:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 不発に終わったイタリア語の説教

2013-10-23 18:48:23 | ★ ローマの日記

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不発に終わったイタリア語の説教

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 日本中を旅して巡った夏休みからローマに帰り着いたのが、10月16日水曜の晩だった。その土曜日の夕方、久しぶりに市の中心にある教会で自分の共同体のミサを司式するために出かけた。

 デモやストライキは日常茶飯事のローまでも、その日はめずらしく超大型だという情報に、交通規制による迂回も考えて早めに神学校を出たのだが、夕方にはデモは既に教会の近くを通り過ぎ、機動隊もデモ隊も衝突の現場を市街地の北東部に移していた。お蔭で、私は規制の解かれた道をスイスイと教会にたどり着くことができた。

 なんだ?大したことなかったのかな?と思って翌朝新聞を見ると、なんとまあ、結構派手な写真が紙面を飾っていた。


 

火焔瓶やゲバ棒もありの荒れたデモ 機動隊も情け容赦なく乱暴に対応する


 昔の日本の全共闘のヘルメットは

工事現場の作業員が被る薄手の安物で、機動隊の催涙弾の水平撃ちの直撃にはひとたまりもなく砕け

若者たちが脳に重篤な障害を受けた

イタリアのデモ隊のヘルメットは値の張る最新式のバイク用だから性能は抜群にいい

機動隊の警棒ぐらいならなんてことはない 催涙弾の水平撃ちにも顔面以外は耐えられるだろう


高性能の火炎瓶の前には 機動隊も命がけか


デモ隊の中には 職場や学校に身元が割れぬように仮面を被っている者もいる

われわれの頃は 手ぬぐいやタオルで顔を覆ったものだった


夜になってもデモは収まらない 多くの若者たちが広場にテント村を築いて坐り込んだ

こんな無法状態を はたして日本の警察は許すだろうか? 

 

 私は、1960年代、70年代を、学生として、院生として、研究室の若い助手として、ずっと上智大学のキャンパスで過ごした人間だ。学園紛争、安保闘争、ベトナム反戦の銀座のフランスデモ、新宿騒乱事件、春闘のデモ、等々、今の若い人たちの知らない数々の街頭行動を常に日常生活の一部として生きてきた世代にとって、イタリアの騒々しい日常こそ当たり前で、日本に帰った時のうわべだけの秩序と静けさがむしろ異常に感じられる。

 日本にだって市民が立ちあがった日々が過去にはあった 

60年安保の時国会を取り囲んだデモ隊の姿

貧しさをまだ抜け出してはいなかったが 自由と希望を呼吸することが出来た時代だった  

 

 「秘密保護法」 が可決しそうな極めて危機的な状況の中で、日本の街は何事もないかのように静まり返っている、そんなこと、イタリア、ローマでは絶対にあり得ない。

 その陰で、雇用の底辺では過酷な使い捨て労働に人心は病み、自殺者が後を絶たない。それなのに、人々は個に分断され、自分たちの権利を守るために団結して立ちあがることが出来ないまま泣き寝入りさせられている。大企業、資本家、勝ち組だけが肥え太り、弱者は人間らしく生きる最低の権利すら奪われて息も絶え絶えに喘いでいる。日本の市民生活からデモやストライキが消え去って久しいのは、いつの間にか自由を奪われた社会が、すっかり右傾化し、皆が保身のために長いものに巻かれることに甘んじ、諦めて声を失ってしまった印に違いない。 

 話を昨夜のミサに戻そう。せっかく早めに教会にたどり着いたので、久しぶりの再会に皆と歓談して時を過ごそうと思ったのに、そうは問屋が卸さなかった。一人の姉妹に告白(懺悔)を聞いて欲しいと頼まれて、(こいつは断れないから)二人別室に籠る羽目になった。彼女の懺悔は毎度どうでもいいような繰り言で長くなる。やっと聞き終えて部屋を出ると、すでにミサの準備は整い、私の不在中このグループの世話をしてくれていたイタリア人の神父が先に祭服を着て司式の準備を終えていた。ままよ!と成り行きに任せ、私は司式をあきらめて彼の補佐役に回ることにした。

 その日の聖書朗読は三つとも「絶えず祈ることの大切さ」に関するもので、説教もそのテーマに沿ってなされるはずだった。私も自分なりに準備をしてはいたが、こうなったら説教も彼に譲るしかない。

