四季彩に編成札取付

2009年01月25日 | 201系
 
 青梅線で土休日に使用される展望電車の四季彩に編成札が取付けられ1月24日から営業運転に使用されている.
(写真左:御嶽~川井 2009-1-24,右:軍畑~沢井 2009-1-25)


 編成札は車体色である白にブルーのストライプをあしらったもので,赤字でw1と記される.裏面には「高尾以西運用可能車」などと記される.なお「w1」の「w」は事業車(Working cars)の頭文字と推測出来る.
 この編成番号の呼称については以前からあり,同車車内に格納しているKE96ジャンパ線には「w1 Tc201-134」と表記もされている.編成番号が公になったのはJRRが発行する「JR電車編成表’09年冬号」に表記されてからである.

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201系による実設訓練

2009年01月23日 | 201系

 千葉支社蘇我運輸区京葉派出所が京葉線用201系6両を使用して実設訓練を実施した.
 訓練は1月21から23日の3日間で,新習志野から外房線太東間で実施され白昼6両で走行した.一部の駅ではドアを開扉しての訓練が行われるため側窓に「訓練車」と張り紙がされていた.また想定できる異常事態に備えての訓練が実施,MG故障やパンタグラフを1基畳んでユニットカットしての運転も実施された模様.
(パンタグラフを1基畳んでの走行シーンは
トレイン オブザベイション参照)

訓練車は前途の通り側窓に訓練車である旨を示す張り紙をしたため,3日間とも同じK1・51の6両編成「51」が使用された.
上左:検見川浜
上右:蘇我
2009-1-22

左:誉田
下左:茂原
下右:東浪見
2009-1-23
 

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ケヨ72疎開回送

2009年01月23日 | 201系

 1月16日にパンタグラフをPS21からシングルアームのPS35Cへ換装したクハ201-36~のケヨ72が廃車に備え1月23日に京葉車両センターから幕張車両センターへ疎開回送された.既に廃車のための整備は終えているようで,車号札や編成札は撤去しての回送であった.同編成はパンタグラフ交換後は数運用使用されたのみで,殆ど営業運転には充当されていない.
上:検見川浜
左:稲毛(快速線)
 
モハ201は自力による廃車回送のためパンタグラフを折りたたみ高さの低いPS35Cに変更され,避雷器も小型のLA17Aに交換されている.またケヨ71と同様に車両番号に併記される◆は未貼付のままであった.


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ケヨ71廃車回送実施

2009年01月22日 | 201系

 2001(平成12)年夏から京葉線で活躍を続けてきたクハ201-7~のケヨ71が廃車のため長野総合車両センターへ回送された.今回も昨年12月に実施された同車両センター所属の201系同様に京葉車両センターから武蔵野線経由で長野まで自力回送された.
 回送に際しては事前にパンタグラフを折りたたみ高さの低いシングルアーム式のPS35Cへ換装し中央線高尾以西の狭小トンネル通過に対応させている.

 廃回のダイヤは12月とほぼ同様で新習志野を12:57に出発する行路が設定された.中央・篠ノ井線内は変則的で,明科では1時間18分の停車時間が設定されている.

写真
 上左:中央線初狩~笹子間
 上下:富士見
 右:明科

上記写真は全て廃車回送時(2009-1-22)撮影

■ケヨ71のディテール 

 ケヨ71は最後まで営業線上で活躍した初期製造車両として特筆される.屋上に搭載されるクーラーは編成中8両が鋼製キセのAU75Dで,豊田車両センターで休車中のクハ201-1を除くと201系で搭載された最後の車両である.また3種類あるAU75Dのうち全種類を搭載し見所が多い.
 初期製造の車両に見られたパンタグラフ鍵外しのロッドが一般量産車と異なる点も大きい.トップナンバーのH1が2008(平成20)年6月に廃車されて以降,この特徴を持つ車両はケヨ71の3両のみとなっていた.
 
左がケヨ71のモハ201-10,右は一般量産車.赤い矢印部分付近の取り回しが異なる.これにより初期車では車外から扱う引き紐を一般量産車と同じ位置(向かって右側)に変更している.

 そしてこの編成の最大の特徴である中間封じ込めのクハ. 
 
