紅葉座

be not a sheep, be a goat...

更新+

2017年03月21日 | 更新


マクロス7をすべて見終わったので再来週あたりレビューを出したい、けど書きたいことが色々あって時間がかかるかも。でもこれでようやく開拓地へ行ける。長かった・・・。



/ + /


先日、映画「サバイバルファミリー」を見に行った。

我々の身近には電気がなければ動かないものが無数に存在している。パソコンやスマホはもとより、電池式の時計、天井の照明、冷蔵庫に洗濯機、エスカレーターやエレベーター、車に電車・・・。突然その一切を使えなくなったとき、我々は一体どんなことになってしまうのか。

この映画はまさにその一点のみを「都会に住む一般家庭」の受難を通して描いている。すべての人がこの家族と同じ境遇で生きているわけではないだろう。だが、まったく違う人生を生きている人でも、この映画を、この家族の行動を見ればこう考えるのではないか、「自分ならどうするか」「自分は何をできるのか」と。

この映画を見ていると、東日本大震災の直後、数時間歩いて実家へ帰った記憶がよみがえってくる。それまで倒れる姿など想像さえしなかったようなビル群が、急に不安の対象として目に映るようになった。再び地震が起き、あの上空の窓ガラスが割れて降ってきたら・・・。そんな東京の脆さと危うさを感じながら、見知らぬ大勢の人たちと、ただ同じ方向へ歩くだけの時間。なのに妙に安心感を持ったりもした。それまでだって、毎日見知らぬ人と駅へ向かって歩いていたというのに。人間とはおかしなものである。

だが、それにしたって震災の直接の被害者に比べれば苦労のうちにも入らないだろう。そして身も蓋もない言い方をすれば、所詮は人ごとでもある。だが、だからこそこういった作品を通して思いを馳せ、知識を得て考えていくことが重要ではないか。何よりも恐ろしいことは、震災の記憶が風化することである。人間は忘れやすい。風化することは止められないにしても、だからといって考えるのをやめれば、忘却は加速度的に増していく。

この映画を作るに当たって監督の中にも震災を意識した部分はあっただろう。主人公一家の苦難をコミカルに描きながら、その裏には非常にシリアスなテーマが含まれている。彼ら主人公一家の行動は滑稽であり、その姿は明日の我が身でもある。とても面白く、そして同じほどに「笑えない」映画である。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 曲 471 | トップ |   

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。