ドタバタ乳癌闘病記

34歳で乳癌発覚。涙あり笑いありの乳癌闘病記と、B級映画やマニアックな海外ドラマの話題など。

抗癌剤治療突入

2005-09-14 16:54:04 | Weblog
入院・手術の記録もまだだというのに、9/9より抗癌剤の治療が始まりました。
『FEC』という3種類の薬の治療です。
5年前は『CMF』という薬でした。これは副作用も少なく、比較的楽だったように思います。
『CMF』の副作用は・・・
  吐き気・・・そんなに深刻ではなかったので、点滴の後に仕事に行ったりしました。
  味覚の変化・・・以前は紅茶派で、コーヒーがほとんど飲めなかったのですが、治療中に紅茶を飲んだら吐いてしまい、それ以来紅茶が恐くて飲めなくなりました。紅茶のかわりにコーヒーが飲めるようになりましたねー。そうそう、甘いものがあまり好きではなかったのですが、治療を境に時々食べるようになりました。
  脱毛・・・自宅の洗面所は結構すごいことになってました。あと風呂の排水溝も詰まりましたねー。ただ、自分以外は気付かなかったようです。でも髪の毛の間から耳が出てたよー。
  視覚・・・右目と左目の焦点が合わず、半年から一年くらい本を読むのが苦痛でした。もう読むのを諦めたけど。仕事上どうしても必要なので契約書などの細かい文書を読むときは、どちらか片目で読んでいました。
  聴覚・・・時々左耳がぼーっとして音や声の距離感が変に感じました。音に関係する仕事なので、ステレオ感が変で辛かったなー。これは四六時中ということではなかったのでとりあえず大丈夫なときに音の確認をしたりしてました。
  生理が止まった・・・最後の抗癌剤治療の頃からぱたっと止まり、3ヶ月間止まってました。その間、更年期障害の擬似体験をしました。暑くないのに汗かいて汗かいてすごかったなー。
  その他・・・甘いものが好きになったことと、治療中の吐き気をごまかすのにコーラばっかり飲んでたから太っちゃった。

5年前はこんな感じでしたね。

今回は『CEF』なので前回の『M』が『E』に変わりました。この『E』がくせもので、これが強いらしいです。

案の定、9/9当日は最初に点滴した吐き気止めが功を奏してほんのり吐き気、っちゅう感じでしたが、翌日、さらに翌日がひどかったなー。正直、こんなに嫌な思いするくらいなら治療やめて病気が進んで死ぬのを待った方がいいかと思っちゃったくらい・・・まいったねー・・・さすがに月曜日も会社休みました。火曜日からは出社してます。朝から。
本日9/14、やっとお昼ご飯に何か食べられそうな気がしたのでコンビニに物色しに行きました。何種類か買ってきたけど、食べたのは

ウインナーがはさんであるパン
コーンスープ
ヨーグルト

おやつにじゃがりこ

大食自慢の私がーーーーーっ!

もっと食べられる気もしたんだけど、胃がびっくりしちゃうといけないので、セーブセーブ。


うー カレー食べたい・・・



まいったなこりゃ

2005-08-19 00:33:46 | Weblog
今度こそ詳細な闘病記録を!と思っていたのに、なかなか早い時間に帰ってこれません。
仕事もばたばたなんだけど、オールスタンディングのライブなんかも行ったりしちゃって、心配してた家族も半分あきれてます(^^;)

