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エチオピアを支配したソロモン朝の創始者イクノ・アムラクが皇帝に即位。

2016-09-18 14:16:37 | 人物
エチオピアを支配したソロモン朝の創始者で、アディスアベバのデモ騒乱から陸軍の反乱が起こり、最後の皇帝であるハイレ・セラシエ1世(ቀዳማዊ፡ኃይለ፡ሥላሴ/Haile Selassie I/1892 - 1975)が1974年9月に、軍部によって逮捕され、廃位させられた1975年まで続く、現在のエチオピアとエリトリア(Eritrea)の領域を支配し、最大の時は、現在のソマリア、ジブチ、ケニア、スーダン、南スーダン、エジプト、アラビア半島の一部まで及んだエチオピア帝国(ንጉሠ ነገሥት መንግሥት/nəgusä nägäst mänəgəsətə)の初代皇帝イクノ・アムラク(Yekuno Amlak)が1270年08月10日に即位した。

http://time-az.com/main/detail/56953

イクノ・アムラクの在位は、1270年 - 1285年であった。
それ以前の約900年から1270年は、ザグウェ朝(Zagwe dynasty)で、最後の王Za-Ilmaknunがイクノ・アムラクの軍との戦争で殺されるまで広い領土を治め。王朝の名前は、アガウ族が支配階級であったことから、ゲエズ語で「アガウ族の王朝」という意味のZe-Agawから来たと考えられている。

その歴史は、ほとんどが口承伝承で伝わっているだけである。

イクノ・アムラクは、ラリベラの近くにゲネテ=ミリアム教会(Church of Gennete Maryam)を建設するように命じている。この教会堂の壁画は、エチオピアに残された壁画の中でも最古の年代に属するものである。
熱心なキリスト教徒であり、教会堂の建設を奨励し、寄進した土地は、領土の1/3とも伝えられている。

エチオピアといえば、古代キリスト教のコプト語聖書が有名である。

また、19世紀末、2度に渡ってイタリアの侵略を受けたが、1896年のアドワの戦いによってこれを退け、これにより、植民地化の波に覆われていたアフリカ諸国にあって、数少ない独立国として主権を保持した。
しかし、その後勃発した第二次エチオピア戦争に敗れ、1936年から1941年まではイタリア王国との同君連合である東アフリカ帝国となった。

ただし、この東アフリカ帝国は実質上はイタリアの植民地イタリア領東アフリカ(Africa Orientale Italiana)であった。

この関係で、イタリアのコーヒーがうまいのは、コーヒー原産国エチオピアを占領していたからだとも言われている。

2015-08-13---イタリア人は、コーヒーをより良くするか?
1940-08-03---イタリアがイギリス領ソマリランドに攻撃。

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