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★ジロドゥ戯曲全集5「オンディーヌ」

2007-05-05 | 
1930年代~40年代の映画にこのところはまっている。
そんな理由もあってフランスの個性派俳優、ルイ.ジューベに現在心乱されている。映画の画面に出てくると不思議な存在感のある俳優で、見終わった後は全くの他人とは思えない、そう、生まれ育った故郷に、記憶の中に存在していたような...
ネットで調べたところ、どう年代から考えても亡くなっていることは至極当然だが、文字でそれを目の当たりにしたときは涙出そうだった。ジューベは映画俳優でもあるが、実はフランス演劇の有名な演出家でもあり、ジロドゥという脚本家の書いた芝居を多々上演している。こんな事がわかった。
なぜかカタカナ表記にすると、映画俳優では”ジューベ”。
演劇関係の文献では”ジュウ゛ェ”ややこしい。
ま、そんなこんなで、ジロドゥの戯曲集を読んだがこの5刊目の中の「オンディーヌ」は特別に面白い!夢幻なのに現実的。有限なのに無限の時の流れ。突拍子もない展開なのに大いなる説得力。舞台でしか実現できないであろう超現実な世界が存在している。読み終わった時はしばし放心。舞台を見終わって拍手するのを忘れたかのような甘美で哀しい時。不思議な魔力のある戯曲だ。

話は...
水の精.オンディーヌと騎士ハンスのはかない恋の物語。なんて言うと、一見安っぽいメロドラマのようだが、オンディーヌのキャラクターはまるで野生児!よくある都合のいい可愛子ちゃんではない。しつけも体裁もあったもんじゃいズケズケとあけすけな、15歳にして数百歳の少女。そして、彼女が一目惚れしたハンスはお馬鹿で優柔不断な色男。オンディーヌが王室結婚披露の席で吐いた言葉を借りれば

オンディーヌ「(オンディーヌは人間の心が読める設定)...あんたは馬鹿。だけどあんたって綺麗よ。あの女たち、みんなそれを知っているわ。みんなこういっているわ、「綺麗だけど、お馬鹿さん、だから御しやすいわ!」って。「綺麗だから、あの腕に抱かれて接吻したらいい気持ちだろう。それに、お馬鹿さんだから、ものにするのはわけないわ」...」

この二人と三角関係になるベルタ姫は、表面的には良識ある良妻賢母的美人、内心は狡猾な、人間の女の代表的女。
オンディーヌが水界の王と結んだ契約”ハンスがこの一つ愛を裏切ったら、彼の命を落とす”
狂気にも似て純粋なオンディーヌが、愛を勝ち取るためにとった方法は...身をひいてハンスとベルタを見守る事!?結局、ハンスはベルタと結婚することになる。一見ベルタが彼の愛を勝ち取ったかのようだが、嗚呼恋愛とは何と逆説的な事よ...死を目の前にした彼と、記憶を消滅させられる寸前のオンディーヌ、この二人の短い、惜しむような愛の時間の、甘美で永遠を感じさせる瞬間!たまらない。

舞台ならではの仕掛けも満載で、冒頭の嵐の中の漁師の小屋の窓に出現する首!とか、結婚式の余興のためにあざらしの曲芸師、水界の王が変装した魔術師の火山や滝の出現などの魔術!余興の芝居とともに年をとる侍従!ハンスを見張る水たち、噴水の湧き上がり?!一体舞台ではどういう仕掛けしたんだ?!と、想像に及ばぬことに頭をめぐらした。
しかもこの脚本の逆説的な部分は本当に素晴らしい。オンディーヌ自体がそういった象徴なのだからこそ成り立つ不条理なのだろうか。例えば、死を前にしたハンスが、何と美しい女性!と感嘆の声を上げるが、彼女は六十の醜いばあさんなのだ。その皿洗い女中のセリフ「...からだは醜いけど、魂はきれい...」ハンスには美しい娘に見え、実は醜老婆...舞台ではどんな女が出てきたのだろう?老婆?それとも絶世の美女?!
こんなシーンもある。浮気のため死ぬであろうハンスをかばい、オンディーヌが詩人をたぶらかし抱かれるのだ。これを裁判のシーンで再現するのだが、網に捕まったオンディーヌが裸で詩人と抱き合い接吻する。身悶えしながらオンディーヌの発した言葉は...「ハンス!ハンス!」
他の男に抱かれ身悶えしながら、真に愛する男の名前を呼ぶのだ。
こういったエロチックしかも胸が締めつけられるシーンも舞台ならではと思う。生の女の肌に戸惑いながら甘く切ない感傷とエロスと愛に揺さぶられる。

永遠と愛。
人間には計り知れないが、この脚本を読んだ時、かいま見る事ができた。
名声や権威にまみれる事無く、演劇の芸術を素直に感じ、誠実に学んだ演出家のもとで上演されたらと切に思う。






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