世界メディア・ニュースとモバイル・マネー

世界のメディアから、「バーチャル・マトリックス・タイムマシン」に掲載するために集めた面白そうな情報を紹介します。

失敗したロンドンの川の下をくぐる地下鉄トンネル

2009-01-31 10:07:56 | Weblog
この地下鉄トンネルは煉瓦で作られ、幅7フィートで、1235フィート有り、1870年12月7日には電車や自動車が通れるように拡張する工事は中止された。
ただし、通行料1セントを支払い、96の螺旋階段を下りて、テームズ側を横断できるようになった。
中は当時ガス灯で点灯され、温度は平均65度と高く、胸苦しくなる人が続出した。
川の下を通り抜けることを可能にした最初の地下トンネルであった。
このトンネルは、ロンドンに行ったときにグリニッジ(Grennwich)から対岸のロンドン塔を見に行くとき、橋ではなくトンネルが利用できるとロンドンに住むイギリス人の友人に聞き、利用したことがある。

ロンドン塔(Tower of London/Tower Hill, London)では、多くの貴族が斬首されたことで有名であり、まるで、犯罪者を逃がすためのトンネルのようでもある。
[Old and New London, by Walter Thornbury (1897)]

それから16年過ぎて、1886年1月20日に世界で初めて川の下をくぐるリバプールのMersey鉄道のトンネルが、Prince of Wales候によって公式にオープンした。

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イギリスで最も古い日曜新聞「the Observer」の悲しい結末

2009-01-30 12:59:04 | Weblog
イギリスで最も古い日曜新聞「the Observer」が1791年12月4日に創刊された。

創刊のチラシには「Object is Truth, and the Dissemination of every Species of Knowledge that may conduce to the Happiness of Society.(真実と、社会の現象に影響をもたらすかもしれないあらゆる特別な知識)」と書かれた。

また、新聞の創設者W. S. Bourneは1791年に創刊号を出版するため、友人から100ポンドを借り、政治上のプロパガンダの可能性を意識し、新聞をロンドンの反政府グループに販売しようとした。
W. S. Bourneは創刊号で「the spirit of enlightened Freedom, decent Toleration and universal Benevolence.(進んだ自由主義、適切な忍耐と一般的な博愛の精神)」と書いた。その友人に日曜日に発行された新聞が「rapid fortune(急速に財産)」を作るといっていたが、3年後に新聞は借金が1,600ポンドにふくらんだ。
1794年にW. S. Bourneの新聞は、富裕な実業家兄弟から1,600ポンドの投資を受け、戦略は新聞を政府に販売することに路線変更した。
政府は、Observerを買うことには不本意であったが、内容に影響を及ぼすことのお返しに新聞に助成金を支給することに同意し、内務省は資金を支払い、そして社説で大臣の政府方針を称賛する記事を書いた。
同時に、Observerが議会改革を支持するトム・ペイン(Tom Paine)、トーマス・スペンス(Thomas Spence)、フランシス・バーデット卿(Sir Francis Burdett)、ジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestley)をはじめとする他の作家に声援しないことを保証した。

これは、マスコミの精神的身売りの貴重な資料として知られている。
正義の味方のような振りをして、裏でごそごそ悪いことをするより、一気に身を大衆紙に落とし、継続することを誓った。

いい加減なマスコミより---

そういえば、ライターやレポーター、記者の中にも、突然民衆を裏切ったり、スパイのような動きをすることが多くなった。

それでも、もっともらしく、「真実を書く」などと言うから滑稽になる。

http://observer.guardian.co.uk/
http://observer.guardian.co.uk/politics/story/0,,1957355,00.html
http://www.guardian.co.uk/newsroom/guide/0,12126,736220,00.html
http://www.guardian.co.uk/newsroom/story/0,11718,735573,00.html
http://observer.guardian.co.uk/theobserver/story/0,,1674558,00.html
http://adinfo-guardian.co.uk/the-observer/observer-history.shtml
http://www.terramedia.co.uk/Chronomedia/years/18century.htm
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B0006D72KW
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/PRsundayobserver.htm
http://www.georgianindex.net/publications/newspapers/news_sources.html