 読まれたルカの福音書は次のようだった。

 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」 (ルカ18章1-8節)

 私の代わりに説教をした司祭の話は、概略次のとおりだった。

 ある町に、小さな古ぼけた貧しい修道院があった。そこに住むシスターたちは、市が文化財として管理する中世の修道院の廃墟を修復することを条件に、それを払い下げてもらい、広い新しい修道院を作る許可を取りつけた。さっそく、信徒団体や、財界や、個人のお金持ちなど、各方面に趣意書を送り、寄付を募った。そして、シスターたちは、毎日「神様、思し召しなら、どうかお金が集まりますように」と祈り続けた。しかし、いつまでたっても十分な資金が集まらなかった。

 やがてシスターたちは悟った。絶え間なく祈ったのに願いが叶わなかったのは、もし十分なお金が集まって新しい修道院が出来たら、シスターたちは快適な生活に慣れて、規律が緩み堕落すると見抜かれた神様が、彼女たちをつつましい清い生活にとどまるよう護って下さったのだ。彼女たちの祈りは形を変えてすでに実を結んでいたのだ、と。

 その司祭は「絶え間なく祈り求めたことは、必ず何らかの形で良い実を結ぶ、だから、たとえ人間の思惑通り願いがかなわなくても、絶えず祈ることには意味がある」と言いたいのだろうか。

 要約すればただそれだけの話を、彼は10数分をかけ、いろいろ尾ひれをつけて往きつ戻りつした。

 信者たちは神妙な、と言うより、能面のように無表情な顔で聞いていた。

 私も、少しも感動を覚えなかったばかりか、なんとなくしっくりこないものがあった。しかし、敢えて異を唱えるのも大人気ないかと黙っていた。

 帰りの車の上を、ひと月遅れの満月が煌々と照らしていた。中秋の名月は長野県の野尻湖畔で特別な思いで見たことを懐かしく思い出しながら、神学校のベッドに入った。

 

 

野尻湖で見た2013年9月19日の中秋の名月 特別な感慨を持ってカメラに収めた

 

 翌朝になって思った。もしきのう私が司式をしていたら、信者たちは私の下手なイタリア語の全く別な説教を聞いて帰るはずだったのに・・・。だが、もうその話を彼らにすることはないだろう、と。

 その時、ふとアシジの聖フランシスコが魚や小鳥たちに説教をしたという伝説を思い出した。詩的で一見ありそうな話だが、私はフランシスコがいくらイカレた聖人でも、誰でもするような簡単な声掛けならともかく、人間の言語を解さない小鳥たちに正気で説教することはなかったはずだと考える。

 

 

小鳥に説教するアシジの聖フランシスコ

(ジョット作 1305年頃)

 

 フランシスコは彼の説教を聞くべきはずの人々に語りかけたのに、その人たちが耳を傾けなかったから、普段信心深い人々とは交わりのない教会の外にいる人々に向って話したのだろう。そして、それが伝説化して、魚や小鳥たちに話したと言い伝えられるようになったのではないか、とひとり勝手に思っている。

 熱心に教会に足を運ぶカトリック信者はむしろ少数派と思われる私のブログの読者を魚や小鳥に例えるのは、まことに失敬千万な話だと思うが、そこはどうかお許しいただきたい。フランシスコを気取って、きのう不発に終わったわたしの説教を、そのような皆様にぶつけてみたいという思いが湧き上がってきたものだから・・・。

 ただし、長すぎるブログは歓迎されない。今回はここらで終わりにして、次のブログで、私がどんな説教を準備していたのかをあらためてご披露申し上げることにしよう。

 (「そんな話には興味ないね」 と思われる方は、次回のブログは読まずにパスしていただいても結構。)

(つづく)

 

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2 コメント

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Unknown (J.K.)
2013-10-24 12:25:59
谷口くん
長いこと不発弾をかかえていると不穏です。
ブログ住民の待避勧告もすんだようですので
早めの処理をお願いします。
Unknown (谷口幸紀)
2013-10-24 12:29:19
J.K.様
今日から日曜の晩(ローマ時間)まで、郊外で合宿があるので、不発弾処理班は週明けに出動の予定です。

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