
神祇官・かみづかさ
22・1・21
今日21日は、今月の弘法大師空海の月命日である。今日のメッセージの映像には、A4の用紙に数枚の文章が、緑字にて横書きで書かれていたが、最後の1枚が未だ白紙の侭であり、最後の纏めを、是から書かなければ成らない事が示された。
其れから、場面が変り、道路に私が立って居て車が来るのを待っていた。私が待っている車は、天皇の大事な祭りを司る一行が、儀式の用意をして乗っている車であり、私も其の車に乗って儀式に参加する事が解った。
そして、「じんぎかん」との言葉が頭に浮かんで来た。朝PCで「じんぎかん」を検索すると次の様に載っている。
じんぎ‐かん〔‐クワン〕【神祇官】 大辞林より
1 律令制で、太政官(だいじょうかん)と並ぶ中央最高官庁。朝廷の祭祀(さいし)をつかさどり、諸国の官社を総轄した。かみづかさ。
2 明治維新政府の官庁。慶応4年(1868)閏4月、太政官(だじょうかん)七官の一として設置し、神祇・祭祀(さいし)をつかさどった。明治4年(1871)神祇省と改称。
大辞泉より
[1] 律令制で、天神地祇の祭祀(さいし)を執行し、諸国の官社を総管する官庁。太政官(だいじようかん)と並んで二官をなす。かみづかさ。かんづかさ。
[2] 1868 年(明治 1)に置かれた官庁。神祇・祭祀・祝部・神部に関することをつかさどった。71 年神祇省と改称され、72 年廃止。
此の説明に拠ると、神祇官は1872年に廃止されており、現在は存在しない事に成っている。今朝のメッセージは、其の「神祇官・かみづかさ」を復活させろとの事ではないだろうか。そして、其の件に付いて、私に文章を書けとの事の様である。
其れに付いては、中国の孔子の考えが有る。其の考えとは、国の大事な儀式(新憲法発布など)には、国中で高い評価を受けている名手の音楽家を呼んで、演奏を行わせれば国民が興味を持って多く集まり、儀式が効果を上げるとの事である。
確かに、意味の有る儀式を行っても執行部と関連者だけが集まり、国民の参加が無ければ、其の儀式は、国民の大事な税金を無駄にするだけの事で、終わってしまう事に成るのである。其の孔子の影響も有るのか、中国では唐の時代でも、政治的に音楽が利用されている。
今日は、午後の国会討論で、自民党の谷垣禎一氏が、民主党に対して「天皇を 政治利用しているのではないか」と質問していた。其の答えの中で、現在の天皇は象徴的存在であり、天皇の国事や公務は政府の判断で為されており、天皇の個人的考えは無いとの事も示されていた。其の内容からすると、天皇自身の考えでは「神祇官・かみづかさ」の動きをする事はできない様である。だとすれば、天照大神を含む神々の意志が、天皇に告げられても、其れが効果を示す事には成らないと言う事になる。
だとすれば、天皇に、神々の意志が告げられるのは無意味なので、天皇には神のお告げは無いと言う事に成り、「かみづかさ」としての役割は、天皇家には無いと言う理・ことに成る。天皇は、天皇家が為さなければ成らない事を行っていないのだから、もう天皇家は不必要であり、年間の予算200億円の税金を、使う必要もないと言う事に成る。現に、鳩山政権では経費節減の為に、宮内庁を廃止しようとの案も出されているらしい。
だとすれば、今朝、私に告げられて来た「神祇官・かみづかさ」の役割は、どう成るのであろうか。若し宮内庁が無く成り、神祭りをする役職が無くなれば、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」はどう成るのか。其れに、私に起きた4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」の結果はどう成って行くのか。
宮内庁が無く成って、民間の「神社庁」で其の宮内庁の代わりが出来るのであろうか。其れに、個人的な「姓・苗字」を捨てている皇室は、就職をして自分の力で生きて行けるのであろうか。其れとも、外交に関わるので、外務省の職員として働く事に成るのであろうか。
日本の皇室は、莫大な資産を持っているイギリス王室と異なり、個人資産は戦後に無くなっている。其れまでの皇室の財産は、国に移管され、宮内庁が管理しているのである。鳩山政権は、200億円の予算を切って、宮内庁の管理している御所を天皇家に返還し、天皇家は自立して行けとの事なのであろうか。
