パオと高床

あこがれの移動と定住

オルハン・パムク『父のトランク』和久井路子訳(藤原書店)

2008-05-31 08:19:38 | 海外・エッセイ・評論
2006年度ノーベル文学賞を受賞したトルコの作家の受賞講演が収録された本である。講演の始まりはこうだ。
「亡くなる二年前に、父は自分の書いたものや、メモや、ノートの詰まった小さいトランクをわたしのところに持ってきました。いつものふざけた、皮肉な調子で、後で、つまり自分の死後、それらを読んで欲しいとあっさり言いました。」
小説の書き出しのような始まりである。そして、「わたし」は「父のトランクに触れて、それを開けることが」どうしてもできないのだった。そのわたしの心は父への思いと作家であることへの思いに拠っている。そして、「作家であること」とは、というところから講演は進められていくのだ。
「わたしにとって作家であると言うことは、人間の中に隠された第二の人格を、その人間を作る世界を、忍耐強く、何年もかかって、発見することです。」
「忍耐強く」は「針で井戸を掘る」ようにと表現される。その「根気と忍耐」が作家である大変さよりも作家である悦びに転じているパムクの強い小説への思いが感動的ですらある。
そして、「中心ではないという感覚」でトルコという地理的特色と「わたし」の心的状況の交差を語ったり、「なぜ書くか」という直截な問いに直截に向き合う姿勢を示したりしながら、この「父のトランク」という一編の物語性を持った話は、見事な着地点を見いだして終わるのだ。パムクは小説家なのだということを強く感じさせる講演だった。
また、この人は作家であると同時に読書家である自分自身を語っている。小説を書く悦びと同時に小説を読む愉しみを溢れるように語っているのだ。小説への強い信頼に裏打ちされた厳しさと真面目さが、何か爽快な印象をもたらす。そして、作家というものはこうでなきゃと思わせてくれるのだ。
収録された講演のひとつ「カルスで、そしてフランクフルトで」の中で彼はマラルメを引用して次のように語っている。
「マラルメの〈この世の全ては一冊の本のなかに入るために存在する〉ということばは、わたしによれば最後まで真実なのです。この世の全てをその中に一番よくとり入れる本とは、わたしにいわせれば、それは疑いもなく小説です」と。
また、別の講演では、その小説を書き了えることができるのは、作者がその本に「内包する作者」になれた時だと語る。
あるいは、「いい小説家は〈他者〉を示す境界線を調べ、それによって自分自身の境界を変えようとします。他者が〈わたしたち〉になり、わたしたちが〈他者〉になるのです。もちろん、小説はこの二つを同時にします。自分たちの生活を他者の生活のように語ったりしながら、同時に他者の生活を自分たちの生活のように書くことをわたしたちに可能にしてくれます。」そして、「わたしたちの想像力、作家の想像力が、この限られた現実の世界に、この上ない魔法の、特別な魂を与えるのです。」とも語るのだ。
多くの言葉がストレートに響いてくる。小説っていいなという思いに満たされてくる。たとえば、心から歌の好きな歌手や、その道を愛してやまない職人や、宇宙にとことん魅せられた天文学者や、生物にとりつかれた生物学者や、物理の謎のエレガントな答えに感応する物理学者や、言葉が好きで好きでたまらない詩人やらが語る話の力強さと説得力。いいいよね。

何人かの影響を受けた作家があげられている。まずトルストイ、ドストエフスキー、トーマス・マン、プルーストの四人。そして、フォークナー、ナボコフ、ボルヘス、カルヴイーノ。カフカも。他に「あなただったら誰にノーベル賞を出すか」の質問に応えて、数人を挙げているが、そんなサービス精神も楽しかった。

ただ、パムクの小説を読まなきゃいけないのだけれど。ちょっと訳がきついんだよな。

トルコは興味深い。



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