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「宝島」の作家スティーヴンソンのサモアの博物館

2009-01-30 10:29:42 | Weblog
「宝島(Treasure Island)」暗とい物語「ジキルとハイド(Jekyll and Hyde)」の作家ロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Stevenson/1850 - 1894)は、サモアで不意の脳卒中で死去しましたが、
彼の住んでいた家が、Robert Louis Stevenson Museum(ロバート・ルイス・スティーヴンソン博物館)になっています。

Robert Louis Stevenson Museum(ロバート・ルイス・スティーヴンソン博物館)
http://www.rlsmuseum.com/

Robert Louis Stevenson Museum(ロバート・ルイス・スティーヴンソン博物館) in SamoaのGoogle Earth
13°51'59.86"S,171°45'56.92"W
または、
-13.866628, -171.765811

<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=13%C2%B051'59.86%22S,171%C2%B045'56.92%22W&sll=37.0625,-95.677068&sspn=46.27475,58.359375&ie=UTF8&t=h&z=14&iwloc=addr&ll=-13.856581,-171.761627&output=embed&s=AARTsJp5DVLSmCy87KbCs_STGzRcIAL5nw">
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死んだとき、スティーヴンソンは44歳であった。原住民は彼を埋葬するためにVaea山の山道を切り開き、碑銘にはRequiem(鎮魂歌)として、彼の詩が書き込んだ。

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もっとも美しい航行帆船カティー・サーク!

2009-01-28 15:46:31 | Weblog
イギリスで最後に建造された航行帆船の1隻であるカティー・サーク(Cutty Sark)号は、グリニッジのドライ・ドック(dry dock in Greenwich)に保存されていたが、2007年5月に火災によって焼け落ちた。

http://uk.youtube.com/watch?v=9aO6ACju41k


<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/9aO6ACju41k&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param></object>

スコッチの「Cutty Sark」も有名だが、以前木製のCutty Sarkの模型を作ったことがあり、ロンドンで見てきたが、燃えてしまったので残念に思っていたが、どっこいGoogle EarthとGoogle Mapでは健在であった。

Cutty Sark is preserved in dry dock in GreenwichのGoogle Earthポインター情報
51°28'58.22"N,0° 0'34.49"W
または、
51.482839, -0.009581‎

カティー・サーク(Cutty Sark)号は1869年11月23日に、ダンバートン(Dumbarton)を初めて出向した。

DumbartonのGoogle Earthポインター情報
55°56'31.47"N, 4°33'51.22"W
または、
55.942075, -4.564228

帆船は、紅茶取り引きのために設計され、最も高い利益を有利にするために中国からロンドンまで互いを競走をしたことで有名である。

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博物学が消えた日!

2009-01-28 10:03:33 | Weblog
1953年11月21日、大英博物館(British Museum)は1912年のチャールズ・ドーソン(Charles Dawson)によるピルトダウン人(Piltdown)の発見は、いたずらだったことを証明する科学的な報告書を公表した。

http://www.talkorigins.org/faqs/piltdown.html
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/DNA/piltdown.html
http://www.unmuseum.org/piltdown.htm
http://www.clarku.edu/~PILTDOWN/map_prim_suspects/HINTON/Hinton_Prosecution/pilthoax_whodunnit.html
http://www.age-of-the-sage.org/archaeology/piltdown_man.html
http://www.ditext.com/ardrey/imperative/1.html
http://www.clarku.edu/~PILTDOWN/map_expose/the_pilt_hoax.html

実は「FAKE? the Art of Deception」という本があり、もの凄い偽物や贋作が紹介され、19世紀から20世紀にかけて、博物館が見せ物小屋と化し、博物学者といわれるいい加減な人がいい加減なものをもっともらしく紹介し、人集めに荷担していた。

その後、ヨーロッパでは博物学者を認めなくなっている。
日本には、ゴーストライターに書かせた本を出版する博物学者がまだいて、テレビや大学で活躍している。
不思議の国「日本」と言える。

そういえば有識者というのですが----何が基準なのか?

