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レヒフェルトの戦いで、50年に及ぶハンガリーの西方侵略が終結。

2016-09-18 22:42:07 | 戦争と平和
レヒフェルトの戦い(Schlacht auf dem Lechfeld)で、東フランク(Ostfrankenreich)王、神聖ローマ帝国の初代皇帝、ザクセン朝(Liudolfinger)第2代の王オットー1世(Otto I/Otto I. der Große/912 - 973)指揮下の東フランク軍が、侵入して、ハンガリー大公国軍の騎馬民族ウゴル系マジャル人(Ugric Magyarok)を撃退し、0955年08月10日に、50年に及ぶハンガリーの西方侵略が終結した。

http://time-az.com/main/detail/56959

ハンガリー平原を根拠し、ロシア南部のヴォルガ川南岸付近にいたマジャル人の大首長マジャル人王朝のアールパード(Árpádok)朝初代の君主のハンガリー大公アールパード(Árpád/845 - 907)は、共同統治者の名誉最高首長クルサーン(Kurszán)とともにマジャル人を率いて西方のバルカン半島に進出し、東ローマ帝国と同盟を結び、第一次ブルガリア帝国を攻撃するが敗北している。10世紀初頭よりたびたびドイツ東南部のバイエルンやイタリアに侵入した。

904年、クルサーンがバイエルンの貴族たちによって偽りの宴に招待され、従者とともに騙し討ちにされ、非業の死を遂げると、ハンガリー大公アールパードが代わってマジャル人の最高首長・大首長として単独統治者となった。

907年にオーストリアを支配するオーストリアの前身であるオストマルク東方辺境伯領に侵入して、これを撃破したが、オストマルク東方辺境伯家はフランス王国に援軍を要請して、スイスでフランス王国の軍勢に大敗して、撤退し、間もなく逝去した。

0870-08-08---メルセン条約を締結した。
0843-08-10---ヴェルダン条約の締結により、フランク王国が3人の子に分割された。

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