八十路の旅

平成20年8月3日、満八十才、傘寿になり、八十路の旅を、徒然なるままに記してみよう。

平常心

2017-03-29 19:29:44 | Weblog

<平常心>

  3月26日、大相撲大阪場所で、稀勢の里が逆転優勝した。久しぶりにテレビにくぎ付けとなった。正直な話、負傷の稀勢の里に勝ち目はないと、みな思っていた。優勝決定戦になっても、稀勢の里が勝つとは思っていなかった。それが、もののみごとに、大関照ノ富士を小手投げで下して賜杯を手にした。・・このような光景を見たことがあった。そう、負傷の貴乃花が武蔵丸と優勝決定戦で勝ち、その時代の小泉総理大臣から「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」との言葉をもらった。

  久しぶりに、お茶の間をわかせた、稀勢の里の優勝だった。早速、インタビーがあった。稀勢の里はあまり雄弁な方ではない。朴訥として話す。その話の中に、二回「平常心」という言葉を耳にした。「いつもと変わりません。ふだんの通りやるだけです」・・そのような意味にとれた。・・動揺することなく、周りの意見に左右されず、普段と変わらない心で精進します。今後の活躍を期待。

  ところで、「平常心」という言葉を私も使っていた。その時の様子や新聞記事を抜粋する。

  {・・さて、いよいよ退職する新しい年になった。昭和64年の始まりである。しかし昭和64年は1月7日で終わり、1月8日から平成元年と年号が変わった。私にとっては最後の3学期の始業式(1月9日)は、ご逝去と平成元年の説明で始まるという、文字通り激動の幕開けとなった。その時の新聞記事を紹介してみたい。
 *・・多紀郡篠山町の町立篠山中学校では、川崎二郎校長が「昭和の初め、日本は東洋の諸国に戦争を挑んだという苦い経験がある。そして、昭和の後半は平和に向かって歩んできた。その激動の時代が幕を閉じ、平成時代が始まった。もうすぐ21世紀、みなさんこそが恒久平和へのいしずえになってほしい・・。さらに、「巳(み)年の巳には平らか、治めるなどの意味もあり、平成と合わせて意義深い、新しい年を平常心で過ごしてほしい・・・}

  今から28年前、中学生を前にして、私のスピーチであった。昭和から平成になっても、何事にも動じない心で、ふだんと変わらない心で、勉強に体育に励んでください。・・88歳、米寿を歩む私には、とても言えないスピーチだ。やっぱり、若さっていいなぁと、しみじみ思った。

  それにしても、3月から4月になろうとしている。夏野菜の畑の土づくり、畝づくりをしなければならない。でも、気ばかり焦って、遅々として進まない。(のんびりブログうつ暇もないのが現実)


<夏野菜の畝づくり急ピッチ>

  3月27日、久しぶりにKさんからテルがあった。
・・「3月30日(木)、午前中、畝づくりを手伝います」・・何とか管理機
を作動して、元肥を入れ、耕やしてもらいたいが、私の本音。・・そのためには、1号田4畝を、耕す準備をする必要があった。「いや、マルチめくりなど、みないたします」と、言ってくださるが、それは、それ、わが輩の土地である。少しでも準備するのが当然だ。
  そこで、老骨にむちうつも、遅々として進まないのが現実。でも、28日、29日、2日日間で何とか、耕せる状態にこぎつけた。その様子を綴る。

*3月28日

 

☆(左)1号田の畝づくりは、まず土に保存しているダイコンを収穫した。3本残っていた。凍ても、腐りもせず、上等なダイコンだった。28日、午前11時、引き抜いた3本の大根を洗い場で洗って干した。

☆(右)1号田、まずは東側からの3畝にとりかかる。右の1畝は、ショウガと里芋を植えていた。あとの2畝はダイコンを植えていた。もみ殻をかぶせていた畝が、ダイコンを保存していた畝だ。
  ともかく、ショウガを植えていた畝が大変だった。猿除け網の根元に絡みついた雑草が生い茂り、それが枯れているから始末に悪い。28日、午前11時40分に撮った。

 

☆(左)28日、午後3時30分ごろ、枯れた雑草を、コツコツと引き抜き、運搬車で運び出す作業をしているところ。孫が写してくれた。

☆(右)28日、午後5時、何とか3畝の後片付けを終了。


*3月29日

 

☆(左)29日、午前11時、畝間の畦敷きを取り外す。

☆(右)29日、午後3時30分、マルチを取り外した。ダイコンを保存していた畝に、ダイコン1本が残っていた。立派なダイコンだった。ちょうど左手に持っている。「おーい!ダイコン残ってたぞ」と叫ぶと、孫が出てきて、シャッターをきってくれた。 

 

☆(左)29日、午後5時10分、やっと3畝に管理機を入れる状態にした。あっぱれ! 自画自賛。

☆(右)29日、午後6時、1号田のエンドウとタマネギの間の畝も、管理機を入れる状態にした。28日、29日の2日間で、実労働時間は、それでも、5時間ぐらいは要していると思う。休み休みとは言え、ここまで働くことが出来れば、まず、良しとしておこう。でも、疲れた。


<1号田の畝づくり完了>

  3月30日、午前9時、予定通りKさんが来てくれた。ゆっくり一服する間もなく、1号田の4畝に管理機を入れる。溝を掘り、元肥(牛糞、焼き灰、モミ入り発酵ボカシ)を入れ、再度管理機で耕し、畝をつくり、あとは黒マルチ(0.02mm・150cmを張り、畦敷を敷いて完了。
  エンドウとタマネギの間の畝は、マルチ止めだけが残ったが、これは午後4時ごろ、私が完成した。あっぱれ!

