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<アフリカの内戦、飢餓>ソマリアで大規模干ばつ、2日間で110人死亡 人口の半分620万人が深刻な食糧不足に 。コレラ感染の恐れも。

2017-03-14 04:06:26 | 内戦・紛争

ソマリアで大規模干ばつ、2日間で110人死亡 人口の半分620万人が深刻な食糧不足に

2017年03月07日 13時23分 JST     |  執筆者:


アフリカ東部のソマリアで2017年2月末から3月初旬にかけて、大規模な干ばつで飢饉が発生し、3月4〜5日の2日間で少なくとも110人を超える死者が死亡した。

ソマリアのハッサン・アリ・カイレ首相は5日、南西部のベイ地域で48時間に少なくとも110人が飢饉や下痢で死亡した、と述べた。

「遊牧民や家畜にとって厳しい状況だ」と、首相官邸は声明を発表した。


干上がった川底の近くでラクダに水を飲ませる遊牧民の男たちと少年たち。2017年2月24日、ソマリアのデュードにて

ソマリアの人道的な危機は、過去6年間で急激に悪化している。ロイター通信によると、2016年の雨季は例年よりも降雨量が少なく、また、2017年春の降雨予想も芳しくないという。

 

国際連合は、ソマリアの人口のおよそ半分に当たる620万人が深刻な食糧不足に見舞われ、生きるための保護が必要になる、と警告している。世界保健機関(WHO)によると、東アフリカにあるこの国では、36万人以上が極度の栄養不良で、そのうち7万人の子供たちに緊急の救済措置が必要だという。

 

2月28日、新しく選出されたソマリアのモハメド・アブドゥライ・モハメド大統領は、干ばつを「国家的な災害」と宣言し、国際社会に支援を求めた。

国内で行き場を失った人たちのために設けられたキャンプのテントで談話する男たち。ソマリアのカリン・サルマヨ

人道支援組織は、すべての村が作物を失った、と報告している。水と食料の価格は、急激に上昇した。農家や遊牧民の多くは、家畜を失った。特に南部のベイやバクール地域で、賃金労働に頼っている多くの家族は、収入を失った。


清潔な水が不足し、伝染病の危険が増大している。WHOは、約550万人がコレラに感染する恐れがあり、2017年の報告では4000人以上がすでに深刻な下痢を発症している、と報告している。

国内で行き場を失った人々のために祈る男たち。カリン・サルマヨにて

AP通信によると、この緊急事態で数千人が家を追われ、食料と水を求めているという。彼らの多くは、首都モガディシュへ向かい、支援組織には大勢の人が押し寄せた。


支援組織は寄付を呼びかけているが、現在のところ、干ばつに見舞われた地域にアクセスするのが難しい場所もあると認めている。

ソマリアの一部の地域では、干ばつが引き起こした被害に暴力が追い打ちをかけている。治安の悪化が、救援を困難にするばかりでなく、人々の行き場を失くし、数年以上に渡って極度の貧困の原因となっている。

政府の運営する診療所で少女を診察する医師。カリン・サルマヨのキャンプ内にて。

干ばつによって、本格的な飢饉の恐れが高まっている。国際移住機関は3日、国際社会に救援を求め、現在の状況は2011年の飢饉と同様のものになる恐れがある、と話した。2011年の飢饉ではソマリアで25万人が死亡した。


「支援がなければ、大勢の人が栄養不良に苦しむ。病気になる危険性が大きく、また、生活を失い、死に至る場合もある」と、国際移住機関は訴えている。

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ソマリア、素敵な国名です。私的に。

もしワンダーウーマンのように強かったら是非行ってみたい国です。(余談ですがワンダーウーマン2017年新しいムービーが封切られます)

ソマリアは正式政府がある独立国家として現在国際的に認められています。国名ソマリア連邦共和国

イスラム過激派が国内にいますし、氏族(日本で言えば昔の豪族)間の争いもすぐ起こります。現在も安定した国家とは言えません。

ソマリア=崩壊国家というのが国際社会の認識です。

外務省の渡航安全度は真っ赤です。「レベル4退避して下さい。渡航は止めて下さい。」です。

この素敵な国名の国家、長い間無政府状態が続き壮絶な歴史の国家なんです。

建国以来50年以上内戦の繰り返し、虐殺、略奪、飢饉が続いたのです。ソマリアを知る人は「リアル北斗の拳」と言います。

米軍も追っ払ってしまったし(正式には国連支援軍の惨敗)一時国連も見放しました。

飢餓状態にある子供たちやソマリヤ海賊の報道がたまにされるだけで日本には情報はあまりはいってきません。

危なくて日本のメディアも簡単に入っていけません。NHKが一度入国したかな。

ソマリアは国土の形から「アフリカの角 Horn of Africa」と呼ばれています。

ソマリア国内は大まかに3つの地域に分かれています。これがまた厄介。

ソマリランド・・・地図の黄色い部分。1991年独立。自称独立国家で大統領もいます。国際的には認められていません。ソマリア政府はソマリアの国家の一部だとしています。ソマリランドはソマリアではないとしています。中国と台湾のような関係です。ソマリア内では比較的安定していた地域

