八十路の旅

平成20年8月3日、満八十才、傘寿になり、八十路の旅を、徒然なるままに記してみよう。

恵みの雨

2017-05-27 17:46:43 | Weblog

<恵みの雨>

  5月13日から5月24日まで、一滴の雨も落ちてこなかった空模様が、24日の昼頃から曇りはじめ、夕方パラパラと雨が降りました。パラパラとはいえ、これだけの水を撒くのは、大変な作業です。でも、今少し足りない感じ。・・ところが、ここ丹波篠山地方では、25日の未明、かなりの雨が降りました。

  稲の田んぼも、畑の野菜も、文字通り恵みの雨となりました。もちろん、私も待ちに待った雨です。これで4号田の黒豆の畝にマルチを張ることが出来ると、心がはやりました。


<4号田・マルチ張り完了>

  5月25日、午前中に雨も上がり、日が射してきました。4号田の黒豆畑も、水分をタップリ含み、マルチを被せる適切な状態です。
  午前中に、マルチ、マルチ止め、竹竿などを用意し、午後4時30分ごろからはじめ、午後6時ごろにマルチ張りを完了しました。約1時間半の作業ですが、休み休みで、実際の仕事時間は40分ぐらいでした。
  雨上りで、蒸し暑く、足元わるく、思うように仕事ができなかったのは事実です。でも、何とか3畝の黒豆を定植する畑ができました。

 

☆(左)25日、午後4時40分ごろ、畝にマルチ(95cm・0,02mm)を張っているところです。虫よけ防止を被っての作業です。はや、ブトなどが出るようになりました。

☆(右)25日、午後6時ごろ、マルチ張りを終わりました。畝の中を竹で押さえています。今年は、黒豆の直播きをやめ、苗床で育てた苗を移植(定植)する予定です。
  10日も辛抱したマルチ張りでした。


<昼ご飯です>

  5月25日、昼ご飯です。
  待望のエンドウご飯です。ラーメンもうまい。上は梅干しとサンショです。

  昼ご飯の後、昼寝をして、4号田のマルチ張りをしたわけです。飯がうまいと、やる気がわきますが、はて、さて、畑仕事となると、やる気だけではムリのようです。すっかり疲れました。

 

<1号田のエンドウを食べた跡を発見>

  5月26日、午後3時ごろ、「ちょっと来てぇ、エンドウを食べた跡がある」・・1号田から家内の叫び声。
  行ってみると、確かに食べたカスが4,5個落ちています。「うーん、これは山猿やなぁ?そやけど、どこから入ったのやろ?」・・1号田の周りを点検。でも、いま一つ不明。・・竹(3m)の支柱を上って、侵入した模様。やっぱり、今年も、エンドウを防護網で囲うことにしました。
  家内がしきりに言います。「隣のイチゴには何一つ手を付けていません。なんでやろ?」
  「
イチゴはイチゴや、山猿はエンドウにしか目がないのや、エンドウの次はトウモロコシや」  

  午後6時ごろ、防護網(1.5mと1m)で、エンドウを囲いました。応急処置です。これで完璧ではありません。でも、これ以上囲うと、人間さまが入れません。どうして収穫するのや?・・「まあ、何とかはずしては入れるようにする」・・これからはわが輩の腕のみせどころです。・・これからが山猿と知恵比べの毎日となります。

 

☆とうとう、すっぽりと防護網を被せました。26日、18:30写。上の写真は、25日ごろのエンドウの生っている状況です。今年は大収穫です。収穫して冷凍して保存。1年を通してエンドウを食べています。家内の手腕。


<今年も旧西紀町役場職員OB・OG会に出席しました>

  5月27日(土)、旧西紀町役場職員OB・OG会(懇親会)があり出席しました。2年に一度の割合で開催されます。その様子は、私が傘寿記念にブログ「八十路の旅」を開設してから、殆ど掲載してきました。今年で5回目です。

  懇親会の会場は、ユニトピアささやまが定番です。ユニトピアささやまは1973年に松下電器産業労働組合〈当時)がユニオンの理想郷(ユートピア)として組合員一人一人の創意と資力を結集して作り上げた総合レジャー施設です。現在はパナソニックグループ労働組合連合会となっています。

☆ユニトピアささやまのメイン施設です。(写真から複写したので、ぼやけました)このほかにも、運動場やアウトドア施設など、広大な敷地にいろいろな建物が建っています。
  この建物の左側の山裾に、旧陸軍の射的場があります。また、その峠を越えると、実はわが集落になります。山一つ隔てたところに、こんな施設があるんです。

 

☆横断幕の前で、かって中央公民館館長だったTさんに、撮ってもらいました。

☆最初の懐石料理です。食べる状況に合わせて、次々と料理が運ばれました。私は完食です。今年も最年長でしたが、乾杯の音頭は、1番札を引き当てた人になりました。私は22番札でした。よかった。よかった。

 

☆総合施設大ホールの前に広がる貯水池です。5,6年前から改修工事が始まって、見事に出来上がりました。満々と貯えられた水がきれいです。

☆会が終わり、貯水池を眺めながら、アイスクリーム(抹茶いり)を食べています。14:00写。

  ユニトピアの送迎バスで、午後2時30分に、ぶじ帰宅しました。・・少々眠くて、午睡。

・・ブログ「八十路の旅」に掲載している「OB・OG会」を参照してください。
{・・参照:2009,5,30「旧西紀町役場OB会」・・2011,5,23「5月の生活体験から」<旧西紀町OB会・・2013,5,20「季節の変わり目」<旧西紀町役場OB会に出席>・・2015,6,3「水無月の雨」<OB会、懇親会に参加>・・}・・バックナンバーで開いてください。

 

 

 

 

 

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私はタマです

2017-05-24 09:55:36 | Weblog

<私はタマです>

  「吾輩は猫である。名前はタマという」と、書くと、なんだか夏目漱石をまねしているようで、それにジロ爺さんが、しばしば吾輩と使っているので、「私」にしました。
  もう一つの理由は、オスなので「僕」と言いたいのですが、弱々しく、喧嘩にはいつも負けるので、僕とは何となく言えません。だから「私」としました。

  私は猫です。名前はタマと言います。飼い主は米寿を歩むジロ爺さんです。名前はジロ爺さんの孫娘M子が小学校2年生の時に付けてくれた名前です。M子はこの4月、大学生になりました。だから、指折り数えて、11年をジロ爺さんの家で暮らしてきました。

  私は何故か生まれつき臆病です。私の天敵は猫です。周りには野良猫がいっぱいいます。外に出ると、必ずどこからか野良猫がやってきます。真向かえばいいのですが、いつも尻を見せてしまいます。だから、尻尾のあたりにかみつかれます。        
  猫族は馬鹿です。猫の仲間同士で喧嘩して、他を滅ぼそうとしているのです。・・でも、猫族に限らず、人間さまも同じようなことをしています。猫族よりもタチがわるいのです。

  私の味方はジロ爺さんです。私はジロ爺さんが、外に出て、田んぼでごそごそし始めると、いつも30mの間隔を保ちながらジロ爺さんについていきます。なんとなく野良猫の視線を気配で感じます。野良猫はジロ爺さんがよほど怖いらしいです。絶対近寄ってきません。遠くから眺めており、ちょっとでも隙があれば襲ってきます。

  今までに3回襲われて、獣医さんに診てもらいました。私を連れていくのは、決まってジロ爺さんの倅と嫁です。運搬用の籠の中に入れて、治療に運んでくれました。治療費、薬用食費など、なかなか高くつくようです。

  私が一番困るのは、ジロ爺さんが落ち着きがないことです。ふっと、目を離すと、視界から消えています、家に入っているんです。と思えば、今度は裏の畑に行っています。私も、ジロ爺さんについて、裏の石段を上ったところの、白椿の木陰で寝そべります。(写真は5月5日、木陰で寝転んでいるところです)

  ジロ爺さんも年取りました。今までのように調子よく働けないようです。いつも石段の私の隣で腰を下ろしていっぷくします。うつらうつらしている時もあります。近頃は、何故か、いつも、「おい、タマ!寝てばかりおらず、裏の畑でにゃんと鳴いてみいや」と言います。・・・私には解っているんです。近頃よく花さか爺さんの話を聞かされています。ジロ爺さんの小学校1年生、つまり80年前の話。学芸会でわるい爺さんの役をしたそうな。よい爺さんになって、「タマにここ掘れにゃんにゃん」と言わせて、掘った土から、一万円札がザックザック出てきた夢を見ているんです。

  いま一つ夢を見ています。タマの私にはジロ爺さんの心の内が読み取れるのです。やっぱり、生老病死のことを考えているんです。そして、私に向かって、「おい、タマ、おまえ、いつ死ぬのじゃ?」と、ぶっそうなことを面と向かって言います。そして「生まれなかったら死はないな」と、思っています。 「生まれたから老いていくんだなぁ、やっぱり病にかかって死ぬのかなぁ」・・まあ、ジロ爺さんの哲学・死生観はそんなところなんですね。

  そこで、タマの私は言ってやりました。「そんなん、死ななわからへんやろ、生きているうちの考えは無意味だよん。死ぬまで生きていればいいんだよ」・・ジロ爺さんは、ふっと私のタマをみて呟きました。
  「タマよ、わしはのう、死がまだ見えんのじゃ、ジワジワと近づいてきているようだが、真実味がないんだ。タマ、おまえの言うように、死ぬまでボチボチと働くわ」

・・・・今回のタマの話は終わります。これから、時々タマの話をします。


<現実の畑仕事はきびしい>

  夏野菜を育てる正念場がやってきました。・・水やり、追肥、支柱など世話が大変です。困ったことに、5月13日から5月24日まで、約10日間、一滴の雨も降りません。それに、真夏日も続き、現実の畑仕事は厳しい毎日です。

  例によって、写真で、毎日の様子を記します。

<4号田・黒豆の畝づくり>

  4号田で黒豆を作ることを決めてから、5月になって急ピッチで畝づくりにかかりました。
  5月11日ごろ、やっと除草作業が終わり、5月15日、3畝を管理機で中耕できるように、マルチにカッターを入れました。
  中耕作業は、いつものKさんに依頼しました。5月18日、元肥(牛糞、焼灰、ボカシ)を入れ、再度耕すという、一番難しい作業をしていただきました。

  最後の黒豆を植える溝つくりは、5月20日、午後6時ごろ、私が土寄せ三角鍬で実施。あとは、何とか、一雨の後で、マルチ(95cm)を畝にかぶせて終了です。(ところが、13日ごろから23日まで、一滴の雨も降りませんでした)  

 

☆(左)小豆収穫後のマルチを利用して、黒豆を作ります。中耕できるように、まずはマルチをカッターであけました。5月15日、午後5時30分から30分はかかりました。

☆(右)5月18日、午前中、Kさんに来てもらいました。私は、この4号田では、管理機使用は不可能です。彼は、軽々と管理機を使用。プロです。写真は管理機使用中のKさんです。18日、10:35写。


 

☆(左)18日、午前11時30分、中耕終了です。右の側壁の白いのは石灰です。17日、午後6時ごろ、私がまきました。スギナ対策です。スギナは意外と石灰に弱いのです。

☆(右)5月20日、午後6時ごろ、畝の中に溝をつくり、畝づくり終了です。18:30写。

 

<キュウリの支柱・組み立てました>

  5月15日、午前11時ごろ、1号田のキュウリ5本、蔓が伸びているのに気が付きました。隣の畝でナスの世話をしている家内に言いました。「蔓が伸びとるやないかい」「しんどそうにしとってや人に言えへんわ」と、家内の返事。

  既に杭は打っているので、材料を運んで、組み立てるだけ。とは言え、材料集めが大変。でも、あらかじめ用意していたおかげで、約30分で組み立て、のり網を張って完了です。あとはのり網の上部を、竹の横に結わいつけるだけです。

