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日露戦争の黄海海戦で、旅順脱出を阻止した日本軍が勝利。

2016-09-19 16:42:03 | 戦争と平和
黄海海戦には、日清戦争と日露戦争での海戦があり、日清戦争では1894年09月17日(明治27年09月17日)に近代的な装甲艦が投入された戦いとしても知られる日本海軍連合艦隊と清国海軍北洋艦隊の間で戦われた海戦で、鴨緑江海戦とも呼ばれ、清国海軍は大損害を受けて制海権を失い、無力化された。

http://time-az.com/main/detail/56966

しかし、日露戦争の黄海海戦と言えば、1904年08月10日(明治37年08月10日)に、大日本帝国海軍連合艦隊とロシア帝国海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)との間で戦われた日露戦争の海戦のことで、シア帝国海軍第一太平洋艦隊の司令長官たステパン・マカロフ(:Степа́н О́сипович Мака́ров/Stepan Osipovich Makarov/1849 - 1904)中将が戦死し、その後任として司令長官職を代行することとなったヴィリゲリム・ヴィトゲフト(Вильгельм Карлович Витгефт/Wilhelm Karlowitsch Withöft/1847 ‐ 1904)少将は、防備の堅い旅順港に出来るだけ閉じこもり、連合艦隊との直接的な衝突を避け艦隊を温存するという消極的な行動を見せ、極東総督エヴゲーニイ・アレクセーエフは旅順艦隊に対しウラジオストクへの回航を強く命令し、旅順艦隊は1904年06月23日に一旦出航したが、連合艦隊に遭遇するとすぐに港内へ引き返した。

そこへ、日本陸軍第3軍による陸上からの旅順要塞攻撃が開始され、日本海軍陸戦重砲隊が旅順港の艦船を砲撃した。
戦艦「レトヴィザン(Ретвизан)」と戦艦「ツェサレーヴィチ(Цесаревич)」は命中弾により損傷を受け、ヴィトゲフト自身も負傷するなどの損害を受けた。

大日本帝国海軍連合艦隊は、バルチック艦隊が到着する前に旅順艦隊を壊滅させ、当面の日本海における制海権を確保するため、旅順艦隊が港から出てくるのを待ち伏せした。

旅順艦隊旗艦「ツェサレーヴィチ」の艦橋に2発の砲弾が直撃し、ヴィトゲフトが戦死、また艦長などが昏倒し、操舵手が舵輪を左に巻き込んで倒れた上、舵機に故障を起こしたために「ツェサレーヴィチ」が左に急旋回して自艦隊の列に突っ込んだ結果、パニックになった全艦船は四散し、旅順艦隊はこれ以後大がかりな作戦が出来なくなった。

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