大丈夫大丈夫と思っていてもなかなか体力は戻りません。
今までなら電車のあるうちに帰ってこれればそうそう疲れもたまらなかったんですが、退院後すぐに仕事復帰して、さらに毎日残業ではさすがに疲れますねー・・・
来月の3連休を楽しみに今は堪えようと思います。
5年前の闘病中は、正社員ではありませんでした。一時期フリーでやっていた時に病気になった(発覚した)のですが、その時は時間を自由に使えたので手術後の休養や治療も楽に終わりました。
その後、社長がフリーじゃ大変だろうと社員に戻してくれたので、毎月決まった額の給料があるので金銭的には落ち着きましたが、休みがとれない・・・ どっちがいいんでしょうねー。はっはっは。
今回は前回よりもさらに小さい癌だったので、そんなに胸の形もかわらず・・・っていうかバストアップしちゃって前よりもいい形になりました(^^)
前回はまず癌のある部分を切除し、断端にまだ癌細胞があったためにさらに追加切除しました。
もともと巨乳の家系なもんで、三姉妹そろってデカパイ。左胸は2回の手術の後もまだまだCカップくらいの胸が残っております。(元々Fカップ) 胸の小さい小柄な主治医の先生様が、「切っても切ってもまだ大きいのね・・・私の胸だったらもうなくなってるわ・・・」と笑っていました。
今回手術した右胸はタレたFカップでしたが、手術後、バストアップしたFカップになりました。ほほほ。しかしバストアップしたせいで、下着がまったく合わなくなってしまって散財です(しょんぼり)。

先週、退院後初の診察の時にリンパへの転移があるかの結果が出ました。リンパを29個とりましたが、反応は0。断端の検査結果もOK。この二つが特に心配な所でしたので、これでとりあえずは一安心です。
来月上旬にはさらに詳しい結果が出てくるでしょう。一応の癌の種類(?)が出てましたが、おそらくこの種類なら、最低抗癌剤はやるのではないかとの予想です。やるとしたら『CAF』というやつです。
前回は『CMF』という副作用の軽い薬でしたが、今回やる予想の薬は髪の毛が抜けたり爪が変色したりするようですね。もともと帽子やかつらが大好きなのでなんとなくの用意は出来てます。・・・ピンクのかつらは使えないかぁ・・・ははは。

月曜日に某外タレのライブに行ってきました。一緒に行った友人は「無理しないで」と言って心配してくれましたが、ずーっとずーっと来るのを楽しみに待っていたバンド・・・このライブで傷が開いたとしても本望!とかわけわからんことを言って、整理番号が後ろの方だったにもかかわらず、最前列目指して突入しました。(心配してビクビクしてた友人達も、ライブ始まった途端に大興奮して私と同じくらい前に来てました・・・)
バンドもファンもそれなりにお年のせいか、スタンディングのライブなのに思ったより大人しかったなぁ。もっともみくちゃになると思っていましたが、そうでもありませんでした。それをいいことに最前列の柵にあと70センチまでせまるほど前に行きました。
楽しかったなー。
ただ、前にいた子供の付き添いでライブに来たらしきおばさま2人が、最前列にいるのにつまんなそうな顔をしてたのがだいぶ気になりました。あんな前でつまんなそうにしてるんじゃ、メンバーから丸見えだったんじゃないかなぁー。後ろからどんどん押してくる(私含め)ファンにえらい迷惑そうにお尻でぐいぐい押し返された。あんたらが後ろ行ってろっちゅう感じでしたわ(--;) おまけに私の前にいたおばさんは、疲れちゃったのか途中から私によりかかってました。前から押されてるのかと思っていた私は必死でささえてましたが、ある時変だと気付き、ちょいと身体を引いてみたら、そのおばちゃんだけ倒れました。あたしゃ手術したばっかりだっちゅうの。
お子さまの付き添いでライブに来られる保護者の皆様、申し訳ございませんが楽しみに来てるファンの迷惑になるので、後ろの方とかロビーとかでお子さまをお待ちください。
あと、ライブ会場は飲み物持ち込み禁止です。一生懸命見てるファンをお尻で無理矢理押し戻してまで足下に置いたバッグから飲み物を取り出して飲むのはやめてちょうだい。みんな迷惑してましたよ。ついでに、荷物はコインロッカーに入れろと係員の方々が必死で叫んでたでしょ?言う事きいてね。オールスタンディングのライブ会場の足下にお泊まり荷物(多分)程の大きさのバッグを置くのも迷惑だし、ひっかかって倒れたりしたら将棋倒しの大事故になる可能性があるので、やめてください。危ないよ。

・・・ってその人達がここを見てるわけないんだけどさ。


復活

2005-08-08 00:36:31 | Weblog
木曜日に退院しました。
明日から出社します。
入院は『夏休み』ということにしたのですが、休みどころか、麻酔が切れた途端に仕事してました。