若しそう成るのであれば、今朝私が乗る事に成る車や、随行する人々は、江戸城から皇室が京都の御所に帰る、引越しの列だったのかも知れない。
明治維新は、薩長(薩摩・長州)が中心に成り、「明治天皇」を東京の視察と言う事で連れて行き、京都の御所に其の儘帰していないモノなので、正式に「遷都・セント」したわけではなく、巡幸のままなのである。だから京都の人達は、今でも、宮様が御所にお帰りに成るのを待っているのである。
今日は、神奈川の智恵美さんから電話が有り、今朝のビジョンを知らせて来た。其の内容は、風呂に入って居たら、左の耳に水が入って音が聞こえなく成ったので、外に出ると、男性が遣って来て、菊の御紋が彫刻されているブローチを、差し出したとの事である。
・其の意味は、菊の紋は天皇家の印しであり、ブローチは左胸の所に着ける物なので、天皇家の人達は、左耳が詰まっており、神の声が聞こえないし、「神祇官・かみづかさ」の「ハート・意識・気持ち」も無く成っている理・ことを、意味しているのではないだろうか。
何故、私や智恵美さんに、此の様なビジョン・メッセージが送られて来るのであろうか。其れは、天皇家が本来の「神祇官・かみづかさ」の役割を、怠っているからであろう。そして、其の為に、神霊界が危機感を高めているのであろう。
其れは、今に始まった事ではなく、26年前から始まっている事なのである。
昭和天皇が、身罷った昭和64年1月7日の深夜(8日未明)に、私の心臓に昭和天皇の御霊がドーンと飛び込んで来て、私は其の衝撃で飛び起きた。そして、大喪の日(2月24日)の朝「吾が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」との言葉を告げて来たのである。其れに、1986年1月10日の近江神宮の「天智天皇祭」で、「ひもろぎの 代よの乱れを 盃に 菊一輪と まわし飲み」と、天智天皇の言葉も告げられて来ている。
其れ等の現象を考えると、私が「神祇官・かみづかさ」に関係する事は、天命なのかも知れない。
「天皇霊其の二 昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/170606/483.html「天皇霊 其の一 天智天皇」http://star.ap.teacup.com/170606/816.html
今日は、朝8時30分に事務所を出て、宮之浦の徳州会病院に行き、1週間前に予約していた、胃カメラの検査を受けた。私は、胃カメラの検査を受けるのは、初めての体験なので面白がって楽しみにしていたのだが、遣って見ると二度としたくない体験であると想った。しかし、驚いた事は、胃カメラの検査をした中年の女の先生が「礒邉さんは 風を引いていませんでしたか。此の症状からすると 風邪に因る 収縮性の胃炎の様です」と云うのである。
考えて見れば、胃が痛みを覚える2日前から鼻水が出ていたが、寒波が到来している時だったので、単なる鼻水と想っていたのである。其れに、診察を受けた時の熱は36・5度で、平熱で咳も出ないので、風邪の影響である事は、私本人もM先生も気付かなかったのである。しかし、其れが、胃カメラの検査で一週間前の症状が判るのは、以外な事であり医療技術の進化を再認識する事に成った。
其して、胃カメラの検査報告がM先生の手元に届き、私の名が呼ばれてM女医先生の診察室に行くと、血液検査の結果では癌の兆候も無いし、他の病気も無い事が判った。それに胃カメラの検査でも、胃に良性のポリープが1個有るだけで、私が気にして居た十二指腸も、別段異常が無い事も判ってホッとした。ただ、胃と食道との間が胃酸に拠って少し荒れている事が判ったが、其れは、誰でも歳を取って来ると胃の入り口の閉まりが弱く成るので、胃酸が逆流する様に成るのだとの事であった。
そして、M先生と話をして居ると、私の2月11日の横浜の講演会には行きたいが、時間が取れないので残念であるとの事で、「2月11日は 私の誕生日なのです」と云うのである。私は、其のM先生の言葉でビックリしてしまった。やはり、薬草園のビジョンに若い女医さんが出て来たのは重要な事で、私は知り合いの人達に、「何処かに 薬草に興味の有る若い女医さんが居ないか」と、訊ねたりしていたのである。其の女医さんは、既に昨年、屋久島に移住して来ていたのである。
