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真岡郵便電信局で、逃げ場を失った女性電話交換手9名が自決。

2016-10-31 00:15:38 | 戦争と平和
第2次世界大戦が終わった後、樺太のホルムスク(Холмск)真岡(Маука)で、上陸したソ連軍と日本軍が戦闘を開始し、逃げ場を失った女性電話交換手9名が自決した。

http://time-az.com/main/detail/57460

当時日本領だった樺太では、ソ連軍と日本軍の戦闘が、1945年08月15日の玉音放送後も続いていた。
真岡郵便局の電話交換手は、疎開や引き揚げをしないで、業務中だった。

1945年08月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が死亡した。
自決した電話交換手以外に残留していた局員や、当日勤務に就いていなかった職員なども、ソ連兵による爆殺、射殺による死者が出ており、真岡局の殉職者は19人にのぼる。

1945年08月20日早朝。ソ連軍艦接近の報告が入ると、高石班長は郵便局長上田豊蔵に緊急連絡したのを始め、局幹部に緊急連絡を行った。緊急連絡を受けた電話主事・菅原寅次郎は電話交換手志賀晴代に出勤を求め、電話交換手は12名となった。非常事態ということで、局員たちは郵便局へと向かったが、上陸したソ連軍の攻撃は激しく、民間人に対しても無差別攻撃が加えられた。

電信受付の折笠雅子は郵便局へ向かう途中射殺され、避難先の防空壕に手榴弾を投げ込まれて爆死した局員などもいた。上野班の交換手だった藤本照子も「決死隊の一員として、空襲の時はすぐ郵便局へ行くことになっていたが、ソ連兵がどんどん上陸し始め、実弾が飛びかい、とても無理でした。」と語っている。

上田局長も郵便局へと向かったが、栄町二、三丁目の十字街で避難民が背後から撃たれて山膚を転げ落ちるのを目の当たりにした。

十字街には局長の他5、6名が釘付けされていたが、そのうち真岡署木村巡査部長が弾丸の中を駆け出し、局長の目の前で撃たれて倒れた。

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