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マラトンの戦い。

2017-04-19 18:32:14 | 戦争と平和
ギリシアのアッティカ(Ἀττική/Attica)半島東部のマラトン(Μαραθών/Marathon)で、アテナイ(Ἀθῆναι/Athenai)・プラタイア(Πλάταια/Prataia)連合軍のギリシャ重装歩兵軍がマラトンに上陸したアケメネス朝(haxāmanišiya)のペルシア遠征軍を撃破し、BC0490年09月12日にマラトンの戦い(Μάχη του Μαραθώνα/Battle of Marathon)に勝利したことを伝える為に兵士がパンテオンまで走ったことで、マラソンの語源になった戦いであった。

http://time-az.com/main/detail/59474

西方への勢力を拡大しつつあったペルシア王国は、ダレイオス1世(Dareios I/BC0558 - BC0486)の命を受けたペルシア王国の司令官ダティス(Datis)、およびアルタプレネス(Artaphernes)は、ヘロドトス(Herodotus/BC0485 - BC0420)の記述によれば600隻の三段櫂船(galley)艦隊で推定は2万以下の兵力でキリキア(Cilicia)を出発し、キクラデス諸島(Κυκλάδες/Cyclades)の都市国家ナクソス島(Νάξος/Nasso)、デロス島(Δῆλος/Delos)、エウボイア島(Εύβοια/Euboia)のエレトリア(Ερέτρια/Eretria)を陥落させ、アテナイに迫り、マラトン湾(Bay of Marthon)に上陸し、軽装歩兵、重装歩兵、騎兵を展開し、中央部に主力を配して陣を張った。

それに対し、 アテナイ兵約9,000、プラタイア兵約600の連合軍は、マラトン南部の街道から侵入し、同地のヘラクレス神域に布陣して、ペルシア軍と対峙した。

戦線を拡張したため、数列しか編成されなかった アリステイデス(Aristides/Aristeides/BC0530 – BC0468)率いる中央軍はペルシア歩兵に押し込まれたが、両翼は十分な厚みを持っていたため逆にペルシア軍を敗走させた。

両翼の軍は敗走する敵を追わず、そのまま中央部のペルシア軍を包囲して壊滅させ、撤退する敵軍を追撃した。この時、カリマコスを含むギリシア軍の死者192人に対して、ペルシア軍の死者は6,400人に達したとされる。

マラトンの勝利は、アテナイに大きな自信を与えた。

プルタルコス(Πλούταρχος/Plutarchus/0046 - 0127)の記述によれば、アテナイ人はマラトンの勝利をペルシア戦争の終結と看做したが、ひとりテミストクレス(Θεμιστοκλής/Themistocles/BC524〜520 - BC459〜455)のみは、これを新たな闘争の始まりと看破したとされる。

マラトンの戦い(Μάχη του Μαραθώνα/Battle of Marathon)の緯度、経度
38° 7′ 5″ N, 23° 58′ 42″ E
または、
38.118056, 23.978333

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