日鉄鉱業に謝罪を求める会 with 西鉄也(ブログ編)

国も責任を認めたじん肺裁判で、唯一未だにその責任を認めていない日鉄鉱業。私たちは絶対にあきらめない!

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日鉄鉱業さん、これは肺ですか?

2008-08-20 00:52:21 | コメント募集
すでに亡くなられている原告の大宮さんの肺の写真です。

故人の遺言で肺の解剖が行われ、法廷で検証されました。

これを見てもなお、「わが社に責任はない」と言い張るのですか。

日鉄鉱業に関わる全ての方にもう一度見ていただきたい。

西日本石炭じん肺訴訟、このままでは終わらせません。
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Unknown (wakimizu)
2008-08-28 11:02:43
これは肺ではありません!
自分の責任を棚において、じん肺罹患者をラクダ以下と切り捨てる日鉄鉱業の態度はやはり許せません!
息を思い切り吸うこともできず、苦しみもだえながら亡くなった方々の無念さに心寄せる優しさすら、日鉄鉱業にはないのか
大宮シズヱさんの手記から (岩城邦治)
2008-09-03 11:15:48
 この「肺」は大宮金重さんの肺です。
 日鉄鉱業矢岳坑で掘進先山をしていた大宮さんは、57歳でじん肺管理4の認定を受け、13年間の療養を続けました。最後はのどに穴をあけられ、そこに通された管から酸素をやっと取るという状況での闘病を続けた末に、亡くなられました。
 死後、大宮さんの「肺」は取り出され、じん肺被害の証拠として北松じん肺訴訟の法廷で検証されました。この「肺」について、大宮さんに代わって日鉄鉱業との北松訴訟を闘い続けた妻のシズヱさんは、その手記の中で次のように述べておられます。
 『「俺の息が切れたら解剖して裁判に役立ててくれ」という主人の遺言どおりに摘出した「肺」です。執刀した先生は、「大宮さんの肺は、岩粉でコンクリートを塗ったみたいになっており、重さは普通の人の3倍もあった」と言われました。あえぎ苦しんだ「肺」であり、裁判の証拠として立派に役目を果たした名誉の「肺」に、生前の主人の姿を重ね、手を合わせて冥福を祈りました。涙が頬を伝って流れました』
 日鉄鉱業が敵対行動を続けるために、被害者は安心して療養に専念することができなかったばかりか、死後も、自らの「肺」を摘出してそれを法廷での証拠としてもらい、日鉄鉱業と対決しなければならなかったのです。
沢田猛著 「黒い肺」より (岩城邦治)
2008-09-18 10:44:17
 沢田猛さんは、現在、毎日新聞の編集委員をなさっておられます。その沢田さんが西部本社に在籍しておられた当時、北松や筑豊、天草、三池などの旧産炭地の取材を続けられ、その結果を「黒い肺」(1995年6月未来社)にまとめ、出版されました。
 この「黒い肺」の中で、沢田さんは、大宮さんの肺の検証の模様や医師の証言について紹介しておられます。引用が長くなりますが、貴重な報告なので、沢田さんの了解も得て、以下に掲載します。