 車両番号からも分かるようにクハ-23は元々別編成のクハで,JR化後に施工したATS-P化工事の際中央線で使用していた編成を組み込んでいる.他の車両も中央線で使用されていたが,国鉄時代に中央総武緩行線用になっていた.クハ201・200-23はその経緯を先頭のステップに残す.写真左は中間クハの連結部,左側の車両がクハ201-23でステップに開けられた2個所の穴が確認できる.この穴は差込式ヘッドマーク台座を固定するためのもので,JR化後の中央線所属車の特徴となる.

 右の写真はクハ200-7が履いた付随台車のTR231.前位側の台車にあるはずの排障器が撤去され独特のスタイルとなっていた.右側が先頭側で左側と比べ排障器取付のために台枠が若干長いのが分かる.

 車内(乗務員室)に目を向けると,普段とは異なる雰囲気の車内と分かる.中間封じ込めの2両は本線上を先頭に立って運転することが無いため,本来必要となる保安装置類が撤去され,JR化後に追設した機器類も見あたらない.
 
 大きな特徴としてATS-Pを搭載しなかったため,ブレーキ弁がオリジナルのME49が搭載される.(詳細に関しては『201系資料館』参照)左がクハ201-23,右がクハ200-7.

 
 本来なら少々ゴチャゴチャしていて繁雑さを感じを受ける乗務員室内だが,追設機器のないコンソールや背面のATS-P関係などの機器がなく,今となっては新鮮な感じを受ける.運転台とは反対側の壁面には通風口が最後まで残っていた.この場所には列番設定器が設置されたために塞がれ,使用できなくなっていたがこの2両は最後まで残っていた.
 余談になるがクハ201-23は運転席背面にある総括指令器(冷暖房及び照明の操作盤)が撤去されていた.(写真は2枚ともクハ201-23)

 床下に目を向けると今やJR東日本では貴重となったチョッパ制御装置のCH1.この編成廃車後は既に運用を離脱したケヨ72に残されたのみである.今回廃車されたケヨ71のモハ201-10はJR東日本で最後となった三菱製チョッパが搭載されていた.電機メーカー5社により製造されたチョッパ制御装置,JR東日本に残るのは東芝,日立,富士,東洋の4社となる.

 狭小トンネル通過可能車を示す◆は貼付されず運転された.(上記写真は甲府にて)


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青梅線の貨車『ホキ9500・2500』

2009年01月21日 | 鉄道模型
  
 昨年末にカワイから発売した『赤ホキ』ことホキ9500(2500).当初購入の予定がなかったが,思っていたよりも出来が良いのと『青梅線の貨物列車』ということで買ってしまった.
 
 自分にとって一番身近な貨物列車だった青梅(南武)線の石灰石輸送貨物.大分前にGM(グリーンマックス)から発売した際に30両ほど買っている.そこで簡単なレビューを兼ねてGMとの比較もしてみたい.最近ではマイクロエースが製品化しているが,こちらは購入していないので比較しようがないのであしからず.
 
 先ず自分が購入したのは16両.青梅線の最後の方は専ら16両でEF64-1000が牽引していた.自分はED16の末期から見てきた青梅線の貨物列車だが幼少のことで記憶は曖昧.一番記憶に新しい末期の姿を再現するため,10両セットと3両セット2個を購入した.前者のセットは初回のみの限定生産である.このセットと3両セットを違う会社(例えばJR所属と奥多摩工業など)でそろえれば編成中重複番号が発生しない利点がある.
 自分は奥多摩工業の10両セットに3両セットはJR所有のホキ2500と日本石油輸送のホキ9500を選んだ.

 
 青梅線の石灰石輸送は奥多摩にある『奥多摩工業株式会社』で採掘された石灰石を輸送していた.主に同社が所有する私有貨車ホキ9500が使用されていたが,編成中に数両はJR車と日本石油輸送の車両が連結されていた.JR車は側面に大きく『東』が表記され,その下に『奥多摩駅常備』と記されているので青梅線で活躍したものがプロトタイプのようである.一方『日本石油輸送株式会社』の常備駅は『名古屋南港駅常備』となっている.
 細かい車体表記も印刷済みであり非常に好感の持てるモデルである.手摺り類も立体的にするため真鍮素材を多用している. 
 