私は、其の誕生日を聞いて、「M先生の為に 私は準備をしていたのですね 是で 全てが 解決した様な気がする」と云って、診察室を後にした。
何故、私が其の様な感想を云ったかと謂うと、1996年2月11日に私の妻佳子がビジョンを見せられ、鳳凰・朱雀のハートの役割が、岡山地方に存在する事が知らされたからである。そして、其の朱雀のハートはスーリアさんである事が後に判明し、更に明石市の晶子さんに、神様が「自適さんに 1996年2月11日の日記を 良く確かめろと告げてくれ」と、告げて来たとの事も有ったからである。
「1996年2月11日」http://star.ap.teacup.com/170606/373.html「キリスト生誕から2016年」http://star.ap.teacup.com/170606/372.html
其れだけ、建国記念日(紀元節)の日付に、神が執着して来る事には、2月11日に余程大事な意味が有るのだろう。其の、日付に関わる事を考えると、昭和天皇が1月8日の未明に亡くなった事と、私の誕生日が22年1月29日で旧暦1月8日である事が、繋がりが有る様な気に成って来る。其れに、明治維新で、建国記念日が2月11日に決まる前の年の、神武天皇即位である「建国記念日(紀元節)」の旧暦1月1日は、新暦の1月29日である。
・「紀元節(きげんせつ)」は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祝日。1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。かつての祝祭日の中の四大節の一つ。
しかし、1872年(明治5年)11月15日、明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め(明治5年太政官布告第342号)、同日には「第一月廿九日」(1月29日)を神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた(明治5年太政官布告第344号)。この1月29日とは、1873年(明治6年)の旧暦1月1日をそのまま新暦に置き換えた日付である。折柄、明治5年12月3日をもって1873年(明治6年)1月1日とし、新暦が施行されることになっていた。
1873年(明治6年)1月29日、神武天皇即位日を祝って、神武天皇御陵遙拝式が各地で行われた。同年3月7日には、神武天皇即位日を「紀元節」と称することを定めた(明治6年太政官布告第91号)。なお、同年1月には、神武天皇即位日と天長節(天皇誕生日)を祝日とする布告を出している。
此の説明を考えると、私が1月29日に生まれた事の意味は、明治維新が間違いであり、
維新を遣り直す為に、私が此の世に生まれて来たのではないかと想えて来る。
其の様に考えると、天皇を京都の御所に帰して、明治維新の間違いを正す必要が有る事に成り、今朝の「神祇官・かみづかさ」のメッセージの意味も、理解されて来る様な気がする。
天皇が、伊勢神宮に参詣する様に成ったのは、以前「熊野の神・饒速日命(にぎはやひ)」が天皇家の神だったのに、神武天皇が南九州から奈良の橿原に上って、「政・まつりごと」を始めたので、薩摩藩が中心である明治政府が、伊勢の「天照神・内宮」を皇室の神として、1869年(明治2)に明治天皇を伊勢神宮に初めて参詣させて、皇室の神を伊勢内宮としたモノである。
今日は、弘法大師空海の事には触れなかったが、弘法大師空海は長年私の行動に関わって来ている人物である。空海は、生きたまま「即身成仏」体制に入った人間であり、高野山の奥の院に、今でもミイラ状態で座ったままである。其れを考えると、昨日の丸い古墳の土を剥がしていた意識は、其の弘法大師空海の御霊であったのかも知れない。其の様に考えると、神仏混合にて2月11日の集いが行われるのではないだろうか。
平成22年1月21日
礒邉自適