 

☆5月15日、午前11時30分、殆ど組み立てが終わったところです。


<エンドウがなりはじめました>

  昨年11月22日(いい夫婦の日)、家内と一緒に種をまいたエンドウ(参照:2016,11,23「小雪前後」<いい夫婦の日>)が、冬の厳しさに負けずに、5月16日には、立派に育ってきました。
  とりわけ、今年の冬は異常な寒波で、大雪の被害甚大でした。(参照:2017,1,13「終活」<この冬一番の寒波・積雪>)・・それだけに喜びもひとしおです。
  もう、1週間で、ピークとなる様子。さて、山猿の被害を受けないように、細心の注意が必要です。 
 

 

☆5月16日、1号田の白い花のウスイエンドウです。午前11時30分ごろに撮りました。

 

<夏野菜の正念場、追肥・水やりなどで大わらわ>

  5月13日から5月24日まで、雨が一滴も降らず、夏野菜のキャップはずし、追肥、水やりなどなど、忙しい毎日の明け暮れとなりました。
  家内は朝早くから、水やり、野菜の支柱、草引きなどの世話をします。野菜がよくできるのは、まあ、家内のお蔭と言っても過言ではないでしょう。・・でも、追肥とか支柱とかの大きな仕事は、吾輩の力量です。ここは、一つ、二人で力を合わせてのたまものとしておきましょう。

 

<1号田・キュウリ、ナスに追肥>

  5月21日、午前9時50分~10時30分、追肥完了。牛糞、灰、ボカシ、活性液を混ぜたモノです。

 

☆(左)5の本ンュウリに追肥。続きのトウモロコシとミニトマトにも追肥。

☆(右)長ナス5本、2号ナス5本、マンガンジ3本に追肥完了。


<2号田・黄マクワ、カボチャに追肥>

  5月21日、午前10時30分~午前11時30分、追肥完了。

 

☆(左)黄マクワ5本に追肥しているところです。追肥の要領は、2台の荷車台車を使用。一つは腰掛用、一つは肥料用、移植ゴテで、2杯の肥料を、マルチの中に入れます。大体が株と株の間にやりますが、マクワは株の間が広いので、2杯×2杯を追肥しました。

☆(右)道路側の一番終わりに植えた、自家栽培のカボチャの苗の追肥です。キャップも取りました。藁も敷いています。右はジャガイモです。花も咲きました。
  昨年は、ジャガイモは6月15日ごろ、タマネギは6月5日ごろに収穫していました。いそがしくなるがなぁ!

<2号田、ブロッコリー、キャベツ、レタスに追肥>

  5月23日、午後5時40分~午後6時10分、約30分で、寒冷紗の野菜(ブロッコリー(5)、キャベツ(7)、レタス(7)に、追肥完了。水もたっぷりやりました。

 

 

☆(左)追肥の要領は、いつもこのような状態です。座布団を敷いて腰を下ろし、肥料の入った運搬車を押して、移植ゴテで2杯の肥料をマルチの中に差し込みます。

☆(右)追肥が終われば、寒冷紗を下ろして終了です。おかげで、チョウチョウなどが入らず、まず害虫被害はありません。レタスには虫がつきません。従って、キャベツとレタスを交互に植えています。

 

<3号田・スイカ、トマトに追肥>

  5月23日、午前10時30分~午前11:00、約30分で、追肥完了。 水やりは、蛇口あけは吾が輩、ホースで水やりは家内。井戸水でポンプアップして、水やりをします。長いホースを、田んぼに引き入れています。

 

☆スイカ、トマトの追肥は「おひさま凝縮粉末・有機肥料、JAS指定)を使用。もちろん、ボカシと活性液は使用しています。トマトもすでに一度ツルを支柱に結わえ付けました。15年の連作、今年はいかに?

 

<イチゴと晩ご飯>

  5月23日、午後7時、夕食です。
  イチゴは3回目の収穫です。最初と比べて、格段と大きくなり、甘さも増しました。「栃乙女」といったところです。

 

☆大きいイチゴは、卵(小)ぐらいでした。ちょっと言いすぎかな?
☆晩ご飯は、絹サヤエンド卵とじが初物。牛肉とレタス、手前はフキノトウ、梅干しと、くぎ煮です。

 

 

 

 

 

 

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ぼけたらあかん

2017-05-15 11:08:43 | Weblog

<ぼけたらあかんで、長生きしなはれ>

{・・年をとったらでしゃばらず 憎まれ口に泣きごとに 人のかげぐち愚痴いわず 他人のことは賞めなはれ
聞かれりゃ教えて上げてでも 知っていることでも いつでもアホでいるこっちゃ 勝ったらあかん負けなはれ
いづれお世話になる身なら 若いもんには花もたせ 一歩下がってゆずるのが 円満にいくコツですわ
いつも感謝を忘れずに どんな時でもへえおおきに お金の欲をすてなはれ なんぼゼニカネあったとて
死んだら持って行けません あの人はええ人やった そないに人から言われるよう 生きているうちバラまいて
山ほど徳を積みなはれ そやけどそれは表向き ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ
人にケチやと言われても お金があるから大事にし みんなベンチャラいうてくれる 内緒やけどほんまだっせ
昔のことはみな忘れ 自慢話はしなはんな わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り力んでも 体がいうことききません
あんたはえらいわしゃあかん そんな気持ちでおりなはれ わが子に孫に世間さま どなたからでも慕われる
ええと年よりになりなはれ ボケたらあかんそのために 頭の洗濯生きがいに 何か一つ趣味(碁)持って
せいぜい長生きしなはれや・・}

  これは、天牛将富{てんぎゅうまさとし・1910年(明治43年)~1987年(昭和62年)}の詩です。彼のプロフィールは今ひとつはっきりしていないが、ネットで調べると大阪市藤井寺の出身で、病弱で6回も手術を受けるなど、まさに7転び8起きの人生で、仕事らしい仕事もしないで、1987年77才で亡くなっています。

  この詩に出会ったいきさつなどについては、2013、6,11「好々爺をめざして」<ええ年寄りになりなはれ>に、かなり詳細に記しています。・・この詩が遠藤実作曲、杉良太郎が歌っているからおどろきです。

  まあ、なんとなく共感の持てる言葉です。

 

<毎年「母の日」がやってきます>

  5月14日(5月第2日曜日)は「母の日」です。

  今年は、日曜日に用事があり、13日にお祝いパーティーをしました。殆どは倅の嫁のお世話です。いつも、思います。嫁もお母さんです。「母の日」の主役なはずですが、何故かいつもお婆さんが主役なんです。そりゃ、倅夫婦からは、お婆さんは、確かに「母」ですものね。・・こんなことを言うと、「またいうとってや」と、みなから笑われました。
 1週間前だったか、丹波新聞の「昭和」の記念写真アルバムの広告欄に、家庭バレーボールをしている家内の若い時の写真が載っていました。みな、「想像できへんわ」と言って、めったに新聞に載ったことのなかっただけに、喜ぶことしきりでした。

 

☆お祝いパーティー、手巻きずしです。お爺さんは、「欲張りだから、海苔にご飯をたくさん巻きつけるので、刺身などが入れられないのです」って話しでした。やっぱり、花咲か爺さんの話しではありませんが、欲張り爺さん、いじわる爺さん、わるい爺さんでした。(笑)

☆昭和40年ごろ、家庭バレーボールをしているお婆さんが写っていました。29才ごろでしょうか、左端で、ボールを見ている姿です。・・(家庭バレーボールは、昭和35年、弱冠32歳のわが輩が、西紀町でひろめたモノです)・・「昔のことはみな忘れ、自慢話はしなはんな」・・天牛さんはおっしゃいますが、過去は過去で大きく膨らんできますし、やっぱり自慢話をしたいものです。修養が足りませんねぇ。(笑)

 

☆倅夫婦(左)と六甲に住む長女夫婦(右)からの、お祝いの花です。感謝!その他に衣類もいただいています。

  「母の日」については、次のブログを参照してください。
{・・参照:2010、5,6「母の日思考」・・2011,5,25「5月の花素描」<母の日の花模様>・・2012、5,16「新緑の木々と花」・・2013,5,16「寒暖の差が激しい5月」<母の日の贈り物>・・2015、5,9「やる気まんまん」<今年も母の日に花束が贈られました>・・2016,5,8「母と花」・・}


<初収穫のイチゴです>

  5月14日、午後5時ごろ、家内が1号田から収穫してきたイチゴです。今年は、今のところ、防獣網を被せてはいません。従って、すごくもぎやすくて、みなで喜んでいます。
  でも、まいにち山猿の鳴き声がしています。エンドウ、トウモロコシには厳重に注意が必要です。
    

 

☆まだ、完熟とは言えません。甘みも今ひとつです。これからでしょう。初収穫としては満足。

 

<ハクロニシキ咲く>

  5月14日、午後6時、前庭のハクロニシキ(白露錦)緑の葉が淡いピンクに変色しています。いつもの風景です。当分葉の変化が楽しめます。

 

☆5月になってから緑の葉がピンクに染め上がってきました。少し緑の葉が少なくなりました。満開も間近いでしょう。

 

<テッセンも咲き始めました>

  5月14日、午後6時、前庭のテッセンです。ハクロニシキの横にきれいな紫の花を咲かせました。いつもながら、仙人を思わせ、フェルメールの絵をしのばせます。    

 

☆竹の支柱に6個のテッセンを咲かせました。この支柱にはノウゼンカズラも梅雨が明ける頃に花を咲かせます。

  ハクロニシキ、テッセンについては、次のブログを参照してください。
{・・参照:2011,5,25「5月の花素描」<テッセン><ハクロニシキ>・・2012,5,15「新緑の木々と花」<テッセン・ハクロニシキ>・・2014,5,14「大器晩成」<雨にけむるハクロニシキ満開です。・・2015、5,9「やる気まんまん」<今年もハクロニシキ・テッセンが咲きました>・・2016,5,8「母と花」<ハクロニシキとテッセン>・・2016,5,26「山家の猿」<ハクロニシキ(白露錦)満開です>・・}
  バックナンバーで開くと便利です。

 

<鉢植えのクリンソウ>

  5月15日、午前11時ごろ、庭の鉢植えにしているクリンソウです。家内がかれこれ20数年育てています。もとは、私が退職時にいただいたモノです。

 

☆今年は、例年と比べると、ちょっと少ないようです。多い時は5鉢も6鉢もありました。クリンソウは前のブログに載せたはずですが、ちょっと見当たりません。
  クリンソウは、篠山市・三岳山の中腹の湿地帯に群生しています。私も2度山に登りましたが、時期が適せず、クリンソウの湿地帯の場所だけ確認しました。保存区域になっています。
  ネットで調べると次のように載っていました。
{・・
10㎝程の鋸葉を持つ葉のロゼットを作り、夏季となる4~6月に、その中心から花茎が伸びる。花は花茎を中心ん円状ににつき、それが数段に重なる姿が仏閣の屋根にある「九輪」に似ていることから名前の由来となっている。花の色は濃い紅紫色が普通だが、ときにピンクや白も見られる。・・}

 

<1号田のキュウリの支柱づくり>

  2,3日前から、1号田のキュウリの支柱(棚)づくりが、気になっていました。
  5月16日、午前10時30分ごろから、急に棚づくりを始めました。杭は、2日まえに打っていました。支柱の竹、のり網などを用意するのに約30分ほどかかりました。準備ができれば、組み立ては意外と簡単なんです。
  午前11時30分には、ほぼ組み立てが終わりました。

 

☆5月16日、午後11時30分、支柱組み立て、のり網をかけているところです。あとはのり網の上を、横に渡した竹に、結わいつけるだけです。「なした、早ようしたたんじぇ」・・みなの言葉です。体調もまずまず。
 (午後は予約していた歯科の治療に行きました)

