八十路の旅

平成20年8月3日、満八十才、傘寿になり、八十路の旅を、徒然なるままに記してみよう。

老いと病と死

2016-10-30 17:49:20 | Weblog

<老いと病と死について>

  この頃、なんとなく老いていく自分を自覚してきた。

  一見、元気そうに見える。ジーパンスタイルで軽自動車を走らせ、スーパーなどに出かける。朝昼晩と食事の量は減らないし、なんでもとことんうまい。これほど好き嫌いのない人は珍しいと、家の者がみないう。畑仕事も、今までと比較すると、たしかに疲れを感じるようになった。でも、それは5年も10年も前と比較してのことだ。

  耕運機は動かせない。草刈りも思うようにできない。ともかく、動くと、必ず膝と腰が痛くなる。特に左膝半月板あたりがきしむ。(60年前、左膝半月板摘出)そのうち、左膝をかばって、右膝が悲鳴を上げる。この悪循環は断ち切ることはできない。しかし、まったく動けないということではない。すべて、普通にこなせる。あの100m以上もあるKスーパーの端から端まで歩くことはできる。でも、2周目になると、さすがに足腰にこたえる。で、ムリをしないということになる。・・何にも文句を言うことではないといわれるが、心のどこかで「ウーム、残念」とつぶやいている。

  物思う秋というわけではないが、どうも寝つきが悪い。消灯して、左右の脈拍を数え、鼻呼吸をする。いつもは、そのままスッと眠っていて、目を覚ますのは3時ごろ。トイレを済ませて、次に目を覚ますのは6時か7時、そこで起床すればいいが、うとうとしている。目を覚ますと8時15分をまわっている。また、NHK・朝ドラを見のがした。・・しかし、最近は就寝して1時ごろまで、眠りが浅い。とりとめもない夢のような思いの中にいる。煩悩の世界にどっぷりとつかっているのだろうか? 米寿をこえて、四苦の世界から解脱できない。まあ、それが人間というものだ。佐藤愛子さんは「人間の煩悩」の中で、{・・悩みの量こそが人間の深さだ・・}と慰めてくださるが、四苦八苦、苦集滅道から脱皮できない。時々、仏壇の前でケンケンと般若心経を唱えても、たんなる自己満足でそれで、足腰が強くなるわけではない。

  さて、80才(傘寿)記念に、ブログ「八十路の旅」を初めて8年を過ぎた。副タイトルは「平成20年8月3日、満八十才、傘寿になり、八十路の旅を、徒然なるままに記してみよう」である。また、ブログを書籍化して9号(1冊、約400頁)をこえた。8年を生きてきた日々の生活を、こと細かく記している。

  ときどき、開いて読む。80才の初めごろは、老いと死については「ぴんぴんころりが一番」なんて書いているが、切実感がない。(・・60歳ごろの有名な人が、老いと死について語っているが、夢のような話で、88才の私の胸には響いてこない・・)
  でも、82歳ごろ、老いと病と死が、一気に現実味を帯びてきた。校長OB会の
懐石料理の席上で、突如下半身に激痛がはしり、救急車で運ばれた。病院検査の結果は、どの部位にもさしたる異状はなく、動脈検査も判定はA・・しいていえば、「実年令相応です」だった。それ以来、下半身に激痛がはしることはなかった。 {・・参照:2010,2,17「柏原厄神大祭」・・}自己診断だが、エコノミークラス症候群・脱水症状の結果だったと思っている。

  次は85歳頃だ。正確に言うと2013年(平成25年)の晦日から、2014年(平成26年)の初めにかけて、今までに経験したことのない「不整脈」を発症した。この時の様子は次のブログを参照。{・・2013,12,26「2013・年の瀬」<年寄りの冷や水>など。・・2014,1,4「寝正月」など・・}
  おかげで、それ以来、二度と不整脈は発症していない。しかし、老いと病と死が、現実味を帯びてきたことは確かである。とはいえ、いつまでも、「老いと病と死」におびえているわけにもいかない。「老いと病と死」に負けるわけにもいかない。

  無農薬の野菜づくりが私を待ち構えている。郵便局、JA農協、買い物に車を走らせる。まあ、よくこんなに次から次と仕事があるもんだと思う。実のところ、老いとか病とか死とか、考える暇がないというのが現実。
  瀬戸内寂聴さんの言葉を借りれば、{・・老いも病も受け入れて、常命(じょうみょう)が尽きるまで死ぬことはできません・・}ということになります。悠然として大地に生き、良い加減な風呂に入り、人生そこそこと生きていきたいものである。