 『それは1986年(昭和61年)11月21日に行われた控訴審第6回口頭弁論のときのことだった。その前年の6月に亡くなった夫の月命日に当たっていた。この日、死後摘出された金重さんのホルマリン漬けの肺が原告側の証拠として提出され、三裁判官は臓器検証のためゴム手袋をはめ、死亡したじん肺患者の肺にさわった。シズヱさんは傍聴席にクギづけにされていた。とても正視できなかったのだ。
 被告企業の“犯罪”を暴くため、わが臓器を死後解剖し証拠物件として法廷へ持ち込んでほしい―金重さんの遺言だった。スズヱさんは夫の遺言をこの日、果たしたのである。金重さんの執念が実った日でもあった。その臓器は黒点の多数混じった、ゴム草履の底のように硬くなった“黒い肺”だった。
 “黒い肺”とはどんな臓器なのか。原告側証人としてこの日出廷した、佐賀医科大学病理学教室の杉原甫教授の証言から明らかにしてみたい。杉原教授は、金重さんの遺言と遺族の希望に基づき病理解剖した責任者である。
 「大宮さんはじん肺患者の典型例で、病理診断名は炭粉沈着症による進行性の塊状線維症及び珪肺症で、いわゆる炭鉱夫肺と診断いたしました。
 その重量は左肺が650グラム、右肺が870グラムで、これは正常肺の2,3倍の重さとなっております。
 正常の肺は淡いピンク色でございますが、本例は全体に上の方、解剖学的には上葉という部分が大変黒ずんでおります。また全体に、下葉も含めまして黒い斑点が多数見られます。黒い斑点とは炭粉です。
 この炭粉に反応して生体が線維化と申しまして、線維状の物質をそこに沈着させた結果でございます。
 病理変化によって線維化の進んだ肺は硬度が増し弾力性が失われますが、本例はこれに当たります。正常な肺とは、家庭で食器洗いなどに使いますスポンジに軽く水を含ませたように、弾力性のあるものでございます。
 本例はじん肺患者の解剖例を20から30例診てきた中で最も著名な例の一例でございました」
 大宮さんの肺については、主治医だった森戸俊博医師も第4回口頭弁論で次のように証言している。
 「大宮さんの遺体解剖に立ち会い肺も見ましたが、生前の大宮さんにずっと酸素を入れ、最後には人工呼吸器を使ったんですけれども、それでもなかなか酸素が入っていかなかったんですよね。原因がなぜかなぜかと考えてたんですけれども解剖した肺を見て、小さく縮こばんで、さわったら硬くて、これじゃいくら機械で空気を押し込んでも、酸素が入っていかなかったんじゃないかというふうに思いました」』

 沢田さんは、この項をまとめるにあたり、『杉原教授や解剖を実見した森戸医師の証言と合わせて考えてみると、“黒い肺”を抱えたじん肺患者が、正常な肺を持つ健康人が当たり前に吸っている空気を、どんなに渇望しているかが実感される』と記している。
胸のところの黒いガラ(谷村シズさんの手記) (北松の仲間)
2008-09-19 09:37:51
 主人は、「俺はもう精も根もつき果てた。ただ、裁判の判決を聞くまでは死にたくない…」と涙をこぼしながら、天井をにらみ、口をゆがめて、とぎれとぎれに言いました。本当に永い永いじん肺との闘いでした。
 火葬のとき、胸のところに黒いガラがあったので、「なんだろう」と聞きましたら、「これは炭粉だ」とのこと。これが胸に詰まって苦しかったのだと、驚きました。
 このガラを日鉄の社長の前に出して、「これでもじん肺がないというのか」「頭を下げて謝れ」と叫びたい思いでした。
 これまで日鉄鉱業がとってきた態度は決して許せません。主人もそうですが、大勢の人がじん肺で無念に亡くなりました。患者、遺族に対して、日鉄鉱業に謝罪させなければ、苦しんで死んだ人たちに申し訳ないと思います。
「人間の尊厳」はどこにある (Unknown)
2008-12-24 15:24:08
 昔、病棟の中では激しい咳や呻き声が飛びかっていました。肺の底から這い上がる痰を自力で切ることができず、呼吸困難になる。苦しみのあまり、のたうち回って大声で叫ぶのです。労災病院のらせん階段にはネットが張られています。苦痛に耐えかね、悲観のあまり、階段の手摺りから身を投げる患者が後を絶たなかったからだと言います。
 最近では、痰が取れないと喉を切開し、酸素を補給する機械を取り付けるとともに、管を差し入れ痰を吸い取るという治療技術が進んで、七転八倒の断末魔の様子を目撃することは少なくなってきました。しかし、喉を切開すると、声は出せません。頭ははっきりしているのに話せない。口で食事をとることもできず、栄養は鼻からのわずかな流動食と点滴に頼ることになる。身体が痛むと点滴の中に鎮痛剤を入れる。いわゆるスパゲティ状態です。もがくと、患者の手足をベッドにしばりつける…。
 これで生きていると言えるのでしょうか?「人間の尊厳」はどこにあるのでしょうか?本人はもとより、家族の耐えがたい思いには計り知れないものがあります。このような状態でじん肺患者たちは人生の最期を迎えるのです。

