図書館の冒険

蔵書数約100万冊の図書館の書棚から出会った本を紹介するコラム的書評

哀愁の町田に締め切りがせまるのだ2 「思い出はぐちゃぐちゃすぎて」

2017年05月16日 | Weblog
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哀愁の町に霧が降るのだ 上 (センチュリー・プレス)
椎名 誠
情報センター出版局


あいかわらず「締め切り」などないのだが、こう書くとなにやらかっこいいではないか

又吉直樹の新作「劇場」待望の発売! 平積どーん 印税ゴーン

を横目に、いつか自分も「先生(私のことだな)そろそろ、新作の締め切り……ね?」
などと編集担当の、三十二歳色白顎細瞳爽髪長良香才女がビールをつぎながら
夜更けのバーカウンターで囁いているではないか


いるわけないが「締め切り」という言葉にはそういう妄想がつきまとってしまうのだ
もちろん、作家やライターのようにそれが“仕事”となれば中毒などと言っておられず
それ書け、やれ書けと追い立てられのだから
よく「締め切り」がなければ、こんなにいい商売はないというプロの声を聞くが
それはそうだろうなと思うのだ

つまり、素人の趣味だから
「アー……締め切り過ぎちゃった、このダメ男 パシ!(鞭の響き)」
とか月に向かっておしおきごっこができるということなのだな 



遺憾なのである……

なにが“遺憾”かというと、馬鹿な元某復興大臣が「3・11のような大震災が起きたのが
東京でなくて良かった」などと口走ってしまって誠に遺憾であるとかいう
訳ではなく、このところ「図書館の冒険」ではなくて「図書館の妄想」になっているからである

ということで本来のテーマにいそいそと戻っていくのであるが、
自分以外このコンセプトにこだわっている人は、まずいないのだから 
まあ、てきとうでいいのかもしれない

本書に刺激されて昔の話を思い出し始めたというところからの続きだった
ともかく著者(主人公・椎名誠)とその他の友人達の年代は、上巻では
小学生~高校ぐらいにかけてである

私に置き換えると二、三歳から小学校の頃ということになる
生まれ育ちは以前書いたように、世田谷区の下北沢にほど近い住宅地区
(そこには、相当高級な邸宅も含まれていた、まあ現在もそうなのだがだいぶ減った)
の中にぽっこりと建てられた都営アパートだ

これも以前書いたが、「49C」という機関車みたいな型式で呼ばれる、その後の集合住宅のプロトタイプとなったアパートだ 1949年に設計されたCタイプ(A~Cまであったうちの一番狭い10㎡程度)だから「49C」で、その後改良されて(広くなって)「51」シリーズに発展する ザク量産型、もしくはやられっぱなしの量産型ジムみたいでなにやら安っぽいイメージだが、当時は最先端だった……らしい



そもそも、今では考えられないだろうが4階建鉄筋コンクリート造という住居がなかった時代だ
余談だが、スタジオジブリの「コクリコ坂から」にチラリと姿を見せるアパートが
これをモデルにしていると思われるのだが、構造的にはどう見ても“変”なので、制作サイドの見逃しかもしれない……知らんけど




そうだ、本題だ

椎名誠は子ども時代のことを良く覚えていて、本書ではその状況を生き生きと
綴っている もっとも、執筆時は三十代半ば頃だから記憶もわりに鮮明だったのかも
しれない

私の場合、半世紀を経ているのでそもそも記憶が曖昧なうえに、自分に都合よく
書き換えているところもあるようだ
映画の予告編みたいなもので、数秒のカットがチャカチャカと連続している感じである
それも、始まりは幼稚園時代頃からで、それ以前の記憶はない……と思う

「思い出は~、ぐちゃぐちゃすぎて」なのである
人は死ぬ間際に自分の過去を全て鮮明に、まるで映画を見るように思いだすというが
本当かな? もし、そうだとしても大半はねつ造したものじゃないかな

幼稚園以前の唯一の明確な記憶は京王井之頭線の「駒場駅」を電車が出発するときの
「ぷあん」という警笛音だ

「駒場駅」は、その後お隣の東大前駅と統合されているので、今は面影もない

幼児期(昭和30年頃かな)には、住んでいた都営アパートから駒場駅まで十分ほどの
道を毎朝のように母とともに、渋谷へ通勤する父を送っていった
と聞かされている この先の文章は記憶と妄想の寄せ鍋だ




父は改札をぬけたあたりでふり返り手を振る
まだ二十代後半、今で言えばアラサーの若い素顔が輝くような白いワイシャツの上で
はじけるように笑っている

幸せはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが 流れる汗に未来をこめて 
明るい社会をつくること
(石原健治作詞 木下航二作曲)

この頃の父は、まるでそれが天性であったかのように
食品材料卸の仕事でめきめきと頭角をあらわし、会社に行くのが楽しくて仕方がない
といった風情だった
二十代半ばの母に抱き上げられた私は、線路と道を隔てる木柵沿いに立ち、父に応えて手を振った
やがて、下北沢方向から風を巻いて走ってきた四輌編成オリーブドラブの電車がホームに滑り込む
止まる時間も惜しい、さっさと乗れと言わんばかりに車体が震えるような感じだ
勤め人とおぼしきネズミ色のスーツ姿の群れがぐいぐい電車に乗り込み
頃合いを見定めた車掌が「よし!」などと声を発して片手を大きく振り上げる

ここで私は必ず両掌で左右の耳をふさいだ 息をつめて身がまえる

「ぷああん!」

発車の時に「どけ! 俺様のお通りだ」といわんばかりに警笛が鳴るのを知っていたからだ
初めてこの警笛を聞いた時には、泣き喚いたという

「あなたは、子供の頃から気が小さいんだから」
母はこの話をひき合いに、ずいぶんと大人になっても笑いながら話したものだった
というと、もう死んでしまったみたいだが八十五歳でばりばりに元気である
そして、私はいまだに電車の警笛が苦手である

次回は幼稚園編だ 

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