 

<バラが咲きました>

  今年も前庭にバラの花が咲きました。毎年、同じところに咲きます。紅色が鮮やかです。

  庭のバラの花については、次のブログを参照してください。
{・・参照:2011,5,25「5月の花素描など」・・2014,5,18「無理を知る」<今年もバラが咲きました>・・}

 

☆5月17日、午前10時30分に撮りました。17日は朝から曇り空。でも、この時間だけは日が射していました。

 

 

 

 

 

 

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寡黙

2017-05-10 11:06:37 | Weblog

<寡黙について>

  やっとゴールデン・ウイークも終わりました。まあ、しかし、毎日が日曜日の米寿の旅を歩むわがご老体にとっては、あまり関係のない休みでした。

 夏野菜の苗の植え付け、猿除け網の補修、黒豆畑の畝づくりなど、畑仕事が焦る気持ちに追い打ちをかけたように迫ってきます。

  それに並行して、体力の衰えが、ドンドンわが身を攻めてまいります。そりゃ、激しいのです。まず、膝が痛くなります。左膝に苦痛がはしると、かばっていた右膝が痛くなります。両膝をできるだけ使わずに、腕を使うと、右肩から右腕が痛くなり、左肩もいたくなってきます。・・そこで腕から先、つまり指先を使うと、持病の腱鞘炎を発症します。最後に、腰にやってきます。こうなれば、完全にノックアウトです。・・でも万年床に身を横たえれば、なんとか元に戻るから不思議です。いや、ありがたいです。

  そして、少し気分がよくなれば、外に出てお天道さまに、合掌して鼻呼吸をします。

  そんな毎日の明け暮れの中で、どうしても人が恋しくなります。道行人と話をします。喋ります。ついつい、いらぬ話をしてしまいます。自慢話をします。そして、やっぱり「人は寡黙がよい」と反省します。

  でも、本当に寡黙がいいのだろうかと一方では呟きます。一人暮らしの老人で、話し相手もなく、ボケる人が多いと聞きます。それで、一人でカラオケをやっている老人は、意外とボケないそうです。

  沈黙は金とは言え、何事も、「ほどほど適当が一番」の気がいたします。

  寡黙の話はこれぐらいにして、畑仕事を中心にして、毎日の暮らしを記します。

  {・・参照:2013,6,11「好々爺をめざして」・・2015,1,22「謙虚と謙遜」・・2015,6,3「水無月の雨」<老いを感じる><老いに関する本>。。}

 

<3号田、サツマイモ(鳴門金時)苗植え・トマト藁おさえ>

  5月5日、午前11時ごろ、注文していたサツマイモの苗が、徳島の本場から来ました。午後4時ごろから、家内と倅の嫁の二人で、3号田の準備していた畝(タマネギとオクラなどのあいだの畝)に植えました。手慣れたもので、約30分で植え終わり、藁敷きで完了。
  その間に、私はトマトの藁敷きを、ナイロンの紐で押さえる仕事をしました。一応、これで藁はあまり風で飛ばされないと思っています。

 

☆5月5日、午後4時30分、サツマイモとトマトの藁を敷いた写真です。

 

<4号田に挑戦>

  5月7日、4号田が草ぼうぼうの世界です。昨年11月、小豆を収穫してから、ほったらかしの田んぼです。せめて草引きはしようと、思いながら、「よし、やっぱり、黒豆を作るぞ」と、急に覚悟を決めました。
  でも、1日や2日で畝づくりはできません。まず草引きです。小豆を収穫したマルチ畑は再利用し、5月末までに、黒豆の直播が出来る畝に仕上げれば最高です。
  「もう、止める言うとったたんと違うのけ」、うちの皆の言葉でした。

 

☆(左)5月7日、午前10時30分、草ぼうぼうの4号田の状況です。

☆(右)5月7日、午前10時30分、東から見た4号田の状況です。ほんまに、きれいにできるのかなぁ?

 

☆(左)5月7日、午前10時30分から約1時間、草引きをしました。2台の運搬車(1台は腰掛車、もう1台は草運搬車)を、使用しての川崎流の除草作業です。

☆(右)5月7日、何とか2畝の除草を終えて、午前11時42分、4号田から引き上げてきました。いつもの納屋の椅子に腰かけて、家内の用意してくれたジュウスを飲んで一息ついています。がんばれ!

 

☆5月10日、午後4時ごろから作業開始。何とか3畝の黒豆畑が出来そうになってきました。でも、「もうムリと違うか?」と、どこかで声が聞こえます。しかし、「なに、負けるもんか」と、心の底で呟いています。
  午後5時ごろに、意気揚々と4号田を後にしました。

 

 <1号田のエンドウとイチゴ>

  5月10日、午後5時ごろ、帰る途中に、1号田のエンドウとイチゴを撮りました。

☆エンドウはうすいエンドウと絹サヤです。うすいエンドンは白い花をつけ、実をつけ始めました。絹サヤはやっと紫の花を咲かせたところです。
  イチゴは、かれこれ20数年、栃乙女(トチオトメ)です。20数年前にいただいた苗を育ててきたものです。今年のイチゴもまずまずの成長状況です。
 ・・あとは、山猿対策だけです。・・エンドウとトウモロコシは、毎年何らかの被害を受けています。市に電柵を依頼しているんですが、今のところ何の音沙汰もございません。 


<2号田の夏野菜の様子>

  5月10日、午後5時ごろ、2号田の様子を、猿除け網越しに撮りました。
  ジャガイモが大きくなりました。また4日に植え付けた帽子をかぶったカボチャ、黄マクワなどが完全に定着しました。そろそろ帽子をはずそうと考えています。
  寒冷紗のブロッコリー、キャベツ、レタスも大きくなってきました。
  防護網を被せたタマネギもかなり大きくなりました。6月には収穫できそうです。あとは、山猿との知恵比べに勝利をめざします。  

☆手前がジャガイモです。ちょっと追肥するかどうか、迷っています。でも、地力がありそうで、今少し様子を見ます。左の3つの帽子がエビスカボチャです。空いたところに、白カボチャを定植予定。
  北側の4畝は、ネギ、タマネギ(防獣網)、黄マクワ(帽子をつけた)、寒冷紗のブロッコリー、キャベツ、レタスです。・・すべて、今のところ順調です。


<予約検診>

  5月11日、10:30分、O病院の泌尿器科の予約検診です。待合室は満席です。例によってテレビ掲示板に4字熟語が映りました。

  (1)一〇一〇、(2)談〇風〇・・(1)は簡単一進一退、しかし(2)は出来ません。あとの答えは談論風発でした。盛んに語り論ずることでした。

  50日に一度の検診は、O病院に通院してから15年は続いています。その間、前立腺に関して、あらゆる検査をしました。疑わしいものはでてきませんが、絶対大丈夫だとは言ってもらえません。そして、薬局で「ハルナール」を処方してもらって帰ります。問題はPSA値なんですが、4.0以下が正常なんですが、ずっと2.0を維持していたんですが、このところの数値は、5.0~6.0を維持しています。まあ、ちょっと高めなんですが、こちらが気にしているだけで、医師はさして気にされていないようです。

  O病院に通院前は、k病院で15年、一年に一度の検診でした。従って、かれこれ30年は、泌尿器科に通っていることになります。その間に、仲良くなった友達は、あれよあれよという間に、みな、亡くなってしまいました。前立腺に関する病気も、なかなか複雑な病気ではあります。

  今のところ、一日一日が、尿に障害がなく、昔のようにはまいりませんが、出にくいということがなければ、それでよしとしています。お医者さんの言葉もそのような話でした。


<4号田の除草・ほとんど完了>

  5月11日、0病院からの帰宅時間は、昼を過ぎました。
  昼食後、昼寝の時間に、うつらうつらしていると、夢を見ていました。小学校一年生のとき、「花さか爺さん」の、いじわる爺さんになった夢でした。80年前の話だぞ!

  いじわる爺さんの役をもらって、泣いて家に帰ったそうだ。「しょうじき爺さんやったらやる」ごねたらしい。担任の先生が家にやってこられて、「いじわる爺さんは、賢い子でないとできません」との話しで、無事、一件落着と相成ったそうだ。・・うすら、うすら、そんなことがあったのかなぁ?と、いじわる爺さんがぼやけて見えました。

  昼寝から覚めて、おい、おい、正直爺さん、意地悪爺さんと言うている場合じゃないぞと、万年床から這い出して、4号田の除草作業の続きです。

☆5月11日、午後4時頃から午後5時頃まで、4号田の3畝の除草をしました。昨年11月収穫後から、どうにか小豆畑(黒マルチの穴)が、顔を出しました。
  今年は黒豆を直播します。やっぱり、作ることにしました。管理機使用の耕うんは、Kさんに依頼しました。まだ、細かい仕事が残っていますが、一応、3畝だけは、除草完了です。

 

<田植え終わる>

  えらそうに、田植え終わると、書いていますが、苗代、畔作り、などの作業は、大型農業経営のK・Kさんに依頼しています。かれこれ20年は経ちます。以前は水あて、草刈りなどは、少しは手伝っていましたが、最近はすべて委託農業に切り替えて、K・Kさんにお世話になっています。

  5月12日、午前11時30分ごろ、篠山市内からの帰路、丹南三和線の県道を自家用車を走らせていると、わが家の田んぼのあたりに、大型の田植え機を発見。・・早速、確かめに行くと、やっぱりわが家の田んぼでした。しかも、最後のひとすじを進行中でした。

  もちろん、お礼を言いました。

☆5月12日、午前11時30分、田植えが殆ど終わるところです。真向いの白い建物は、黒豆の館(地域活性化センター)です。西紀トンネルを出て、山裾を丹南三和線が走っています。
  わが家からは500mです。昭和45年頃、構造改善され、この田んぼだけが、わが家の田んぼ(水稲)となりました。田んぼの所有者、生産者はわが輩です。・・でも、正直、維持管理は大変ですよ。

 


<自家製カボチャの苗・植え付け完了>

  自家製カボチャの苗(家内が一人で育成)が、大きく育って植え付けの時期となっていました。

  5月12日の午後2時ごろ、わが輩と家内が同時に言いました。
 「カボチャの苗を植えへんか?今から植え付けしましょう」・・今日ばかりは、妙に意見が一致しました。前から、自家製のカボチャの苗は、2号田の畝に用意していました。

  午後2時半ごろから植え付け開始。約30分で終了。・・午後5時半ごろから、約30分で、キャップを被せて終了。それらの様子を、写真で記します。

 

☆2号田、ニンジン収穫後の畝に、5本の白カボチャを植えました。午後2時30分、苗を植えています。
  午後5時30分、キャップを被せて、植え付け終了です。

 

 

☆2号田、道路そばのカボチャ畑です。すでに3本のエビスカボチャの苗を植えています。その空き地に、午後4時40分ごろ、白カボチャ2個、ぼっちゃんカボチャ5個植えました。
  午後5時35分ごろ、キャップを被せて、植え付け終了です。

 

 

☆2号田、東側、寒冷紗(ブロッコリー、レタス、キャベツを栽培)の畝にぼっちゃんカボチャ2個、白カボチャ3個を、午後3時5分ごろ植えました。手前の5個は、盆に使用の十八ササゲ(5日前に家内が種をまく)です。
  午後5時40分、キャップを被せて、植え付け完了です。

  これで、夏野菜の苗はすべて終わりました。・・でも、家内ともども疲れました。これくらいの仕事で疲れるようでは、あとが思いやられます。・・いよいよ、山猿対策です。

 

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静思

2017-05-02 19:26:15 | Weblog

<静思の連休>

  世の中は今連休に入っています。4月末から5月初めにかけて、文字通り大型連休です。1日、2日に休暇をとれば、9日間の休みとなります。公務員など勤めのある人は、ひと月の三分の一の休みを、どのようにして暮らされるのでしょうか?

