自転車で行こう

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長かった紀州路2

2012年01月31日 | 旅行
 橋杭岩を右に見て、古座に向けて走っている。やっと、潮岬から出ることが出来た。

 昨年、一気に紀伊半島一周するはずだったのが、諸々の事情で、(大阪~潮岬)で終わってしまった。今年、「とにかく残り半分は」と、(潮岬~名古屋)を走りに向かった。
 今回は、高校からの友人のジイが「時間はあるで」と協力を申し出てくれて、我が店のHIACEにバイクを積んで潮岬で来た。取りあえず、潮岬YHに挨拶に行った。見知らぬ人がほとんどだったが、昨年一緒だった人も数人いた。そいつらが話しに尾ひれを付けて喋っていたのか、『伝説の人』みたいになっていて、えらい歓待を受けた。ジイは知らぬ間に、昨年私と一週間一緒にいた静岡のライダーと仲良くなっていて、いつの間にか三人で「那智大社」に行くことを決めていた。ジイはHIACE、私はライダーのバイクの後ろに乗り「那智の滝」へ向かった。滝へのワイディングロードを、私は後部シートで、ずっとウトウトしていたようだ。YHに帰ると、ペアレントさんも再来を喜んでくれた。、結局「やばいなあ」と思いつつ一泊してしまった。
 翌日、またしても出発できずに、だらだらホステラー達と過ごしていた。夕方、ジイとライダーが
「良いキャンプ場見つけたから泊まりに行こう」「古座川を遡ったところにある有名な所やで」と誘ってくれた。
「ここを逃したら去年の二の舞だ」と思った。次に行かねばならない。
「今日も泊まるやろ」「今年は行くんやねえ」というホステラー達の引き留める言葉を振り切って、潮岬YHからペダルこぎ出した。
 
 河原のキャンプ場に行き、一夜を三人で過ごした。翌朝目を覚ますと、目の前に巨大な屏風岩があった。「古座川の一枚岩」というらしい。国指定天然記念物、高さ100m幅500mに及ぶそうだ。目の前で岩に見下ろされているようだった。岬を出てきて良かったと思った。
 キャンプ場から国道42号線に戻り、二人と別れた。ライダーは潮岬YHへ、ジイは伊丹市へ、私は東へ。昨日見た勝浦界隈はスルーし、「熊野速玉大社」に詣る。「熊野三山」の一つで「新宮」とも呼ばれる、とてつもなく由緒ある社なのだが、私が参拝したときは他に人影はなかった。「那智大社」や「本宮」には何度か行ったことがあるが、いつも観光客が一杯だった。ここは、どうなのだろう?
 熊野市を過ぎ、矢ノ川(やのこ)トンネルへの坂道を延々と登る。42号線最大最長の難所と聞いて覚悟の上でアタックしたので、坂道の勾配や距離よりも、とにかく暑さに参りながらペダルを踏んだ。トンネルを抜けると、ようやくダウンヒル。胸を反らし出来るだけ風を浴びながら、ゆっくりと坂を下った。

 この日は手頃な宿をみつけることができず、日が暮れるまで走り続け、結局、紀伊長島の漁港でテント泊することにした。漁港のはずれにテントを張り、買い出しに行った。近所に、いかにも昭和な「なんでも屋」があった。お約束のように、初老の「おばちゃん」が一人で店番をしている。かたわらに、紙パックのコーヒー牛乳が半額以下で売っていた。朝の分を含めパンと二つずつ買った。テントで夕食。パンをかじり、コーヒー牛乳を飲む。
「ウェッ!」。めちゃくちゃ酸っぱい。日付を見ると消費期限切れだ。もう一つのパックもパンパンに膨らんでいる。全部吐き出し、残りも捨てた。「しょうもない所でケチった」自分を悔やんだが、どうしようもない。ボトルの残り水で口をゆすいだ。何も食べる気がなくなって、そのまま眠った。

 漁港の朝は早い。港の喧噪に起こされた。まだ、口の中が気持ち悪い。「ボーッ」としながら、「何処かに水道があるだろう」と、歯磨きに出た。蛇口を見つけ、歯を磨き、水を口に含んだ。
「グウェ!」。塩っ辛い。油臭い。漁船の下で漂っている海水だ。ますます気分が悪くなった。自動販売機でジュースを買い(当時は、まだ「水」は売っていない)、うがいをした。
 テントをたたんでいると、雨が降ってきた。昨夜は天気予報を聞けなかった。この後どんな雨足になるのか解らないが、ここにいても「しゃあない」ので、取りあえず出発。いきなり上り坂、そして入り組んだ海岸線に沿ってつづら折りの道が続く。左側は山、右側は崖、自動車一台分の幅員だ。雨は上がったが、路面はしっぽり濡れている。オートバイのように、「HUNG ON」気取りでカーブを切っていた。荷物を積んだ自転車は、ただでも重心が高い。左に曲がった時、「フワッ」と自転車が浮いた。
 「まずい!」。左肩に激痛が走った。アスファルトの感触がある。落ちなかったようだ。道路に仰向けになった。息が出来ない。車のエンジン音が聞こえたが、動けない。ブラインドコーナーで寝そべりながら、色んな思いが巡った。
「下ってくるやつなら、轢かれるかもしれなあ」「ここで終わりかなあ」「自転車やったら、まあ、ええか」。
 頭の先で車の止まるのが解った。登りの車だった。クラクションが鳴らされたけど知ったこちゃない。逆に「助かった」と思った。人が降りてきた。
「大丈夫?」。やさしく声を掛けたくれた。30歳代らしい大人のカップルだった。しばらくすると動けるようになった。崖側の草むらに横たわる自転車を起こし、カップルを見送った。気を取り直し、坂道を下る。左肩に「ひやっ」とした激痛が走った。手をやると、すごく擦りむいている。風の冷たさで痛みを感じたらしい。やっと自分の傷に気付いた。
 この日泊まる予約をしていた「伊勢志摩ユースホステル」に昼頃着いてしまった。この時間なら受付してくれないのだが、私の傷を見て中に入れてくれた。おまけに傷の手当てもしてくれた。そのおかげか痛みがだいぶん安らいだので、今回の旅のメインテーマであるヤマハリゾート「合歓の里」に行くことにした。当時は「ヤマハのポプコン」全盛期。ウィンドサーフィンやディンギーが滑る景色がメディアを飾っていた。「バブル期」前夜だ。自転車旅行以外にも、バブリーなレジャーを夢見ていた。私も「右肩上がり経済」しか知らなかった頃の話。
 ユースのペアレントさんのお陰もあって、翌日はいつも通り出発。小学校の修学旅行でも行ったのだが、やっぱり伊勢神宮に行ってしまった。
 今日の泊まりは松阪のビジネス民宿。夕方の急な投宿で安価にもかかわらず、あついもてなしを受けた。まずは、衣服の洗濯。料金が要ると思い断ると、見透かされていて「お金要ると思ってるやろ!」と怒られた。翌朝、出発に時に「おにぎり」を持たせてくれた。心根の狭い自分が恥ずかしかった。でも、とっても嬉しかった。
 ここからは、国道23号線の産業道路をひたすら北上。大量の車の排気ガスの中、走っていて気分は全く良くないが、ゴールが近付いたのを感じながら、名古屋を目指した。