日鉄鉱業に謝罪を求める会 with 西鉄也(ブログ編)

国も責任を認めたじん肺裁判で、唯一未だにその責任を認めていない日鉄鉱業。私たちは絶対にあきらめない!

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皆さんはなぜ、日鉄鉱業にこだわるのですか?

2008-03-01 05:47:10 | コメント募集
西日本石炭じん肺弁護団の岩城邦治弁護団長より、日鉄鉱業謝罪会見についてのご相談をいただきました西鉄也と申します。

じん肺訴訟に関わる資料や本を読むにつれ、私の目にも涙があふれてきました。

裁判で勝訴しているとはいえ、日鉄鉱業の謝罪の言葉を聞くまではこの裁判は終わりません。

日本中、いや世界中の人たちにインターネットを通じて日鉄鉱業謝罪会見までの経緯を見ていただきたいと思い、ブログを立ち上げました。

そこで関係者の皆さんにひとつ確認しておきたいことがあります。

裁判で23連敗中の日鉄鉱業に対して、今尚、謝罪を求めて活動を続けている皆さんを動かしているもの、想いは何なのでしょうか?

その想いをこれからたくさんの人たちに伝えていきたいと思います。

責任投稿:西鉄也
 
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149 コメント

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Unknown (大牟田の炭鉱太郎)
2008-03-04 12:38:34
日鉄鉱業のHP見ました。おどろきですね。こんな会社がまだあるんですね、裁判に23回も負けてまだ謝らない。企業の横暴じゃないですか。大牟田でもじん肺裁判があり、三井はちゃんと謝ったとききました。
それが本当じゃないですか。日鉄鉱業という会社許せませんね。
日鉄鉱業は謝罪せよ! (中里研哉)
2008-03-04 18:27:24
 私は、長崎でじん肺裁判やじん肺根絶運動に20年来関ってきました。関るきっかけは、じん肺によって40台ですでに仕事ができない身体になり、子どもの進学する夢を奪われ、死んでいった坑夫の話を聞いてからです。その理不尽さに腹の底から怒りが沸いてきました。また、同じ子どもを持つ父親として無念で堪りませんでした。
 そして、誰がじん肺にかからせたのか、なぜじん肺にかかったのかを知ることができました。国や企業がじん肺にかかるとわかっていながら、対策を講じなかったことが坑夫を苦しめ、死に至らせた原因だったのです。
 私は、裁判所に23回も加害責任を認められながら、被害者や遺族に謝罪をしない日鉄鉱業を絶対に許すことができません。あの坑夫の思い、無念さを何としても晴らしたいと思っています。
 日本中の皆さん、どうかお力をお貸しください。息ができないと苦しみもがきながら亡くなっていった被害者のためにも日鉄鉱業に謝罪させ、じん肺問題を解決するよう働きかけてください。
 心よりお願い申し上げます。
Unknown (大牟田の炭鉱太郎)
2008-03-05 09:26:34
日鉄鉱業になぜ、こだわるのですかとありましたが、こんな企業は世界中探してもないでしょう。だって、裁判所の判決は例えばえん罪かもしれないけれども死刑の判決が出されれば死刑執行されているじゃありませんか。日鉄鉱業は23回も敗訴判決を受けているのですよ。日本は3審制だからと云ってるそうですが、じん肺裁判は内容は同じじゃないですか。同じ裁判を23回もして、まだ、裁判所の決定に従わないのは、おかしいですよ。お金さえ払えばよい、従ったことにはならない。社会常識、社会のルールがあるのではないでしょうか。日本の社会は金持ちばかりの社会ではないと思います。
言いたいことは山ほどある (岩城邦治)
2008-03-06 14:06:35
 日鉄鉱業の炭鉱の粉じん現場で働いた多くの労働者がじん肺で倒れました。日本経済のエネルギー部門を地底から支えた人たちです。
 セキやタンに苦しみ、坂道や階段では激しい動悸と息切れにあえぎ、やがては風呂に入っても横になっても肺に空気を取り込めず呼吸困難となって、酸素吸入によってわずかに命をつなぐほかなくなります。それがじん肺罹患後の患者に残された人生です。