  「そんな他人のこと、ほっといてくれや」・・絶対言われます。毎日が日曜日のわが輩にとっては、連休もあまり意味がありません。365日、毎日をどうして暮らそうか、一日一日が、重くのしかかり、あゝ、今日も無事に過ぎ去りましたと、合掌の毎日なんです。私にとっては連休を利用して海外旅行をするは絵空事です。 ですが、私たち家族となると、ちょっと様相が変わった来ます。

  この4月から、大学生になった孫娘が帰省します。皆で回転ずしにいく計画があるようです。それに、毎年5月4日ごろには夏野菜の苗を定植します。畝の準備は、すべて完了しています。

  そうはいっても、殆ど私は手をこまぬいて眺めるだけ・・やっぱり、静かに腕を組んで物思いにふける時間が多いようです。それはそれで幸せというものです。で、今回のタイトルは「静思の連休」としたわけです。

  でも、実際はけっこうバタバタしています。

<タケノコを掘ってきました>

  今年はタケノコが不作です。毎年裏山の竹林に出るタケノコの姿が見えません。
  「一度、西にあるわが竹藪の山を、見てくるわ」と、車を走らせました。10年は行っていません。すごい孟宗竹の竹林なんです。高さ15m、巾約15cm以上の孟宗竹です。
  行ってみてびっくり。山は荒れ放題。 散乱した枯れた木や竹の洪水です。時すでに遅し、いたるところに掘り起こしたタケノコの跡がありました。多分、猪だろうと思われます。10数個の穴があいていました。
  それでも、ちょうど首を出したタケノコが3本あり、何とか収穫して帰宅しました。
  「やっぱり、山は行かねばダメじゃ」と、しみじみ思いました。
  「よう、行たったなぁ」とは、みなの言葉でした。ほんまに、わが輩もそう思いました。お年寄りの足を運ぶところではありません。

 

☆5月1日、午前10時30分~11時30分、西の山でタケノコを掘ってきました。今ひとつ、根元から掘り起こしてはいませんが、まあ、これくらい掘れただけでも良しとしておきましょう。

☆5月2日、家内が、皮をむいてヌカとタカノツメを入れて茹でました。箸が突き刺さればOKだそうです。こうなれば、あとは煮物、タケノコ飯などにしやすいようです。16:00写。

 

<ニンジン収穫とカボチャ畝づくり>

  5月1日、家内が肌で温めながら育てたカボチャの種が芽を出しました。2,3日もすれば、定植することが出来ます。
夏野菜の苗の定植は、5月4日に決めています。・・さて、この白カボチャの苗をどこに植えるか、話し合いの末、ニンジンを収穫して、そのあとに植えることで決定。
  5月1日の午後は、ニンジンの収穫とそのあとの畝づくりに没頭。・・まあ、あまり足腰を使わない仕事で、何とか畝づくりができました。

 

☆(左)5月1日、入口に並んだ、芽を出したカボチャの苗です。15:30写。

☆(右)5月1日、午後5時ごろから収穫直前のニンジンです。つい、この間、間引いたニンジンです。

 

☆5月1日、防護網、丸支柱を除き、一気にニンジンを引きました。午後5時32分でした。

 

☆5月1日、午後5時40分、ニンジンの葉を切り落としました。

☆5月2日、午前9時、収穫したニンジンをそろえました。

 

☆5月1日、午後6時から約30分かけて、ニンジン収穫後、カボチャの苗植えの畝づくりをしました。片手備中で耕し、中溝を掘り、元肥として、ボカシ、灰、生ごみ堆肥(乾燥)を入れ、再度耕し、畝づくりを終わりました。

☆5月3日、午後3時、マルチを張り、白カボチャの畝づくり完了です。 

 

<トマトハウスを完成しました>

  5月2日、午前11時30分ごろから、残っていたトマトハウスにビニールの屋根を張りました。これはもう、手慣れたもので、約20分で、完成しました。

 

☆5月2日、午前11時50分ごろ、風で飛ばないように、ビニール紐を、屋根の上に張って、終了です。これでトマトの苗植えができます。トマトハウスは10数年同じところで使用。従って、トマトは10数年連作です。草抑えのビニールは苗定植の前に取り除きます。

 

<予約の歯科定期検診にアベックで行きました>

  5月2日、午後3時15分、歯科定期検診(予約)に、家内と2人で市内に軽自動車を走らせました。私は歯を磨いてもらうだけです。
  いつも、丹念に磨いたつもりですが、歯垢があると申されます。
  歯は健康のバロメーターの一つです。きわめて大切な器官です。O歯科医院には、かれこれ40数年はお世話になっています。前歯が3本、バレーボールの直撃で、グラッときたのですが、何とか今日まで持ち直してきました。「よほど、歯性が良かったのです」とは、私の言葉です。ですが、先生も「ウーン、よくもちましたね」と、言葉に出されませんが、私の言葉にうなづかれます。先生は、できるだけ、持って生まれた歯を大切にしようというお考えなんです。おかげで、歯を抜かずに今日まできました。

  いつもお世話になっている、歯科衛生士さんに聞きました。
  「8020と言いますが、私はいくつありますか?」
  「上が13本で、下が12本です。8025です」と、しっかり歯を示しながら答えが返ってきました。88才で25本は珍しいということでした。ありがとうございました。

 

☆5月2日、午後3時57分、受付で、2人の支払いをしている家内の後ろ姿です。ナイショ。

☆5月2日、午後4時30分、帰宅した玄関口で、久しぶりにジーパンスタイルのわが輩をセルフタイマーで撮りました。これぐらいが、あまり顔がはっきりしないでよいと思います。


<夏野菜の苗植え付け終わる>

  5月4日、予定通り、朝のうちに苗を手に入れ、夏野菜の苗植え付けを終わりました。考える余裕もなにもありません。
  静かに物思いに耽る間もありません。今年は私と家内と倅の嫁の3人で定植しました。倅は家の周りの草刈りに没頭です。大学生の孫たちは、それぞれ友達との約束で、神戸、大阪に出かけた様子でした。

  裏の5号田は、畝づくりから植え付けまで一人でやりました。疲労困憊。膝、肩、腰、大丈夫ですか?

  植え付けの様子を記します。

▽1号田

 

☆(左)長ナス5本、2号ナス5本、マンガンジ3本。

☆(右)キュウリ5本(うどんこ病強し)、トウモロコシ12本(サービス2本)、ミニトマト2本(アイコ) 


▽2号田

 

☆(左)黄マクワ3本、バナナウリ2本(ネットメロンの代わり)

☆(右)左のカボチャの畝に、エビスカボチャ3本。・・・あとで白カボチャ、ボッチャンカボチャを予定。(右隣のジャガイモがぐんぐん育ってきました)


▽3号田

  5月4日、午後4時ごろから、倅の嫁と家内で植え付け完了。トマトは植え付けから藁敷きまで、嫁一人の仕事。(でも、それまで畝づくりは、私一人の仕事です。強調。)・・マルチの穴あけは、殆どわが輩の仕事。

 

☆(左)スイカ3本。

☆(右)トマトハウスにトマト14本。藁を敷く。・・左の畝にオクラ3本、ピーマン3本、小松菜2本(サービス。残り半分に2回目のキュウリを予定。


▽5号田

  ところで、裏の5号田のヤーコンなどの畝づくり、苗の植え付けは、結局私一人の仕事となりました。大変でした。足を引きずりながらの仕事です。ムリ。もちろん、休み休みの仕事。時間的に横になっている時間が多かったようです。

 

☆(左)5月4日、午後3時から畝づくり開始。土手に腰かけて備中を振りかざします。耕し、元肥を入れ、畝づくり。

☆(右)5月4日、午後3時40分、マルチを被せて畝づくり完了。・・早速、ヤーコン3本、トウガラシ(鷹の爪)6本を植え付ける。終了は午後5時ごろ。膝痛を痛感。疲労困憊。・・その晩は、早めに風呂に入り、休眠三昧。

 

☆(左)5月5日、午前10時ごろ、ヤーコンに防獣網を張りました。(3年前ごろから、山猿がヤーコンの食べられることを学習。引き抜き始めたので、ヤーコンに完全武装)・・・トウガラシとゴーヤには手を出さないとの話。・・ さて?

☆(右)5月4日、午後4時ごろ、ゴーヤ2本植え付け。ゴーヤははじめ8本、次に6本、4本と数少なく植え付けることになり、このところ3年前から2本に定着。・・8本の時はそりゃ、もう100や200本どころではなく、なりっぱなし、消化に困惑。で、減らしはじめて2本に定着したわけです。ゴーヤには山猿は手を出しません。

  夏野菜の苗植え付けは、毎年5月4日頃のブログに掲載しています。最近のブログは次を参照。
{・・参照:2015,5,3「八十八夜・余話」<買ってきた夏野菜の苗です>・・2015,5,5「端午の節句と夏野菜」<いよいよ夏野菜の苗を植える>・・2016,5,6「自給菜園」<苗を植え終わりました>・・}オワリ。
  

 

 

 

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山笑う

2017-04-26 14:52:50 | Weblog

<山笑う>

  4月26日、久しぶりに朝から雨。
  わが家の山が、一斉に若芽を吹いて萌え始めてきました。あいにくの雨で、山間は靄がかかり、スッキリと明るい感じではありませんが、まさに「山笑う」姿です。
  この時期の山の景色を、「山笑う」と言います。
  {故郷やどちらを見ても山笑う}・・ 正岡子規の俳句です。
  {腹に在る家動かして山笑う}・・高浜虚子の俳句です。

  「山笑う」を、もう少し調べると、次のように記されていました。
  {・・中国北宋時代(中国の王朝の一つ・960~1127)に書かれた「臥遊録」の中に、春山は淡冶(たんや)にして笑うが如く、夏山は蒼翠(そうすい)にして滴る(したたる)が如く、秋山は明浄(めいじょう)にして装う(よそおう)が如く、冬山は惨淡(さんたん)にして眠るが如し・・}

  俳句の季語はこの臥遊録から生まれたようです。
  春の季語・山笑う。  夏の季語・山滴る。  秋の季語・山装う。  冬の季語・山眠る。


<わが家の山、大いに笑う>

  4月26日、午後1時ごろ、午睡から覚めて、応接間の窓を開けると、やはり小雨が降っていました。同じ場所を撮りましたが、小雨の春山は瞬時にして変化。・・また、晴れたところを後で掲載予定。

  

☆(左)4月26日、午後1時10分、わが家の前にそびえる山です。淡ピンク模様は山桜です。この持ち山は杉と檜の木もあります。スギ花粉が悩みの種です。

☆(右)4月26日、午後2時ごろの山の景色です。小雨で、もやが発生して、煙ったように見えます。また晴れた日に、一度撮りなおします。・・「山笑う」で、いい俳句が2首ほどできましたが、「おーいお茶」の投句を予定しているので、ここでの発表は割愛。(笑)

 

☆4月27日、晴天。午前9:30分、わが山の風景。

☆4月27日、午後1時30分、わが家の裏山の風景。クヌギバヤシも淡い緑一色になりました。右は竹藪です。タケノコはまだ出ていません。今年は少々遅い感じです。 


<眠れぬ夜>

  4月24日(月)、NHK・Eテレ、100分で名著・三木清(終)・死とは? 希望とは?(午後10時25分~午後10時50分)を観ました。毎週(月)気になりながら、時間的に不規則で、ついついリモコンが操作できず、最終の第4回目となりました。

  三木清(1897~1945・48才没)は、昭和10年代の旧制中学校、旧制高等学校学生の、あこがれの哲学者でした。兵庫県の龍野中学校出身ということもあり、「人生論ノート」は、内容は理解できないとしても、当時としてはベストセラーだったと思います。
  三木清は東京一高から京大へ進学、西田幾多郎の門下生となっています。龍野中学校時代、どうしても勝てなかった生徒は、西田正雄(後の海軍大佐・軍艦比叡の艦長)でした。西田が主席で三木は次席。