 10両セットの特徴として車番が全部異なるのと共に,1両だけ後部標識反射板を取付けた車両が用意されている.車掌車が連結されなくなって以降は編成の後部に掲げられたものだが,銀色の縁が太く気になるが,良いアクセントとなっている.
 妻面にあるステップも真鍮材の別パーツを使用している.GMでは一体のプラ成型と比較すると非常に良い雰囲気となっている.白い円形のブレーキハンドルは実車よりかなり大きく違和感を覚える.GMでは再現されていない五角形のステップはホキ9500の特徴であり,この再現は非常にうれしい.その上には真鍮線で表現された側面ステップがあるが,取れやすいため注意が必要.
 
 実車の寸法が分らないのでどちらが正解か分らないが,上部の手摺の有無も相まってカワイの方が若干車高が高く感じる.台車と車体の隙間がカワイの方が開いているため,この部分だけ見るとGMの方が実車のイメージに近い.
 カワイの特徴としてホッパー上部に渡された2本の梁が再現されている.これはマイクロでも再現されているが,GMでは附属する石灰石パーツを簡単に載せるように省略されたようである.


 非常によく出来たモデルであるが,編成を組むと非常に気になるのが連結面間隔である.デフォルトがアーノルドカプラーであるため,先ずはKATOカプラーに交換するが案の定変わらない.そこでカプラーポケットのはめ込み位置を若干後退させる加工を施した.

 違いは写真の通りである.この程度の間隔ならGMと並べても編成長は殆ど変わらない.
 この連結面間隔短縮の方法,聞いた話ではマグネマティック(KD)カプラーのアメリカ車用を用いるなど方法があるようだが,そのカプラーを揃える自体結構な金額になるので自分としては安価な方法を考えた.それが以下の方法である.
 
 
 加工内容は台車枠で,赤い矢印の部分の加工である.カプラーポケットを車軸と干渉しない位置まで後退させる.既存のカプラーポケット爪穴と同じように穴あけ加工をすると写真右のように3㎜程度短くなる.
 台車の素材が軟質プラのため,加工が厄介である事と,両数が多いと気が滅入るが,編成にしたときの印象は大きく変わるので効果は大きい.(加工は自己責任で!)

 この方法でカプラー交換を実施した場合この車両はウエイトが無いため重量が軽く,牽引する機関車によってはカプラーシャンクが短く脱線する事がある.その回避方法として床下のスペースにウエイトを積むことがベターである.
 今回機関車次位のみ細かく刻んだ糸半田を詰めてボンドで固定している.


 16両で25000円を超えNゲージの貨車としては高価な部類に入るが,金属パーツを多用している事など考慮すれば仕方ない.真鍮線のステップが取れやすく取り扱いに注意する必要があと共に,購入時にはこの辺をチェックした方が無難だろう.
 このカワイのホキは梁の再現がされているため,空荷の状態にしてGMを積荷状態で楽しむ事にしようと考えている.
 

■オマケ 
 1月16日にPS21からシングルアーム式パンタグラフのPS35Cへ交換された京葉線のケヨ71と72.せっかくなので手持ちパンタでその姿を再現してみた.

 行先方向幕は電通製を貼付してある.
モハ201-10
先週の時点では車両番号に併記される◆が無いのでパンタグラフ交換のみを実施.避雷器の交換まではしていない.


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クハ200-115の遺品

2009年01月20日 | 201系
 昨年の11月下旬に青梅宿フェスティバルで開催された鉄道部品販売で,マスコン横にあるスイッチ箱を購入した.中央線用では主に中間クハに多く見られた「SN整備済」や「ブレーキ改造」などのステッカーが貼付され特徴的であった.

 購入したスイッチ箱は上面に「SN自動投入整備済車」と黄色いステッカーが,手前には「ブレーキ改造」のステッカーがそれぞれ貼付してあった.
 先日写真の整理を兼ねてデータを見直していた際に購入した物の現役時の写真が出てきた.車両はH5の中間先頭車であるクハ200-115.特徴的なステッカー類の貼付位置や塗装の状態などから見て間違いなくこの車両の物であると判断出来る.

 
 クハ200-115の運転台.マスコンとブレーキ弁の間にある前照灯スイッチ類のケースがそれ.取外し後の運搬等で塗装が若干剥げ,角の塗装剥離状態が異なる.また購入後清掃したため,「ブレーキ改造」ステッカーに掛かる塗料が落ちて若干異なる.しかしステッカーの貼付位置や「ブレーキ改造」のステッカーに垂直に垂れたペンキの具合は一致する.(運転台の写真は2008-5-31撮影)

 鉄道部品おいて車両番号プレート程度しか取付けていた車両は判断出来ないため,このような部品がどの車両に取付けられていた物か分かったことは201系ファンとしてはとても感慨深い.


