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池田勇人首相が喉頭癌のため入院。

2017-03-15 20:15:16 | 人物
総選挙は、自民283、社会144、民社23、共産5、無所属12で、選挙前と大差ない結果が出たにとどまった。しかし、伊藤昌哉秘書官は、この選挙戦中から池田の様子がおかしいことを記録している。「もう飽いた、もう飽いたよ」と弱音を吐き、何か義務感のようなもので押し切ろうとしていた。

http://time-az.com/main/detail/59046

選挙戦が終わった直後、1963年11月22日に、ケネディ米国大統領がダラスで射殺された。
池田は当初、国際儀礼上皇太子(のちの平成天皇)に渡米してもらい、吉田茂がその介添えをするのが望ましいと考えていたが、皇族連が反対し、結局池田が引き受けた。

1963年12月09日に、第61代々次池田勇人内閣が発足し、全閣僚が留任した。

伊藤昌哉秘書官はこのころから本格的に池田の異常を感じ始めていた。
喉の不調である

日本ではこの頃、癌を本人に伝えないというのが常識であった。

しかし、前尾繁三郎が自民党幹事長を退任して2カ月ほどたった1964年09月初めに、大平正芳副幹事長が渋谷区松濤の前尾邸を訪ねた。そのとき、「池田総理の病状がどうも怪しい。ガンらしい」という報告であった。
1964年09月07日のIMF総会の池田首相演説後に、築地の癌センターに入院させることにした。池田本人には「癌ではないが、最新の治療設備がそこにしかないから」と説明した。
1964年09月09日に池田勇人首相が喉頭癌の治療のため、国立癌センターに入院した。
前尾繁三郎は医師団に「癌であることは絶対に秘密にしてうそを言ってもらいたい。他日私が国民におわびするから」と要請した。
東京オリンピック閉会式の翌日1964年10月25日に、医師団は池田の病状について「前癌症状である」と発表した。
1964年10月25日に、池田勇人首相は病床に河野一郎国務相、川島正次郎副総裁、三木幹事長、鈴木善幸官房長官を招いて退陣の意向を伝え、鈴木官房長官と三木幹事長によって直ちに発表された。
後継総裁の選任は川島副総裁と三木幹事長が党内調整にあたり、これを踏まえて池田総裁が指名する手続きが決まった。佐藤栄作、河野一郎、藤山愛一郎の3人が名乗りを上げた。
すべては手遅れであった。1965年08月13日に死去した。同時に癌であったことが正式に発表された。

1965-08-13---池田勇人が死去した。
1964-11-09---佐藤栄作内閣が発足した。
1963-11-22---ケネディ大統領はダラスで自動車行列中に暗殺された。
1960-09-05---池田勇人首相が、所得倍増計画を発表。
1954-04-21---佐藤栄作や池田勇人逮捕で、犬養健法務大臣が指揮権を発動した。
1951-09-04---サンフランシスコ講和会議が開幕。
1951-08-31---吉田茂首相ら講和全権団がサンフランシスコへ向けて出発した。
1950-12-07---貧乏人は麦を食え!
1945-08-26---日本政府、占領軍兵士を接待する女性の募集を開始。
1945-08-23---「進駐軍を迎える国民の心得」を諭告。
1901-03-27---佐藤栄作元首相が生まれた。
1899-12-03---池田勇人が生まれた。

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