  Eテレでは、そのような放送はありませんが、「人生論ノート」が刊行された翌年、三木は徴用されフィリッピンで従軍。帰国後、昭和20年3月、逃亡犯だった友人を匿った嫌疑で逮捕され、8月15日の敗戦後も釈放されることなく、9月に独房で獄死したという内容には、何度も聞かされていましたが、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

  4月24日は眠れぬ夜となりました。何べんも寝返りをして、寝ようとしても、眠れません。こうなれば、走り書きしたノートのメモに目を通しながら、「人生論ノート」をしのびました。理解できそうなところを、箇条書きで抜粋します。間違った部分もあると思います。あくまでも自分流儀ですから、仕方ありません。

(1)私はどんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来ることを目撃してきた。

(2)死について考えることは無意味ではない。死は観念である。

(3)だれも生きている間は、自分の死を経験できない。死を経験したときはいない。死について考える時は、観念として考えるしか方法はない。

(4)生きているうちは死んだ人とは出会えない。

(5)死せるものは今生きているもののように成長することもなければ老衰することもない。絶対的な生命は真理にほかならない。

(6)希望は運命の如きものである。人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることになる。

 

<3号田・トマトハウス畝づくり>

  4月27日、雨も上がりまずまずの天気。・・4月13日にトマトハウスの畝づくりが、少し早過ぎたようです。トマトはマルチなしで、20数年、わらを敷いて栽培してきました。今年もその予定だったのですが、土を見てびっくり。備中を入れると、雑草の根だらけ。5月4日ごろの苗定植はとてもできそうにありません。
   27日、午前10時30分から午前11時30分、休み休みで、備中で掘り返し、鍬で畝づくりをしました。それから、定植するまで、草おさえのマルチ(1mx8m)を、両方から被せました。まあ、何とか1時間で、目的の仕事を完了。
 

 

☆4月27日、3号田のトマトハウスの畝づくりを鍬で再生。10:30写。

☆備中を入れた時、大きなミミズ(約10㎝)がゴロゴロ出てきました。

 

☆4月27日、午前11時30分、暫定措置のマルチを被せて終了。ビニールの屋根張りは、5月初め頃予定。

☆4月27日、午前11時ごろ、いつもの犬走で休憩。手に持っているのは黒マルチ(0.02mm・巾1m)です。

 

<3号田・タカナ、ミズナ終わり、次の畝づくり>

  4月27日、午前中、トマトハウスの世話をしている時、3号田の端の畝(タカナ・ミズナを収穫後)が、草ぼうぼうの世界。例年、10月末に、タカナ・ミズナの種を巻く予定なんですが、今年は、その時期までに、ホーレンソー、夏ダイコン、ニンジンを作ることにした。畝づくりの開始です。

 

☆4月27日、14時30分ごろ、腹ばいになって、草引きをしている姿です。いやぁ、腰が痛くなり、次に膝が痛くなり、這う這うの体での仕事ぶりです。・・70数年前の旧制中学校時代、教練時間の「伏せ」「匍匐前進」を思い出しました。教練とは、当時の中学校では必須科目で、学校には、陸軍の少尉、中尉が配属されて教科を担当していました。校長先生よりも実権があったように思います。

☆とりあえず、草引きは完了しました。でも、やっぱり、膝を痛めました。ムリ、ムリ、呟くことしきりです。

 

<膝も笑う>

  4月27日、朝から夕方まで、3号田で一日中働きました。ムリだと思いながら、ムリをするのは、人情です。まあ、それが生きている証でもありますねん。

  その日の夕方、椅子に腰を下ろして、立ち上がろうとしたとき、膝がガクッときました。ガタガタと震えて、嘲笑っているか゚のようです。「こりゃ、笑いごとではないぞ」と、心ひそかにささやきました。

  私の膝は私が一番よく知っているんです。・・左膝の半月板を切除してから、60数年の歴史があります。でも、今日まで、スキーをこなし、短距離を走り、あらゆるスポーツに取り組み、野球の指導までしてきました。・・しかし、77才、喜寿を過ぎた頃より、膝にミズがたまるようになってきました。耕運機の使用、草刈りの労働、要は膝に負担をかけ過ぎが原因でした。ともかく腰を伸ばしてスタスタを歩けなくなるんです。

   最近では、これが限度と自覚して、ムリをしないように努めています。従って、27日は、できるだけ膝を使わないように、這う這うの姿勢で、畑仕事をしてきたんですが・・・。

  27日の夕方、膝がガクッときて、ガタガタ笑ったのです。痛みもあります。両膝にサポートをまいてコタツに入り、ともかく体を休めました。夜11時ごろ入浴は無事終了。ガクッとくる痛みも何とか和らいできました。ガタガタの笑いもなくなりました。

  28日は、畑仕事は休憩。一日中ブラブラして暮らしました。それでも、夕方にいつも世話になっているH外科に足を運び、レーザーを当てて帰宅しました。

  わが山も淡い緑がわくわくと盛り上がり、大いに笑っているようでしたが、私の膝もガクガクと大いに笑った一日となりました。でも、「ムリせんとこう」と呟きました。

 


<3号田に夏ダイコン・ニンジン・ホーレンソーの種まきをしました>

  4月29日、天気予報は「晴れ、雷雨あり」でした。
 今日の畑仕事の予定は、27日に準備した3号田の畝に、夏ダイコン・ニンジン・ホウーレンソーの種をまくことでした。膝をかばいながらの畑仕事です。
  午前中に種まき終了。午後、12時半ごろ、急に雲行きがあやしくなり、もし雨でたたかれると、植えた種が飛び出すとの話し。急きょ、家内と2人で、畝にマルチを被せました。一時しのぎで、もちろん29日の夕方には、マルチを取り除きました。  

 

☆(左)家内と2人で手前から夏ダイコン・ニンジン・ホーレンソーの種をまきました。写真は終わったところの畝です。まくまでの畝の準備は私が一人でやりました。片手備中で、土を耕し、中溝に、お日様凝縮粉末・ヌカぼかしを入れ、再度耕し、畝づくり完了。29日、午前10時30分から午前11時30分ごろまでの約1時間。11:30写。

☆(右)29日、午後12時30分ごろ、雷鳴がとどろくなか、家内と2人で、マルチを被せました。終わるや否や、大粒の雨が落ちてきました。セーフといったところ。・・雷雨はすぐ上がりましたが、マルチの上にはすごい雨がたまっていました。16:00写。・・マルチは午後6時ごろはずしました。


 <学校厚生会だより5月号に掲載されました>

  過日、4月11日に、学校厚生会・丹波支部支部長さん、事務の方、お2人に取材を要請されました。最初はお断りをしたのですが、もう決定していますのでということで、仕方なしに了承しました。
  それが、「MY WAY」という記事です。・・人生の黄金時代をいきいきと楽しんでおられる会員さんを紹介するコーナー・・ということでした。例によって、少々読みずらいですが、掲載しました。

 

 

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行く春

2017-04-23 11:21:26 | Weblog

<行く春>

  4月23日(日)、朝から快晴、すがすがしい朝です。野山も緑が色づき始め、ようやく春も過ぎ去っていくのを感じます。
  「行く春や鳥啼き魚の目は泪」は芭蕉の句です。
{・・春爛漫の桜の花も散ってしまい、ようやく春も過ぎ去ってしまうのだから、鳥までも寂しさで泣いているように聞こえる。魚も目に涙を光らせているように思える。・・}まあ、こんな風景、心を詠んだのでしょぅか・・。

  しかし、ひとたび、今日この頃の世界の情勢を、垣間見ると、まことに「不気味」さが、迫ってきます。もし、弾道ミサイルや核爆発があれば、どのように身を守ればいいのか、なんとなく不安で恐ろしくなってくるのは、私一人だけではないと思います。

  太平洋戦争勃発(昭和16年12月8日)の日本と、今の北朝鮮と重ね合わせたくはありません。ですが、70数年平和を保ってきたわが祖国が、平和の名のもとに戦争に巻き込まれるとすれば、この世相を、松尾芭蕉はどう詠むのでしょうか?
トルストイが「戦争と平和」を書いています。内容はすっかり忘れました。戦争と平和が人類の永遠の課題だとすれば、人類もたいしたものではないような気がします。

  4月23日の朝刊に、北朝鮮ミサイル備えが載っていました。{・・屋外にいる人は、頑丈な建物や地下街へ、適当な建物がない場合は物陰に身を隠す。・・屋内にいる人は、窓から離れるか窓のない部屋へ・・車内の人は、エンジンを止めて避難。高速道路では安全な場所に止めて車内で姿勢を低く・・}・・いや、まことに不気味な世の中になってきました。

  しかし、だれもみな、暮らしていかねばなりません。丹波篠山の山猿が出る田舎でも、何が起こるかわかりません。でも、私たちの田畑は、夏野菜を受け入れる準備を始めています。
  今回は、土づくり、畝づくりなどを中心に、毎日の暮らしを述べます。

<薹(とう)がたったキャベツ>

  4月21日、移し替えた二個のキャベツは、とうとう巻かないうちに、蔓がのびて黄色い花を咲かせました。薹がたったキャベツと言うようです。「このようになれば、もうキャベツではありません」・・花を切り取って、花瓶に生けました。

 

☆2号田の端に植え替えたキャベツは、越冬はしたものの、巻く時期を失して、黄色い花を咲かせました。卯の花というようです(?)。切り取って花瓶にさしたところを写真に収めました。花瓶は今田立杭で手づくりの自慢の焼き物です。21日、11:30写。

 

<お菓子が届きました>

 3月21日、午後12時半ごろ、小荷物が宅配されてきました。枚方の親戚の方からでした。・・私がかりんとうが好きなことを承知で、かりんとう他、沢山の御菓子類が入っていました。畑仕事の合間に、おいしくいただいております。

☆きなこかりんとう、ごまかりんとう他、高級な和菓子がたくさん入っていました。感謝!21日、12:30写。


<里芋とショウガの種を植える>

  4月21日、午後2時半ごろから、1号田の一畝を利用して、里芋とショウガの種植えをしました。例によって、マルチの穴あけは私、種植えは家内がやりました。里芋とショウガの種は農協から届いたものです。ともに10個を植えました。

 

☆写真は家内が植えているところと、右は植え終わったところです。午後2時半~3時半ごろまでに終了。


<2号田、カボチャ畑の畝づくり完了>

  前から2号田のカボチャ畑の畝づくりが気になっていました。4月21日の朝、「22日、午後1時から管理機を使用して、畝づくりをやります」と、倅の言葉。

  それ来たと言わんばかりに、4月21日の午後から22日の午前中にかけて、耕せる準備にとりかかりました。

 

☆(左) 4月21日、午後5時30分ごろのカボチャ畑の様子です。
  ともかく耕す準備がなかなか大変でした。何しろ、3年は耕していません。従って、黒マルチを2重3重に被せていたので、その整理に、意外と手間暇がかかったわけです。

☆(右)4月22日、午後2時ごろに、カボチャの畝づくり完了です。倅が午後1時から管理機を使用し、耕し、元肥を入れ、土を戻す一連の作業をやってくれました。(もちろん、吾輩の指示命令?のもとにですが・・でも、あまり命令を多くすると、そんなら勝手にどうぞ、となるので、そこはひかえめですぞ・・)
  マルチ張りの殆ども倅の仕事です。約1時間を要しましたが、4年ぶりにカボチャの畝が完成しました。(隣の畝のジャガイモも完全に全部きれいに芽を出しました)


<タカナ収穫・タカナ漬け>

  4月21日、午後5時ごろ、家内が3号田のタカナを収穫し終え、漬物用に整理ました。収穫は午後3時ごろにしたようです。なかなか面倒な仕事です。コツコツ一人でやりました。

