北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

■01 山嵜儀作の祭り屋台天井部『丸龍』の下絵

2016年10月19日 | 01 山崎儀作

北信の祭屋台は「一層二輪」形式が多いことは、以前紹介しました。屋台の前部が舞台、後方が御簾で囲まれた囃子方になります。舞台の天井部の板には、直径約110cmの龍を丸くした彫物『丸龍』が付けられていることが多いです。目立ちにくいのですが、屋台の彫物の主役と言っていいと思います。

丸龍も適当に付けられているのではなく、方向が大事で前方から見るとメインの龍と顔を合わせるようになっています。

(参考までに、桜枝町の屋台の丸龍、明治28年、山嵜儀作)

 桜枝町(さくらえちょう)の屋台を前方から見ると、親の龍と目が合うようになっています。

左脇の板に「彫刻師 山﨑儀作」と墨書あり。(桜枝町屋台で紹介すみ)

 

―最近、山嵜儀作の末裔のお宅から、丸龍の下絵が見つかりました。

 

直径122㎝です。

 

良く見ると、親子の龍になっていて、親龍を赤、子龍を青で塗ってみました。

 

-下絵と現存する山嵜儀作の屋台の丸龍と比較してみました。

 

桜枝町屋台(明治28年、山嵜儀作)の丸龍。直径110㎝。

 

 

西後町の屋台(明治6年、山嵜儀作)の丸龍。直径110㎝。

 

下絵と両屋台の丸龍の構図がほぼ一緒です。6時方向に親龍の爪ある点等々。

この下絵が西後町の屋台のために書かれて、桜枝町にも利用したのか、桜枝町の屋台用なのかは、年代の記述がないため不明です。

 

ちなみに、山嵜儀作が修行した長沼の六地蔵町の屋台の天井にも丸龍がありますが、一匹で親子にはなっていません。

 

長沼 六地蔵町の屋台の丸龍。(作者不明、初代武田常蔵、山嵜儀作の疑い)

 六地蔵町の屋台は幕末に作られたと推定され、儀作の師匠の初代武田常蔵(ときぞう)、儀作が関わったのではないかと思っております。これは未完成で、左の龍の足の鱗が墨で書かれていて、最後の仕上げがありません。他の彫物も同じ状況で、おそらく金銭的な面で、作業が中断してそのままになったか?初代武田常蔵に体の変調で中断になったか?で彫物は未完成になっています。

逆にいうと、途中の経過がわかって面白いのですが・・・

丸龍は後年、儀作が、親子の形態にアレンジしていったのではないかと思います。

 

さらに、参考までに 赤沼(長沼の一地区)の上組の屋台

屋台棟梁 二代武田常蔵、 脇 山嵜儀作、明治9年頃。天井の丸龍(直径110㎝)。

 この龍は、この時の棟梁である二代武田常蔵のものか?(儀作かもしれませんが。)

 

 

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