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ドイツ軍がスターリングラード市街への突入を開始。

2017-05-05 22:17:42 | 戦争と平和
史上最大の市街戦と言われているドイツとソ連による「スターリングラードの戦い(Battle of Stalingrad)」は、1942年08月23日の平穏な日曜日の朝に、ゲルニカ爆撃(Bombing of Guernica)以来、絨毯爆撃を主導してきたヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン(Wolfram Freiherr von Richthofen/1895 - 1945)上級大将の第4航空師団(Luftflotte 4)は、市街に対して航空機のべ2000機による、爆弾総量1000トンにのぼる猛爆撃を加え、ヴィータースハイム大将指揮の第14装甲軍団は、早朝にドン川から出撃したハンス=ヴァレンティーン・フーベ中将の第16装甲師団を先鋒に急進し、85mm高射砲を使ったトラクター工場の女性労働者たちによる抵抗を排除し、午後4時過ぎに市の北郊ルイノクで待望のヴォルガ河畔に達した。

http://time-az.com/main/detail/59668

しかし、市街地への南下は阻止された。

第6軍と第4装甲軍は連携して徐々に外郭防衛線を突き崩してスターリングラードを包囲していった。

本格的攻撃の再開は、A軍集団の側面支援に向かった第4装甲軍の主力部隊がスターリングラード方面での展開を終えるまで、3週間もずれ込んでしまった。

この間、ドイツ空軍は連日のように猛烈な爆撃を加えて市街のほとんどを廃墟にするとともに、ヴォルガ川を航行する船舶にも昼夜にわたり砲撃と航空攻撃を加えた。

1942年08月28日になってスターリンはようやく非戦闘員の退去を許可したが、その間の爆撃で数万人の一般市民が犠牲となった。

ドイツ軍が1942年09月13日午前6時45分に、第6軍は11個師団の兵力で、猛烈な砲爆撃とともに、ツァリーツァ(Zaritza)渓谷から市街地への突入を開始した。攻撃の重点が置かれたのは、官公庁やデパート、二つの駅とフェリー乗り場のある市街地南部だった。ヴォルガ川西岸に広がる工業都市スターリングラード(Сталинград/Stalingrad/現ヴォルゴグラード/Волгоград/Volgograd)の市街戦にドイツ軍とルーマニア、イタリア、ハンガリー、およびクロアチアからなる枢軸軍の総戦力を投入して戦いが始まった。

「スターリングラードの戦い(Battle of Stalingrad)」の緯度、経度
48°42'00.0"N 44°31'00.0"E
または、
48.7, 44.516667

1943-02-02---「スターリングラード攻防」が終わり、ドイツ軍は降伏した。

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