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文革の真実を求める中国国民を黙殺する「日中友好」の呪縛

2016-10-20 22:43:42 | 中国・中国共産党・経済・民度・香港

文革の真実を求める中国国民を黙殺する「日中友好」の呪縛

2016年10月18日(火)11時20分  Newsweek
 

<文化大革命の最新研究が明かすモンゴル人大虐殺や「革命的食人」。真相解明を嫌がるのは習政権か、日本の「進歩的知識人」か>

(写真:毛沢東の肖像と天安門事件の学生の写真が組み合わせられた香港の展示)

「アメリカで南北戦争のシンポジウムができないことがあるだろうか。アメリカ人がわざわざ北京に避難して開催するようなことはあり得ない」

 このように発言したのは、ある著名なアメリカ人の中国研究者。6月末に米西海岸で行われた「毛沢東の遺産と現代中国」という文化大革命(文革)国際シンポジウムでの発言だ。アメリカに大きな傷痕を残した歴史的内戦を例に挙げて、文革に関する研究会が開けない中国の現状を批判した。

 今年は文革が発動されて50周年に当たる節目の年。アメリカではこのシンポジウムを皮切りに、文革関係の研究会がめじろ押しだ。一方、本国の中国では文革は禁句なだけでない。文革記念館のような数少ない民間施設もすべて閉鎖されるか、「愛国主義教育基地」に改造されるかの運命をたどっている。

 私も招待された6月のシンポジウムには100人以上の研究者らが集まった。中国からの参加者らはいずれも、厳しい出国制限をくぐり抜けてきたという。

 

歴史を反省せずに50年、習近平の文化大革命が始まった


 印象的だったのは、アメリカ人研究者らの中国に対する姿勢だ。アメリカには「屠竜派」や「抱擁熊猫(パンダ)派」のような表現があるように、「暴れる狂竜を屠(ほふ)るべき」という強硬派もいれば、「平和的に台頭しているパンダを抱擁せよ」という穏健派もいる。

 ただ、それは総じて中国に接する姿勢の問題でしかない。思想的には、中国はソ連崩壊後に残った共産主義の脅威の源であるという点で、アメリカ人研究者の見解は一致している。

テレビ局が恐れた「意見」

 アメリカと異なって、日本はまさに思想やイデオロギーの面から中国を直視できないでいる。文革研究をする私のところにも日本の大手テレビ局のスタッフが訪ねてきて、文革の番組ができないか話し合ったことがある。

 世界の最新の研究成果を取り入れなければ放送の意味がない、と私は伝えた。例えば、米シンポジウムで研究者たちは、文革の被害者が最も多かったのは内モンゴル自治区と広西チワン族自治区だった、と報告した。

 内モンゴルでは中国人(漢民族)による一方的なモンゴル人ジェノサイド(集団虐殺)が発生。広西では「階級の敵」とされた者が共産党幹部らに食される「革命的食人」が横行した事実は、今では広く知られている。

これらは決して噂や特異例ではなく、政府公文書も含む豊富な第1次資料による研究成果だ。しかし日本のテレビ局は、その熱意をこのような事実に向けることなく番組を作ることになったそうだ。「中国人が嫌がるような、日中友好の障害となりそうな番組は作らないほうがいい」と社内外の意見に押された結果だ、とディレクターは嘆く。

「嫌がる中国人」とは誰のことか。文革の被害者数については諸説あるが、1000万人に上るという政府高官の見解が中国国民に共有されている。この膨大な数の被害者家族らは真相の解明を嫌がるどころか、期待している。だが共産党政権は彼らを抑圧し、実態解明を嫌がる。

「日中友好」を掲げる日本人も中国国民の真相解明への期待を直視することなく、習近平(シー・チンピン)政権が嫌がる動きを自粛するだけだ。

 