 選炭後に残った岩石片は“ボタ”と呼ばれてボタ山に捨てられます。患者たちも日鉄鉱業から捨てられました。しかし、患者たちは、「俺たちはボタじゃない」という思いを胸に、そして「こんな目に会うのは俺たちで最後にしたい」という思いから、「じん肺根絶・被害者救済」を合言葉に立ち上がり、日鉄鉱業を被告とする裁判を起こすことにしました。
 しかし、提訴の動きを知った日鉄鉱業は、元従業員の家を訪ねて、「裁判は長引く。生きているうちには終わらない」「莫大な金がかかる。家も土地も弁護士に取られるぞ」と脅して回り、執拗な切り崩しを行いました。そして、裁判が始まると、今度はカメラを持って原告を付け回し、「たばこを吸っていた。たばこが原因だ」「元の同僚との懇親会に参加した。元気な証拠だ」と原告叩きに狂奔し、挙句は、証人等で総勢100人という前代未聞の立証計画を平然と提出して訴訟の遅延を画策しました。
 日鉄鉱業じん肺の最初の裁判は、結局、16年に及ぶ長期の審理を経て終了したのですが、謝罪を求める原告に対して、日鉄鉱業の高橋前社長は、「最高裁で判決があっても、当社には責任はない」と平然とうそぶきました。
 こうして日鉄鉱業は、元従業員計156患者から次々と訴えられ、計9訴訟で23連敗し、3月17日には福岡高裁での24回目の敗訴判決を受けようとしています。それでも日鉄鉱業は、「責任は認めない」「争い続ける」と言い張って被害者を苦しめているのです。
 日鉄鉱業は一部上場企業です。そして一部上場企業とは、日本の経済と社会を代表する範たるべき存在なのです。その一部上場企業が、このように司法判断を平然と踏みにじり、法の無視を続けているのです。
 この日鉄鉱業の姿勢を正し、司法判断に従わせるとともに、じん肺被害に苦しむ被害者に謝罪させること、それがブログを立ち上げた私たちの願いです。
 言いたいことは山ほどありますが、ブログですので、骨子だけを書きました。
Unknown (岩城邦治)
2008-03-07 10:00:30
 昨年8月1日、福岡地裁で、西日本石炭じん肺1次訴訟の判決がありました。被告は国と日鉄鉱業で、原告全面勝利の判決となりました。
 判決後、原告・弁護団は、「控訴せずに早期解決を実現するように」と要請するため上京しました。
 翌2日に面談した経済産業省の担当官は、「昨日は役所に泊まり込んで一晩かけて判決を読みました」と述べたあと、「改めて判決を厳粛に受け止め謝罪するとともに、患者の皆様にはお見舞いを、遺族の皆様にはお悔やみを申し上げます」と謝罪の言葉を述べられました。
 翌3日、原告・弁護団はアポイントどおりに日鉄鉱業を訪問しました。「控訴せずに早期解決を実現するように」との要請を行いたいとと、あらかじめ書面で申し入れていました。ところが日鉄鉱業は、この要請のあることを知りながら、その前日の2日にあえて控訴を行いました。しかも、「判決は読んだのか」との原告・弁護団の質問に、日鉄鉱業の担当者は、「骨子に目は通したが、判決は読んでいない」「控訴するのが従来からのわが社の方針です」と平然とうそぶいたのです。判決当夜に一晩かけてこれを読んで要請を受けた国の担当者の対応と、あまりにひどい対応の違いです。
 その後、国と原告代理人との間では真剣かつ率直な意見の交換が行われ、国については、控訴の期限内での和解解決という、これまでにあまり例のない画期的な解決を実現しました。
 しかるに、判決検討も行わずに控訴した日鉄鉱業は、満足な控訴理由も挙げられずに通り一遍の控訴理由書でお茶を濁し、そのため福岡高裁も第1回期日で審理を打ち切り、3月17日に判決を言い渡します。日鉄鉱業が24回目の敗訴をすることは確実なのです。
 考えてみると日鉄鉱業は第1回目の敗訴のときからこれと同じような対応を行ってきました。長崎地裁佐世保支部での最初の判決に際して、原告・弁護団では、「判決後に上京して、控訴せずに早期解決を実現するための協議を持ちたい」と日鉄鉱業に申し入れていました。ところが、判決翌日に会った古賀・高橋(のちに社長)の両担当者は、解決協議に入ろうとする原告・弁護団に対して、「控訴は昨日しています」と平然と告げたのです。
 「判決を読まず、検討せず」、そして「控訴するな」と原告・弁護団が要請に来るのならその前の日に控訴する、それが日鉄鉱業の今日までの非礼・非常識な対応なのです。だから、最初の提訴から29年たったいまも、被害者たちは日鉄鉱業に謝罪を求めてやまないのです。
 