勝手に病気して勝手に入院してましたが、まさか手術終了2時間後に『至急!』の連絡が来るとは思いませんでした。しかも全然『至急!』じゃない内容に(入院前に打合せして、内容を書面で渡していたのに・・・)憤りを感じました。相手にとっては「今、スケジュール帳に書き込みたいのよぉうん」ということのようでしたが、さすがに驚きました。

お見舞いに来てくださった方や、仕事を着々と進めててくださってしかもPCのメールの方に進行状況を連絡してくださってた方々には本当に感謝感謝です。

ほんとにドタバタ

2005-07-14 21:43:09 | Weblog
この不景気にありがたいことではありますが、仕事が重なってる上に新規の仕事が入ってきます。
人を扱う仕事なので、自分の都合で断るわけにはいきません。ありがたいことに皆さん気を遣ってくれて、寝る暇ないほど忙しくなってるのに一生懸命やってくれてます。いつもならストレス堪らないようお互いに愚痴り合いながら仕事をこなしていますが、今は本当に何も言わずにやってくれます。ありがたいです。
その3人の仕事のパートナー達はそれぞれ大病を経験した人達です。(みんなわりと若いのに(^^;))
私が入院(手術)前なので、体力温存のためになるべく負担をかけないようにと協力してくれます。ほんとにありがたいです。

しかしこんなにバタバタしてるのは数年ぶりです。先々月くらいはぼーっとしちゃうくらい暇だったんですけどね。今はスケジュール帳の他に手書きでそれぞれのスケジュールを一覧にしたものも持って照らし合わせてます。

今も連絡待ち中です。

うへぇ・・・

ご新規様ご案内~

2005-07-10 01:43:43 | Weblog
しばらく更新出来ずにおりました。
仕事が急にばたばたと入ってきたのと、記事を書いてた癌の5周年記念検査でちょいと時間がとられてしまったのとで・・・・すみません・・・・・

そしてその検査で、なんと今度は右胸に小さなご新規の癌が発見されました。
転移とか再発ではない、別のものだということです。

入院の為に、いただいたお仕事を大急ぎで片づけて、月末の入院・手術に備えます。
今度は事細かにレポートして、しっかりした情報を載せていきたいと思います。

そんなわけでまたしばらく更新出来ませんが、退院後の記事をお楽しみに・・・

病院食

2005-06-10 23:44:33 | Weblog
入院初日のアンケートで『嫌いな食べ物』という欄があったので迷わず『酢の物』と書きました。
翌日朝食のおかず、いきなり酢の物かよっ!その後退院まで何回も酢の物が出ました。
もともと大食らいな私、おかわりが出来るわけではないので我慢して酢の物を食べていました。
今じゃ全然へっちゃらになったもんね。へへーん!(誰に言ってるんだ?)

水曜日だったかな?昼食のメニューを何種類かの中から好きなものを選べる日がありました。
パンと混ぜご飯っぽいの(だったか?)と焼そば。もちろん焼そばを選びました。大好きなんだよねー焼そば。『伊賀のカバ丸』(古い?)を読んでた時、私もポリバケツいっぱいの焼そば食べたいーっとよだれたらして読んでました。きっとカバ丸みたいに超うれしそうな顔して食べてたんだろうなぁ、私。

入院中の食べ物の話はまだまだありますが、とりあえず今日はこんなところにしておきましょう。

私の体型は、158センチ体重52キロ(入院当時)、つまりちょっと小太りなくらい。『軽くヤバい』どころじゃなく、だいぶヤバい。
その数年前までは44キロ。短期間に太り過ぎ。実はこれ、あまりよろしくないんです。
乳癌は、太ってる人(太ってきた人)がなりやすいと言われています。30歳になった途端に急に太ったんですよ。まさに、って感じですね。
体型は少し小太りの標準的で、運動能力もごく標準。しかしある機能だけは人一倍です。
それは、『肺活量』。
手術前の検査で肺活量を測定したのですが、検査をしてくださった女性が、数字を見た途端大笑い。
「標準の倍近いわよ」
あらま。
中学でホルン、高校で声楽、大学受験浪人中は第2専攻で声楽。(音大は全部落ちた・・・ハハハ)
確かに人より肺活量が多くなるような鍛え方はしてたのですが、それから10年以上喫煙者。
まさかそんな数字が出るとはね。
やっぱり人一倍食べるからですかねー。はっはっは・・・

入院

2005-06-08 23:10:29 | Weblog
快晴。

暑いわ!

