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従軍慰安婦 朝日の罪と戦争の罪

2014年08月13日 | メディア論

 責任回避の検証特集

                  2014年8月13日

 

 朝日新聞が「慰安婦問題を考える」と題して、8月5,6日、自社の記事の検証報道を、見開きで2日にわたり、大々的に報道しました。異例の大きさです。徹底して検証し、徹底して反省し、徹底してお詫びするのかなと、思って読みましたら、違うのですね。何度、読みかえしても、朝日が困り果てながら、迷いながら特集を組んだという印象しか残りませんでしたね。

 

 他紙は激しく、厳しい朝日批判の記事、社説を書きました。朝日の罪はよく分りました。それでは従軍慰安婦問題という戦争の罪、当時の政府の罪、日本軍の罪をどう考えているのかがよく分りませんでした。朝日の罪は大きいとして、戦争の罪にどう向き合うのか、どういう報道をしてきたのか、朝日批判にばかり終始してはいけません。

 

 ジャーナリズム、新聞報道には、スクープと同時に誤報がついて回ります。誤報があれば、検証し、必要があれば、お詫び、訂正をするということを通じて、報道の質が高まっていきます。大問題、さらに国際的な波紋を呼んだ誤報となると、そのお詫び、訂正がなかなか率直にできないものです。今回の朝日新聞の検証はその典型でしょうね。

 

 この大特集の後、朝日は続報を書くのかな、社説でも取り上げるのかな、そのタイミングでこのブログで書こうと思っていましたら、音沙汰がありません。それで少し遅れて、慰安婦問題を取り上げることにしました。朝日の検証には、歯切れの悪さが多すぎますね。

 

 まず、訂正につきものの、お詫びが見当たらないのです。5日の朝刊1面、左肩に大きく「慰安婦問題の本質、直視を」の記事を掲載し、「記事の一部に事実関係の誤りがあったことが分りました。裏づけ取材が不十分だった点は反省します」と書きました。6段ものスペースを割いた記事に、お詫びは見当たりません。別面の大特集には、この問題の核心に相当する吉田証言(強制連行はあった。82年以降、16回にわたり掲載)は、「虚偽と判断し、記事を取り消します」とあります。ここでも、お詫びがないのです。大誤報を認めながら、お詫びしないのは異例でしょう。

 

 朝日の記事データから削除するのかも、触れていません。戦後、大スクープとされた伊藤律(地下潜伏中の共産党幹部)の架空会見記(1950年)は、会見そのものが架空でしたから、つまり捏造でしたから、削除されています。さらに吉田証言をもとに朝日は数多くの社説、関連記事を書いたはずです。これも取り消すのでしょうか。社説を何本も、取り消すとなると、新聞界にとって空前絶後のことでしょうから、朝日もその処置に困りはて、吉田証言の「取り消し」という表現でお茶を濁すことにしたのでしょうか。

 

 吉田氏は、戦時中、労務報国会下関支部の動員部長だったとされます。現場の担当者みたいな人物だったから、朝日は信じこんでしまったのでしょう。慰安婦問題は朝日が好むテーマでしたから、すぐに飛びつき、裏づけしないまま、功名心に走った記事を書いたのでしょう。ありがちなことです。それにしても、この証言に疑義が何度か唱えられながら、なぜ32年間、黙殺し続けたのか。その理由に触れていませんね。

 

 国際的に波紋を呼び、日韓関係をこじらせた問題ですから、少なくとも、英語に翻訳し、自社のホームページに掲載すべきでしょう。朝日が舌鋒鋭く批判する企業の不祥事では、自社のホームページに調査概要、謝罪などを載せていますよね。これからでもやってほしいですね。

 

 朝日が潔くないのは、他新聞社を道連れにしようとしていることです。慰安婦問題の報道の不備を指摘し、「他紙も吉田証言を報道した時期があった」などと、釈明しているのです。また、「女子挺身などの名で前線に動員され、慰安所などで日本軍人相手に売春をさせられた」、「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その数は8万とも20万ともいわれた」(いずれも1991年)の記事については「両者を混同した」とし、他新聞にも同じような例がみられたといいます。他紙のことは他紙に任せておけばいいのです。

 

 もうひとつ、朝日がずるいなと思うのは「強制連行」と「強制性」を混同させようとしていることです。「強制連行がなくても、強制性はあり、女性の尊厳が傷つけられた」が朝日の態度です。日本軍が組織的かつ直接的に慰安婦の募集、動員、施設の開設まで関与したら、それこそ「強制連行」でしょう。「強制性」は、「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いる場合は、強制があったとみる」ということです。国家間の外交交渉、賠償問題に発展した場合は、「強制連行」と「強制性」における国家の責任の程度はまるで違ってきます。報道においても、この二つは明確に区別しなければなりません。

 

 しばらく朝日批判が続くでしょう。石破自民党幹事長が「関係者の国会招致を含め、報道内容を検証する」はどうでしょうか。これは報道の自由に対する勇み足ですね。朝日関係者を呼んでも国会に出向きませんし、呼ぶべきでもありません。報道内容の検証は報道機関の責任であり、それとこのことを混同してはいけません。国会が検証、反省すべきだとすれば、日本政府の慰安婦問題への態度が適正であったかどうか、歴代首相、官房長らの談話が事実に則って適切であったかどうか、です。

 

 朝日批判ばかりに没頭せず、「慰安婦と戦場における性」、「戦時下における女性の人権」、「それに関する国家の罪、戦争の罪」をどう考えてきたのか、どう考えていくかが問題なのでしょう。

 

 



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