八十路の旅

平成20年8月3日、満八十才、傘寿になり、八十路の旅を、徒然なるままに記してみよう。

老いへの挑戦

2017-02-23 14:11:28 | Weblog

<この世とあの世?>

  あゝ、また一人の友が亡くなった。今年、年賀状が来なかったので気になっていた。几帳面な性格を知っていただけに、何か身に異変があったのではないかと、ちょっと気をもんでいた。

  つい、2,3日前連絡網で訃報が知らされた。びっくりした。やっぱり病気だったんだ。同じ中学校で教師として勤めた仲間であった。私が篠山城跡の西堀にある中学校(現在は移転して、大駐車場)の校長、彼は篠山城跡の東堀にある小学校の校長として、平成元年に定年退職した。

  彼は几帳面で真面目人間を絵に描いたような人物だった。かって一緒に机を並べたことがあった。机はいつも整頓されていて、古ぼけた筆箱があるだけ、削られたえんぴつがいつも2本はいっていた。
  それに反して、わが机の上や周辺は、答案用紙などが散らかされて、野球のバットがあるわ、ボールやグラブが散乱しており、よい加減を地でいくありさま。

  そんな彼が妙に私に興味があったのか、私が彼の真面目さに魅かれたのか、どうかは知る由もないが、時々私と城下町を散策した。散策というと聞こえはいいが、夜の繁華街を飲み歩いた。仲間という感じだった。

  退職後は、晴耕雨読を実践し、時々、新聞の読者欄に投稿していた。しかし、このところ5,6年は出会っていなかった。元気で野菜づくりをしているとの情報は入っていたが、米寿などのお祝いの席には来なかった。体調があまりすぐれないとは聞いていたが、こう急に逝かれると、私の心も穏やかではない。
  彼の葬儀には列席したが、心身ともに凍るように寒かった。・・昨年から5人も同じ年代の者が亡くなってしまった。何とも言えず、複雑な気持ちになるのも不思議ではなかろう。

  みな、どこへいってしまったんだろう。あの世って、どんな世界なのだろう? いったものが、誰一人帰ってきたためしはないので不明。

  100才の精神科医、高橋幸枝先生は、次のように言っている。
{・・年齢を重ねて、死生観について問われることが多くなりました。ズバリとお答えしたいところなのですが。死についてはよくわかりません。実際にあの世を見てきたわけではないですし、仕方がありませんね。・・}

  その点、老子は面白いことを言っている。
{・・人はこの世に生まれ出て、死の世界へ入る・・}
  この世を生きていると思っているが、実はあの世を生きているんだと、解釈すれば、逆説的な言い方だが面白いし気が楽になる。

  東京に住む孫が贈ってくれた五井昌久著「老子講義」を、時々ひもとくと終わりには「無為自然」に到着する。常に、「いつ自分に死が訪れても不思議ではない」と覚悟を決めて、ことさら生に執着することなく、その日いちにちを楽しみなさい。それが、かえって生を長らえることにつながるんだよ・・と、老子の死生観。  

  友の死をまえにして、この世とあの世に思いをはせた。

  しかし、現実の世界は、寒風吹きすさび、毎日雪が降り、猿除け網、防鳥網の補修に明け暮れる毎日が続く。2月とはいえ実に寒い毎日だ。

 

<3日連続して雪景色>

   2月18日、柏原厄除大祭にお参りしてから、19日、20日、21日の3日間雪景色の朝を迎えた。2㎝ぐらいの積雪で、午前10時ごろには溶けた。でも、日中も時々小雪が舞った。もちろん積るほどではない。また陽が射すこともあったが、風がきつかった。

  毎日、猿除け網と防鳥網の補修をした。また、2号田の冬野菜寒冷紗の後片付けをした。時間は30分ぐらい。

  ともかく風邪をひかないように、膝を痛めないように、細心の注意を払っての仕事だ。

 

☆2月20日、午前10時50分ごろ、2号田の冬野菜・寒冷紗が雪と凍てによって破り裂かれた。寒冷紗の後片付けをして、レタス、キャベツなど収穫。

 