妹の車に大荷物を積んで(荷物の多さに苦笑いしてた妹・・・)出発。
10時に病院に到着しなければいけないのに、道路が混んでいたのとちょびっと迷ったためぎりぎりで到着。遅れたからって入院取り消されるわけじゃないのにあせったなぁ。

二番目の妹が入り口でハラハラして待っていました。
お医者さんじゃないのに、研究所で働いてる二番目妹は白衣姿で登場。どんなヤツでもえらそうに見えるので白衣っていいね。
受付をドタバタとすませ、説明を聞く。病室に案内されて看護士さんと面接(?)しました。
アンケート用紙のようなものに色々書き込む。
食事欄に『嫌いな食べ物』があったので迷わずに『酢の物』と書きました。

常用している薬の欄に『レキソタン』と書いた時に、横で見ていた末っ子妹が「ここ数日は飲んでないから書かない方がいいかも」と眉間に皺を寄せてました。
そう、わかる方にはわかる薬。実は少し前に『心療内科』でもらった薬です。
その頃、電話の音にさえびくついて心臓がドキドキするという症状が続いていました。
意外と心配性なくせに変な所に度胸のある私は迷わず心療内科に行きました。
診察していただいた結果、「あなたのは病気という程のものではありませんよ」と言うことでしたが。
「最近、電話の音がなっただけでびくびくしちゃうんです」と言ったら、「もしかしてあなたの親御さんはとても厳しい人じゃありませんか?」といきなり返され、驚きました。
そうなんです。今でこそ仲良し親子になりましたが、子供の頃は他人がびっくりする程厳しい親でした。友達のお母さんが見るに見かねて助け舟を出す程厳しかったんです。
その先生の質問に、「はい」と答えた途端に涙がぼろっとこぼれました。今思えば、その時泣いたことで治ってしまったのかもしれませんね。
しばらく話をした後、「もう来なくていいけど、気休めに軽いお薬出しておくから」ともらった薬が『レキソタン』でした。
最初から行く必要のない病院だったかもしれませんが、行ってよかったとも思いました。
これを読んでる方で何か気になることがあって、でも『心療内科』は行きにくいと思ってる方がいらっしゃったら、勇気を出して行ってみることをお勧めします。

閑話休題(使い方正しい?)

その薬の名前が書いてあると、変なことを勘ぐる人もいるかもしれないから書かない方がいいという妹の家族としての意見でした。まぁ書いて出しちゃったけどね。

午後から検査が始まりました。

血液検査やらレントゲンやら。

私はいい年こいて、注射が大大大大大っ嫌い!!
血液検査の度に脂汗かいて鼓動は絶好調。(それは5年たった今でも変わらず同じなのでした)
おまけに検査によってはゾウエイ剤を手の甲から!!!!!!!!うぎゃー!勘弁してくれー!!!!
趣味の洋裁をやってる時なんか針だらけなのにね。
待ち針をたくさん使ってる箇所を、ちゃんと見てるのに目測誤って針の集団をつかんでしまったりする。バカ。

閑話休題(もういいって)

そして初めてのMRI。音にはそれほど驚かなかったんだけど、ゾウエイ剤を追加で注入された時はもう×※ゞ♀#§〓●!!!
注射の恐怖のせいなのか薬剤に反応したのか、MRIの部屋から出た途端ふらぁ~~~っと倒れました・・・
付き添っててくれた末っ子妹が「たまにいるんだよね、MRIで倒れる人」とあっさり冷静。

