだった。

 第3話では、ゴリライモが懸命に働く理由が明らかになるようだ。彼がどのようにして、ひろしという呪縛から逃れて“自立”することができるのか。ただの悪役でなく、愛すべき男だからこそ、興味は尽きない。またひとつ、『ど根性ガエル』を見逃せない理由が増えてしまった。
(文=相沢直)

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは @aizawaaa


BEAST(비스트) - 예이(YeY) M/V

2015-07-27 23:44:25 | BEAST

BEAST(???) - ?? (YeY) M/V

 

 

불필요한 감정의 연소
不必要な感情の燃焼

난 더 이상 태울 게 없어
僕はこれ以上燃やせるものはない

하염없이 돌고 돌아도
とめどなく回り回っても

결국엔 다시 제자리인 걸
結局は元の場所


수없이 넘어지고 또 일어나
何度も倒れてまた立ち上がる

I need your hand

뻗어 봐도 닿지 않아
伸ばしても届かない

마음 둘 곳 하나 없는 채로
心の行き場が一つもないまま

살아가려면 내가 미쳐야 해
生きていくのはやりきれない


Loveless 쓸데없는 Emotion
Loveless 役に立たない Emotion

위로 섞인 말도 No thanks
慰め混じりの言葉も No thanks

불필요한 감정 죽여
不必要な感情を殺して

의미 없이 부딪혀 저 잔에다
意味もなくぶつかるあのグラスに

이미 다 깨져 부서진 마음
もう粉々に砕けた心

다 같이 망가져 엉망진창
みんな目茶苦茶に壊れて

다 흔들어 이 밤을 제끼자
揺れてこの夜をやり過ごそう


Everybody stand up

하나도 빠짐없이
一つも残さず

Hotter than summer time

열 올리고
熱を上げて

Everybody stand up

우리 모두 다 같이
僕たちみんな一緒に

하나도 빠짐없이
一人も残さず

Yey Yey Yey Yey

다 필요 없어 다
何もかも必要ない

아무런 기대 바람도 가질 수 없어 Woo
何の期待も望みも持てない

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

속이 닳고 닳아 찢겨도
心がすり減って引き裂かれても

난 상관없어
僕は気にしない

Yey Yey Yey Yey

다 버리고 가볍게 날아가
全部捨てて軽く飛び立とう

Yey Yey Yey Yey

오늘은 모든 걸 다 내려놔
今夜はすべてを忘れて

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

Yey Yey Yey Yey
Hotter than summer time


슬픔에 젖는 것조차 지겨워
悲しみに濡れることさえうんざり

거울 속에 나는 울고 있지 않아
鏡の中の僕は泣いてない

모든 걸 다 내려놓은 채로
すべて投げ打ったまま

가쁜 숨을 몰아쉬며 살아가
苦しい息をつきながら生きていく


믿음에 대한 대가는 언제나 배신
信頼の対価はいつも裏切り

이젠 놀랄 것도 없어
今さら驚くことでもない

속은 내가 바보지
騙された僕が馬鹿なんだろう

사랑 사람 다 똑같아
愛も人も全部同じ

결국 내가 내린 결론은 하나
結局僕が下した結論は一つ

나 혼자다 처음부터 끝까지
最初から最後まで僕は一人なんだ


Everybody stand up

하나도 빠짐없이
一つも残さず

Hotter than summer time

열 올리고
熱を上げて

Everybody stand up

우리 모두 다 같이
僕たちみんな一緒に

하나도 빠짐없이
一人も残さず

Yey Yey Yey Yey

다 필요 없어 다
何もかも必要ない

아무런 기대 바람도 가질 수 없어 Woo
何の期待も望みも持てない

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

속이 닳고 닳아 찢겨도
心がすり減って引き裂かれても

난 상관없어
どうでもいい


Yey Yey Yey Yey

다 버리고 가볍게 날아가
全部捨てて軽く飛び立とう

Yey Yey Yey Yey

오늘은 모든 걸 다 내려놔
今夜はすべてを忘れて

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

Yey Yey Yey Yey
Hotter than summer time


그래 이건 널 잊기 위함인 것 같아
そうこれは君を忘れるためなんだろう

모든 건 그저 핑계일 뿐
全部ただの言い訳にすぎない

돌아오지 않는 널 기다리다
戻らない君を待って

모든 게 미워져 버린 걸
何もかも嫌になってしまったんだ

Yey Yey Yey Yey

다 필요 없어 다
全部必要ない

아무런 기대 바람도 가질 수 없어 Woo
何の期待も望みも持てない

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

속이 닳고 닳아 찢겨도
心がすり減って引き裂かれても

난 상관없어
どうでもいい

Yey Yey Yey Yey

다 버리고 가볍게 날아가
全部捨てて軽く飛び立とう

Yey Yey Yey Yey

오늘은 모든 걸 다 내려놔
今夜はすべてを忘れて

Yey Yey Yey Yey

더 들이부어 봐
もっと注ごう

Yey Yey Yey Yey
Hotter than summer time