  「北海道石炭じん肺訴訟―原告たちの証言」より
 
 
「返せ!返せ!」と言うばかり (Unknown)
2008-12-24 15:54:59
 「三池じん肺原告団通信」遺族の手記から

 ある日、突然食事が全然入らなくなり、息も酸素の力を借りなければされなくなって、24時間点滴の生活になりました。それが半年続きました。
 死の20日前くらいから「死にたくない」と、他のことは言わず、そのことばかり言い、1週間くらい前からは、「返せ、返せ」と言うようになり、「なにも借りてないよ。なにを返せというの」と聞いても、ただ「返せ、返せ」ばかりでした。4、5日前になり、「元の体に返せというのがわからんか」と怒りました。
 いよいよ死の当日は、朝から涙を流します。ふいてもふいても後から後から流れるようになり、息づかいは、見ていられないように荒くなりました。体中にたくさんの機械が付けられて、主人の涙を流し苦しむ姿は、私は決して忘れません。主人も、よほどじん肺になり苦しむことが残念だったことと思います。
 いよいよ先生や家族の懸命の看病も甲斐なく、主人は大きな息を一息して、死の旅立ちに泣き泣き行ってしまいました。
 主人の悔しさを晴らし、一日も早く安心させるためにと、主人の遺志をつぎ、老いの身にむち打って、原告団の一人として頑張っています。こうしているうちにも主人のように苦しみながら死んでいかれる人がいることを思うと、一日も早く、一人でも多くの方の命のあるうちに解決してもらいたいと願うばかりです。
夫の自殺未遂 (Unknown)
2009-01-05 15:52:01
 鹿毛チカ江さんの陳述から

 今も各地じん肺訴訟の支援に飛び回っている鹿毛さんは、筑豊じん肺訴訟の遺族原告でした。鹿毛さんのご主人は、終戦直後から閉山まで麻生炭鉱で働き続け、そしてじん肺となりました。日本国首相麻生太郎は、この麻生炭鉱の経営者の長男です。

 『(主人は)じん肺が悪くなり、気胸を起こし、緊急入院して手術をしました。それからはベッドからなかなか起きられなくなりました。息苦しさがひどくなって酸素も手放せなくなり、体重も35キロにまで落ちました。
 眠れない日が続き、ノイローゼになり、「死にたい」とか、私を見ると「殺してくれ」という日が続きました。あまり言うので、私が「お父さんは楽になるけど、私は刑務所へ行くのは嫌だから」と言うと、「おまえ、薄情な」と言われ、隠れて泣きました。
 ある夜、病院から主人が自殺を図ったと連絡がありました。大急ぎで病室に行くと、ナイフで右の首を3ヶ所切っていました。傷は6センチから7センチはありました。パジャマも血まみれでした。
 私は、やせ細った身体でじっと下だけ見つめている主人に何も言えず、ただ黙ってそばにいることしかできませんでした。』
「デ・レ・メタリカ」から (プロメテウス)
2009-01-16 16:32:03
 ドイツルネサンス時代の鉱山学者で医師であったアグリコラは、1556年に出版した「デ・レ・メタリカ(金属の書)」の中で、
 『乾燥していて全然水気のない鉱坑もある。この乾燥は鉱夫にはなはだしい災いを及ぼす。なぜかというと、作業中に生じ空中に飛散する塵が気管および肺臓に達して、呼吸困難、つまりギリシャ人がアストマと呼んだ病気を発生させる。この病気が破壊力を得てくると、肺臓は化膿し体内に肺労を発生させる。カルパチアの鉱山にはこの恐ろしい肺労に残らず次々と倒れた夫を7人も持ったという婦人がいる』
と書いている。
 大理石職人に呼吸器の障害の発生することを古代ギリシャ人は書き残しているが、アグリコラは、それが粉じんの発生によるものであることを実に450年以上も前に指摘しているのである。
「心肺同時移植」のニュースを読んで (北松の仲間)
2009-01-19 09:52:21
 「心肺同時移植」…じん肺患者はどうなる?

