Strange Fits of Thought have I known

思いつくままに、森羅万象を語ろう・・・

プレジャーバイク

2012-05-27 16:12:34 | 人生

 オープンエアモータリングというと四輪のスポーツカーを思い起こす人が多いだろうが、究極のオープンエアモータリングはなんといってもバイクでしょうナ。

 それも大型ではなく、プレジャーバイクという50ccのお遊びバイクが最高だ。5月の晴れた日に、田園地帯の他に何も走っていない道をトコトコと走らせると「世の中にこれほどの楽しみが他にあるだろうか」といいたくなる。

 ただし、この楽しみは住まいのある場所によって制約される。クルマで快適ポイントまで運ぶなら別だが、自宅から自走して楽しむなら田舎に住むことが欠かせない。

 それにしてもかつてあれほどにぎやかだったプレジャーバイクなのに、最近ではすっかりモデル数が減りましたナ。ホンダがズーマーとモンキーシリーズの2モデル出しているのを除けば各社ともせいぜいスクーター系の1車種しかない。

 それだけ楽しめる環境が少なくなったのだと思われるがさびしいものだ。あなたが恵まれたカントリーライフを楽しんでいるとしたら、プレジャーバイクの楽しみは高価なスポーツカーの数十倍も大きいことを知ってほしいものですナ。

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劣等分子浄化

2012-05-27 11:18:59 | 時事

 教師がノイローゼを患い、しばらく自主練習が続いたわが社交ダンス愛好会だが、気が付いたら常にレッスンの足を引っ張っていた劣等メンバーが、いつの間にか消えていた。

 まだ、このままいけるかどうかは安心できないが、どうやら自主練習の間に自分の能力適正について気づくところがあったらしい。これこそわれらが「だれも捨てない教師」が恐れていたことであり、またわれわれが望んでいた結果だ。

 ヒトラーのように「劣等分子は抹殺せよ」とは言わないが、これまでのように劣等分子に合わせて普通の能力の人を低レベルに抑えるようなやり方も困る。

 劣等分子浄化に効果があったのは、皮肉なことに彼らのために粉骨砕身した「教えたがり」メンバーによる「埼玉統一ルンバ」のレッスンだった。

 いかに努力してもそのレッスン能力が劣ることは否めないし、まして低能力に対する配慮まではできないから、かれらの能力不足は見事に露出されてしまったということか。

 ダンスのレッスンも学校と同じ。低能力の人がダンスをするのは自由だが、しょせん普通の人と一緒に進むのは無理なのだ。どうしてもやるなら「特殊学級」を設けるしかない。

 この場合、低能力の人とは知的障害者ではない。いわば「ダンス音痴」という人たちで、音痴がまともに歌えないのと同様にダンスのセンス、能力が著しく劣る人たちをいう。

 とくに入会試験をやることもないダンスサークルには時折こういう人たちが入ってくる。しかし、通常の教師なら普通の能力の人に合わせたレッスンを進めるから、そうした人たちは必ず脱落し、サークルのレベルは保たれる。

 ところがわれらの教師は「だれも捨てない」ので有名で、こうした低能力者に配慮したレッスンをするものだから、われらが愛好会では低能力者がいつまでも足を引っ張る形になっていた。

 マ、これでようやく普通のダンス愛好会に戻れそうな気がしてきた。

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遊びをせんとや・・・

2012-05-24 09:28:47 | 人生

 
 あまり評判のよくない大河ドラマ「平清盛」だが天邪鬼の筆者は珍しく毎週視ている。その挿入歌の

〽「遊びをせんとや生まれけむ・・・

に心惹かれるものがある。

 調べてみたら、オリジナルは『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に載っている歌だそうだ。

     遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 

      遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ動(ゆる)がるれ

 何のために生まれてきたかなど、問うだけ無駄だとは思うがこれはこれでよしとしよう。要は「思うように生きるしかない」ということだろう。他に基準はない。

 ただし、真空中に生きるわけではないから周囲との調和を欠くと目的を達せられない。もっとも「太く短く」という生き方も珍しくはないようですナ。



 

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宇宙の神秘?

2012-05-23 10:10:44 | 時事

 今年は天体現象の当たり年だとか。まずは先日、金環日食がありましたナ。筆者もつれづれに写真を撮ってみた。

 これをもって「宇宙の神秘」などという人が多いが、実は宇宙の存在そのものがより重大な神秘ですナ。さらにいうならその宇宙を認識する「私」こそが最大の神秘だろう。

 キリスト教の神は七日間で世界を創造したそうだが、筆者は、ということはつまり、すべての人は一瞬にしてこの世界を消滅させることができる。

 「死後にも世界は残る」って?そんなことはない。なにしろ認識主体が完璧に消滅するのだから、世界には一物も残らないどころか時間も空間もすべて消滅する。

 「私」が生まれる前と同様に、ただ無、無、無、いや無すら残らないということになりますナ。

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多次元世界

2012-05-12 10:23:54 | 時事

 地球全体が21世紀に存在するというのはやはり間違いではあるまいか。

 中国や北朝鮮をはじめ、かつて第三世界と言われた国々の多くは未だ19世紀に生きているとみるほうが納得がいく。

 たしかに中国には近代的なビルが立ち並び、多くは先進国の技術、資本に寄るとはいえハイテク製品が生産されている。人権活動家だって存在する。

 しかし、それにばかり目を奪われてはいけないのだろう。彼らの国家感や人権感覚はまさに19世紀か20世紀初頭のものだ。

 韓国にしたところで、彼らの歪んだナショナリズムを見る限り21世紀に到達しているようには見えない。とかく「先進国」、「途上国」というと経済の発展段階だけに目が行き勝ちだが、本当は世界観、国家観からして時代の開きが存在するとみるべきだろう。

 そうした前提で外交も防衛体制も整えておかないと大変なことになりそうだ。

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