22・1・21
今日21日は、今月の弘法大師空海の月命日である。今日のメッセージの映像には、A4の用紙に数枚の文章が、緑字にて横書きで書かれていたが、最後の1枚が未だ白紙の侭であり、最後の纏めを、是から書かなければ成らない事が示された。
其れから、場面が変り、道路に私が立って居て車が来るのを待っていた。私が待っている車は、天皇の大事な祭りを司る一行が、儀式の用意をして乗っている車であり、私も其の車に乗って儀式に参加する事が解った。
そして、「じんぎかん」との言葉が頭に浮かんで来た。朝PCで「じんぎかん」を検索すると次の様に載っている。
じんぎ‐かん〔‐クワン〕【神祇官】 大辞林より
1 律令制で、太政官(だいじょうかん)と並ぶ中央最高官庁。朝廷の祭祀(さいし)をつかさどり、諸国の官社を総轄した。かみづかさ。
2 明治維新政府の官庁。慶応4年(1868)閏4月、太政官(だじょうかん)七官の一として設置し、神祇・祭祀(さいし)をつかさどった。明治4年(1871)神祇省と改称。
大辞泉より
[1] 律令制で、天神地祇の祭祀(さいし)を執行し、諸国の官社を総管する官庁。太政官(だいじようかん)と並んで二官をなす。かみづかさ。かんづかさ。
[2] 1868 年(明治 1)に置かれた官庁。神祇・祭祀・祝部・神部に関することをつかさどった。71 年神祇省と改称され、72 年廃止。
此の説明に拠ると、神祇官は1872年に廃止されており、現在は存在しない事に成っている。今朝のメッセージは、其の「神祇官・かみづかさ」を復活させろとの事ではないだろうか。そして、其の件に付いて、私に文章を書けとの事の様である。
其れに付いては、中国の孔子の考えが有る。其の考えとは、国の大事な儀式(新憲法発布など)には、国中で高い評価を受けている名手の音楽家を呼んで、演奏を行わせれば国民が興味を持って多く集まり、儀式が効果を上げるとの事である。
確かに、意味の有る儀式を行っても執行部と関連者だけが集まり、国民の参加が無ければ、其の儀式は、国民の大事な税金を無駄にするだけの事で、終わってしまう事に成るのである。其の孔子の影響も有るのか、中国では唐の時代でも、政治的に音楽が利用されている。
今日は、午後の国会討論で、自民党の谷垣禎一氏が、民主党に対して「天皇を 政治利用しているのではないか」と質問していた。其の答えの中で、現在の天皇は象徴的存在であり、天皇の国事や公務は政府の判断で為されており、天皇の個人的考えは無いとの事も示されていた。其の内容からすると、天皇自身の考えでは「神祇官・かみづかさ」の動きをする事はできない様である。だとすれば、天照大神を含む神々の意志が、天皇に告げられても、其れが効果を示す事には成らないと言う事になる。
だとすれば、天皇に、神々の意志が告げられるのは無意味なので、天皇には神のお告げは無いと言う事に成り、「かみづかさ」としての役割は、天皇家には無いと言う理・ことに成る。天皇は、天皇家が為さなければ成らない事を行っていないのだから、もう天皇家は不必要であり、年間の予算200億円の税金を、使う必要もないと言う事に成る。現に、鳩山政権では経費節減の為に、宮内庁を廃止しようとの案も出されているらしい。
だとすれば、今朝、私に告げられて来た「神祇官・かみづかさ」の役割は、どう成るのであろうか。若し宮内庁が無く成り、神祭りをする役職が無くなれば、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」はどう成るのか。其れに、私に起きた4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」の結果はどう成って行くのか。
宮内庁が無く成って、民間の「神社庁」で其の宮内庁の代わりが出来るのであろうか。其れに、個人的な「姓・苗字」を捨てている皇室は、就職をして自分の力で生きて行けるのであろうか。其れとも、外交に関わるので、外務省の職員として働く事に成るのであろうか。
日本の皇室は、莫大な資産を持っているイギリス王室と異なり、個人資産は戦後に無くなっている。其れまでの皇室の財産は、国に移管され、宮内庁が管理しているのである。鳩山政権は、200億円の予算を切って、宮内庁の管理している御所を天皇家に返還し、天皇家は自立して行けとの事なのであろうか。
