「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

聖霊を汚す罪について 2 (エル・カンターレ信仰は、神仏に対する冒涜?)

2013-02-08 | 感想 2

聖霊を汚す罪について 1

 

 

自分も随分まえから、聖霊を汚す罪について考え続けていますが、現段階では、その結論は、エル・カンターレ信仰は、神仏に対する冒涜ではないかというものです。というのも、本物の仏陀や高級諸神霊は、HS信者たちを見たら次のように言うのではないかと思うからです。

 

「あなたたちは、わたしたちが、あのような汚い言葉を吐くと思うのか。元嫁や元弟子に悪口雑言をあびせかけたり、過去の偉人を見下すような発言をすると思うのか。そのような物言いをする者を仏陀だと信じたり、その霊言を高級諸神霊によるものだとか信じるのは、わたしたちに対する侮辱である。わたしたちはそのような存在ではない」

 

もしかしたら、慈愛にあふれた本物の仏陀や高級諸神霊はこう思うかもしれません。

 

「あの者たちも、自分なりに懸命に生きているのだろう。本物の仏陀や高級諸神霊との縁が薄かった者たちが、本物を見分けることができず、間違った宗教に引きこまれてしまうのも無理もないことだ。あの者たちを救い出すために最大限の努力をしようではないか」

 

わたしは、仏陀でもなく、高級霊でもないので、彼らの心はこうであると断定的なことは書けません。けれども仏陀や高級霊が存在するならば、大川隆法よりも、その霊言集よりも、もっともっと高貴で清らかな存在にちがいないと信じています。

信者さんにも、わたしと同じように、大川隆法よりも、もっと高貴で清らかな存在を想像できる人がいるならば、そちらの方を信仰対象にしてみてはどうかと思います。おそらくその方が神の近くに行けます。

大川隆法よりも高貴で清らかな仏陀像を心に描けるのに、大川隆法を仏陀と信じねばならぬという思いから、仏陀とは大川隆法のような存在であると信じ込もうとすることは、仏陀を大川隆法レベルまで引き摺り下ろすことです。これは仏陀に対する冒涜であると同時に、自分を仏陀から引き離す行為です。信者さんにはこの愚かさに気付いてほしいと思います。



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