 1月18日の新聞1面に「心肺同時移植、成功」の記事が載っていました。脳死の人の心臓と肺を一緒に取り出し、アイゼンメンジャー症候群患者に移植して、手術は成功したというものです。
 ひるがえって、じん肺患者の場合、肺がん罹患が分かっても、じん肺の存在と予後への不安から手術自体が危険視されています。こうした医学上の朗報に接しても、素直に喜べない複雑な心境です。
※ じん肺罹患者が多すぎるため、そもそも対応できる臓器自体も決定的に足りず、こうした医学上の成果がじん肺患者の救済につながることはないような感じです。やはり、「なくせじん肺」がじん肺問題の本質ということなのでしょう。
炭鉱夫じん肺とエンゲルス (プロメテウス)
2009-01-20 15:30:14
 「イギリスにおける労働者階級の状態」から

 けい肺(silicosis)やじん肺(pneumoconiosis)という呼称すらまだなかった1845年、エンゲルスは「黒唾病」という用語を使って炭鉱労働者のじん肺について紹介を行っている。以下は、同書の「鉱山プロレタリアート」の章からの抜粋である。

 『この種の労働者特有の病気は黒唾病(black spittle)である。この病気は、炭塵が肺全体にしみこむためにおこり、全身の衰弱、頭痛、呼吸困難、および黒くてねばっこい痰のかたちをとってあらわれる。二、三の地方では、この疾病はおだやかなかたちをとってあらわれているが、これに反してその他の地方、ことにスコットランドでは、まったく不治の難病のように見える。ここでは、まえに述べた症状がもっとひどくなるほかに、非常に短くて、ぜいぜいいう呼吸や、早い脈拍(1分間に100以上)や、きれぎれな咳きこみがあらわれる。やつれと衰弱がつのり、患者をまもなく労働不能におとしいれる。あらゆる場合に、この疾病は、ここでは死をまねく。』
 『イギリス全体をつうじて、実際この労働のように、いろんな方法で人命を失わせる労働はない。炭鉱は、多数の最も恐怖すべき災害のおこる舞台であって、これこそ、ブルジョアジーの私利私欲に直接責任があるのである。』
パンフレット「ヨロケ=鑛夫の早死はヨロケ病」 ① (プロメテウス)
2009-01-27 16:14:07
 社会衛生叢書第一冊「ヨロケ」より

 1925年(大正14年)に、全日本鉱夫総聯合会と産業労働調査所の共著「ヨロケ=鑛夫の早死はヨロケ病」が出版された。ヨロケ=じん肺について、わが国労働者の側から著した最初の出版物である。同書は、次のように指摘している。

 『ヨロケより怖ろしいものが世の中にあらうか。皮膚の色は青黒く変り、吐き出す痰は墨のやうに黒く、そして歩くたびに身体はヨロヨロと揺れ、さうして会社からも政府からも何の扶助もなく、結局のたれ死んでしまう。これがヨロケ病である。しかもそのヨロケには四、五年以上坑内で働く者は、必ずかかるのである。
 今日まで、この黒い死病のために仆れた者は幾十万人ゐたであらうか。けれども、これが原因を知ることができなかった。鉱夫はただこれを不治の病として、あきらめるより外はなかった。会社はこれに対して責任をもたず、従って予防策を講ぜず、政府はこれを職業病として保護する策もとらなかった。』

