楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

もう液体しか口に入れてはいけないそうです

2017-05-17 13:28:52 | タイの家族

チェンマイは今日も雨です。おかげですっかり気温が下がって、午前中は寒いくらいでした。妻のいる部屋のエアコンも消しています。

妻の容体は昨日とあまり変わりません。呼吸が苦しく、酸素を鼻から入れ続けています。痰が出るせいでしょうか、息をするたびに喉がガラガラと鳴ります。ときどき大きな声を出すこともあるのですが、喋る言葉は、ガラガラのせいで日本語かタイ語か分からないくらい不明瞭になってきました。

昨日退院するとき、医師から柔らかいものを含めて形のあるものの摂取を禁止されました。クスリも液体しかダメなのです。フルーツジュースのようなものは大丈夫です。でも一番いいのは、タイ語で「ナムワーン」という、少しカロリーのある飲料水だそうです。赤い液体です。そして薬は液体のモルヒネ。それに水。どれも注射器を使って少しづつ少しづつ口に入れています。

これだけしか口に入らないとすると、体は時間とともに衰弱していくのは目に見えています。鼻から管を通して流動食を入れる経管栄養というのもあります。でも酸素吸入を続けているので、それも無理。お腹に穴をあけて管を通す方法もありますが、それは多分、まだまだ生きられる人に適用するものでしょう。

どんなやり方でもいいから栄養を与えて、少しでも長く生きていてほしいという気持ちと、早く楽にさせてあげたいという思いが、私の中で交錯します。

 

妻は1973年4月に、バンコクとチェンマイのちょうど中間にあるカムペンペットという町に生まれました。妹が2人、弟も2人います。父親は怠け者でした。お金も稼げないくせに仕事をほとんどしない。酒と賭博に耽ってばかりでした。

母親は働き者です。でも長女の彼女を、何と7歳の時から働かせました。夫を遊ばせておいて、子供を使うという母親は、私から見れば失格です。でも当時のタイでは、決して珍しいことでも何でもありませんでした。

妻はそんな母親をとても大切にしています。父親のことは、私と出会った頃はひどく悪く言っていました。でも60を過ぎて糖尿病が悪化して、体が不自由になってからは、妻の態度が変わりました。

上の写真は日本です。いろいろないきさつがあって、妻は18歳の時に日本に上陸しました。詳しいストーリーはまた別の機会にして、今日はごくごく簡単に概略だけ書いておきます。

1991年8月、妻と一緒にタイから日本にやってきた若い女性は6人いました。その6人のうち4人は、日本のやくざに殺されたと妻は言います。それは新聞の片隅に載るような事件にすらならずに、闇から闇へと葬り去られたとも言いました。妻は日本でそんな世界に身を投じることになったのです。それは、もちろん本人の意思ではありません。騙されたのです。

妻はやくざな世界、あるいは夜の世界と言ってもいいのでしょうか、18歳で日本の裏の社会を知りました。そんな中でも彼女を大事にしてくれる男性も現れました。日本に来た翌年、茨木県から千葉県に移ってから、パチンコ屋の社長が彼女に目をかけてくれました。でも、その社長は1年後に病気で急死してしまいます。妻は千葉県内のタイレストランで働きました。

その頃妻は、横浜でディスコを営業していた若いタイ人男性と出会います。そして子供をもうけました。日本に来て5年目でした。

妻は男性と一緒に横浜のディスコで働きました。それだけでなく、裏社会のバカラ賭博のプロとしても働きました。一晩で数百万円を稼いだことも珍しくなかったようです。

稼いだお金は、いわゆる「タイ人マフィア」に吸い上げられるのですが、自分がもらったお金のほとんどは、カムペンペットの実家に送金しました。残念なことに、そのお金は放蕩三昧の父親の遊興費に消えていきました。それを知りながらも、母親と4人の妹弟のために、働いて働いて実家に送り続けました。

ある事情があって18歳の時から日本のやくざな世界で生きることになった妻。でも日本に上陸するために数百万円の借金を背負わされ、夜の世界の稼ぎも決して安定したものではありませんでした。

