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中国で、総書記に胡耀邦、党軍事委主席に鄧小平を選出。

2017-04-23 22:20:24 | 人物
1976年、周恩来追悼の第1次天安門事件が発生して、鄧小平(Deng Xiaoping/1904 - 1997)が再失脚すると、胡耀邦(Hu Yaobang/1915 - 1989)もともに失脚した。

しかし、1977年鄧小平の再復活にともない、胡耀邦は、党中央組織部長に就任し、建国以来、特に文化大革命中に冤罪で失脚した長老たちや右派分子と認定されていた者の名誉回復を行った。

http://time-az.com/main/detail/59529

1978年には、胡耀邦は党の理論研究の場である中央党校の副校長を兼任していたが、このとき南京大学の哲学の教授であった胡福明の論文「実践こそ真理を検証する唯一の基準である」に注目した。

この論文をもとに、華国鋒の拠り所となっていた「二つのすべて」を批判し、文革路線からの脱却を図る鄧小平を援護した。

華国鋒は、胡耀邦が湖南省党委に下放された時の部下だった。

1978年12月の第11期3中全会で鄧小平の実権掌握に貢献し、この会議で胡耀邦は中央政治局委員に昇進し、党中央秘書長兼中央宣伝部長に抜擢された。

さらに1980年2月に開催された第11期5中全会で、中央政治局常務委員・党中央書記処総書記に就任した。

以後、鄧小平のもとで文革の清算と改革開放政策が進められる中、1980年9月、党主席・国務院総理(首相)だった華国鋒は、経済政策や文革への姿勢などを批判されて総理を辞任した。後継は趙紫陽(Zhao Ziyang/1919 - 2005)が就任した。

さらに1981年の第11期6中全会で華国鋒は党主席をも解任され、胡耀邦が後継の党主席に就任した。

鄧小平中央軍事委員会主席・胡耀邦総書記・趙紫陽首相によるトロイカ体制が確立され、この頃の胡耀邦は「天が落ちてきても胡耀邦と趙紫陽が支えてくれる」と鄧小平が語るほどの信任を受けていた。

1982年09月12日の中共第12期1中総会で党規約が改正され、党主席制が廃止されて総書記制が導入されると、胡耀邦は引き続き党のトップとして中央委員会総書記に就任し、改革開放路線と自由化路線を打ち出した。

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