<渋柿をもぎ、吊るし柿をつくる> 

  10月30日、朝起きるなり「今日は渋柿をもぎます。H(孫男)が手伝ってくれます」とは家内の言葉。「下の低いところはもげるが、中頃は脚立がいる。高いところは高所枝切りばさみで、ワシがもぐ」との我が輩の言葉。

  午前9時30分ごろから初めて午前10時30分には、渋柿を約三分の二ぐらい収穫。数え切れない。100個、200個というような代物ではない。ちょっと数えても300個はあった。
  高所の1個なりの柿は、また暇を見つけて、もぐ予定。

  今年はほんまに柿の生り年だ。わが家だけでなく、隣近所、山裾野の柿など、今にも枝から落ちそうにたわわに生っている。不思議なことに、山猿の姿が一匹も見えない。いずれ来るとは思うが不思議な年である。

 

☆長い高所枝切りばさみで、柿もぎに余念がない吾が輩。できるだけ枝付きにしてもぐのに一苦労。孫は脚立を使用して、手の届く範囲を収穫。家内は拾い役。ときどき、落ちてくる枝ごとの柿を受ける。仲良く柿もぎをしているところだ。
  10月30日(土)、午前9時24分に孫が撮ってくれた。 

 

☆収穫の柿2かごと、家内が枝付きの渋柿に仕上げているところ。枝のない渋柿は、ヘタだけで、ひもで吊るせないので、竹串を使用して吊るす。

 

☆わが輩が竹串を作っているところ。初めて作るので、太さと長さが分からなくて、すべてカンで手づくり。

☆5個の柿は、上の3つが枝付きの柿、下の2つはヘタだけの柿。このヘタだけの柿に竹串をさして、吊るし柿を作るわけだ。・・もちろん吊るす前に煮沸して雑菌をとる。まあ、でも、皮むきが大変だ。今回は家内が一人で実行。感心。我が輩は長時間は絶対ダメ。腱鞘炎の持病があるのでね。でも、5個ぐらいは皮むきをしたかなぁ。

 

☆10月30日午後5時ごろ、家内が吊るし柿用のひもを利用して、枝付きの柿をつるした。居間の前のサッシの外に吊るした。ざっと数えて118個あった。 正月用の「つるし」ができるぞ!(まだまだ枝付き吊るし柿がある)

☆10月31日午後4時ごろ、私と家内と2人がかりで、10個の柿を竹串にさした。もちろん、その前に、皮をむいた柿を煮沸。竹串が少し腰が弱くて、その分、中3筋を紐で支えた。吊るし柿10個を竹串で吊るす場合の合言葉がある。
  「外はにこにこ、仲むつまじく」・・つまり外は2個づつ、中は6つの柿を並べての言葉だそうだ。家内がしきりに「外はにこにこ、仲むつまじく」と唱えるので、調べると、竹串で吊るす場合の定番の言葉だった。
  竹串の吊るし柿は、居間のサッシの中に吊るした。ちょっと間が空き過ぎたのかなぁ。40個が吊るされた。


<紅茶の日のいわれ>

  11月1日である。朝のテレビが、「今日は紅茶の日です」と報じていた。「おーい、今日は紅茶の日だそうだ」と、家内に言うと、「いいえ、ワン、ワン、ワンの日です」と答えが返ってきた。つまり、ワン、ワン、ワン、犬の日だという。

  早速、日めくりカレンダーを見てびっくりした。まず、教育文化週間、灯台記念日・計量記念日、全国すしの日、犬の日、省エネルギーの日、などと記されていた。犬の日は載っていたが、紅茶の日は載っていなかった。多分、記載漏れだろう。早速、ネットで調べると、次のように書かれていた。
{・・海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県)の船主、大黒屋光太夫他2名は、ロシアに10年間滞在せざるを得なかった。
  帰国の許可を得るまでの辛苦の生活のなかで、ロシアの上流社会に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運に恵まれた。とりわけ1791年の11月には、女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている。
  そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。・・このことに基づいて、日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に11月1日を「紅茶の日」と定めた。・・}

  「犬の日」ワン、ワン、ワンは、社会団体ペットフード協会により1987年(昭和62年)に制定された日本の記念日だそうだ。そのほかに「点字の日」というのもあったが、正式な日本国民の祝日ではないそうだ。

