クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
歩いて、自転車に乗って感じたことを、気ままに書き続けます。

4,000人もの大行列

2017年03月05日 20時11分23秒 | 日記
今日一宮市尾西歴史民俗資料館で聴いたのは『朝鮮通信使』のお話。
『朝鮮通信使』とは、これまで聞いたことがありますが、なんとなく聞き流していて一体全体どういう役目を持った人なのか考えたこともありませんでした。

さて、楽しくお話しくださったのは国立高等専門学校機構富山高等専門学校助教の横山恭子さん。

『朝鮮通信使』は、朝鮮国王が国書・進物(朝鮮人参、虎の皮、織物など日本に無いもの)とともに日本の将軍に派遣した正式な外交使節団で、室町時代に3回、豊臣政権下に2回、江戸時代には12回も、主に新将軍の襲職祝賀に合わせて来日しているとのこと。

通信使の一行は、釜山から対馬などを経由して対馬海峡を渡り、瀬戸内海を東へ、大阪からは陸路で都に向かったそうですが、本来の使節団の通行を支援する日本人を含めると、一行は4,000人もの大行列だったそうで、途中、昼食を摂るのにも大変、その模様を『紀州藩小屋掛の絵図』などを元に平易に順を追ってお話が進みます。
面白かったのが、『紀州藩小屋掛の絵図』には雪隠に“上”と“並”があり、上雪隠が2ヶ所、並雪隠が6ヶ所。
そして雪隠の隣の手水鉢、何故か上雪隠には2ヶ所とも付属していますが、並雪隠には6ヶ所の内2ヶ所だけに付属しています。
ぅぅ~~ん、どう解釈したらいいんでしょうね。
高貴な方は手を洗い、平民は洗ったり洗わなかったり。
それにしても、ちゃんと手を洗う習慣があったんですね。

さて、行列は3列ぐらいに並んで行進したようですが、馬に乗る人もいて、長さはいかほどだったでしょう。
どう計算しても1km以上、眺めは壮観だったでしょうね。

なにはともあれ海を挟んだ隣国同士、時の権力者の権勢発露の結果かもしれませんが、人々が平和裏に交流できるできごとだったんでしょうね。
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