☆2月21日、午前8時30分、裏の雪景色を、部屋のサッシ窓から撮った。19日、20日、21日と3日間、同じような雪景色が広がった。
  それにしても、18日の柏原厄除大祭は、「よいまでした」とは皆の言葉。「精進がよいからや」とは、わが輩の言葉。

 

☆2月21日、午前8時30分、積雪3cm、小雪の舞う中、孫が撮ってくれた。この雪も午前10時ごろには、田んぼの中の一部を残し、殆ど溶けた。


<青春の詩・老いへの挑戦>

  気が滅入ると、いつも口ずさむ詩がある。サミエル・ウルマンのYouth(青春)の言葉だ。
{・・参照:2010,12,20「How to stay young」にも掲載・・}

  人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる
  人は自信と共に若く、恐怖と共に朽ちる
  希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる  

 {・・you are young as your faith,as old as doubt:as young as your self-confidence,as old as your fear,
    as young as your hope,as old as your despair.}

  もちろん、原文はもっと長い。マッカーサー元帥が座右の銘としていたと言われる。

  まあ、たいへん読みやすい英語だから、この部分だけ、丸暗記している。
  でも、90才近くなって、今更、How to stay young?(どうやって若さを保つか)は、少々おこがましい感じもする。

  しかし、私にとって、60才代は、退職したといっても、現役の延長であった。年とったとはほとんど感じなかった。
  70歳、古稀になっても、古代稀は昔の話しだったとうそぶいた。無農薬の自給菜園を実践し、「土が変わる人が変わる」の冊子を記し、77歳(喜寿)には「元気が一番」を出版した。80才(傘寿)には、「不耕起栽培の世界」と題した野菜づくりの記録を出版。その間、講演活動にも励んだ。
  80才を越えてから、始めて体力の衰えを感じるようになった。ともかく、よく転んだ。それから、畑仕事の量が減った。そして、82才に宴会の席上で、急に足が痛くなって、救急車で運ばれた。原因、病名ともに不明。しいていえば、エコノミ症候群との話(自己診断)だった。
  85才の暮れに不整脈を発症した。一時的なもので、その後不整脈は発症しない。また、急激な足痛も起こらない。しかし、体力の衰えを身をもって感じるようになった。
  いま、88才の米寿を歩む私にとって、老化と老いをどのようにして克服していくかが、キーポイントとなる。換言すれば、80年代は、限りなき老いへの挑戦の歴史であり、80才から始めたブログはそれらを記してきたと言っても過言ではないだろう。
  80年代も、あと1年と5か月になった。106才を歩む日野原重明先生の言葉を借りれば、「老化は生物的な概念、老いは人間的な概念であるから、今後は老いに注目する必要がある」とのことだ。
  従って、今回の題目を「老いへの挑戦」としたわけである。

  「老い」に関しては、次のブログなどを参照してください。
{・・参照:2016、3,22「老化と老い」<老化現象と老いの美学>・・2016,7,23「老いに挑戦」<和顔施><忘己利他>・・2016,10,30「老いと病と死」・・}


<中学校・校長OB会に出席>

  2月25日(土)S中学校・退職OB会(昼食会・12:00~15:00)に出席した。

  平成元年3月、S中学校校長を退職してから、28年が過ぎた。今年は平成29年だから、この3月で28年が過ぎたことになる。

  さて、28年間で、私と現職を含めて10人が校長を務めた。OB会はその集まりである。しかし、参加者は私の後の校長は亡くなり、次の校長も体調不良で不参加、それに退職して、現在パリーの日本人学校の校長をしているMさんは不参加。結局、OB会の参加者は7名となった。

  ところが、誰の発案かは、大体想像がつくが、0B会が、今回は私の米寿のお祝いの会にしようということになった。OB会に出席してびっくり。米寿お祝いのこけしと花束贈呈となった。かなり、辞退したが、後の祭り。元教育長のTさんから手渡されては、どうしようもなかった。