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世界のYouth Hostelの中で、トップ10に入る?

2009-01-27 23:52:33 | Weblog
イビサ島(Ibiza Islanc)にはスペインの独裁者フランコの別荘があり、その別荘がYouth Hostel「Chez Aliz Eivissa」として利用できる。

4 room and 2 suiteしかないが、プールがあり、白い砂がひろがり、最高である。

http://www.hosteltimes.com/En/HostelFinder/En_HostelDetail.asp?HIdx=1028&LangCode=1&StartDate=1%2F29%2F2009&NumDay=2&Numppl=1&CityCode=822&Curr=1

イビサ島(Ibiza Islanc)にある「Chez Aliz Eivissa」のGoogle Earthポインター情報
38°53'30.34"N,1°24'19.79"E
または、
38.891761, 1.405497‎

<iframe width="392" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=38%C2%B053'30.34%22N,1%C2%B024'19.79%22E&sll=38.917967,1.427429&sspn=0.010919,0.011179&ie=UTF8&t=h&z=14&iwloc=addr&ll=38.899851,1.409683&output=embed&s=AARTsJo5VbcelJhSj_oIpxNigZZcD5fM9w">
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J.G. Ballardの世界!

2009-01-27 12:55:55 | Weblog
アヘンが当たり前であった時代に上海で生まれ、日本の捕虜になり、小説家になったイギリス人作家の世界。

小説家ジェームス・グラハム・バラード(James Graham Ballard/J.G. Ballard/1933 - )は上海に住んでいたイギリス人の両親間で、1933年11月15日に生まれた。

here http://living.scotsman.com/books.cfm
http://www.ballardian.com/an-evening-with-jg-ballard
http://dbpedia.org/page/Crash_%281996_film%29
http://brothersjudd.com/index.cfm/fuseaction/reviews.detail/book_id/690
http://bj-mat.blogs.allocine.fr/bj-mat-45453-crash__par_jango.htm
http://www.jgballard.com/index.php
http://pagesperso-orange.fr/ballard/ballard/
http://www.intercom.publinet.it/Ballard.htm

彼は現在、最初の2イニシャルJGでよりよく知られている。
1941年に日本の真珠湾攻撃に続いて、子供だったバラードは捕虜収容所で過ごした。
この経験が彼の現代の世界の反理想郷、そして、時々残忍なビジョンを形成したと考えられ、彼の最も論議を呼んだ小説「クラッシュ(Crash)」で現れている。
「クラッシュ(Crash)」は1996年にカナダでデーヴィッド・クローネンバーグ(David Cronenberg)監督が映画化している。カンヌ国際映画祭審査委員特別賞を受賞。自動車事故により性的に興奮する人々を描き、カンヌでも賛否両論を引き起こした。 日本国内で公開されるに当たっては、映倫から性描写が問題視され、成人映画の適用を受けた。

http://uk.youtube.com/watch?v=gcg_b6M00I0

http://uk.youtube.com/watch?v=7KaEhec9ZaQ

http://uk.youtube.com/watch?v=X6MV9EcOfFY

http://uk.youtube.com/watch?v=vAll1HZi_Tc

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道路交通法の進化

2009-01-27 09:56:14 | Weblog
時速4Km、街中で時速2Kmとは、
1896年には、スピード違反取り締まりが始まり、それは同時に暴走族の登場かもしれません。

暴走族にも文化があった!