パンフレット「ヨロケ=鑛夫の早死はヨロケ病 ② (プロメテウス)
2009-01-29 09:21:59
 社会衛生叢書第一冊「ヨロケ」より

 1925(大正14)年という早い時期に著されたパンフレットではありましたが、そこには、今日の私たちの願いである「じん肺根絶」に通じる要求が高々と掲げられていました。
 パンフレットの「はじめに」には『このパンフレット1冊は、実に鉱山労働者にとっては最も有力な武器となり、資本家にとっては、大なる脅威となるであらう。なぜならば、この小冊子の説くところは一個の科学であって、資本家の金力、政府の権力をしてもこれを覆すことは出来ぬからである。』と書かれ、
第一 鑛夫の命を奪ふヨロケ病、第二 ヨロケの一大原因は資本家の横暴、第三 ヨロケ病の予防、保護、そして―組合を作れ! 強固な団結を!!―で結ばれています。
☆ 資本家に対しての要求内容は以下のとおりです。
一 予防に関しての要求
1 栄養不良を防止する為の賃金値上げ
2 坑内衛生状態の改善
3 坑内滞留時間の短縮
4 水の出ない削岩機使用の廃止
5 塵埃予防器の作成及び給付
6 一定の時を切って、鑛夫の健康診断の実施、並びに軽症ヨロケ患者の完全なる療養の実施
7 坑内作業者を一定年限毎の坑外作業に従事せしめる事
二 ヨロケ保護に関しての要求
1 ヨロケ患者の療養手当、療養日当の完全な支給
2 ヨロケ肺患者の生活の安定の完全な保護、年金の支給
3 ヨロケ病死亡者遺族への扶助料の十分な支給
☆ 政府に対する要求は以下のとおりです。
1 業務上の疾病、即ち職業病としての認定、並びに之に対する療養、保護の鉱業権者への強制
2 最高労働時間の決定
3 最低賃金の決定
4 衛生監督官の設置

 いまから83年も前にこのような要求が掲げられたのでした。
入院患者のつぶやき (「北海道石炭じん肺訴訟18年の歩み」から①)
2009-02-24 15:58:13
 ベッドで身体を起こし、その前に、掛け布団を抱えたままうつらうつらしている患者がいる。彼は仰向けになって寝ることができない。仰向けになると、咳や痰が際限もなく続く。そのため横たわることでも息苦しくなり、ついには座ったまま布団にもたれかかって、眠ることしかできなくなっていた。
 彼の横のベッドが空いている。
 「あいつは、この間個室に移された。もう戻ってこない。あそこに移ったら、お迎えを待つだけさ。
 俺ももうそろそろだな」
 病院の中でも、鼻から酸素の管を通した患者は、話をしているうちに、肩で大きく息をしながらでなければ、話を続けることができなくなる。その会話の合間には、ヒューヒューという音が聞こえてくる。まるで、呼吸器が悲鳴を上げているようだ。
入院患者のつぶやき (「北海道石炭じん肺訴訟18年の歩み」より②)
2009-02-24 16:14:23

 そうですね…。まあ今のところは、生きているだけでありがたいなあ、と思っているほどで。
 まあ、1日でも長生きしたいなと。
 これ以上悪くならないで、寝たきりにならないで、廊下でも蟻の這うようにでもよいから歩いて、歩けるうちがありがたいなあと思って毎日を過ごしておりますが…。
入院患者のつぶやき (「北海道石炭じん肺訴訟18年の歩み」より③)
2009-02-27 16:44:20
 私は、現在はただ必死に呼吸し、必死に生きているだけです。楽しみもなく、外出もままならず、体を動かすこと自体苦痛です。
 もうイライラしたり憤ったりする余裕すらありません。
 私に現在感情が残されているとすれば、それはあきらめの情だけです。