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パンタグラフ取替(京葉線非分割編成)

2009年01月19日 | 201系

 
 京葉線で使用されている201系のうち分割併合が不可能な2編成に対し,パンタグラフ(PS21→PS35C ※)及び避雷器(LA16→LA17A)の取替が1月16日までに完了した.このパンタグラフ等の取替は間近に控えた廃車回送に伴うもので,中央本線経由で長野総合車両センターへ回送されるため,高尾以西に存在する狭小トンネル通過対応のためである.なお廃車回送は先月同様自力にて実施される予定.

 
 パンタグラフ及び避雷器の取替は京葉車両センターで実施され,クハ201-7~のケヨ71は取替が終了した16日に85運用の後半に充当されている.写真左はパンタグラフと避雷器が取替られたモハ201-12.狭小トンネル通過対応車の証である◆マークはこの時点では未貼付となっている.この辺は青梅車に対し取替即日に貼付を実施した豊田車両センターとは対応が異なる.普段から高尾以西へ運用を受け持つ豊田車両センターならではといった感がある.
 写真右はモハ201-11のパンタグラフ及び妻面の写真であるが,最初期車に見られたパンタグラフ鍵外し引き紐の取り回しが異なる点で中央からの転属車ではないことが一目瞭然である.

 
 両写真ともモハ201-10のパンタグラフ周りの俯瞰写真である.左はパンタグラフ・避雷器取替後で右は取替前.パンタグラフと共に避雷器がLA16から一回り小型のLA17Aに取替られているのが分かる.この避雷器は写真からも判別できるように新品が搭載されている.
(写真右:2007-4-22撮影,両方とも蘇我駅にて撮影) 



 209系500番代が次々と東京総合車両センターで京葉線用に改造され営業を開始し,徐々に209系を目にする機会が増えた.201系非分割編成はあと僅かで営業運転から離脱するため,同線に残される201系は4本の分割可能編成のみとなり,今までより201系に遭遇する機会は激減する.しかし誉田駅での分割併合が毎日あるため,中央線のように1日中運転がないという日は現時点では無く,運用も201系による運用は確実に2本(83,85:土休日,平日は81もある)あるため乗車・撮影は比較的狙いやすいのは確かである.


★この記事の写真は特記無きものは全て2009-1-17日撮影

※パンタグラフ交換について
 PS35Cはシングルアーム式パンタグラフで,中央線高尾以西に存在する狭小トンネル通過に対応する.201系ではパンタグラフ折りたたみ高さがPS21搭載の場合4140mmに対し,PS35C搭載車は4000mm(何れもレール面上から)となり140mm低くなる.狭小トンネル内の架線高さが4250mmであるため,パンタグラフ折りたたみ時の離隔250mmを確保するためである.これは『
鉄道に関する技術上の基準を定める省令』第四十一条2により規定される.
 同じく201系(主に中央線用H編成)に搭載されたPS24も折りたたみ高さ4000mmであるが,搭載には屋上の鍵外し装置を一部改造する必要がある.PS35Cは無改造で搭載が可能であり,廃回ではこのPS35Cが用いられる.


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西国分寺~立川間下り線高架化

2009年01月11日 | JR(国鉄)関係

 中央線三鷹~立川間で実施されている連続立体化工事において,1月10日夜間から翌11日朝にかけて切替工事が実施され西国分寺~立川間の下り線が高架線へ切替られた.同区間は高架橋建設のため2005年9月から従来の線路から北側に敷設された仮線を使用(下り線は2006年10月~)していたが,今回の切替により仮線を走るのは上り線のみとなり,一時的に地上区間は単線となり踏切による遮断時間も削減される.
 高架切替工事は予定通り完了したため,11日午前6:40頃から今回の工事区間唯一の高架駅となる国立駅は下り高架ホームが使用開始され,営業列車1本目が6:47に入線した.

                          201系も高架線切替初日から走行した(11日 7:16)

 切替は10日の終電前(21時頃)から実施され,西国分寺~立川間は10日21時~翌11日7時頃まで運転を取りやめ,武蔵野線・南武線経由等による振替輸送やバスによる代行輸送が実施された.そのため中央線は東京~西国分寺間と立川以西で分断されたが,東京~国分寺間では国分寺で,立川以西では立川折り返しで運転,列車ほぼ通常通りの本数が運転された.また国分寺~西国分寺間では国分寺下り方と西国分寺に亘線が無いため,駅間を1閉塞として上下線各1本の列車を配置し単線による折り返し運転を実施した.