  毎年2回ぐらいは開催されるが、このOB会ほど、肩の凝らない会はない。・・何の気兼ねもなしに、誰に遠慮するわけでもなく、言いたいことを、好きなように言う会合は、他にない。みな、かって教師時代に机を並べた仲間なのだ。

  私が6人との現職時代の深いつながりを話すのをキッカケとして、積もる話に花が咲いた。私は、今日ほど縁を感じたことはなかった。誼を味わったことがなかった。人と人とのつながり、運命的な出会いを肌で感じた。ある意味で、これが教育というものなんだと、しみじみと思った。

 

☆2月25日、午前11時40分,OB会にわが家を出発する私のいでたちを孫が撮ってくれた。 

☆2月25日、午後12時10分、Sさんより手渡された米寿お祝いの花束とこけし。夕方、帰宅して撮った。

 

<お祝い・パーティ>

  2月24日、孫娘が高校を卒業し、4月から神戸医療福祉大学(全寮制)へ入学する。
  2月25日、午後6時30分、みなで、卒業お祝いパーティを開いた。とはいえ、殆どはお母さんの発案と世話によるものだ。今回は手巻きずしでお祝いとなった。

  もちろん、卒業お祝い、入学お祝いは、わが貴重な年金から引き出している。それにしても「4月からさびしくなるなぁ」とは、爺さん婆さんの心の言葉だ。

 

☆お母さんがpcから印刷した卒業お祝いメッセージ。いつものことながら、わが家のお祝いのメッセージは、食卓から居間の敷居に掲示される。メッセージの写真は、孫の好きな Hey Say Jampの有岡大貴くんだそうだ。もちろん、お爺さんは知らない。

☆手巻きずし。ご飯と海苔が用意され、好きなものを海苔に巻いてたべる。お爺さんはまことに苦手。お婆さんと、お母さんと孫娘が、かわるがわる適当に巻きこんで、私の皿にのせてくれた。ただ、食べるだけ。しかし、めっぽううまかった。

 

 

  

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5 コメント

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Unknown (matsnao)
2017-02-25 11:07:09
jiroさま
こんにちは。
ブログの言葉の全てに人生の実感からくる重みを感じます。
私の亡父は先生と同い年ですが、若い頃からの不摂生の結果、糖尿病から来る腎疾患と心疾患および胃がんのため、70代から老病人生活を強いられ、82才を目前に他界しました。
健康に生きるための努力と気づきが無い人でした。
しかし、健康に生きながらえたとしても、老いと死から逃れられないのが全ての人に与えられた宿命なのですね。
私も60代からの生き方は、心身の健康と自分の霊性を高めるものにしていきたいと思います。
ありがとうございました。


還暦 (jiro)
2017-02-25 22:08:57
matsnao様
60歳代はこれからです。
あなたには霊性があるから大丈夫です。
2016,5,6「自給菜園」のブログを開いてください。
祈る!ご活躍。
電車の中はいつもワイドショウ!! (電車 ぷんぷん)
2017-03-07 18:05:07
はじめまして。
タイトルの挑戦、という言葉が目に飛び込み、釣られて、訪問いたしました現在61の歳のものです。

含蓄ある言葉の数々とご自身の生きざまがにじみ出てくるような文章に感謝し、自分の振り返りに参考にさせていただきました。
一言お礼と思いコメントしました。
ありがとうございました!
若さ (jiro)
2017-03-08 10:45:41
電車ぶんぶん様
身にあまるコメントありがとうございます。
ワイドショーを開きました。やっぱり、還暦時代は現役ですね。
政治経済をズバリと論説。若さをもらいました。
今後ともよろしくお願いします。
電車の中はいつもワイドショウ!! (ぷんぷん)
2017-03-12 11:19:39
若さ (jiro)さま

ご丁寧なコメントありがとうございます。

死ぬまで現役、との思いはありますがやはり年を重ねるにつれ、コミュニケーションギャップにふと歩みが止まってしまうことが多々あります。

やり残した宿題をやり遂げねばと、空元気の毎日です。

またお邪魔させていただきます。


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