パールライスのつれづれなるままに

日常のちょっと気になった事を気ままに書くブログ
最近は、美術鑑賞・ガジェット紹介が中心です。

ゴッホとゴーギャン展 at 東京都美術館

2016年10月10日 | アート・文化
2大巨匠、一挙公開。
先週土曜日、初日、9:40に入館。
雨だったし、早朝と言う事で、思ったよりは混んでいませんでした。
それでも、最前列で見るには、長い列を我慢して待たなければなりませんでしたが。

ゴッホとゴーギャンはアルル地方で共同生活を送りました。しかし、2ヶ月ほどしか続きませんでしたが。
何故、アルルだったのか?
ゴッホによれば、憧れの国、日本に似ているのがアルルだったから。
破綻のきっかけは、例の耳切事件。ゴッホが自分の左耳を一部切り取った事。口論が絶え無かった様です。そして突然切りました。その後、精神病院に入ったりして、自殺と。
下の絵は「収穫」この絵は、アルル滞在中の最高傑作、と自負したそうです


この絵は「タマネギの皿のある静物」耳を切った後、入院。その後、最初に描いた絵だそうです。


彼らは袂を分かちますが、その後も友情は続いていました。ゴーギャンの最晩年の作品が「ひまわり」ゴッホの死語、11年後に亡くなります。
ゴッホは、ゴーギャンと共同生活を始める前、ゴーギャンの部屋にひまわりの絵を飾ったのでした。
ゴーギャンが描いたゴッホの肖像画は、ゴッホがヒマワリを描いている姿。
彼らは「ひまわり」で繋がっていたのではないかと。


ゴーギャンの絵は、こう、人を引きつけると言うか、この絵は何を語っているのか?と思索に耽ってしまいそうな絵に感じます。
  


対してゴッホは、絵そのものからエネルギーを放射して、「どうだ、これヒマワリだもんね。」と自ら主張している様な。
「うん、そうだよね、ヒマワリだね。それ以上でもそれ以下でもない。」と納得させられてしまう。人に思索する余地を与えないと言うか。
この2つの絵は、肖像画が描きたくてしょうがなかった頃の作品。女性像は珍しいのでは?
 

絵に吸い込まれてしまうゴーギャン。対して絵からエネルギーを放射するゴッホ。
陰と陽というか、北斗の拳で言う、ラオウとトキのような。(笑)
だから共同生活が送れたのかも。短期間ですが。

で、今回、ゴーギャンの描き方がやっと分かりました。
彼は空想で描いています。現状の世界は、彼にとってモチーフの材料に過ぎず、いくつかの光景を頭の中で再構築して描いているそうです。
源氏にはあり得ない色使いですし。
例えば、「ぶどうの収穫、人間の悲惨」
手前でほおづえをついている女性は、娼婦です。当時、その場所に彼女はいません。しかし、描いたと。


この作画方法が、我々が思索に耽ってしまう理由なのかと。

「ゴーギャンの椅子」これはゴーギャンの為にゴッホがしつらえた椅子です。椅子にろうそくと本が置かれています。これは、ゴーギャンの空想を意味しているそうです。


ゴッホも空想するように勧められてそうですが、しなかった。
それは、彼が敬虔なキリスト教信者だからだと思います。元々牧師になりたかったんだからね。それが挫折して、画商となり、最後は画家になったのだから。
またまた、因みにレプリカの椅子、120,000円と270,000円です。


コメント
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