明治23年、山嵜儀作。
シンプルな鳥居額で龍等の彫物はありません。しかし、素材は欅(けやき)の玉杢(たまもく)を使用しており、周囲の枠も取り付けたものではなく、1本の木材を彫り込んだ手の込んだものです。『良い玉杢は彫物に勝る』です。
玉杢は、ケヤキの場合、樹齢の高い木で出てくるもので現在でも高値で取り扱われています。
今井神社の鳥居額。木目に玉の紋様がみえ玉杢であることがわかります。
左:玉杢、右:通常の木目
鳥居額の底部と枠の部分。木目がつながっていて、枠と底部は連続した材料で、ケヤキの一塊の材料を彫り込んで額を作ったと思います。
右は山嵜家に残されている鳥居の題字の原本。同じであることが解ります。
鳥居額の裏面。明治23年、 国重正文とあります。国重は幕末の長州藩士で、明治になって富山県知事、政府の社寺局長をつとめた人物です。この人物が今井神社の題字を書いたと思われます。
山嵜家文書。更級郡中津村今井(現 長野市川中島町今井)の島田嘉十郎という人物の名前があります。彼が山嵜儀作と製作の交渉にあたったと思います。
いいケヤキの材料を、素材をそのまま生かした宮大工でもある山嵜儀作の姿勢がわかります。
『良い玉杢は彫物に勝る』。