 

☆家内がタカナを漬物用に整理しているところです。4月21日、午後5時撮りました。右はタカナ漬けをしているところです。4月22日、午前9時ごろ撮りました。


<キャベツ・レタス・ブロッコリー苗植え>

  4月22日、午後1時ごろ、注文していた苗屋さんから、キャベツ(7)、レタス(7)、ブロッコリー(5)の苗が届きました。カボチャの畝づくりを終わった後で、余力(?)をかって、午後5時30分ごろから家内と2人で、2号田の1畝(1mx8m)に定植(移植)しました。 

 

☆到着した苗を土間に並べています。キャベツ(7+1)、レタス(7+1)、ブロッコリー(5+1)です。それぞれ注文した苗におまけが1本はいっていました。

☆4月22日、午後5時ごろ、私がマルチの穴を19(7+7+5)開けました。 

 

☆4月22日、午後5時30分ごろ、家内と2人で、仲良く(?)19個の苗を植え、丸支柱を立てました。苗19個の内訳は(ブロッコリー3、レタス2、キャベツ3、レタス2、キャベツ4、レタス3、ブロッコリー2)です。ブロッコリーを両端に植え、キャベツとレタスをはさんで植えました。レタスは虫よけになる様子です。

☆4月22日、午後5時50分、寒冷紗を被せて、苗植えの完了です。めでたし、めでたし。


<わが家の花壇>

  「どういう風の吹き回しでしょう?」と、みなから言われました。
  昨年の秋ごろと、今年の4月初めごろ、スーパーの入口に並んでいた花を、私が買ってきました。今まであまり花を買った記憶はありません。いや、店先に並んでいた花があまりにもきれいだったから、思わず手が伸びました。
  買った花の種類をメモした紙を何処かに落としてきました。ネットで調べて、記入した記憶をたどり、何とか、ばくぜんと花の名前を書きました。よい加減。 

 

☆(左)マリーゴールド、ペチュニア・・。

☆(右)色々なスミレ、赤のチューリップは前からあったものです。買ってきた花は、家内が鉢植えをしました。


<布団干し・部屋に掃除機をかける>

  4月24日、朝から晴天。2日連続です。午前10時ごろ、急に万年床の布団干しを敢行。午前10時30分ごろ、わが部屋に掃除機をかけました。
  布団干しは、午後2時ごろにしまいました。ずっと天気です。気分はスッキリです。

 

☆布団干しは竹竿などの準備が大切です。ミツマタを組み合わせて、干す準備をします。写真は家内が庭先から撮りました。ちょうど手前にドウダンツツジが白い花をつけています。10:20写。

☆部屋に掃除機をかけているところです。10:30写。

 

<深呼吸、祈り・日向ぼっこ>

  4月24日、9時30分ごろ、庭先に出て、あまりのすがすがしさに、思わず東のお天道さまに、祈りをささげながら深呼吸をしました。鼻呼吸です。
  それから、いつも
腰かけている石の上で、沈思黙考、日向ぼっこをしました。
  「日向ぼっこ」をネットで調べると、2つ意味があるようです。(1)世間知らずで世間ずれのしていないかわいい女の子。(2)ホクホクと暖かい意味。日向ぼこり・・ひなた誇り・・など。 まあ、世間ずれのしていない90才になろうとしているお爺の姿とは言えませんね。
  ・・ここで、急に部屋の掃除を思いついたのです。

 

☆私の祈りと深呼吸のポーズ。  ☆久しぶりの日向ぼっこの姿。両杖を脇に抱え込んで至福の境地。

 

 

 

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正直

2017-04-17 21:42:33 | Weblog

<正直について>

  この頃の世相を、垣間見ながら、「正直」についてしみじみ考えています。ついこの間まで、世間を騒がせた小学校設立問題は、嘘のように消えてしましました。人々の会話のやり取りを見ていて、どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、はっきりしないまま消滅した感じです。

  「正直の頭に神宿る」「正直は一生の宝」と教えられてきた昭和初頭生まれは、「正直者は馬鹿を見る」との諺に変わってしまいました。世の中の乱れを感じているのは、一人私だけではないと思っています。

  正直で思い出すのは、私たちの祖父{明治18年(1885)~昭和41年(1996)}のことです。このお爺さんは、まさに明治の正直を地でいく人だったと思います。・・私の記録誌「元気が一番」から、少し抜粋します。

{・・伊丹での2年間で一番悲しい思い出は、祖父が亡くなったことである。私が昭和41年4月に、伊丹市教育委員会、社会教育係長に抜擢されて、伊丹市に通勤し始めて、2週間も経っていなかったが、汽車、バスと乗り継いで、丹波篠山の我が家に着いたとき、80過ぎの祖父が、一人でスコップを使って、家の前の田んぼで土を掘り返していた。4月とは言え、めっぽう寒い日であった。私は「寒い、寒い、もう終いや」と、声をかけて家に入った。
  その日は伊丹に勤めて最初の給料日で、しかも土曜日であった。妻は夕食の準備にかかり、私は6つと3つになった子供のお守りをしながら、風呂を沸かしたりした。久しぶりに一家団らんの楽しいひとときを過ごした。
  その晩のことである。妻が血相を変えて、私に泣きついた。
  「おじいちゃんが変なの! 返事がないの!」
  私は間髪を入れず祖父のところへ飛んでいった。いびきをかいて熟睡の祖父の姿がそこにあった。しかし、いびきの様子の異変にすぐに気がついた。返事がないのはもちろん全く反応がないのだった。
  早速、お医者さんの診察を仰ぎ、また、親類の人たちに来てもらったが、祖父の意識は回復しなかった。脳溢血だった。命日は昭和41年4月17日、享年81歳だった。

  祖父の一生を瞑想するとき、私は人の世のはかなさを、身をもってひしひしと感じる。隣の村から、縁があって川崎家に来た祖父は、清酒酒造の杜氏として出稼ぎをしながら、祖先が残した土地や田畑を必死に守り育てきた一生だったように思う。若くして長男を亡くし、長男に出来た一人娘(私の妻)を、男手一つで育ててきた。なんの文句も言わず、艱難辛苦に耐え続け、ただ、ひたすら黙々と働き、土に生きて、土に帰っていった感じの一生だった。その生き方は、真似をしようと思ってもできるものではない。ただ、祖父の生き方のお蔭で、今日の私たちがあることだけは確かである。
  その祖父の死によって、私は再び丹波篠山のふるさとに戻ることを決心したのである。・・}

・・平成29年4月17日、午後から雨降りとなりました。祖父が亡くなってから、51年の歳月が流れました。今や88才を歩む私も、正直の祖父をはじめ、先祖の善行、徳に守られて、祖父から引き継いだ田畑はそのまま残っています。少々手が回りかねる田んぼもありますが、減反政策のお蔭(?)で維持しています。

  それにしても、正直を地でいった祖父の老後は、畑一筋でした。
  これまで、私はたびたびブログに記してきました。いかにして老後を生き抜くか、一番大切なものは何かなど、老人の生き方で、無口で謙遜で謙虚が一番大切だと論じています。
  私の場合は言うだけで、実を伴いませんが、今思いおこせば、明治の祖父の老後の生き方は、模範の最たるものだったと思います。合掌。

 

<篠山の枝垂れ桜を見に行く>

  4月16日、篠山市内に用事があり、その帰路、午前11時ごろ、篠山城跡の三の丸駐車場にある、枝垂れ桜を見に行きました。いや、急に見に行きたくなったんです。うっかり、忘れていました。日曜日だったのです。篠山城跡は桜祭りでごった返していました。人、人、人・・車、車、車・・駐車場に向かう車のラッシュに巻き込まれました。でも、勝手知った道です。「駐車場の枝垂れ桜を見るだけです」と言って、入口で駐車。写真に収めました。偶然にも明石からやってこられた写真プロの方に、シャッターを切ってもらいました。

 

☆4月16日、午前11時10分、明石のTさんにシャッターを切っていただきました。貴重な写真になりました。

   枝垂れ桜の前には記念碑が立っていました。「兵庫県立篠山高女跡」と顕彰されていましたが、終戦後昭和25年4月に篠山中学校に移管され、平成16年全面的に移転するまで、中学校の校舎が建っていたんです。

 

☆昭和63年4月、篠山町立篠山中学校の校長をしていました。枝垂れ桜の前の吾が輩の勇姿です。28年の歳月が流れ、枝垂れ桜も、かなり古くなりました。桜の左バックの建物が体育館です。

☆昭和63年4月、篠山中学校の校舎の姿です。今では、ここが大駐車場になっています。さびしい!

・・枝垂れ桜については、下記のブログを参照してください。
{・・2009,4,17「昔を偲び落涙」枝垂れ桜・・2012,4,19「さくら満開です」・・20013,4,8「春の嵐が去る」・・2014,4,10「満開の桜と畑仕事」<満開の桜と城跡の桜」・・2015,4,7「非行は宝なのか」<春は何といっても桜です>・・2016,4,7「老人と春」<我が家の桜も満開です。<散り始めた桜>

 

<庭の枝垂れ桃とヒカゲツツジ>

  4月17日、午前9時ごろ、わが家の前庭に咲いた枝垂れ桃の花とヒカゲツツジ(シャクナゲ)の花が満開です。毎年の光景ですが、今年は枝垂れ桃の花のピンクが、とりわけ鮮やかです。
  この花も、毎年ブログの載せています。次のブログを参照してください。バックナンバーをチェックすると、早く開けます。
{・・参照:2014,4,14「去年より畑がきれいになった」<前庭の枝垂れ桃・シャクナゲ・ボケなど>・・2015、4,12「生きている証」<雨にけむる庭の花>・・2016,4,7「老人と春」<ヒカゲツツジが満開です>・・}

 

 

 

☆枝垂れ桃の花とピンクの花のマクロ撮影。17日、午前9時10分、写。

 

☆ヒカゲツツジの花と薄黄色の花びらのマクロ撮影。17日、午前9時10分、写。

 

<3号田2畝、2号田1畝・マルチ張り完了>

  4月16日、午後4時30分~午後5時頃にかけて、3号田の2畝のマルチ張りをしました。
  また、4月17日、午前11時ごろ、2号田の一畝にマルチ張りをしました。ちょうど終わったところ、雨が降り出しました。間に合ってよかったです。4月17日は祖父の命日でした。また、祖父が最後までスコップをもって土堀をしていた場所でした。感無量の極みでした。午後は雨降り、夜は大雨となりました。
  2号田での仕事は、「それくらいにしときなさい」との、忠告だったのかもしれません。

 

☆(左)4月16日、午後5時、3号田の2畝にマルチ張りを完了しました。

☆(右)4月17日、午前11時10分、2号田の網近くの畝・土を入れ、マルチ張りの完了です。この畑は水はけが不良で、今年は里芋やショウガを植える予定です。でも、3年越しにきれいにしましたよ。えらい!自画自賛。

 

<足芯呼吸>

  4月17日、2号田の畑仕事を終わり、また、昼食も終え、足が冷えるので、例によって、コタツで温めながら、ふと、テレビにリモコンを向けました。

  徹子の部屋・由美かおるさんの対談です。12:00~12:30・・由美かおると言えば、水戸黄門の入浴シーンを思い出しました。有名な場面でした。現在66歳ですが、いまだに30歳ごろの体形と全く同じというから驚きです。その体形の維持に一役かっているのが、足芯呼吸の実践と言われていました。話しを聞いていると納得です。・・実は、私も自分流でやっている「鼻呼吸」と、大同小異でした。

  ネットで調べると、西野流呼吸法のことでした。テレビでは、実際に由美かおるさんは実演されました。 先ず息を吐いて、次に鼻から息を腹の底まで吸い込む、その際足の先、頭の先まで吸い上げる、そして、息を止めて、頭の先から、足の先まで通るように息を吐き出す。それを5回行うということでした。