プントランド・・・地図の一番薄い青部分。1998年独立。大統領もいますがソマリア政府は認めていません。ここは氏族の対立による内戦が多発していた地域。海賊の拠点が最も多い。

南西部・・・濃い水色の部分。首都モガディッシュがあります。氏族間の争いが絶えない地域。日々殺し合いの世界の無法地帯。こここそがリアル「北斗の拳」の世界。

ソマリアについての日本語の資料は少ないです。大学の研究者が論文を出していますが数えるほどしかありません。(私が探した範囲では)

日本の著書ではソマリアをレポートした貴重な「謎の独立国家 ソマリランド」高野秀行著、ソマリアの3地域について書かれています。

BBC,CNN,AFPはアフリカの情報をよく報道しますが日本語に訳されるのは一部です。人名や組織の名称を把握してないと流れを理解するのがむずかし

い。

なにせ、ぐちゃぐちゃの内戦地帯ですから。今はイスラム武装組織「「アル・シャバブ」が暴れている。

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簡単なソマリア現代史・・・・いろんなところから情報を拾っているので正確ではないかもしれませんが、大まかな流れは判ると思います。

1960年にイギリス、イタリアの統治から独立し、ソマリア共和国という民主主義の国家を建国しましたが、アフリカならではの弊害、部族重視の伝統がソマリアを常に対立、混乱が襲います。

初代大統領アデン・アブドラ・ウスマン・・・大ソマリア主義を掲げる。ソマリア人が居住している地域を併合し大ソマリア国の建国をする思想

第2代大統領の暗殺、クーデターにより社会主義国家ソマリア民主共和国に変わります。政権を執ったのがバーレ少将

バーレ政権は社会主義への改革をしますが急激すぎて効果上がらず、ソマリア内は混乱

反バーレの動きが出てくるとバーレは独裁者になっていきます。そして「大ソマリア主義」が再び掲げます。

ソマリア国内の他にソマリア人は隣のエチオピアやケニアにも居住していました。「大ソマリア主義が原因で」ソマリアとこの2国はしばしば衝突していました。

オガデン戦争にまで発展したのがエチオピアとの衝突です。エチオピアのオガデンという地方に住んでいたソマリア人が分離独立を唱え反乱を起こします。

そこへソマリア政府が反乱を支援します。エチオピアは大激怒し戦争に発展します。

日本でいうならば大阪府に居住している在日〇〇人が大阪を国にするニダと反乱を起こし〇〇という国が反乱を支援したら日本人は黙っていますか?

他国に住んでいながらそこで独立反乱ですよ。そりゃ戦争になりますよ。

1977年:オガデン戦争勃発。そして冷戦時代です。あの2国が黙っていません。旧ソ連は社会主義国エチオピアを米国は社会主義国ソマリアを支援。米国もソ連対抗とあらば社会主義国応援しているのですね。

ソマリア国内はバーレが独裁をさらに強めバーレが所属するマレハン氏族とその地域だけを優遇します。そうなると反バーレ派が増えてきます。1980年代いくつかの反バーレ派が連合し反政府組織となり武装反乱を起こします。内戦勃発。

ソマリア政府はオガデン戦争を戦っているため国内の反政府勢力を抑えられません。

1988年:オガデン戦争は停戦します。この戦争でソマリアの窮乏化が加速。

政府の力はなく反政府組織は1991年統一ソマリア会議(USC)が首都モガディッシュを支配下おきます。そしてバーレはナイジェリアに亡命。

そこから民主主義国家になればメデタシ、メデタシなんですがここはアフリカなんです。

統一ソマリア会議(USC)内で派閥争いが始まります。

首都制圧後のUSCはアリ・マハディ・モハメドという人物を暫定大統領にします。

これに対しモハメッド・ファッラ・アイディードという将軍が力を確立してきます。

アイディード将軍はバーレ政権の時、オガデン戦争で功績のある将軍で、反政府組織に所属してからも指導者としての立場を確立してきました。

USCの中でモハメド派とアンディード将軍派に分かれ武装対立します。

1991年アンディード派がモハメド暫定大統領を攻撃し、モハメドは首都脱出。

アイディード派はその後、武装勢力4派と政治組織ソマリア国民同盟(SNA)を結成、モハメド派も11派を傘下に入れます。

SNAとUSCは内戦激化させます。当然虐殺や略奪、食料不足も起きます。

1991年6月:北部の旧英国領地域がソマリランド共和国として独立を宣言

1991年12月:モハメドは国際連合に対しPKO部隊派遣を要請。

国連が物資支援しようとすると武装勢力が横取りしちゃうのです。

 米国軍を中心とした国連の支援軍はアンディード将軍逮捕の為首都に向かいます。

この国連軍に対しアンディードは宣戦布告するのです。モガディシュの戦闘が始まる。

アンディード派の民兵の待ち伏せにより米国軍は大きな被害を受けまさかの負け戦。

この戦いは映画にもなりました「ブラックホーク・ダウン」。

 

