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ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが来日

2016-10-13 22:02:20 | 人物
お雇い外国人の一人として、弱冠20歳のドイツ人の地質学者のハインリッヒ・エドムント・ナウマン(Heinrich Edmund Naumann/1854 - 1927)が1875年08月17日に来日した。

http://time-az.com/main/detail/57249

ハインリッヒ・エドムント・ナウマンは、日本初の本格的な地質図を作成し、日本における近代地質学の基礎を築いたことが、実績としてあげられるが、その名前からすぐに気がつくように、 京都帝国大学の槇山次郎が、ナウマンゾウを新種登録するときに、日本の化石長鼻類研究の草分けであるナウマンにちなんで命名した。

ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが、オーストリアの外交官・考古学者のハインリヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold/1852 - 1908)の貝塚研究を助け、貝塚を2、3発見した。

日本の滞在は、1875年(明治8年) - 1885年(明治18年)の10年間で、東京帝国大学(現:東京大学)地質学教室の初代教授に就任。地質調査所(現:独立行政法人産業技術総合研究所地質調査総合センター)の設立に関わり、調査責任者として日本列島の地質調査に従事した。

1886年03月にドレスデン東亜博物学・民俗学協会で講演した際に、日本人の無知、無能ぶりを嘲笑したため、森林太郎がそれに反駁して論戦し、新聞にも反論を投稿したと、日本地質学の軌跡 3 原田豊吉:帝国大学理科大学と農商務省地質局の星に出てくる。

日本の東京帝国大学教授は、ドイツに帰ると教授になれなかった。

ドイツで教授になれなかったからと言って、日本人の無知、無能ぶりを嘲笑したのは、自分を見失っている。

日本に残っていればよかった!

1927-02-01---ナウマン象を発見したエドムンド・ナウマンが死去した。
1877-09-16---大森貝塚の発掘を開始した。
1875-08-17---ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが来日。
1854-09-11---ナウマン象を発見したエドムンド・ナウマンが生まれた。

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