  たしかに意識する面で勉強になりましたが、私は私流で鼻呼吸を実践しています。私は簡単です。鼻から吸って、倍の時間をかけて口から吐き出す。これを10回。鼻から吸って、鼻から出す。これを10回。腹式呼吸です。腹の底まで吸い込み、倍の時間をかけて吐き出す。一日のうちで3回は意識して実践。・・これが私流です。  

 

<2号田のジャガイモ殆ど芽吹く>

  4月18日、午前9時30分、2号田のジャガイモが殆ど芽を出しました。・・3月25日、一家5人で種をまいたジャガイモです。詳細は前のブログ、2017、3,20「昔物語」<今年もジャガイモ植を完了しました>・・を参照してください。

 

☆2号田の4畝のジャガイモが、殆ど芽を出しました。3月25日に植えたので、約23日を要したことになります。右2畝がキタアカリで、左の2畝がメークインです。右はその拡大写真。4月18日、9:30写。

<夏野菜の畝づくり完了>

  4月19日、晴天。午前10時から作業開始。3号田のトマトハウスの支柱、隣のスイカ畑のマルチ張りを、一日がかりで実施。このくらいの仕事は、昔なら1時間もあれば充分でした。でも、今は休み休みで一日がかり。・・できるだけマシと思って頑張りました。
  トマトハウスは、あとビニールの屋根を張るだけです。これはトマト苗の定植の2,3日前に張る予定です。
  まあ、夏野菜(トマト、キュウウリ、ナス、ピーマン、黄マクワ、スイカ・・キャベツ、レタス、ブロッコリーなど)の苗定植は出来そうです。・・あと、2号田のカボチャの畑が残っています。まあ、そのうちに実施予定。

☆今年のトマトは50㎝間隔で14本の支柱を設定。
(予定は、サターン・福寿を12本、ミニトマト(アイコ)を2本)
  準備が大変なんです。ともかく、ボール、竹、などの材料集めから始めます。どうしても、歩く時間が多くなりますねん。行ったり、帰ったり、が多くなります。立ち仕事の時間がふえます。一日かかるわけです。
  写真は立てた支柱を横の竹に結び付けているところです。19日、10:00写。

 

☆(左)4月19日、午後4時、トマトハウス支柱の完成です。あとはビニールの屋根を被せるだけです。このトマトハウスは10年経ちます。つまりトマトは10年連作というわけです。でも、殆ど失敗なく毎年トマトができました。みな、「うそやろ」と言われますが、トマトハウスのなりっぱなしのトマトを見て、「なんでやねん?」と、言われます。その秘密兵器は次のブログを開いてください。
{・・2015,7,6「則天去私」<3号田のトマト>・・2016,7,3「はや半年が過ぎた」<トマトに防護網をかぶせる>・・など}

☆(右)4月19日、午後5時30分、スイカの畝にマルチを張り完了。風があり、家内に少し手伝ってもらいました。このスイカ畑も10年は連作です。夏はスイカ、冬はカブラを栽培してきました。


<カボチャ畑の畝づくり>

  4月20日、午後3時ごろから、2号田のカボチャ畑の畝づくりにとりかかりました。今年も、マルチなどめくらず、草だけ引いて、そのままカボチャの苗(家内がポットに種をまいて育てた苗)を、定植する予定でした。しかし、倅が「22日の土曜日午後、管理機を使用します」と、ありがたい言葉。
  やっぱり、草引きをして、マルチを張りなおして、耕せるようにしようと思ったのです。

 

☆(左)4月20日、午後3時ごろから午後5時ごろにかけて、草を引きを終わったカボチャ畑です。あとはマルチを除き、管理機を入れるようにします。古いマルチをめくると、二重三重に敷きこんでおり、一度整理する時期になっていました。このカボチャ畑も20年連作です。

☆(右)4月20日、午後4時ごろ、引いた草を堆肥場に運び、帰りに、草刈り機を積んで3号田に運んでいる吾輩の勇姿(?)です。 足腰、大丈夫ですか? 家内がシャッターをきってくれました。 

 

 

 

 

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春暁

2017-04-12 19:27:10 | Weblog

<春眠暁を覚えず>

  4月12日、朝ドラ「ひよっこ」を見のがしました。2日連続です。理由は寝過ごしです。きびしかった寒さも和らぎ、夜のトイレも2回ぐらいになりました。大体、午後11時30分ごろに就寝。(遅い、もっと早く寝ろ)・・午前2時30分ごろに一度トイレに立ち、次は朝の6時30分ごろに目が覚めます。さあ、そこで起きればいいのですが、やっぱり布団をかぶってしまいます。
  「午前8時には起きるぞ」と、意識しながら、ウトウトしている間に、目を覚ますと午前8時20分過ぎ、「朝イチ」が始まっています。誰やねん、「春眠暁を覚えず」と言ったのは?・・昔の詩吟の冊子を開くとありました。孟浩然(中国唐代盛唐時代の代表的詩人・687~740)の詩でした。

{・・春眠不覚暁 處處聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少・・(春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること 多少なるを知らんや)・・}

  まあ、春先は気持ちが良いので、ついつい8時に起きずに眠っていました。目が覚めると、朝イチで、いつもの男女がしゃべっています。たしか、10日も11日も雨や風があったのでしょうか、それにしても、わが家のソメイヨシノはどれだけ散っているのでしょうか。

  でも、のんびりとしてはいられないのです。私には畑仕事が待っています。今回は、そんな様子を綴ります。

<3号田の畝づくり>

  4月8日から、4号田の畝づくりを始めました。88才9ヶ月を歩むわが輩にとっては、大変な作業です。体力と気力を天秤にかけながらの仕事です。昔は昔、過去は過去、と叫びながら、現在を必死と言えば大げさになりますが、今ある力をふりしぼって、体を動かしました。その様子を写真で記します。

 

☆4月8日、仕事を始める前の3号田の状況です。左が、トマトハウス、長ナス、白ナスを作っていた畝。右の畝はカブラ、チンゲンサイを植えていた畝です。草ぼうぼうです。8日、午前10時ごろ撮りました。

 

☆(左)4月8日、午前10時30分より、作業開始。トマトハウスの草刈りを始めました。腹ばいになって、片手備中鍬を使用して除草しています。

☆(右)4月8日、午後3時ごろ、トマトハウスの草刈り続行中。先ず先ずの天気で、作業ズボンを着かえて、やっぱり腰をねかせての作業です。

 

☆(左)4月9日、午前11時30分、トマトハウスの草引き完了です。草束が5つありました。みな堆肥にする予定。北側から3つの草束を運び出したところです。手前に2束が残っています。

☆(右)4月9日、午前11時ごろ、マルチを被せたタマネギの畑が、草ぼうぼうです。網を左右に広げて草引き開始しました。中腰の状態で苦戦。3回ほど休んで、午前中に完成。

  

☆4月9日、午後3時ごろ、除草後のタマネギに追肥(牛糞と灰、ボカシ)しました。午後4時ごろには、防獣網を元に戻し、すべて完了しました。山猿に荒らされましたが、おかげで、それからの被害はなく全部元通りに成長しました。

・・4月10日、11日と雨降りで、外仕事は休み。私の体にとっては恵みの雨というべきでしょうか?


<今年も愛媛から甘夏が来ました>

  4月10日、月曜日、朝から小雨。
  午前10時ごろ、篠山市内のA皮膚科に車を走らせ、昼頃、帰宅すると、愛媛から甘夏が宅配されてきていました。もう、かれこれ5,6年は続いているでしょうか?・・農薬除草剤など一切使用しないで、EMのみで栽培された甘夏です。次のブログを参照してください。バックナンバーで開くと便利です。
{・・参照:2013,4,12「悲しみを乗り越えて」<愛媛から甘夏がやって来た>・・2014,4,10「満開の桜と畑仕事」<今年も愛媛から甘夏がやって来た>・・2015,4,7「非行は宝なのか」<愛媛の甘夏>・・2016,4,7「老人と春」<愛媛の甘夏>・・}

 

☆10k入りのミカン箱と甘夏です。4月10日、午後2時に撮りました。

 

☆その一つに包丁を入れました。一房ごとの甘夏です。天然の風味、甘くて新鮮。午後3時の写真。


<わが家のソメイヨシノ満開>

  4月10日、わが家のソメイヨシノも満開です。この桜の木は、親戚のkさんから、15年前ごろにいただいた苗木です。すごく大きくなりました。毎年、ブログに掲載しています。次のブログを参照してください。
{・・2012,4,19「桜満開です」・・2013,4,8「春の嵐が去る」・・2014,4,10「満開の桜と畑仕事」<裏庭のソメイヨシノをもう一度撮った>・・2015,4,17「非行は宝なのか」<春はなんと言っても桜です>・・2016.4,7「老人と春」<わが家の桜も満開です>・・}

  

☆わが家の裏庭、山裾の土手に咲くソメイヨシノです。隣の緋寒桜は散りました。今年の桜は、大雪のせいで、例年より少し遅い感じです。まあ、何といっても春は桜でしょう。


<3号田、除草作業完了>

  4月12日、朝から3号田で除草作業をしました。少々焦りました。・・実は、いつも世話になっているKさんから、テルあり、「13日の午前中に管理機を動かしてあげます」との話。加えて、管理機の修理をしてもらったりで、気が焦りました。・・あとで、疲れが出ませんようにと、自分自身に祈りながらの作業です。

  

☆(左)4月12日、午前11時、3号田の3畝です。トマトハウスの2束の草(堆肥)の整理、左の2畝の除草とマルチめくりをしました。

☆(右)4月12日、午後3時、3畝の整理を終了しました。すごい! 自分で自分をほめてやりたい。

 

☆(左)4月12日、午後4時、3号田のカブラ畑の整理です。草引きとマルチめくりをします。写真は、例によって、寝転んで除草作業をしているところです。

☆(右)4月12日、午後5時、除草とマルチ除去が終わりました。これで、13日、Kさんの仕事がしやすくなりました。0Kです。

 

<3号田、マルチ張りを残して、畝づくり完了>

  4月13日、まずまずの天気。約束通り、Kさんの登場です。・・あいにく、その日は、井戸のポンプ修理と重なり、殆ど、Kさん一人で、耕し、元肥を入れ、再度耕し、畝づくりをしてもらいました。

 

☆4月13日、午前10時、3号田の3畝と、カブラ畑をスイカ畑の畝づくりをしていただいているところです。始めに管理機を入れ、元肥(牛糞、灰、ボカシ)を入れ、もう一度、管理機で耕します。
  写真はちょうど、Kさんが、元肥の後、管理機で耕しているところです。

 

☆(左)午前11時50分、スイカ畑の畝が完成。

☆(右)午前11時30分、トマトハウスの畝と、2畝が完成。トマトハウスの畝を除き、あとはマルチ張りを残すのみとなりました。2,3日のうちに実施予定。・・5月の夏野菜の苗植えは完了。

 

<てんやわんや>

  4月13日、わが家の井戸水から、ポンプアップした水道の蛇口が故障し、朝から修理が始まりました。小型のジャンボで、溝を掘り、水道管を設置し、蛇口を取り付ける工事です。
  私が工事するわけではありませんが、それはそれで、結構気をもみ忙しいわけです。

  朝から、畑仕事と工事が重なり、ボケっとしているわけにはまいりません。気がせくんです。気が焦るんです。休憩のお茶など、気を配らねばなりません。
  13日は、朝からてんやわんやの忙しさとなりました。

 

☆手前の石垣が井戸です。井戸水から、ポンプアップした水道管を見つけるのが、一番大変な作業だったようです。見つかった後の作業は、小型のジャンボで溝を掘り、水道管を埋設されました。

 

☆新しい蛇口を立て、土を戻して完了です。言葉で言えば簡単ですが、なかなか大変な作業でした。4月13日、午後3時30分に終わりました。感謝! 