 ソマリア内戦の介入に失敗した国連はソマリアでのPKOに消極的になり、世界が段々見放していきます。ソマリアの内戦は続きます。

1998年7月:北西部の氏族の一部が自治国家プントランド共和国の樹立を宣言

20世紀のソマリアは内戦によって国民は疲弊し、飢餓状態にありました。

そして21世紀も国民は内戦に苦しみます。

和平協定の協議も意見の対立で終わったり、暫定政権が成立するも承認しない派閥がでてきたりで政府が機能しない。一向に内戦は終わりません。

2000年・・・ハッサン暫定政権

2004年・・・ユスフ暫定政権

そこにイスラム組織が絡んできます。

1990年代より勢力をのばしてきたイスラム原理主義「イスラム法廷会議」が2006年6月には、首都モガディシュを占領。

2006年:国連安保理国際平和維持部隊8000人派遣。エチオピアとイスラム法廷会議が戦争になる。米軍特殊部隊介入。

イスラム法廷会議首都モガディシュ放棄。

2007年:エチオピア、ソマリア暫定政府が勝利宣言。

2008年8月:イスラム過激派「アル・シャバブ」が 南部の都市キスマヨを占拠、

2009年:アフメド新大統領による暫定政府の発足。イスラム法廷勢力との和平協定

2009年1月:「アル・シャバブ」がソマリア暫定議会のあるバイドアを占拠、5月にはジョハールを占拠。6月には首都モガディシュがアル・シャバブ主導の反政府勢力に包囲され、アフマド大統領によって外国軍の支援を求める声明が出された。

2009年9月:ソマリア内でイスラム過激派「アル・シャバブ」と反政府武力勢力「ヒズブル・イスラム」は互いに宣戦を布告した。

2011年:ケニア軍、エチオピア軍の支援により暫定政府軍が「アル・シャバブ」の拠点キスマヨを奪還。「アル・シャバブ」弱体化。

2011年7月20日:ソマリア南部において国連が飢饉非常事態宣言

2010~12年:ソマリア大飢饉。26万人死亡。

2012年:ソマリア政府は暫定政府の扱いだったが、9月に選挙で大統領が選ばれ、10月には首相が選ばれ、11月に内閣が発足して、

外国からも認められる正式政府(ソマリア連邦共和国)となった。

2017年2月:モハメド・アブドゥラヒ・モハメド(ファマジョとも呼ばれる)新大統領に選出される。

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ソマリア飢饉、2年で約26万人が死亡 半数は幼児 2013年05月02日 19:20 

ソマリアは10年から11年にかけて、過去60年で最悪のかんばつに見舞われた。南部での衝突激化や治安悪化の影響で人道援助が滞り、

国連は11年7月20日に飢饉を宣言した。

ソマリアの首都モガディシオ(Mogadishu)の病院のベッドに横たわる栄養失調の赤ちゃん(2013年4月24日撮影

国境なき医師団「極度の攻撃」のためソマリアでの活動を停止

2013年08月15日 10:02   AFP

  内戦で荒廃したソマリアで22年にわたり活動してきた緊急医療援助団体「国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres、MSF)」が14日、拡大する危険性への警戒を理由に、「アフリカの角(Horn of Africa)」と呼ばれるアフリカ大陸東部の地域にある同国でのすべての医療活動を停止した。

 

 MSFのウンニ・カルナカラ(Unni Karunakara)会長は記者団に、「我々が活動を停止する直接の原因は、武装集団や民間の指導者たちが人道援助従事者の殺害や誘拐および彼らへの襲撃を支援、容認、容赦する状況の中で、我々のスタッフに対する極端な攻撃が行われてきたことである」と語った。

 

 どんなに困難な状況でも活動するとの評価を得ているMSFの撤退は、国際的な支援を受けているソマリア政府の評判への大きな打撃となる。

 

 声明によると、MSFはソマリアで今年だけでも30万人以上を治療している。

 

 カルナカラ会長は、2011年12月に首都モガディシオ(Mogadishu)でスタッフ2人が殺害され、その犯人が後に釈放された事件と、同年10月にケニアのダダーブ(Dadaab)難民キャンプからスタッフ2人が拉致された事件を例に挙げ、同医師団の活動が「他に例を見ない水準の危険」にさらされていると語った。ケニアで拉致されたスペイン人女性2人は今年、1年9か月ぶりに解放されている。

 

 さらに同会長は、「紛争地帯では、人道主義の原理への敬意が常に失われがちではあるが、ソマリアではもはやそれが存在していない」「人や車両、病院への攻撃は何十回も行われ、もう限界に来ている」と述べ、1991年以来ソマリアではMSFのスタッフ16人が殺害されたと付け加えた。

 

 昨年、MSFの1500人以上のスタッフが行った診察は62万4000件以上で、4万1000人以上の患者を入院させている。

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