Unknown (パンドラ)
2008-03-09 09:50:32
23連敗してきた日鉄鉱業が謝罪しないのはなぜですか?
名の通った企業が毎日どこかで頭を下げて謝罪を口にし、それだけで事が収まっている世の中で、23回も敗訴し、それでも謝罪しないのはなぜですか。

日鉄鉱業の前近代的体質 (平川道治)
2008-03-10 14:38:35
私は三井鉱山三池鉱業所の坑外職場三池港務所の鉄道課で約39年間働きました。三池炭鉱閉山後、三池じん肺訴訟の事務局長としてじん肺裁判に係わってきました。三池炭鉱は労働者にとって差別の歴史と言っていいほど、労務政策としての差別待遇が取られてきました。最初は囚人労働、強制連行の中国人・朝鮮人・白人俘虜に対する、差別労働、与論島からの移住労働者に対する差別、最後は組合分裂による三池労組員に対する差別労働が激しく行われました。
炭鉱資本は労働者を牛馬のように使い、ボロ布れを棄てるように遺棄してきました。長崎でも伊王島炭鉱で外国人労働者を叩きつけ、泣き叫ぶ声を何回も聞いたと言う話を聞いたことがあります。23回も裁判負け続け反省がされないと言うことは正に前近代的体質を引きずり続けている状態ではないでしょうか。三井資本始め、三菱、住友、古河、ニッチツ、三井松島、トンネルじん肺では国、ゼネコンなど、すべて謝罪し、被害者の救済を図っています。少なくとも、前近代的体質はクリアしています。日鉄鉱業は前近代的体質をクリア出来ないでもがいていると思います。
質問にお答えします。 (岩城邦治)
2008-03-11 09:45:14
 他人の心の中は「推測」でしか判断できませんが、謝罪を拒否する日鉄鉱業には次のような体質や特徴があるように思われます。
① 特権官僚的発想と前近代的体質
 平川さんが指摘しているように、日鉄鉱業は旧弊な前近代的体質を色濃く残していますが、それに加えて、発想が特権官僚的です。
 日鉄鉱業の二瀬炭鉱や北松炭鉱は、官営八幡製鉄所の付属炭鉱として開発され、掘り出した石炭を官営八幡製鉄所に送っていました。官営八幡製鉄所は1934年に日本製鉄(現在の新日鉄)となり、5年後の1939年にその原料部門(石炭と鉄鉱石の採掘)を分離独立させて、日鉄鉱業としました。
 こうした過去の歴史のためか、日鉄鉱業の発想は官僚的・高圧的で、しかも頭が高く、従業員に対してはもちろん、他の企業も見下してきました。いまでも本気で「恩ある日鉄鉱業に元従業員が弓を引き裁判を起こすとは許しがたい」「裁判ではなく、訴訟外で願い出てくれば、会社基準による補償を考えよう」という対応を従業員に対して取っています。そればかりか、筑豊じん肺最高裁判決直後、責任を認めて被害者に謝罪をした国が、共同被告であった日鉄鉱業を経済産業省に呼んで、「監督責任を負うにすぎない国ですら責任を認めて謝罪するのだから、直接の加害責任を負う日鉄鉱業も責任を認めて謝罪したらどうか」と説得したのに対して、日鉄鉱業は、「時代時代の対策を講じた」という十年一日の決まり文句を口にし、国の説得を平然と無視したのです。
② 市民の目や発想と無縁な、産業界相手の事業活動