 

<鐘ケ坂の桜>

  4月14日、午後2時ごろ、篠山市と丹波市の境にある鐘ケ坂峠の桜見に、軽自動車を走らせました。今、まさにここ丹波篠山は、何処へ行っても、さくら、さくらが満開です。
  篠山城跡の桜、わがふるさと西紀宮田川沿岸の桜など、毎年ブログに記載しているので、今年は、鐘ケ坂の桜を初登場しました。わが家から20分で到着です。

  鐘ケ坂峠には、明治のトンネル(明治16年、1883年に建設・現在は廃坑)、昭和のトンネル(昭和42年、1967年に建設・現在は廃坑)、平成のトンネル(平成17年、2005年・新設)の3本のトンネルがあります。現在はもちろん開通された平成のトンネルを使用しています。国道175号線の一つです。

  篠山市から丹波市に向かって、つまり平成のトンネルを抜けたところから、旧道に入る道路があります。入ったところに「鬼の架け橋展望所」の看板があります。

  昭和のトンネルの旧道に鐘ケ坂公園があり、桜の名所となっています。

 

☆展望所から眺めた「鬼の架け橋」です。デジカメで何とかおさめることが出来ました。篠山市と丹波市の境界の金山に、いわゆる鐘ケ坂(かねがさか)峠に、存在する自然石でできた奇勝で、2つの大岩の間に別の石が倒れこみ、あたかも橋梁のようになっています。このために、古くから大江山の鬼が架けた橋と伝えられています。実際は15世紀中頃、地震により崩壊した岩が、偶然にこのような形になったのだと言われています。

  でも、「鬼の架け橋」といったほうが、なんとなくロマンがあって楽しい感じがします。私は、これまで3回はこの岩に登っています。なかでも、小学6年生の遠足の時、みなで登った記憶が楽しくよみがえってきます。

 

☆鐘ケ坂公園の桜です。ほんとに行った証に、桜見に来ていた女性にシャッターをきったもらいました。セルフタイマーの設定しなくて助かりました。4月14日、午後2時30分写。

  明治のトンネルについては、2008,12,23「鐘ケ坂、明治のトンネル」を参照してください。

 

 

 

 

 

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春花鳥

2017-04-04 14:05:26 | Weblog

<春が来た>

  比較的寒い、ここ丹波篠山盆地も、4月2日、3日、4日、連続の快晴となりました。3日間、畑仕事に追われて、ノロノロとはいえ、必死の働きです。ブログする時間も生み出せません。みなが言います。「そんなに必死に頑張って馬鹿じゃないの、お爺さん!」

  でも、私は口ずさみます。
  {・・春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た・・花が咲く 花が咲く どこに咲く 山に咲く 里に咲く 野にも咲く・・鳥が鳴く 鳥が鳴く どこで鳴く 山で鳴く 里で鳴く 野でも鳴く・・}

  毎日、働きどおしでした。はじめはルンルン気分で、鼻歌交じりで、鍬を使用しました。でも、夕暮れには、アカン、アカン、シヌ、シヌと、うなだれて家に帰ります。

  今回は、春、花、鳥と題して、写真を主にして、毎日の様子を記します。

<樋の修理>

  4月3日、午前9時から午後5時まで、豪雪で傷んだ樋の修理・取り換えを、予約していた専門業者にしてもらいました。幸いよい天気で、屋根樋仕事は、一日で終わりました。樋屋さんの話では、今年は忙しくて大変だそうです。今年の大雪は、屋根瓦・樋の損傷が多かったようです。

 

☆修理前のトイの状況(4月2日、8:30写)と集水器を取り換え、修理完了です。(4月2日、14:16写)

 

☆家、裏口のトイを全面的に取り換えてもらいました。箱型の大型のトイです。なお、落葉が入らないように、網をつけてもらいました。写真は修理中の様子(14:20写)と、完成写真(16:30写)

 

<2号田の畝づくり>

  4月2日から始めた2号田の畝づくり、4月3日、4日も続行中。
  4月4日、思い切って、寒冷紗の野菜(ブロッコリー、キャベツ、レタス)を、移し替え、畝づくり開始です。

 

☆4日、午前9時30分ごろ、寒冷紗を取り除き、午前11時ごろ、キャベツ5個、レタス1個を、空き地(カボチャを植えていた畑)に、移し替えました。ブロッコリーは収穫済み。・・私にとっては、なかなか大変な仕事。

 

☆(左)4月4日、午前11時、キャベツなど移し終わったあと、肥料(モミ入りボカシ・灰・ヌカ・活性液)を入れ、寒冷紗を被せて終了。

☆(右)2号田のタマネギ成長状況。「風雪に耐えて、よく頑張った。感動した」思わず呟きました。11:30写。

 

<間引いたニンジンと昼ご飯>

  4月3日、午前11時ごろ、畑仕事の合間に、ニンジンを間引きました。ちょうど家内が手伝いに来ており、たまたま、ニンジンの畑の前で、休憩中、雑草を引きながら、ニンジンを間引いたのです。間引く仕事は、やったことがなかっただけに、何とも言えない気持ちでした。

  4月4日、午前11時50分、私の昼ご飯です。 

 

☆(左)4月3日、間引いたニンジンです。(4日、11:00写)

☆(右)4月4日、午前11時50分、わが輩の昼ご飯です。タカナ巻きと、てんぷらの揚げ物のようなものはなんでしょう? ニンジンの葉っぱとチクワと卵を混ぜ合わせてあげたものですって・・。「うまい」まあ、私はなんでも食べます。でも、正直な話、ちょっと苦みがあるが、けっこう食べられました。

<わが腕と2号田畝づくり>

  4月4日、午後3時ごろ、久しぶりに汗をかき、下着を着かえました。その時、右腕の垂れ下がった皮膚(びょうぶのような)をみて、愕然として声無し。

  4月4日、午後4時30分、やっと2号田・3畝が耕せるところまでこぎつけました。夕日の中、最後のマルチを収納しているところを、家内がシャッターを切ってくれました。

 

☆垂れ下がったわが腕。左手、指先でつまむと、屏風のように広がりました。いやぁ、まいりました。手榴弾投げ60mの面影は全くありません。草笛光子さんの言葉「1に筋肉、2に筋肉、3,4がなくて5に筋肉」を、思い出して、苦笑。

☆4月4日、2号田・3畝の状況です。ルンルン気分から、アカンアカン、シヌシヌに変化。でも、久しぶりに汗をかき、晩御飯、すこぶるうまし。すべてにやや満足。


<2号田の畝づくり・急ピッチ・ほぼ完成>

 4月5日、朝早くから、管理機(耕運機)を持ち出し、3畝を耕し、元肥(牛糞、灰、ボカシ、活性液)を入れ、もう一度、元肥と土を耕し、やっとこさ、3畝の畝づくりを終わりました。孫が、私のコーチで管理機を動かしました。

 

☆4月5日、午後2時30分、管理機を動かすわが輩の雄姿。でも、これはジェスチャで、孫が2号田まで運んでくれました。それから、耕し、元肥入れ、もう一度耕す仕事のほとんどは、孫の手になるものでした。管理機のコーチで、付きっきりで、写真のシャッターチャンスを失しました。

☆4月5日、午後3時30分ごろから、畝づくりの殆どはわが輩がやりました。鍬で畔の土をあげ、畝をつくっています。

 

☆(左)立ち仕事は30分持ちません。腰がだるくなってきます。こうなると、立ち仕事はムリです。腰掛台車に腰を下ろして、鍬で土を上げ、畔をつくります。川﨑流の畝づくりですねん。午後4時30分には完成です。(畝と畝の間隔が広いのは、運搬車(腰掛台車)で仕事をするためです。

☆(右)4月6日、午前8時30分から約1時間で、2号田の畝にマルチを被せて完了しました。「今からマルチを張ってしまうぞ!」の、わが輩の掛け声に、家内と居合わせた孫が手伝ってくれました。ただし、右の1畝は、もう一度耕す予定。・・・天気予報は午後から雨。家内と孫に感謝!


<ちょっと嬉しい話二つ>

(1)4月3日からNHK朝ドラ「ひよっこ」の始まりです。時代背景が、昭和39年(1964年)のオリンピックの時代です。話しの筋は何も知りませんが、東京に働きに出ていた男の人が、田舎(茨城県?)に帰ってきて、土を両手ですくい上げている様子が映っていました。
・・昭和39年は私は中学校の教師(3年生担任)をしていました。そのころ、高校進学希望が激増。中学生で就職する生徒はきわめて少なくなっていました。でも、一人の女生徒が、将来看護婦になる希望があり、神戸の病院へ就職しました。将来は看護婦の免状を習得する条件でした。女生徒と母親と私は、1時間も田舎のバスにゆられて、電車に乗り換え、大阪駅で、母親と別れました。別れの際、プラットフォームで、涙を流す母親の姿を、50数年たった今も、私は克明に覚えています。・・女生徒は、看護婦の資格も取り、結婚し、子供も授かり、現在は大変幸せに暮らしています。

  誰かさんは、過去は捨てろとおっしゃいますが、母親と生徒が流す涙を、どうして忘れ去ることが出来るでしょうか。ちょうど、オリンピックの時代、金の卵が東京上野にやってくる。・・どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車のなつかしさ、上野はおいらの心の駅だ・・。

  朝ドラが始まったところですが、何となく希望を持たせる話の展開になることを祈っています。


(2)日曜日の夜の番組で、女城主・井伊の直虎を、漠然と観ています。いつも観ているわけではありません。4月2日の夜、番組の終わりごろに、銀盤を転がすような、乾いた澄んだバイオリンの音色が聞こえてきました。なにかしら、どこかで聞いた音色でした。
  その番組の終わりに、バイオリン伴奏・五嶋みどり・・と文字が流れました。ほんの、わずかな時間ですが、確かに五嶋みどりの伴奏でした。世界的に有名なバイオリン奏者です。
  そして、五嶋みどりさんは、バイオリンを慈善事業・奉仕活動にも、捧げておられるのです。
  毎日曜日の午後8時45分ごろには、五嶋みどりさんのバイオリンの音を、ごくわずかだけれども、楽しむことにしています。

 

<わが家の緋寒桜(ヒカンザクラ)が満開です>

  4月6日、わが家の裏土手の緋寒桜が満開です。毎年、3月終わりごろには満開になるのですが、今年は天候のせい(雪害など)で、遅れたようです。
  この緋寒桜は、30年前ごろ、隣の人から、いただいた苗木です。2,3回、台風などで折れましたが、今年も元気に花を咲かせました。緋寒桜やソメイヨシノについては、次のブログを参照してください。
{・・参照:2012,4,9「この世の移ろい」<暴風雨・春の嵐>・・2014,3,28「3月終わりの頁」<緋寒桜(ヒカンザクラ)満開>・・2016,4,7「老人と春」<わが家の桜も満開です>・・}

 

 

☆4月5日、午後5時40分、裏の土手に咲く緋寒桜です。淡いピンクの花が満開。右は、花のマクロ写真。鮮やかなピンクが、うまくピンと出来かねました。4月6日、午前8時40分に撮りました。

 

<ネコヤナギが今が盛りです>

  このネコヤナギの木は、10年前ごろ、倅の嫁の実家からいただいたものです。3年前、害虫で枯れかけ、剪定しました。やっと、また持ち直した感じです。(前のブログにも掲載)
{・・参照:2017,3,13「早春譜」<猫柳>・・}

 

☆4月3日、午後5時30分、夕陽を受けるネコヤナギです。右の拡大写真は4月6日、午前8時30分に撮りました。銀白色の毛が目立つ花穂に成長しました。

 

 

 

 

 

 

 

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