日鉄鉱業からいいように使われて (岩城邦治)
2009-04-03 11:42:41
 北松の遺族原告の故山下シカさんが東京支援の方々に宛てて書いた手紙からの抜粋です。「北松の風」の第一集から引用しました。

 『主人はじん肺のため、56歳の若さで亡くなりました。じん肺管理区分4の決定を受けたのは46歳のときです。…
 主人には盆も正月もありませんでした。あるのは、カマボコのようにベッドにはりつき、息を切らせ、体中点滴の針の跡だらけになる、そんな悲惨な毎日だけでした。主人は弱々しい声で、「俺も、もう十年生きておられたらねえ」、「もう一ぺん家に帰りたいけど、酸素がないと帰れんもんね」としょっちゅう言っておりました。どんなに家に帰って家族と一緒に暮らしたかったのでしょう。こんな主人があわれでかわいそうでたまりませんでした。
 主人は地獄みたいな地の底で三十年近くもまっ黒になって働いて、そのあげくに、ボロボロの身体にさせられてしまったのです。日鉄鉱業からいいように使われて、そうしてもうお前には用はないと使い捨てられてしまったのです。
 こんな日鉄鉱業の仕打ちが、主人にはどんなに悔しかったことでしょうと思います。』
日鉄鉱業から増産、増産と言われて (岩城邦治)
2009-04-03 16:32:50
 
 このブログの最初に掲載されている写真の「肺」の持ち主「大宮金重さん」について、その亡くなられるときの様子を、妻のシズヱさんが「北松の風」第一集に、次のように書いておられます。

 『先生に死の近づいたことを宣告され、「万一の事態にとる道が二つある。一つは呼吸の発作が起きたとき、死を待つか、もう一つは人工呼吸器を使ってしばらくでも命を保つか。呼吸器は、マスイを使って眠ってもらい器具を入れるので、意識が戻らないこともある。家族の承諾がいる」とのことでした。二男は「植物人間でもいい。お父さんの体がほしい」と言いまして、病院にお任せしました。
 数日過ぎて、あと二時間の命と言われ、手術に踏み切りました。幸い意識は戻りましたが、その変りはてた姿を見て、私は気絶しそうになりました。人工呼吸器がどんな処置かも知らず、お父さんの命がほしさにこんな残酷な姿にして、申し訳なく泣きました。…
 生きながらの地獄の姿が私の目に焼きつき、忘れられません。一週間過ぎると、ノドに炎症起こすからということで、ノドを切開して気管にクダをつなぎました。氷を口の中が湿る程度入れてやると、うれしそうな顔、いまだに忘れられません。しかし、タンがノドにつまり、取り除くときの苦しみ様は、手伝ってやるのがつろうございました。
 主人も自分の死が近づいたことを悟ってか、私に何かを言おうとしたとき、原告団の幹事の方が見舞いに来られました。懐かしそうに、自由に動かぬ両手を丸く丸くしますので、「みんなと仲良くとね」と聞きますと、うなづきました。主人は、死の直前まで原告団全員が団結を一致して目的を完遂することを頼みました。
 それから二日後、安心したように永の眠りにつきました。
 息の切れる寸前、主人はかなわぬ手で、胸のあたりから下を指しました。生前に「おれの息が切れたら、解剖して、じん肺で苦しむ人のため、また裁判に役立ててくれ」と言っていましたから、きっと、解剖と言おうとしたのだと思います。
 遺言どおり、解剖いたしました。先生のお話で、「大宮さんの肺は、岩粉が詰まってコンクリートを塗ったようで、肺の重さは普通の人の三倍はあった。あれでは、機械でどんなに空気を送っても息ができない」とのお話に、十数年の苦しむ姿が改めて思い出されました。
 日鉄鉱業からは、毎日、やれ増産、増産と刺激をされ、一生懸命働いた結果の最期が、こんな悲惨な姿でございました。』
日鉄鉱業のあの冷たい態度を許すことはできません。 (岩城邦治)
2009-04-08 12:11:14
 「北松の風」第一集 早田ミツエさんの手記

