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百済の遺民支援の日本軍と、百済を滅ぼした唐の新羅軍との戦い。

2016-12-07 18:54:07 | 戦争と平和
朝鮮半島の白村江(Hakusue/Baijiangkou/現在の錦江〈금강/長浦江/Basil bay〉河口付近)で0663年10月07日(天智2年08月27日)に、百済の遺民支援の倭国(日本)軍と、百済を滅ぼした唐の新羅軍との戦い「白村江の戦い(Battle of Baijiangkou)」が行われ、日本側が敗北した。

http://time-az.com/main/detail/57901

6世紀から7世紀の朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅の三国が鼎立していたが、新羅は二国に圧迫される存在であった。

倭国は半島南部に領有する任那を通じて影響力を持っていたことが『日本書紀』の記録から知られている。

0475年に百済は高句麗の攻撃を受けて、首都が陥落した。その後、熊津への遷都によって復興し、538年には泗沘へ遷都した。

当時の百済は倭国と関係が深く、倭国朝廷から派遣された重臣が駐在していた。また高句麗との戦いでは、度々倭国から援軍を送られている。

0659年04月に、唐は秘密裏に出撃準備を整え、「国家来年必ず海東の政あらん。汝ら倭客東に帰ることを得ず」と言って、倭国が送った遣唐使を洛陽にとどめ、百済への出兵計画が伝わらないように工作した。

この朝鮮半島の動きは倭国にも伝わり、大化改新最中の倭国内部でも警戒感が高まった。

0660年、百済、新羅も従軍した唐軍に敗れ、滅亡した。その後、鬼室福信らによって百済復興運動を展開し、救援を求められた倭国が663年に参戦し、白村江の戦いで敗戦した。

この一連の戦争を「百済の役」という。

白村江(Hakusue/Baijiangkou/現在の錦江〈금강/長浦江/Basil bay〉河口付近)の緯度、経度
35°59'36.14"N 126°43'56.97"E

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