徒然なる写真日記

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2017 日光例幣使街道走行 今市追分地蔵尊~明神

2017-07-01 07:40:44 | 日光
2017 6/11日光例幣使街道

元和3年(1617)、徳川家康の霊柩が日光山に改葬されたが、その後正保3年(1646)からは、毎年京都の朝廷から日光東照宮への幣帛(へいはく:(神に供えるもの))を奉納する勅使(例幣使という)がつかわされた。その勅使が通る道を例幣使街道と呼んだ
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、例幣使は京都から中山道(なかせんどう)を下り、倉賀野(くらがの)(現高崎市)から太田、佐野、富田、栃木、合戦場(かっせんば)、金崎を通り日光西街道と合わさる楡木(にれぎ)を経て日光坊中へと至る。
この例幣使街道が通る栃木の宿は、東照宮に参拝する西国の諸大名も通り、にぎわいをみせた。

なお、楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と共通である。
現在、栃木県日光市から鹿沼市、栃木市、佐野市、足利市、群馬県太田市、伊勢崎市、高崎市に至る路線が「日光例幣使街道」または「例幣使街道」と呼ばれている。特に日光市から鹿沼市にかけての区間には日光杉並木が現存する。



中山道倉賀野宿から楡木宿間が「日光例幣使道」  92.2km

楡木宿から今市間が「日光壬生道」これを含めると中山道倉賀野宿から日光道中今市宿迄の総距離 118.2km


前回の動画では、明神ファミテック跡あたりから今市の追分地蔵尊途中までの動画を撮ったが、今回は反対方向、ここ追分地蔵尊~明神通行止め区間までを走ってみた。下り区間が多いのでこちらの方が楽である

日光から宇都宮を経由して江戸に向かう御成り街道(日光街道):分岐左 と、鹿沼経由で上州の中仙道に抜け京都に向かう勅使の通った「例幣使街道」:分岐右 の分かれ道に鎮座する追分地蔵尊




追分地蔵尊は丸彫り石地蔵の坐像としては、東日本有数の巨像で、北関東では一番だそうです。 (高さ約2.9メートル、重さ約8トン)


石造地蔵菩薩坐像(通称 追分け地蔵)
丸彫り石地蔵の坐像としては、東日本有数の巨像である。制作年代は明らかでないが、八代将軍徳川吉宗の日光社参のとき、すでに現在地にまつられていたと記録されている。おそらく、街道の成立による今市宿整備の時期と、この地蔵のまつられた年代とは、密接な関係があろう。地蔵の手印は、ふつうは錫杖と宝珠であるが、これは密教系の胎蔵界大日如来の法界定印という手印を結んでいる。あるいは制作当時の信仰形態・制作事情を暗示しているのであろうか。、この地蔵尊は、日光の含満ヶ淵から流れ着いたといわれているのである


例幣使杉並木街道へ  ここから杉並木は鹿沼市の北まで続く


通行止め区間の明神あたりまで走行


今市板橋から長畑に抜ける峠を越して交差点付近に、長畑庵という蕎麦処がある。県外からも沢山の車が訪れ、賑わっていた。ソバ畑も多い
今市は蕎麦屋が多く日光例幣使そば街道などといわれているようである。



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