  まあ、しかし、毎日、一日一日を日めくりのように生きている吾が輩にとっては、11月1日は霜月の初めの日で、霜が降りるのを心配している。そして、働く。


<物置の大掃除>

  11月1日、朝は冷えたが、日中は陽がさしていた。
  ブラブラしていると11時になった。急に、前から気になっていた蔵と離れの屋根下の物置場所の大掃除を実施しようと体が反応した。

  しかし大変な作業である。ともかく長いアルミの梯子が倒れている。野菜づくりの支柱なども倒れて手の付けようがない。雑然としたものを、みな取り出し、落ち葉や、砂などを取り除いた。午前中、約30分ぐらいで、昼になった。

  午後の仕事は、3時ごろから始めた。いや、びっくりした。晴れたり曇ったり雨が降ったりの天候に変わっていた。それでも、合間をぬって、午後4時ごろには殆ど大掃除を完了した。自分自身に大拍手。

   

☆(左)大掃除前の物置小屋にしていた屋根下。アルミの長梯子、支柱などが散乱してる。11月1日、11:15写。

☆(右)何とか後片付けを終了したところだ。落ち葉などが吹きこまれて大変だった。11月1日、16:00写。

 

<久保柿をもいだ>

  11月1日、午後4時過ぎ、小屋の大掃除が終わり、紅茶ではなく、コーヒーをいただく。犬走りで、ふと、目の前にある久保柿が、なっているのに気が付いた。
  今年の久保柿は少ないが、大ぶりである。何とか枝切りばさみで枝ごと切り落とした。ちょうど、アケビの生っていたサツキの上に落ちた。それでも10個ほどもいだ。

☆10個のうち、4個を写真におさめた。11月1日、16:10写。


<ススキと夕日>

  11月2日、天気予報のとおり、丹波篠山地方も絶好の秋晴れとなった。久しぶりに朝から夕方まで、一点の雲もなく、わが集落の谷間にも日がさした。

  穏やかな一日が過ぎ、午後4時30分ごろ、見事な夕日が西山に沈み始めた。その時、ハッと胸にひらめくものがあった。近くの黒豆の館にススキが群生している。ススキ越しに落ちる夕日を撮ってみよう。

☆11月2日、午後4時40分、「黒豆の館」の駐車場からススキ越しに夕日を撮った。ついこの間までは、5時半ごろに日が落ちていたのに、11月になると、落日は早い。これからが晩秋である。


<ついに山猿が姿を見せた>  

  ところで、「今年は山猿がやってこない。こんな年は珍しい」と、前のブログにも書いたが、やっぱりそんなに甘いものではなかった。11月3日の朝、近所の人たちが、山猿集団の鳴き声がするとの話。そういわれると、どうも裏山で特有の鳴き声が聞こえる。なんとなく騒々しい。

   11月3日の昼過ぎ、「あんた、早よ来て!裏の御所柿をもいでいる」との家内の叫び声で、昼寝の目が覚めた。
  跳ね起きて、裏口の戸を開けると、いるわ、いるわ、数十匹の山猿が、御所柿に群がっていた。早く気が付いてよかった。柿の木の下には、食い散らした柿がゴロゴロ。
  早速、二人で御所柿を一個だけ残し、みな収穫した。(1個だけでも残しておくのは風習)

☆11月3日、午後2時30分ごろから、約30分で収穫完了。それでも籠2箱、200個以上はあった。あとで爆竹と花火鉄砲5発を打ち上げた。

 

<吊るし柿に防獣網を被せた>

  「おい!今度は、吊るし柿をねらわれるぞ」との我が輩の言葉に、「そうなんです。もう、今年は猿も来ないと思っとったが、そんなに甘いもんではないわね。どうしましょう?」

  今年は、堂々と、230個余り、吊るし柿を軒下に吊るしているが、遅かれ早かれ、山猿に狙われ、かっぱらっていかれるのは必定だ。

  11月3日、午後4時ごろから、居間の前の吊るし柿(118個)と、応接間の前の吊るし柿(105個)に、防獣網(2mx6m)を被せた。それでも、2人がかりで約30分はかかったと思う。余分な労力だが、仕方がない。

  終わったころ、裏山の御所柿に山猿の集団が群がり、盛んに気勢を上げていたが、柿がないのに気が付き、静かになった。これで終わらないのが、山猿集団の執念だ。2,3日は集落めぐりをする。

  わが家の吊るし柿にも、必ず、一度はアタックする筈である。当分、戸締りは厳重にしなければならない。

 