若しそう成るのであれば、今朝私が乗る事に成る車や、随行する人々は、江戸城から皇室が京都の御所に帰る、引越しの列だったのかも知れない。
明治維新は、薩長(薩摩・長州)が中心に成り、「明治天皇」を東京の視察と言う事で連れて行き、京都の御所に其の儘帰していないモノなので、正式に「遷都・セント」したわけではなく、巡幸のままなのである。だから京都の人達は、今でも、宮様が御所にお帰りに成るのを待っているのである。
今日は、神奈川の智恵美さんから電話が有り、今朝のビジョンを知らせて来た。其の内容は、風呂に入って居たら、左の耳に水が入って音が聞こえなく成ったので、外に出ると、男性が遣って来て、菊の御紋が彫刻されているブローチを、差し出したとの事である。
・其の意味は、菊の紋は天皇家の印しであり、ブローチは左胸の所に着ける物なので、天皇家の人達は、左耳が詰まっており、神の声が聞こえないし、「神祇官・かみづかさ」の「ハート・意識・気持ち」も無く成っている理・ことを、意味しているのではないだろうか。
何故、私や智恵美さんに、此の様なビジョン・メッセージが送られて来るのであろうか。其れは、天皇家が本来の「神祇官・かみづかさ」の役割を、怠っているからであろう。そして、其の為に、神霊界が危機感を高めているのであろう。
其れは、今に始まった事ではなく、26年前から始まっている事なのである。
昭和天皇が、身罷った昭和64年1月7日の深夜(8日未明)に、私の心臓に昭和天皇の御霊がドーンと飛び込んで来て、私は其の衝撃で飛び起きた。そして、大喪の日(2月24日)の朝「吾が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」との言葉を告げて来たのである。其れに、1986年1月10日の近江神宮の「天智天皇祭」で、「ひもろぎの 代よの乱れを 盃に 菊一輪と まわし飲み」と、天智天皇の言葉も告げられて来ている。
其れ等の現象を考えると、私が「神祇官・かみづかさ」に関係する事は、天命なのかも知れない。
「天皇霊其の二 昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/170606/483.html「天皇霊 其の一 天智天皇」http://star.ap.teacup.com/170606/816.html
今日は、朝8時30分に事務所を出て、宮之浦の徳州会病院に行き、1週間前に予約していた、胃カメラの検査を受けた。私は、胃カメラの検査を受けるのは、初めての体験なので面白がって楽しみにしていたのだが、遣って見ると二度としたくない体験であると想った。しかし、驚いた事は、胃カメラの検査をした中年の女の先生が「礒邉さんは 風を引いていませんでしたか。此の症状からすると 風邪に因る 収縮性の胃炎の様です」と云うのである。
考えて見れば、胃が痛みを覚える2日前から鼻水が出ていたが、寒波が到来している時だったので、単なる鼻水と想っていたのである。其れに、診察を受けた時の熱は36・5度で、平熱で咳も出ないので、風邪の影響である事は、私本人もM先生も気付かなかったのである。しかし、其れが、胃カメラの検査で一週間前の症状が判るのは、以外な事であり医療技術の進化を再認識する事に成った。
其して、胃カメラの検査報告がM先生の手元に届き、私の名が呼ばれてM女医先生の診察室に行くと、血液検査の結果では癌の兆候も無いし、他の病気も無い事が判った。それに胃カメラの検査でも、胃に良性のポリープが1個有るだけで、私が気にして居た十二指腸も、別段異常が無い事も判ってホッとした。ただ、胃と食道との間が胃酸に拠って少し荒れている事が判ったが、其れは、誰でも歳を取って来ると胃の入り口の閉まりが弱く成るので、胃酸が逆流する様に成るのだとの事であった。
そして、M先生と話をして居ると、私の2月11日の横浜の講演会には行きたいが、時間が取れないので残念であるとの事で、「2月11日は 私の誕生日なのです」と云うのである。私は、其のM先生の言葉でビックリしてしまった。やはり、薬草園のビジョンに若い女医さんが出て来たのは重要な事で、私は知り合いの人達に、「何処かに 薬草に興味の有る若い女医さんが居ないか」と、訊ねたりしていたのである。其の女医さんは、既に昨年、屋久島に移住して来ていたのである。
