:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 聖書から見た「サイレンス」-その(4)

2017-04-19 17:47:08 | ★ 映画評

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聖書から見た「サイレンス」-その(4)

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ロドリゴと吉次郎

私は前回のブログの最後に「聖書」と「サイレンス」は別個の世界だと結論付けた。

では遠藤の「沈黙」は何に依拠して書かれたものだろうか。それは言うまでもなく歴史だろう。遠藤はかなり綿密に史実を調べ、その上に彼の小説を築き上げたものと思われる。「サイレンス」でも拷問や処刑の仕方は詳細を極めている。

一方では史実に沿って書きながら、宗教に関しては作者が自由に創作するというのも小説の世界ではありだろう。もともと、歴史と文化の営みの中で、人間が自然の中に投影した神々によって成り立つ「自然宗教」の世界では、神を人の思う通りのものとして描くことに何の不都合があるだろうか。従来西欧人はキリスト教の神をこのように描いてきたが、私は今まで語られなかったこのような面を神の中に見たい。実はそれこそが神の本当の姿ではないかと私は思う、という論調だ。そして、それに「そうだ、そうだ、そちらの方が私の心にもぴったりくる、納得がいく」と言う声がエコーとして加わる。

遠藤は、その小説の中で、踏み絵のキリスト像に「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためにこの世に生まれ、お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。」と言わせた。それは、スペイン人やポルトガル人がもたらした西洋のキリスト教ではかつて考えられたことの無いキリスト像だった。それが、「沈黙」が発表された60年代の日本では、キリスト教の日本への土着化(インカルチュレーション)として高く評価され持て囃された。これなら日本の諸宗教が構成する「村社会」に仲間入りし、「日本教キリスト派」として市民権を得ることも可能だろう。

仏教が外来の宗教でありながら、日本の「宗教村社会」に同化していったように、遠藤の提唱するような神観を日本のキリスト教会が取り入れれば、キリスト教の日本文化へのインカルチュレーション(土着化)に成功し、迫害を招くような緊張も摩擦も消え、殉教など起こりようのない状況が生まれるだろう。

このインカルチュレーションの過程は日本におけるキリスト教(この場合カトリック)の弾圧史の長い過程と並行して進んで行く。キリスト教迫害は江戸初期1587年の秀吉によるキリスト教迫害に発する400年以上前の過去にあった一過性の出来事と思う人もいるだろうが、実際は違う。その後も迫害はずっと陰湿に続いていた。

黒船の来航が1853年。まもなく外国人宣教師の入国が可能になった。1865年には、長崎の国宝大浦天主堂が建てられると、地下に潜伏していた隠れキリシタンたちが名乗り出てきた。悲劇は400年前からの禁教令がその時まだ法律として生きていたことだ。それから禁教令が解かれるまでの8年間、またしても激しいキリスト教迫害・流刑・拷問が全国に及んだ。浦上四番崩れなどと言われる一連の悲劇は、今からわずか150年余り前のことだ。このような歴史の厳しい試練から教会も多くを学んだ。

例えば、先の第二次世界大戦の最中に、上智大学事件というのが起きた。

1932年教練のために上智大学に配属されていた陸軍将校が、学生を引率し靖国神社を参拝した際、カトリック信者の学生の一部が参拝を拒んだ。

これを問題視した陸軍は配属将校引き上げの意向を示す。大学の取り潰しや教会の弾圧を恐れたカトリック教会は、文部省から「参拝は愛国・忠君のためのものである」(参拝が宗教行為か否かについては触れていない)という見解を取り付け、それを靖国参拝は宗教行為ではないと解釈して、カトリック信者にも愛国・忠君のための神社参拝が許容されることを公にした。これによって、配属将校は上智大学に復帰した。教会は軍部の圧力に完全に屈服することで危機を逃れた。

さらに、神道の現人神(あらひとがみ)の天皇に対しても、類似の解釈を適用し、国家神道との間の宗教的摩擦を回避した。こうして、従来は他宗教の儀式への参加を禁じていた教会が、身の安全のために信者の魂を売り渡し、神社参拝を含む天皇制支配に屈服した。今からたった75年前のことだ。(その後の事例は、生々しいから省略する。)

フランシスコ・ザビエルがキリスト教を初めて日本に伝えて以来、今日に至るまで、さまざまなインカルチュレーションの試みがなされてきた。禅に学んだ瞑想のしかたを取り入れたり、日本の生活習慣に沿ってミサをしたり、諸宗教の平和と共存を思うあまりか、南無阿弥陀仏とイエスの天の御父を融合させたような「アッバ、アッバ、南無アッバ、・・・」などという祈りも生まれている。

教会は困難にぶつかるたびに学習し、妥協して、より摩擦の少ない、受け入れられやすい形に変容していった。遠藤の沈黙は、このような流れに対して、包括的に疑似神学的なイデオロギー的裏付けを与えたもののように私には思える。

遠藤の「沈黙」が日本のカトリックのインテリ、多くの聖職者に歓迎されたのも、今、スコセッシ監督のハリウッド映画「サイレンス」が、海外で好評なのも、現代人の心に潜むこのような疑似神学的イデオロギーを無意識のうちに待望する空気にぴったりくるものがあったからではないか。

長いブログを避けてここで一区切りつけるが、一人の神父として、このイデオロギーの様々な影響と、そこから生まれた結果について、懸念するところがある。この点を次回以降に少し掘り下げて考えてみたいと思う。

(つづく)

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1 コメント

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Unknown (名無し)
2017-04-20 02:07:19
昔々w、高校の日本史を勉強するなかで思ったことですが、踏み絵を踏んでも何の罰当たりにもならないのではないかと思ったのです。偶像崇拝をしないのなら。踏み絵のキリスト像(なのかな?)が偶像なら。
この点はどうなんでしょうか。これもまた主題から外れるかもしれませんが。

浄土真宗も、浄土宗もそうなのか、一神教とはいいませんけれども、阿弥陀仏を信仰する一仏教だと思います。また、浄土真宗ははっきり神祇不拝といっていたそうです。また、オカルトを嫌うようです。
キリスト教の新約聖書に相当するであろう『教行信証』に書かれている親鸞の浄土宗を弾圧した天皇だったか上皇だったかを非難する文言に軍部がけちをつけてきて、要求は「消せ」というところ、読み上げないところで妥協したそうです。
そして、変な理屈をつけて靖国神社に参拝したようです。
中国で布教し、従軍布教活動までしていました。敗戦後、中国への布教の「成果」は消えたようです。

(今は政治団体でもあるようでw)近頃の戦争法ではもう軍門に降っているようですが、戦前戦中は頑張って弾圧を受けた新興宗教がありました。
逆に、カトリックや浄土真宗は今のところ戦争法に反対しているようです。
教育勅語をがてはやそうとされてきてもいます。
どんな展開をしていくのだろうか、遠藤氏の小説や映画化されたものがどんな影響があるのだろうか、と思っているところです。

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