☆(左)居間の前の吊るし柿に防獣網を被せる。11月3日、15:56写。

☆(右)応接間の前の吊るし柿に防獣網を被せる。11:3日、16:00写。

・・一生懸命に生きていると、老いとか、病気とか、死とか、のんきに思考しているわけにもまいりません。さあ、それが幸せというもんでしょうか? おわり。

     

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楽しみにしています! (matsnao)
2016-11-03 21:57:14
こんばんは!
私の父と同い年の方のブログということで、楽しみに拝見しております。
もちろん楽しく読み応えがあるブログだからですが・・
父は糖尿病が悪化し2010年に他界しました。
ブログ主さんがお元気に農作業をなさったり、日々の生活の様子を綴られている様子を拝見し、励まされています。
私の母は55才で他界し、思いがけず父と親しく過ごす日々がありました。その日々の中で父との距離が縮まりました。今となれば愛おしい父でした。
そんな父の姿と重なります。
(ブログ主さんのほうが数段上の素敵な人生を送っていらしゃると思います。)
私は60才になります。。
こんなファンもいるのだとお知らせしたくてコメントしました。
これからも記事を楽しみにしています。
ありがとうございました。
感激 (jiro)
2016-11-04 09:50:50
matsnaoさま
お父様の姿が、ほうふつとして心をよぎりました。また、支えられたmatsnaoさまの心情が手に取るようにわかります。お父さんは幸せだったと思います。
私のブログを観ていただき、感激です。あなたのコメントにまた一段と勇気づけられました。
今後ともよろしくお願いいたします。感謝。
いつも訪問して頂きありがとうございます。 (ヨシダ ソウジ)
2016-11-09 11:42:41
-びわ湖勝手気まま歩き-ブログ作者です。私は71才まだまだ青二才!・・時代の進展に抵抗したくなり生意気、横着心を、大人げなく、わめく無様な自分に辟易しはじめて来ている今日この頃です。人生大先輩のブログを失礼ながら、斜め読みならず写真中心のつまみ食い読みを、白状しながら懺悔のおもいて、恥ずかしながら綴っています。当初、畑作業も片手間にしておりました者で、師匠と崇める等と生意気で軽口を叩いておりました。
気ままな家庭菜園気分、先頃、わいわい伏見甘長トウガラシのおいしさを話すので、仲間に入れてと希望される方2名と素人にわか農作業に取り組んでおります。少し疲れて参りました。また、回遊魚のごとくじっと止まること苦手とは言え、少しゆっくりしたい願望もふくらみ・・あまりにも、あれこれ、首をつっこんで他人様のお世話には疲れを感じております。
土・作物相手の畑、公園のゴミ拾い、自己との闘いのグラウンドゴルフ、父母のルーツを探る旅、そしてメインのびわ湖歩きへとシフトを移していく準備中です。
自治会ふれあいサロン、地区民生・児童委員、マンション管理組合理事長、をそれぞれ任期満了で後輩に譲る段階であります。・・話が逸れた感があります。人生の幾つ目かの節目にあることを大先輩の精力的な毎日にあやかる為にも、
愚痴のごときを吐露させて頂きました。ご無沙汰ばかりでしたが久しぶりにコメントいたしました。失礼を顧みず・・
忘れられない久保柿の味 (ヨシダ ソウジ)
2016-11-10 10:33:15
幼き折り、遊び友達と伏見深草、稲荷山の麓、竹藪内の久保柿
収穫のお手伝いで、柿の木に登って4つ5つともぎ取ったのを思い出します。(枝が簡単に折れるのを後から知って)小学校低学年で身軽だったので大丈夫だったのでしょう。取ってはポケットに入れたので、粉が取れピカピカの柿は商品にならないので、叱られたのを良く覚えています。以降今日まで、あのときの久保柿の味を忘れた事はありません。店頭に並ぶ久保柿も見たことありません。写真を見て懐かしさの余り投稿いたしました。
最近は平たね柿の甘さに魅せられております。どうか、本格的に取り組んでおられるお姿に接し、ただただ感心しております。ご健闘を祈ります。
現役 (jiro)
2016-11-10 15:38:39
ヨシダソウジ様
コメントありがとうございます。ヨシダ様は現役そのものです。まだまだ先はながいですよ。
びわ湖は丹波生まれの者のあこがれの場所です。倅が滋賀大にいっていた関係で、家内と何回も訪問。お寺参りもしました。膳所にもいきました。石山寺、三井寺、岩間寺、懐かしいです。四高桜のことは、前のブログで詳しく書きました。
久保柿、懐かしいです。ブログは毎日観ています。
今後ともよろしくお願いいたします。

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