私は、其の誕生日を聞いて、「M先生の為に 私は準備をしていたのですね 是で 全てが 解決した様な気がする」と云って、診察室を後にした。
何故、私が其の様な感想を云ったかと謂うと、1996年2月11日に私の妻佳子がビジョンを見せられ、鳳凰・朱雀のハートの役割が、岡山地方に存在する事が知らされたからである。そして、其の朱雀のハートはスーリアさんである事が後に判明し、更に明石市の晶子さんに、神様が「自適さんに 1996年2月11日の日記を 良く確かめろと告げてくれ」と、告げて来たとの事も有ったからである。
「1996年2月11日」http://star.ap.teacup.com/170606/373.html「キリスト生誕から2016年」http://star.ap.teacup.com/170606/372.html
其れだけ、建国記念日(紀元節)の日付に、神が執着して来る事には、2月11日に余程大事な意味が有るのだろう。其の、日付に関わる事を考えると、昭和天皇が1月8日の未明に亡くなった事と、私の誕生日が22年1月29日で旧暦1月8日である事が、繋がりが有る様な気に成って来る。其れに、明治維新で、建国記念日が2月11日に決まる前の年の、神武天皇即位である「建国記念日(紀元節)」の旧暦1月1日は、新暦の1月29日である。
・「紀元節(きげんせつ)」は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祝日。1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。かつての祝祭日の中の四大節の一つ。
しかし、1872年(明治5年)11月15日、明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め(明治5年太政官布告第342号)、同日には「第一月廿九日」(1月29日)を神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた(明治5年太政官布告第344号)。この1月29日とは、1873年(明治6年)の旧暦1月1日をそのまま新暦に置き換えた日付である。折柄、明治5年12月3日をもって1873年(明治6年)1月1日とし、新暦が施行されることになっていた。
1873年(明治6年)1月29日、神武天皇即位日を祝って、神武天皇御陵遙拝式が各地で行われた。同年3月7日には、神武天皇即位日を「紀元節」と称することを定めた(明治6年太政官布告第91号)。なお、同年1月には、神武天皇即位日と天長節(天皇誕生日)を祝日とする布告を出している。
此の説明を考えると、私が1月29日に生まれた事の意味は、明治維新が間違いであり、
維新を遣り直す為に、私が此の世に生まれて来たのではないかと想えて来る。
其の様に考えると、天皇を京都の御所に帰して、明治維新の間違いを正す必要が有る事に成り、今朝の「神祇官・かみづかさ」のメッセージの意味も、理解されて来る様な気がする。
天皇が、伊勢神宮に参詣する様に成ったのは、以前「熊野の神・饒速日命(にぎはやひ)」が天皇家の神だったのに、神武天皇が南九州から奈良の橿原に上って、「政・まつりごと」を始めたので、薩摩藩が中心である明治政府が、伊勢の「天照神・内宮」を皇室の神として、1869年(明治2)に明治天皇を伊勢神宮に初めて参詣させて、皇室の神を伊勢内宮としたモノである。
今日は、弘法大師空海の事には触れなかったが、弘法大師空海は長年私の行動に関わって来ている人物である。空海は、生きたまま「即身成仏」体制に入った人間であり、高野山の奥の院に、今でもミイラ状態で座ったままである。其れを考えると、昨日の丸い古墳の土を剥がしていた意識は、其の弘法大師空海の御霊であったのかも知れない。其の様に考えると、神仏混合にて2月11日の集いが行われるのではないだろうか。
平成22年1月21日
礒邉自適