 日鉄鉱業は、鉱物の採掘販売と加工販売という、市民の日常生活とは直接の関係を持たない、産業界相手の事業活動を行っています。そのため、市民社会や市民の消費生活の目線でものを見たり考えたりすることがなく、およそ市民的良識と無縁の企業活動を行っています。おそらくは、19世紀的な、労働者からの収奪による利潤の蓄積をむき出しにして現在に至った企業なのでしょう。
③ このような企業に対して、「責任ある者は謝罪する」という市民社会の当然のルールを認めさせるために、私たちはこのブログを立ち上げています。 
日鉄鉱業はなぜ最後まで抵抗するのか (河西龍太郎)
2008-03-11 15:33:40
 日本で最初の炭鉱夫じん肺の裁判をしてほしいと患者さん達が私の事務所を訪れた時、私は日本で最初の炭鉱夫裁判が、何故日鉄北松でなければならないのか、何故弁護団事務局を私がかかえなければならないのかという疑問を感じました。日鉄鉱業も当然同じような疑問を持ったでしょう。
「何故日本の三大炭鉱で最初の炭鉱夫じん肺裁判が起きず、日本の西の果て北松浦郡で日本最初の炭鉱夫じん肺裁判を起こさなければならないのだろう。」
 この疑問に対しては今では簡単に答えることができます。
 日本中で最も良心的で決意の高いじん肺患者さんが長崎北松の地に居たからです。
 では他の加害企業は謝ったのに何故日鉄鉱業だけは謝らないのでしょうか。
 日鉄鉱業は初めのうちこう答えていました。
「炭鉱夫じん肺の責任を企業がどうとるかは日鉄一社の問題では決められません。」
 私はこの答えは嘘ではないと思っています。では他の企業が謝罪しているのに何故日鉄鉱業は謝らないのでしょうか。
 これは難しい問題です。色々な人が色々な意見を持っていると思います。
 私の意見を述べます。他の企業は本当に謝罪しているのですか。争いを広げないために口先だけで詫びているだけではないのですか。私は「資本家が労働現場で労働者の健康を破壊することは絶対に許されない」こういうルールを社会的に明白にさせなければ、意地になっている日鉄鉱業を謝らせることはできないと思っています。その意味で労働現場で労働者の生命と健康を守る闘いはまだ開始されて間もない闘いなのでしょう。

Unknown (プロメテウス)
2008-03-12 09:28:06
 河西弁護士から、企業の対応と「口先だけで詫びているだけではないのですか」という提起がありました。しかし、ここで重要なのは、「企業の意思がどうか」ではなく、被害者に対して企業が責任を認めて謝罪したかどうかという結果なのではないのでしょうか。
 もともと資本というのは労働者を搾取して利潤を蓄積していくことを自己目的とした存在です。その資本が、本音で被害者のための賠償を行ったり労働者保護の対策を決意するなんていうことはそもそもあり得ません。
 重要なことは、そうした本性の資本の手をどう縛り、どのような保護を約束させたか、という労働者の側の闘いの結果と成果です。資本がどんな気持ちで頭を下げたかと分析してみても、あまり意味はないと思います。
 日鉄訴訟を含むじん肺訴訟の成果については、そうした視点から検討を行うべきで、謝罪が本気かどうかを問題にするのは、少し視点がずれているように思います。

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