 
 国分寺では下り本線の2番ホームと上り本線の3番ホームを使用して国分寺~西国分寺間の列車が運転された.写真右は『各駅停車西国分寺』表示で出発を待つ上り線使用の列車.上り線にはT21,下り線にはH54が充当された.
 上り本線からの西国分寺行列車の出発には手信号代用器が使用された.(写真右)

 
 西国分寺駅では特に係員は配置されず,無線により出発合図が指示された模様.(左:下り線,右:上り線.共に西国分寺)


 運転された列車は行先表示にそれぞれの駅名を掲出.一部列車では列車種別が無表示であった.


 西国分寺・日野・立川では各駅間に代行輸送バスが用意された.

 バスの行先表示には『JR中央線代行輸送』と表示されていたのが大きな特徴であった.写真は西国分寺駅発国立駅経由立川駅行の京王バスで西国分寺駅付近の出発場所.(11日早朝撮影)

 切替終了後試運転列車が運転された.その後多くの乗客を乗せた営業列車が到着.
 
 営業列車1本目はE233系T32の豊田行(写真左).
 国立駅高架ホーム下り方からは富士山が望める(写真右,2枚とも11日撮影).

★特記無き写真は1月10日撮影


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j-train進行状況

2009年01月09日 | 撮影(取材)日誌

 5日にj-trainの出版社であるイカロス出版へ次号の原稿や写真を持って打合せに行き,レイアウト等の細かい打合せをしました.

 j-trainでは次号から不定期で『首都圏に残る鋼製電車』について連載していきます.その第1回として201系となり,6P程度のスペースにJR東日本201系の現況について簡単に纏める事になっています.
 その中で当然現在残る車両の編成表を掲載するのですが,ただ単に表を掲載するのは面白くないので組成と車両の特徴が一目で分かるようにイラストを描いてみました.

 イラストは編成ごとの特徴を再現しつつ,ディフォルメしたB●レ風にして可愛らしく仕上げたつもりです.床下は描き出すと面倒なのであっさりと省略してあります.これに別途形式・番号を付して編成表に仕上げる予定です.

 ここ数日はこの様な事をしているので撮影はおろかブログの更新も出来ませんので,このイラスト公開でお茶を濁そうと思い掲載しました.
 
 このイラストを掲載予定のj-trainは2月21日発売予定です.またこの201系の小特集とあわせてJR東日本現役運転士による201系を中心としたインタビューも掲載します.こちらは必見ですので次号j-train(No.33)は是非目を通していただきたいと思います.


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2009年を迎えて

2009年01月02日 | 撮影(取材)日誌
 2009年も西東京鉄道管理局をよろしくお願いします.

 
 元旦は初日の出と201系を拝むべく中央線の多摩川鉄橋へ.12月31日の201系H4は年越し運転となる57Tで高尾停泊,翌1日は高尾発659Tの運転となり初日の出時間帯に立川~日野間を通過ダイヤのため多摩川まで足を運んだ.
 結果としては太陽が出る前に通過してしまったが,初日の出の光で浮かび上がる201系のシルエットはカメラに納めることが出来た.(写真左)結局初日の出と車両を共に撮影できたのが201系通過6分後の電車で右の写真.
 

★以下201系年越し云々…

 31日は201系乗り納めをすべく家を出た.
 
 まずは京葉線へ.特に予定も立てず出発したので西武線の車内で時刻表を必死に見て中央,青梅,京葉の3路線のうちどれから攻めるか悩み,まずは運転本数の多いであろう京葉線へ.

 国分寺から東京駅までは201系と時間が合わないためE233系で移動,東京に到着したとき丁度201系が停車しているが,1本前の武蔵野線205系で葛西臨海公園へ先回りしK3・53を撮影して乗車.
 
葛西臨海公園(左)と新浦安~市川塩浜間を走行中のモハ201-225車内

 次駅の舞浜には20人ぐらい「鉄」がいました.『何か来るんですか?』と201系しか眼中にない自分が疑問に思う.ちなみに葛西臨海公園は0名だった.
 この時間帯は蘇我まで運転する列車が少ないのと,中央線の201系運転時間も考えると京葉線でゆっくり出来ない為途中の二俣新町で下車する.この列車は新浦安で快速に抜かれたため車内には乗客は僅か.暖かくガラガラの201系車内から眺める東京湾はマッタリとしていて幸せ気分を味わえた.