中国が文革の悪夢を葬り去れない理由


 さらに頭痛の種は内モンゴル自治区での文革だ。当時モンゴル人は「日本のスパイ」「協力者」と見なされて殺害された。「日本による中国侵略」史観に立って友好を唱える人々にとって、日本も中国も共に満州やモンゴルの植民地化を担ってきたことへの言及は極力避けなければならない。日中友好の妨げになる新たな歴史認識問題に飛び火する危険性もあるからだ。

 過去に文革を称賛した者や、日中友好を宗教のように信奉する人たちを、日本では左派や進歩的知識人と表現する。彼らは普段、人権や正義を看板として掲げている。だが文革に関する番組制作を封じ込めようとしている事実を見ると、彼らこそが歴史を反省しようとしない修正主義者だ、と指摘しておかねばならない。楊海英(本誌コラムニスト)

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文化大革命の犠牲者をちょっと。

毛沢東より優れていたため、失策責任をでっちあげられた劉少奇氏。鄧小平も責任を問われ失脚させられたが、毛沢東の死後復活しました。 

失策責任追及された劉少奇 死亡時の体重は20キロ未満だった

  中国共産党の歴代指導者たちは常に失脚は暗殺に怯え、同誌や部下の粛清を繰り返してきた。その権力闘争の歴史のなかで空前絶後の「極悪人」は毛沢東だと指摘するのは評論家の宮崎正弘氏。そんな同氏が、1958年から行われた急進的な社会主義建設の試み「大躍進政策」の失敗により悲劇に見舞われた劉少奇の死に関する、現在の中国共産党の嘘について語る。


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 大躍進政策の大失策が明らかになると毛沢東は国家主席の座をナンバー2の劉少奇に譲る。
 
 ところが市場主義を導入して経済を立て直そうとした劉少奇や鄧小平ら改革派の権力が強まると、毛沢東は彼らに「走資派(中共内で資本主義の復活を目指す実権派)」のレッテルを貼り、反革命勢力打倒を掲げて「文化大革命」を発動する。毛沢東の腹心の林彪が国防部長として軍を掌握、毛の妻の江青ら悪名高き「四人組」(江青、王洪文、張春橋、姚文元)が恐怖政治を敢行した。

 毛沢東思想を狂信する少年少女は「紅衛兵」と称し、「造反有理(造反にこそ正しい理がある)」をスローガンに各地で反革命分子の吊し上げを行った。北京郊外の大興県では、乳幼児から老人まで325人を虐殺。文化大革命中、推定、数百万~1000万人以上の死者・行方不明者が生じた。

 狙われた劉少奇は1968年10月の党大会で「裏切り者」、「国民党反動派の手先」と糾弾され、党を除名される。自宅には紅衛兵が乗り込み、罵倒とリンチを延々と繰り返した。1969年10月に肺炎で非業の死を遂げたが、死亡時の体重は20kgに満たず、紅衛兵に殴り殺されたとの説もある。自らの地位を脅かす政敵を徹底して叩き潰すのも独裁者・毛沢東の流儀だった。

 ところが現在、中共は劉少奇が死去した河南省開封に「逝去跡記念館」を建て、劉少奇の危篤時に医師団が駆け付けて酸素ボンベで救命を図ったというお涙頂戴の物語を流布する。嘘に塗れた「正史」である。

Nwesポストセブン  2015.07.02 07:00より

毛沢東が行った大躍進政策も文化大革命も筆舌に尽くしがたい大犯罪です。これが建国の父ですから、

中国がどの程度の国かそんなのすぐ判りますね。

毛沢東と親密な頃。第二代主席になり、毛沢東の大躍進政策で疲弊した経済を立て直すのに力を注いだ。

文化大革命で糾弾される。

病身のまま」倉庫に幽閉され、放置死。

劉少奇の妻。紅衛兵にさらし者にされる。

鄧小平の糾弾ポスター

「芙蓉鎮」(1987年作)という中国映画がありました。文化大革命を庶民のレベルから描いた作品です。テレビで2~3回放映されました。(10年以上前)

こういう映画はもう作られないんだろうなと思います。

主演は当時中国で一番人気の女優さんです。

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