 主人は人員整理で日鉄鉱業をやめさせられました。33歳の若さでした。…
 働かなければ食べることができず、主人は70歳くらいのおじさんたちと山仕事に行きました。しかし、坂道を皆と一緒に歩くことができず、「自分は若いのに、きつくてたまらない」といつも私に話しておりました。別のところの仕事に変わるため就職に行ったら、検査で「ひどいじん肺」と断られ、病院で診てもらったら「結核」と言われて入院することになりました。それからは、私は姑と子供を抱えて、働きに行くこともできず、百姓で取れた野菜などを山の上から町まで8キロばかりの山道を朝4時からかついで、1回200円くらいを稼ぎ、それを3回ばかりためたお金で米を買い、醤油は1升で、塩を入れて3升ばかりにして食べたものです。子供のおやつは木の実かいもでした。こんな時主人が元気だったらと、陰でよく泣いたものです。
 33年2月頃と思います。主人は友達に誘われて日鉄鉱業病院に検診に行ったら、じん肺と言われ、「死刑の宣告を受けた」と言っておりました。半年くらいで決定になりましたが、労災金とて少なく、苦労の毎日でした。
 それから19年の長い病院生活でした。最後の3年間は、子供は家に残してつきっきりの介抱でした。夜はベッドの下の床に布団を敷き、眠ることはあまりなく、急に咳きこんで苦しみだした時に背中をなでれば「苦しい」と言って手を払いのけます。おとなしい時には、今度は「息をしているのだろうか」と口元に手をやったりして、気持の休まる暇もありませんでした。
 酸素を吸って、骨と皮になった主人を見て、子供たちは「お父さんの苦しむ姿を見ていられない。早く息を引き取ってくれたら」という声に、私は主人がかわいそうで、とてもつらい思いでした。
 裁判がもう少し早く始まっていたら、裁判官に、骨の上に皮が引っ張って、30キロもない主人を見てもらいたかった。残念です。…
 日鉄鉱業のあの冷たい態度を許すことはできません。弱い私たちに、どうぞ力をお貸しください。
1回1回の呼吸を意識 (岩城邦治)
2009-04-08 17:17:46
 北海道石炭じん肺パンフ 故大野朝次郎さん談より

 1回1回の呼吸を意識しながら生きていかなければならないことの苦痛は体験した者のみしかわからないだろうと思います。健常な時代の私もまた空気を吸って息を出すという、この単純な繰り返し活動を意識したことは一度もなかったはずです。
 いまの私の呼吸は、両の鼻の穴からプラスチックの管を通じてつながる酸素ボンベの存在なしには成り立ちません。雑誌を読んだり、ベッドの上で食事をするとき、車いすでトイレに向かうときももちろん、眠るときも、ベッドの上で多少なりとも体を動かすときも、こうして話をするときも、昔を思い出して涙を流すときにだって、要するに私が息をしている間中、この2本の管から私の身体に酸素が送られているのです。意識しないで呼吸するということは不可能なのです。
 意識しなければ呼吸ができない。こんな残酷さはほかにあるでしょうか。そのことをまずわかってほしいのです。
有川春幸さんのメモから (北松の仲間)
2009-05-13 14:43:32
 北松じん肺訴訟原告だった有川春幸さんは、記念誌「北松の灯は消えず」に次の歌と次の指摘を寄せている。
   
    じん肺の 判決すみて 尚いまだ
      チューブはとれじ 我が身なりけり

 『日鉄鉱業東京本社の偉い皆様の無表情なお顔を見ていると、命の尊さを知らない方たちではないかと強い憤りを感じます。日鉄鉱業の心ある謝罪と全員救済を、心からお願い申し上げます。』

 その有川さんは、奥さん宛てに次のメモを残した。

    無限なる美しい空気を
    チューブなしで 腹いっぱい
    吸ってみたいよ
    お母さん

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