初日の検査はそのくらいだったかなぁ?二日目だったかもしれません。うっすら残っている記憶をたどって綴っているのでご容赦を。

閑話休題

2005-06-08 00:16:06 | Weblog
辞書は読み物。
「あれってなんだっけ?」と辞書を開いてもつい目についた別のところを読んでしまい、何を調べようとしてたのかさっぱり思い出せなくなります。思い出そうとするどころかそのまま読みふけってしまったりするんだよなぁ。仕事中にやると仕事にならんわい。
そのおかげで余計なことは結構知ってたりしますね。大事なことは知らんけど。

辞書を読んでいると、自分が間違えて使ってた言葉に気付くことがあります。
『閑話休題』もその一つ。本編の間に挟む余談のことだとばかり思ってました。
やはりたまたま辞書を読んでいた時に見つけました。

『余談を打ち切って、本筋にもどる意を表す語。それはさておき。さて。』

そっ、そうだったのかーっ!
特に使ったことがあったわけじゃないけど、ずーっとそう思い込んでた。
恥ずかしい・・・・・ほぼ逆じゃん!
俺ぁびっくりしたのしねぇのって、びっくりし過ぎて小便ちびるとこだったぜ!
・・・なんて言葉遣いで文章書いてるようじゃ問題外、とも言う。はっはっは・・・
・・・笑ってごまかせるアホさ加減じゃないか・・・恥ずかしい・・・

小学校からの友人・Kは小さい頃から国語が得意でした。
中学生の時、つまらないいたずらがみつかってクソじ・・・先生様にこっぴどく叱られた私に

「天網恢々粗にして漏らさずって言うでしょ」

と言いました。

「へっ?お尻カイカイ???」
とアホなことを言ったのは言うまでもない。


あれは衝撃だったなぁ。中学生にしてそんなことをさらっと言えるなんてすげぇなぁと思った。
そんな彼女も高校時代、休み時間には
「おーい!××ぅ(やたらトイレが近い仲間がいた)!便所便所!」
と耳を塞ぎたくなるような言葉遣いでお連れションをなさってました。
誰かに毒されちゃったのかなぁ?

その後、彼女は有名短大の国文科を卒業、やたら難しい専門書の編集やら校正やらの仕事をした後に結婚。
彼女から届く葉書や手紙は、女性らしいきれいな字と美しい言葉で綴られています。

告白その2

2005-06-07 23:18:40 | Weblog
さて、両親への報告が終わった次は友人と会社への報告です。

同じ乳癌仲間の間では友人にも話をしてない人もたくさんいます。
私もこの時は、自分でもどうなるかわからないし、癌についての知識も皆無。
落ち着いてはいたつもりでしたが、実は落ち着いてないかもしれないと、自分で自分をあまり信用してなかったのもあり、報告するのは最小限にとどめました。
約2週間入院しなければいけないため、会社の社長とデスクのお姉ちゃん、管理部門のお兄さん、仕事のパートナーとごく親しい友人までにとどめました。仕事に支障を来しちゃいけないですからね。

母が新しいパジャマを何種類も買ってくれました。6月下旬だったのと私が暑がりなのとでもう夏用パジャマ。中にはあやしいデザインのもありましたが、まあとりあえず受け取りました
そして父から入院の準備にも金がかかるだろうと、7万円(微妙に中途半端な金額ですが)いただきました。へへーっ!
しかしそのお金で買ったものは・・・その当時どうしても欲しかったデジカメ
手術前の最後の胸を写真に撮るという大義名分で。ごっごめんなさい・・・
とかなんとかいいながらちゃんと撮りましたよ。しかもしばらくはそれ以外の写真を撮る機会もなかったので、嘘から出た誠直也。
そうそう、母がずっと大切に持っていたアクセサリーをなぜか突然これもあれもと譲ってくれたのですよ。父や妹達から「余計なことを言うな」と言われてたため、「かわいそうだ」とか「お母がかわってあげたい」とか言えなかったかわりに出た行動だろうと思い、ありがたくいただきました。ラッキー・・・いやっありがてぇありがてぇ。しかし、その時一番欲しかったネックレスを手にとったらそれはだまって片づけられてしまった・・・意外と理性的だったな、お母・・・ちっ!