(左が長女、4歳のころでしょうか。)

妻の連れ合いだったタイ人男性は、日本にいるとき私も何度か電話で話したことがありますが、やくざではありません。音楽が好きで、ディスコを経営しながらバンドを結成していました。キーボード奏者としては、なかなの才能があるようです。でも男は浮気性で、妻は苦労しました。ほんとうに包丁を持って男を追いかけたこともあったみたいです。

結局、そのタイ人男性は小さい子供を育てていた妻を捨て、別の女に走りました。そして今に至るまで、養育費は1円も、1バーツも出したことはありません。

タイ人男性と別れるちょっと前のことでした。妻はある日本人男性と横浜で知り合います。そして何と1か月後に結婚しました。日本に上陸して9年目のことです。その男性のおかげで、はじめて合法的な配偶者ビザを取得できました。そして、すぐに男の子が生まれました。ところが、結婚後も生活の安定はえられませんでした。その男性にも借金があったのです。

 

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4 コメント

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Unknown (Teru)
2017-05-17 22:22:38
久方振りにブログ村を見ましたところ、奥様が大変な状況にあることを知りました。

奥様の痛々しい姿を目にすると、何と声をかけてあげればと喉が詰まります。
「もう楽にしてあげたい」「少しでも長く生きてほしい」との間で揺れる、うさぎさんの心を察すると胸が痛みます。
うさぎさんの奥様に対する愛情の強さを文面から感じとることができます。
奥様は若い時には大分苦労されたようですが、うさぎさんと十数年は幸せなひと時だったと思いますよ。

長女の方も心の中では大変悲しんでいるはずです。
できれば二人だけの時間を取ってあげてください。

励ましの言葉にはなりませんが、命あるもの全てに死は訪れます。
しかし残された人達の心の中に生き続けます。
いつかあの世で再び出会えると思い、残された時間を大切にしてください。

彼女の名誉のために (のり3)
2017-05-17 22:28:01
その頃、女の子売買みたいな事があったようです。
生活の為に親が女の子をタイの組織に渡し、香港経
由で日本に売られたケースがあったようです。
これも決して彼女の意思ではなく、一族の生活を支える為のことなんです。これだけは奥さんの名誉のために進言させて下さい。
そんな彼女はうさぎさんと出会い、ようやく幸福を感じたばかりなのに・・・
勝手な憶測でごめんなさい。

Teruさんへ (うさぎ)
2017-05-17 22:46:52
コメントありがとうございます。
彼女のこれまでの44年の人生の中で、どこで暮らした時間が一番幸せを感じたのか、聞いたことはありません。

ただ、(またブログに書くと思いますが)、私と出会ったころの彼女の夢は「普通の奥さんになって、子供たちと一緒に、普通に暮らしたい」ということでした。

私は、小さいときから苦労に苦労を重ねてきた彼女に、その夢をかなえてあげたい一心で一緒になりました。それが、私の人生の最後の責務だとすら思えました。それが果たせたかどうか?いつか別の世界で会った時に聞いてみたいと思います。
のり3さんへ (うさぎ)
2017-05-17 23:01:08
コメントありがとうございます。妻の生い立ちを書き始めるのはまだ早いかなとも思いました。でも、私と結婚するまでの彼女の人生も、彼女そのものです。思い返さずにはいられません。

自分をそういう境遇に追いやった運命を恨んだことがないわけではないでしょう。いわゆる人身売買のようなことは今でもあるかもしれません。でも彼女の若いころはかなり大っぴらに行われていて、日本の当局が本腰を入れて一掃しはじめたのは、ちょうど私が彼女に会った頃からのようです。

掃きだめのような世界に生きながらも(彼女は自分のことを時々「ゴミ」と言うことがあります)、あるいは、道徳や法律を振りかざしてお高くとまっている人からは指弾されるようなことが過去にあっても、彼女は人間としての心の純粋さと、弱い人、困っている人を誰隔てなく助けようとする本能を持った女性です。

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