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西ローマ帝国の将軍オレステスが皇帝ネポスを追放。自分の子を皇帝にする。

2016-12-13 16:42:52 | 戦争と平和
アッティラの重臣として仕えた西ローマ帝国の将軍フラウィウス・オレステス(Flavius Orestes/? - 476年)は、アッティラによってテオドシウス2世“カリグラフォス”(Theodosius II. "Calligraphos"/401年4月10日 - 450)への特使として、東ローマ帝国の首都であった現在のイスタンブールであるコンスタンティノポリス(Constantinople/Constantinopolis/Κωνσταντινούπολις)へ派遣されている。

http://time-az.com/main/detail/57973

アッティラの死後は西ローマ帝国に仕えた。
475年に、西ローマ帝国ではローマ皇帝グリケリウス(Glycerius/420頃 - 480)が、ユリウス・ネポス(Julius Nepos/430 - 480)によって追放され、ユリウス・ネポスが新たにローマ皇帝を名乗った。

ユリウス・ネポスはフラウィウス・オレステスを軍司令官(magister militum/マギステル・ミリトゥム)に任命したが、オレステスは彼の傭兵を率いて475年08月28日までに西ローマ帝国の事実上の首都だったラベンナ(Ravenna)を占領した。

ユリウス・ネポスは戦わずしてダルマチア(Dalmacija/Dalmazia/Далмација)へ逃亡し、オレステスは475年08月28日に、息子のロムロムルス・アウグストゥルス(Romulus Augustulus/460 - 511〜536)にローマ皇帝を名乗らせた。 しかし、この皇帝は東ローマ帝国のローマ皇帝ゼノン(Zenon/426 - 491)からも、ゼノンの対立皇帝であるフラウィウス・バシリスクス・アウグストゥス(Flavius Basiliscus Augustus)からも承認されなかった。

475年08月28日までに西ローマ帝国の事実上の首都だったラベンナ(Ravenna)の緯度、経度
44°25'00.0"N 12°12'00.0"E
または、
44.416667, 12.2

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