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世界のメディアから、「バーチャル・マトリックス・タイムマシン」に掲載するために集めた面白そうな情報を紹介します。

ジャンボやエアバスA380より翼幅があったH−4の初飛行テスト。

2016-10-17 11:43:23 | 人物
大富豪で、飛行家 、 実業家 、 映画プロデューサー / ディレクターであったハワード・ヒューズ(Howard Robard Hughes, Jr. /1905 - 1976)が手がけた飛行機は多数あるが、人々に最もインパクトを与えたのが、1947年11月02日に飛行テストを行った「スプルース・グース(The Spruce Goose)」の愛称で知られている「H-4(Hughes H-4 Hercules/HK-1 Hercules (NX37602)」といえる。

http://time-az.com/main/detail/57292

「H-4」は、ヘンリー・カイザー(Henry J. Kaiser)が戦時に備えて巨大飛行艇の大量生産を陸軍と海軍に提案し、ヒューズがその開発を引き受けたことで、制作がスタートした。
実際は開発期間が膨大になり、実現が困難なため、どの航空機メーカーにも断られ、ヒューズだけが、話に乗ってきたと言われている。

その最大の困難が、構造に金属を使ってはならないということであった。

予定から、3年ほど遅れ、1947年11月02日に「H-4]の飛行テストを行ったが、その操縦席にはハワード・ヒューズ自身が座った。

その野次馬の中には、上院国防計画調査委員会に呼び出されて時に、「飛べないという者もいるが、もし飛べなかったら、私はこの国を去る。」と言ったと伝えられてる。

ハワード・ヒューズを始め、16人の乗員、報道関係者などを含め32人を乗せた「「H-4」は、3回目のテストで初めて離陸に成功した。1分に満たない飛行ではあったが、確かに飛んだ。

ハワードの片腕と言われたデートリッヒは後に、「H-4」の製作を「最大の愚行」と言ったと伝えられている。
「H-4」を完成させるまでに、政府の資金US$1800万では足りず、ヒューズ自身がUS$5000万を出したと言っている。

「H-4」は耐久性に問題があり、1分に満たない飛行を実現してから、2度と飛ぶことはなかった。

「H-4(Hughes H-4 Hercules/HK-1 Hercules (NX37602))」は今も、博物館Evergreen Aviation & Space Museum, in McMinnville, Oregonで実物を見ることができる

博物館Evergreen Aviation & Space Museum, in McMinnville, Oregonの緯度、経度
45°12'14.0"N 123°08'36.0"W
または、
45.203889, -123.143333

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