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森永乳業が1955年のヒ素ミルク中毒事件の責任を認めた。

2016-10-12 19:32:08 | 犯罪と裁判
森永乳業徳島工場で製造された「森永ドライミルク」で、1955年に発生した大規模な中毒事件は、大量のヒ素を含んだ工業用の第2リン酸ソーダ(Na2HPO4)を、安定剤として混ぜたのが原因とされた。

http://time-az.com/main/detail/57236

日赤岡山病院小児科の矢吹暁民医師は、これまでに経験したことのない奇怪な症状を示す乳児が急に増えたことに驚き、その原因究明にいち早く奔走することになった。

日赤岡山病院には同じような症状の子供が30人も入院していた。患者の母親から病歴を聞くと、この奇病を呈した乳幼児は母乳ではなく人工栄養で育てられていて、しかも特定の銘柄「森永乳業のMF印ドライミルク」を飲んでいた乳児ばかりだった。矢吹医師は岡山市内の開業医に協力を求め、乳児のミルクの実態調査を行った。その結果、日赤岡山病院だけでなく、岡山市内で異常を示した乳児全員が森永粉ミルクを飲んでいることが分かった。日赤ではこの奇病を森永の頭文字をとってM貧血と呼んだ。

森永粉ミルクが奇病の原因と確信した矢吹医師は、1955年08月13日に森永商事・岡山出張所に連絡を取り、被害防止のため森永粉ミルクの発売中止を求めた。しかし森永商事は販売を中止せずに出荷を続けた。

矢吹医師は恩師である岡山大学医学部小児科・浜本英次教授にこれまでの調査結果を説明し、原因解明の協力を求めた。浜本教授は矢吹医師の報告を聞くまでは、この奇病の原因を細菌感染と考えていたが、矢吹医師の説明を受け、ミルク中毒、しかも症状から「ヒ素中毒」であろうと推測した。

1955年08月21日夜、岡山大学医学部に入院していた乳児が死亡、法医学教室で乳児の病理解剖が行われた。その結果、乳児の体内から灰白色のヒ素の結晶が検出された。
2日後の1955年08月23日、2例目の乳児の解剖が行われ、遺体の肝臓からヒ素を検出。さらに乳児が飲んでいた粉ミルクからも多量のヒ素を検出した。

この事実を踏まえ、1955年08月24日、浜本教授は「この奇病は、森永乳業が製造した乳児用粉ミルクによるヒ素中毒である」と発表。翌日の新聞やラジオにより全国にこの事件が大々的に報道された。乳児を持つ親たちは、顔をこわばらせて医療機関に殺到し、日本中がこの事件で大騒動となった。

その14年後、大阪大学医学部の丸山博教授が指導した人たちによって、被害者に後遺症が残っている可能性があぶりだされた。

その報告が日本公衆衛生学会で発表され、事件は再燃し、被害者の親たちは再結集し、森永ミルク中毒のこどもを守る会は活動を再開した。

森永乳業が原因をミルク中のヒ素化合物と認めたのは、発生から15年経過した1970年(昭和45年)の民事裁判中の1972年08月16日に、1955年のヒ素ミルク中毒事件の責任を認めた。

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