 

☆(左)30日、午前8時30分ごろ、モミ入りヌカの発酵ボカシをバケツに入れているところ。ボカシは2年熟成したもの。1畝にバケツ(約10ℓ)一杯分のボカシを投入。

☆(右)30日、午前10時ごろ、1号田の3畝に、Kさんが管理機を入れ、元肥を投入、土寄せをしているところ。殆ど出来上がりの状況。

 

 

 

☆(左)30日、午前11時ごろ、3畝の畝づくりが完了。右の猿除け網の根元は、それこそ、どっかりと腰を下ろして、私がやった。少しは手伝っているのだ。

☆(右)30日、午前11時30分、3畝のマルチ張りを完了。わが輩、大いに手伝う。

 

 

☆(左)30日、午前11時50分、畦敷きなど、3畝のできあがり。夏野菜の何を植えるかは未定。マルチの中で、有用性微生物が、ドンドン増えて、密度の高い土になることは確実。

☆(右)30日、午後4時ごろ、1号田の残っていた1畝を、マルチ止めをして、畦敷きを敷いて(雑草押さえ)完了。これは、私が一人でやった。「おーい!終わったぞ!」の叫び声に、出てきた孫(男)が、撮ってくれた。

  これで、1号田の畝づくりは完ぺきだ。・・次は3号田だ。やるのか、やらんのか、やるのかい。


<癒しの水仙>

  3月31日、4月1日、カレンダーは変わった。2日間、雨降り、外仕事は不可能。 いや、不可能と言うより、3月末に働き過ぎて、体を休めたと言うのが正解。むしろなんもできないほど疲れ果てたというのが正直な話。
  ある意味で、恵みの雨だった。テレビを観ながら、コタツのお守りの時間がふえた。

 4月1日、午後6時ごろ、トイレに行くと、サッシの小窓の桟(棚)に、水仙が生けてあるのに気がついた。小用を済ませている鼻の先に、黄色い花が咲いていた。何となく心が癒された感じがした。

  スイセンについて、「ひょうご花の散歩」の著者、O先生のコメントを掲載。(O先生は昭和63年、高校校長退職(昭和63年)後、M女子短大の講師。私が平成元年に同じく講師として、ご一緒させていただいた先輩。でも、10年前に亡くなった。)
{・・ギリシャ神話のスイセン物語。ちょっぴり愚鈍で美青年の「ナルキッソウ」はあまりにも有名で、だれもがよく知っている。このスイセン物語がシルクロードを旅するうちに、「愚」が「賢」に、「男」が「女」に変わるのだからおもしろい。---むかし、中国に「ようぼ」という文才豊かな女性がいた。彼女が冬の夜、夢をみる。星が地に落ち、やがてそこからスイセンの花が生える。その芳しき香に誘われて、その花のひとひらを口に運んだとき、夢が覚める。間もなく彼女は身ごもり、一女を産んだ。
  この子は輝くばかりの美貌の持ち主で、しかも母に似て才女であった。この娘は「観星女史」(かんせいじょし)と呼ぶようになったという。
  地中海沿岸から発祥したスイセンの旅は、二千年の歳月を経て、江戸時代初期に日本に到着し、福井県の越前岬、千葉の房州、兵庫県の淡路島に定着し、スイセン郷をつくっている。地中海のロマンを運んだ花である。・・} 

☆わがトイレの水仙。今田立ち杭の水差しに生けられていた。この水仙は、花びらの中の花がラッパ模様で、ラッパスイセンと呼ばれている。4月1日、17:00写。


<2号田の畝づくり>

  3月30日、1号田の畝づくりが完了し、「これから3号田の畝づくりにとりかかるぞ」と、豪語していたが、30日の仕事の疲れが激しく、幸い雨降りのおかげで、31日、1日と2日間、体を休めた。
  4月2日、朝から快晴である。3号田の畝づくりにとりかかる予定だったが、急に変更して、「今から2号田の畝づくりにかかるぞ」と、叫んで畑に入った。一番気になっていた畝づくりを始めた。10年間、インゲン豆などを連作してきた畑で、何度となく重ねたマルチを取り除くのは大変だった。
  今回はその様子を綴る。

 

☆(左)4月2日、午前9時30分ごろから作業開始。雑草が猿除け網に巻き付き、マルチが土に入り込み、ともかく、1歩、1歩、腰かけ車を足でこぎながら、片手備中を使って、まず雑草を取り除いた。

☆(右)4月2日、午前10時30分ごろ、何とか雑草を取り除いた。

 

☆(左)4月2日、午後3時ごろから作業開始。畔敷き、マルチを取り除き、備中を使用して耕しているところを、午後5時10分ごろ、家内がシャッターを切ってくれた。(西日が家内の影を畑に落としていた)
  苦労している現状を察して、家内がマルチを取り除くのを手伝ってくれた訳だ。

☆(右)4月2日、午後5時30分、何とか畑らしい、畝になった。あとは、耕し、元肥などを入れて、マルチを敷いて、畝づくりを完了予定。でも、2,3日はかかるぞ! 

 

 

 

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