進行していた仕事のみなんとか入院前日までに片づけなきゃっ!と必死に終わらせたんですが、いざ入院予定日前日になったら「まだベッドがあかないのでもう数日お待ちください」とのこと。「明日から入院すっからあとよろしく!」と意気揚々と休みをとってきたので、引っ込み着かなくなっちゃった・・・。仲良しの管理部門のお兄ちゃんにこっそり電話して事情を話したら、「まぁ休んでゆっくりしなよ」と優しいお言葉お言葉に甘えてゲーム三昧でした

2日後、やっと「明日からきてください」の連絡あり、いそいそと準備を始めました。なんだか遠足の前日みたいな気分でしたねー。
妹達から入院祝いにもらったゲーム機2台とソフト(クロックタワーとドラクエ)、愛用してたPowerBookG3を旅行かばんに詰め、タオルやら部屋着やら歯ブラシやら色々詰めたらいっぱいになっちゃいました。もっ、もちろん仕事道具も少々・・・

さて入院当日の朝、同居の末っ子妹のご自慢の車で出発進行。

ここからいよいよ入院生活始まりです。

いいかげん闘病日記に入らんかいこら!

両親への告白

2005-06-06 23:55:58 | Weblog
とりあえず検査・診察が終わり、あとは入院日を待つまで。
運良く約10日後に入院出来ることになり、色々準備を始めなきゃということになりました。

まず一番最初にしなければいけないこと…それは両親への報告でした。以前の盲腸の時に、母が泣いてしまったという前例がありました。それは半分は母の勘違いもありました。医者に、すぐ切らないと腹膜炎を起こしかねないと言われたのを、母は『腹膜炎起こした』と勘違い。その時の母の思考…腹膜炎→周りの臓器も炎症→もう結婚出来ない→実家の自営業を手伝わせながら一生面倒みなきゃ…と、娘の将来を憂いてしくしく泣いてたそう。

そんな母だったので、まず母にうまく話さなければならない。
恥ずかしい話ですが、私はやっと30歳になってから初めて家を出て一人暮らしをしてました。いや、正確には一人暮らしをちょっとした後に妹と二人で都会で二人暮し…だけど。病気のことを言えばきっと母は実家に帰って来いと言うだろう。そうなったらせっかく手に入れた自由な生活がっ!なんてことを色々と3人姉妹で話をしました。

その日、病院から帰ってすぐに自宅での徹夜仕事が待っていた私は、とりあえず今日は夜中まで数時間寝て、翌日仕事終わってから考えるわ…と言って寝てしまいました。うとうとしながら妹達がぼそぼそ話をしてるのはなんとなく聞こえてたんですが、寝ちゃった。

数時間寝て起きたのが確か11時頃だったと思います。リビングは電気ついてたしテレビもついてたので妹達がまだしゃべってんのかと思って声をかけても返事なし。妹の部屋にもトイレにも風呂にもいない。トイレも風呂も二人一緒には入らないか。まぁコンビニでも行ってんだろうと思って茶を飲んでいたがなかなか帰ってこない。テレビつけっぱなしで飲みに行きやがったなという結論を勝手に出して仕事を始めました。
夜中の2時くらいになってからどやどやと帰ってきた二人…。一体どこに行ってたのかと思いきや…
「お父と話してきた」
「はぁ???」
うちの父は仕事終わって晩ご飯を食べたら、近所までコーヒーを飲みに行くのが日課でした。そういう時は携帯を持って出ない(あやしいなぁ…)ので、妹達は父が行く店を104で調べて本人を呼び出し、その喫茶店で話をしてきたそう。母がいない所でまず父に事情を話す、という作戦だったそうだ。父はだまって妹達の話を聞いてたそう。『実家に帰ってこい』とだけは言っちゃだめだよ…というお願いも、ちゃんとわかってくれたそうだ。
父は家に帰ってから、半分寝てた母を起こし、2時くらいまで話をしたそうだ。母は驚いてたけど、泣かずにちゃんと理解してくれたということでした。さすが父。

その週末、末っ子妹と一緒に実家に帰り、両親と話をしてきました。母は『かわいそう』とも『帰ってこい』とも言わず、ただ『頑張って治して』とだけ言ってました。

ありがてぇ。

やっぱり中々闘病話になりませんなぁ。