 二俣新町で下車,上りの201系まで10分程度待機.その先の南船橋まで行っても良かったが,入線する列車の撮影を考えると二俣新町の方がベターなため.

 入線してきたのはK1・51.この列車と同時に55運用に充当されたK2・52が下り線に入線し二俣新町で並ぶ.予想していなかっただけに嬉しい一時.

 東京まで乗車し中央線ホームへ.数分で201系H7が入線し,立川までチョッパ音とモーター音のハーモニーを楽しみながら乗車.

久しぶりに撮った東京駅定番撮影ポイント.この時も数名が撮影していた.
 
 立川から青梅へ向かうため下車し時間調整も兼ねて昼食を.31日の大晦日なので1・2番線で駅そばを食べると,先ほど乗車したH7が豊田から折り返してくる時間となったのでホームの下り方へ移動し撮影.

 青梅線で青梅へ移動しホームからE233系の形式写真を撮影しながら時間潰し.入線してきた折り返し奥多摩行E233系に乗車,上り四季彩を撮影するため石神前で下車.撮影後そのまま四季彩に乗車したが,車内はガラガラのためクハ200のペアシートで再度マッタリと.

 青梅到着後にモハ201へ移動し青梅~奥多摩間1往復して帰ろうと予定するも,石神前から青梅への乗車中に発生した御嶽付近の公衆立ち入りのため,乗車した四季彩は途中駅で数十分停車.予定が狂ってしまい夜の部も考慮し仕方なく御嶽で下車,上りホリデー快速に乗車し拝島へ.
 拝島でホリデー快速下車し,201系H4が年越し運用に入っているか青梅行1657Tを確認し西武線で帰路に.

 自宅で年越しそばを済ませ,三脚を持って再度中央線へ.予定通り201系H4が2256Tの各駅停車東京行に充当されたので,めでたく昨年に引き続き201系車内で年越し各停確定となった. 
 
 
 ホーム下り方で撮影し,一番近い8号車のモハ201-221のチョッパ直上に乗車.最初誰も居なかったが,いつの間にか201系某スレ住人の方々が集まり,日野からはいつもの面子であるげ●け●は氏,味醂醤油氏も合流.いつの間にかロングシート2本が埋まる.201系という電車の存在が年末年始の貴重な時間を過ごす為に集まったのはとても嬉しいことだ.
 2008年から2009年へ変わる瞬間は同じ車内にいた別の陽気な若い乗客数名がカウントダウンを開始,若干ずれていたが無事201系で年越が出来た.

 我々3人は御嶽行臨時列車の撮影をすることにしていたため,東京到着後は201系で立川へ引き返す事に.E233系初の御嶽神社臨の行先表示は「臨時」の2文字のため色々な意味で終了した.折角多種多様な表示の出来るLEDなのに勿体ない.

立川駅コンコースの電光表示

 その勿体なさに失望したため,立川から牛浜へ「快速 武蔵御嶽神社初日の出号」で早々に移動し,青梅線の見えるファミレスで食事を取りつつ,時折通過するE233系を眺め「臨時」表示に失望すること何度か.
 終夜運転が終わり定期列車が運転開始する頃にファミレスを出て味醂醤油氏と多摩川へ.げ●け●は氏は某祭の疲労を引きずっているので拝島でサヨナラ.立川から徒歩で多摩川へ向かい撮影したのがこの記事トップの写真.結果としては初日の出と重ならなかったが絵的に良いので結構満足できた.
 
 多摩川での撮影後味醂醤油氏と別れる.ハンドルネームの由来でもある立川は実家があり徒歩で行けるので挨拶しに向かった.H7の青梅特快東京行の時間にあわせ実家を出て西立川へ向かい2009年初青梅特快撮影.目的を果たし自宅へ戻るため拝島へ向かうが,何気なく待っていた下り列車は201系H4.時刻表は見ていたが列車番号まで確認していなかったため,最後は嬉しいお年玉となった.

西立川に入線する201系H7の青梅特快.


■2009年の願いと抱負
 既に片手で数えられる本数になったJR東日本の201系.2009年も活躍を期待すると共に,出来る限りその活躍を自分の目とカメラ,そして文章で記録していきたいと思う. 


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