1835年--ハイウェイ危険運転禁止導入
1865年--機関車の条例(1878を修正)、町で馬なしの乗り物を広々とした場所で速度4mph、町は2mph制限
1872年--飲酒運転禁止
1875年--交通事故死1589人
1896年--イギリスで、スピード違反取り締まりが本格化した。
1905年--自動車協会設立、スピード違反取り締まり
1930年--道路交通条例で、最低年齢導入
1934年--バックミラー、横断歩道、運転免許試験導入

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科学的天才キュリー夫人は、被爆していた!

2009-01-26 11:34:30 | Weblog
彼女と夫ピアー(Pierre Curie)は1903年に化学部門でノーベル賞を受賞した。そして、8年後に彼女のラジウムの発見で、2回目ののノーベル賞が与えられた。
しかし、彼女の夫ピアー(Pierre Curie)は1906年4月19日に、大雨の中Rue Dauphineを歩いているとき、馬車に轢かれ、ホイールで頭蓋骨骨折という交通事故で死亡した。
それが、以前から長引いていた放射線被曝によって弱められたかもしれない神経と推測されたが、これが事故の原因であったとは立証されていない。

キュリー夫人の死は1934年7月4日で、ほぼ確実に放射線被曝による再生不良性貧血からであったとされている。
彼女の2回のノーベル賞は、その代償であった。
彼女は東フランスのオートサボア(Haute-Savoie)地方PassyにあったSancellemoz Sanatoriumで死去した。

the Sancellemoz Sanatorium in Passy, in Haute-Savoie, eastern FranceのGoogle Earthポインター情報
45°56'17.57"N,6°42'21.05"E
または、
45.938214, 6.705847‎

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天国のはずであった新天地は、マラリア蚊がいっぱい出没!

2009-01-25 14:57:28 | Weblog
1698年7月12日、5隻の船が、スコットランドの唯一無二の見栄っ張りな行為として、太平洋と大西洋に植民地を建設し、海洋の貿易をコントロールするため、パナマに向けてリース港(port of Leith)を出帆した。

つまりは、スコットランドの国営海賊船団5隻がパナマに向けてリース港を出航した。

この後は、Disney Enterprises社 & Jerry Bruckheime社の映画「パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean)」の2003年の第1作:呪われた海賊たち(The Curse of the Black Pearl)と、2006年の第2作:デッドマンズ・チェスト(Dead Man's Chest)でも参照してください。

今でこそ、テロは犯罪だなどと言っているが、イギリスを追い出して米国が独立したとき、イギリスが植民地を増やしたとき、すべて海賊行為とテロ、ゲリラ作戦で成功している。
その現場は、「強奪」と「強姦」の嵐。

今でこそパナマは運河で知られているが、その前は海賊の集まる危険地帯だった。
その名残は、スターウォーズなどでも出てくる怪しい空間として、記憶に残っている。
このころのデタラメさは、あきれかえる。
今さら、海賊行為とテロは国際法で禁止していると言うが---
歴史は、すべて残っている。

イギリス人やスコットランド人の友人と話すときは、いつもこの時代のことで、最初はどんどん英雄的な話しが進展し、話題が盛り上がった後に、海賊行為の話しになり、全員犯罪者の子孫という結論になる。
中には、バスコ・ダ・ガマがインドで体験のように、奴隷として売られてしまう海賊もいた。
これらの事実は、小説や映画などのような作り物で知るより、当時のジャーナリストが書いた新聞を読むと、さらにリアリティがある。

しかし、真実はそれほど甘くはなかった。

スコットランドの不運なダリエン計画(Darien scheme)の一部として、5隻の船が1698年11月3日に中米の''ニューカレドニア(New Caledonia)''に上陸した。

沃地を見つける代わりに、その領域はマラリア蚊がいっぱい出没する湿地帯であった。
デアリエンの茶番は、イギリスと共にもう少しでスコットランドを潰すところであった。

5隻の船の船員は、マラリアにやられ、その病気をヨーロッパに運び込むところであった。

日本の移民団もこの蚊に多くが殺された!

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