前記事の続き。
共同租界地の中で、上海大厦の裏手にある呉淞路と四川北路周辺は昔日本人が多く住んでいた地域。
戦中、上海には一番多い時で10万人ほどの日本人が住んでいたそうで、現在とほぼ同数の日本人の
多くがこの虹口地区に住んでいたと想像すると、まさに「日本人街」だったはず。
その頃、呉淞路には病院や旅館、鮮魚店に呉服屋、お土産屋などで賑わう一角だったみたい。
今では多くの建物が取り壊されて再開発が進んで様相は様変わりしたけれど、よ~く見てみると、
昭和的な雰囲気漂う建物が残っていて、わずかに当時を偲ぶことができる。
例えば、こちら。
左は芥川龍之介など著名人も宿泊したという一流日本旅館「萬歳館」(1904年)。
右はたぶんデパートの「松坂屋」。ややピンクがかった外壁がレトロ。
中にはこんなモダンな建物も。
左は虹口救火会(隣の青い屋根は毎日新聞社)、右は小学校。
現在でもきれいに修復されて消防署と小学校として使用されている。
それから日本軍の関連施設だった場所も有り。
日本憲兵隊本部(左)と日本海軍特別陸戦隊本部(右)。
今では中国軍関係や商店、住居などが入っていて、そうだと聞かなければ全く分からないけれど。
日本的といえば・・・
ちょっと異国風な真っ白い西本願寺別院(1931年)と、本圀寺。
西本願寺は戦後博物館や(なぜか)体育倶楽部などになったようだけれど、現在は閉鎖中。
本圀寺は寺社の入口の部分だけが残り、後ろは普通のアパートで人が住んでいるので、
中を覗いたら住人のおばちゃんに「何か用?」って言われてしまうかも(笑。
他にも日本人に関わる建物はあるけれど、ほとんどが優秀歴史建造物に指定されていないので
その背景を知ることは難しい。
だから何度も歩いてる場所なのに、今までその歴史に全く気が付かずに通り過ぎていた。
でも、今回こんなマニアックな情報を得ることができたのは、夫が日本で買ってきた本のお陰。
古い街並みと現在の街並みが重ねて表示してある地図で、詳しい情報が満載の珍しいガイドブック。
この本を片手に上海の街歩き、しばらく楽しめそう。
共同租界地の中で、上海大厦の裏手にある呉淞路と四川北路周辺は昔日本人が多く住んでいた地域。
戦中、上海には一番多い時で10万人ほどの日本人が住んでいたそうで、現在とほぼ同数の日本人の
多くがこの虹口地区に住んでいたと想像すると、まさに「日本人街」だったはず。
その頃、呉淞路には病院や旅館、鮮魚店に呉服屋、お土産屋などで賑わう一角だったみたい。
今では多くの建物が取り壊されて再開発が進んで様相は様変わりしたけれど、よ~く見てみると、
昭和的な雰囲気漂う建物が残っていて、わずかに当時を偲ぶことができる。
例えば、こちら。
左は芥川龍之介など著名人も宿泊したという一流日本旅館「萬歳館」(1904年)。
右はたぶんデパートの「松坂屋」。ややピンクがかった外壁がレトロ。
中にはこんなモダンな建物も。
左は虹口救火会(隣の青い屋根は毎日新聞社)、右は小学校。
現在でもきれいに修復されて消防署と小学校として使用されている。
それから日本軍の関連施設だった場所も有り。
日本憲兵隊本部(左)と日本海軍特別陸戦隊本部(右)。
今では中国軍関係や商店、住居などが入っていて、そうだと聞かなければ全く分からないけれど。
日本的といえば・・・
ちょっと異国風な真っ白い西本願寺別院(1931年)と、本圀寺。
西本願寺は戦後博物館や(なぜか)体育倶楽部などになったようだけれど、現在は閉鎖中。
本圀寺は寺社の入口の部分だけが残り、後ろは普通のアパートで人が住んでいるので、
中を覗いたら住人のおばちゃんに「何か用?」って言われてしまうかも(笑。
他にも日本人に関わる建物はあるけれど、ほとんどが優秀歴史建造物に指定されていないので
その背景を知ることは難しい。
だから何度も歩いてる場所なのに、今までその歴史に全く気が付かずに通り過ぎていた。
でも、今回こんなマニアックな情報を得ることができたのは、夫が日本で買ってきた本のお陰。
古い街並みと現在の街並みが重ねて表示してある地図で、詳しい情報が満載の珍しいガイドブック。
この本を片手に上海の街歩き、しばらく楽しめそう。